悪魔の証明と消極的事実の証明

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立証責任の分配に関連して,「『消極的事実の証明』(ないことの証明)は,『悪魔の証明』(probatio diabolica)である。」といわれることがある。法律家等の間でも昭和40年以前から使われている用法であり*1,諸外国の法律家の間でも,同様の用法があるようである*2

しかし,沿革的にみれば,「悪魔の証明」と「消極的事実の証明」とは全く関係のない概念である。最近になって,両者を結びつける用法があることは前記のとおりであるが,その点を踏まえても, (1)「悪魔の証明」という比喩は,「消極的事実の証明」の場合以外にも用いられるものであること,(2)「消極的事実の証明」であるからといって,必ずしも「悪魔の証明」になるわけではないとする見解があること,(3)「消極的事実の証明」であるからといって,訴訟法上,当然に立証責任の負担を免れるわけでもないことは銘記しておくべきであろう。

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元来,「悪魔の証明」とは,中世の法学者が,古代ローマ法の解釈に関連して,所有権の証明が困難であることの比喩として使い出した言葉である*3。すなわち,古代ローマ法において自己の所有権を立証するには,自己が前主から権利を承継したことに加え,前主が所有権を有していたことを立証せねばならず,前主の所有権を立証するには,前主が前々主から権利を承継したことに加え,前々主が所有権を有していたことを立証せねばならず,前々主の所有権を立証するには等々,これを無限に遡らねばならないとう困難があったというのである*4。異説もあるが*5,これが通説である。

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しかし,ここで問題とされる証明の困難は,むしろ「積極的事実の証明」の困難であって,「消極的事実の証明」の困難ではない。沿革に照らせば,「消極的事実の証明」の場合に限って,「悪魔の証明」という言葉と結びつけなければならない必然性は薄いといわざるを得ない。

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他方,「消極的事実の証明」に関する立証責任は,中世以来,「証明は肯定する者にあり,否定する者にはない。(Affirmanti incumbit probatio, non neganti.)」というローマ法起源の法諺と関連付けて議論されてきた*6*7。この法諺を援用し,積極的事実を主張する者に証明義務があり,消極的事実を主張する者に証明義務はないとするのが「消極的事実説」である*8。しかし,消極的事実説を巡る議論において,「消極的事実の証明」と「悪魔の証明」を結びつける言説は見当たらないように思う*9

現在の民事訴訟では,純粋な消極的事実説は否定されており,「消極的事実の証明」であるというだけで,当然に立証責任の負担を免れるとするのは困難である*10。立証責任の分配を決めるに当たり,消極的事実であることを考慮するとしても,考慮要素のひとつとして位置づけるのが通常である*11。最近になって,「消極的事実の証明」と「悪魔の証明」を結びつける言説が現れたのは,消極的事実であることが考慮要素のひとつにすぎなくなってしまったため,その意義を強調しようとして,レトリックを工夫したためではないかと想像することもできる。

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以前から,「権利推定に対する反証」について,「悪魔の証明」と称されることはある*12。この用法は,「消極的事実の証明」一般について,「悪魔の証明」と称する場合とは区別すべきであろう。なぜなら,「権利推定に対する反証」は,多くの場合,「消極的事実の証明」の一種ではあるが,特定の事実の不存在を証明するだけでは足りず,権利発生の原因となり得る全ての事実の不存在を証明せねばならないという点で,「消極的事実の証明」のなかでも特に証明が困難な類型ということができるからである。

この用法は,兼子一が,「推定の本質及び効果について」(昭和12年)という論文において,意識的に転用したのが広まったものではないかと思われる*13。所有権の証明は「悪魔の証明」といわれるほど困難であり,この困難を解消するため権利推定という制度が作られた。しかし,それが「逆に行過ぎて」,今度は相手方に「権利推定に対する反証」という困難な証明,いわゆる「悪魔の証明」を課すことになってしまったというのである。

また,不当利得返還請求における「法律上の原因がないことの立証」に関して,「悪魔の証明」と称することがある*14。この用法も,「権利推定に対する反証」の場合と同様,「消極的事実の立証」一般と区別して考えるべきである。なぜなら,「法律上の原因がないことの立証」には,特定の事実の不存在ではなく,法律上の原因となり得る全ての事実の不存在を立証せねばならないからである*15

以上の2類型で問題とされる「悪魔の証明」は,「事実の不存在の証明」ではなく,「権利の不存在の証明」としてまとめることができる*16。「権利の不存在の証明」を「悪魔の証明」とする用例は,上記2類型以外にも見つけることができるが,いずれも「消極的事実の証明」一般を「悪魔の証明」という場合とは区別して考えるべきである*17。「権利の不存在の証明」は,単なる「事実の不存在の証明」よりも類型的に困難な証明ということができるからである。

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他方,「消極的事実の証明」等に限らず,一般論として,「著しく立証困難でほどんど不可能な証明」を「悪魔の証明」と定義する見解もある*18。考えてみれば,「悪魔の証明」とは,そもそもが証明の困難を言い表した比喩なのであるから,所有権の証明や「消極的事実の証明」の場合に限らず,困難な証明一般に対して,その用法を拡張するのは自然である。

実際,抽象的な証言に対する反証とか*19,証拠が限られている場合の立証*20,非常に高度な証明度が要求される場合の立証*21,病理的な因果関係の立証*22,公害と健康被害の因果関係の科学的に厳密な立証*23などについて,証明困難を理由として,「悪魔の証明」という比喩を用いる事例を見つけることができる。諸外国の法律家も,この文脈における「悪魔の証明」を用いるようである*24

これらの用例を前提にすると,先に検討した「権利の不存在の証明」について,「悪魔の証明」という言葉が用いられるのも,このような証明困難の一類型としてにすぎないと位置づけるべきである*25。そうであるからこそ,それらの証明が,実際には困難でないことを指摘して,「悪魔の証明」には当たらないと反論する論者がいるのである*26

そうすると,問題の「消極的事実の証明」一般についても,以上と統一的に考えるべきであろう。「消極的事実の証明」は,困難な証明の一類型であるから,「悪魔の証明」ということができる。しかし,「消極的事実の証明」については,必ずしも証明困難ではないとする見解があるのであるから,そのような立場からすれば,「消極的事実の証明」は,「悪魔の証明」には当たらないことになる*27*28

例えば,並木茂「民事訴訟における主張と証明の法理はどうあるべきか(下)」(平成10年)は,「短期間内における消極的事実の証明を悪魔の証明というのは誤りであって,悪魔の証明は,権利関係の存否又は長期間にわたる消極的ないし積極的事実の存在の証明である」と論じる*29。確かに,短期間内における「消極的事実の証明」は,多くの場合,それほど困難ではないであろう*30

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以上をまとめると,「悪魔の証明」とは,元来は,所有権の証明の困難さを言い表す比喩であるが(原義),現在では,一般に,証明が困難である場合の比喩としても用いられ(広義),特に,「権利推定に対する反証」,「法律上の原因がないことの立証」,そして,「消極的事実の証明」の困難さを言い表すため用いられることが多い(狭義)と定義することができるが*31,そこに上げられる「消極的事実の証明」等が,本当に「悪魔の証明」という名にふさわしいほど困難な証明であるかは,具体的な証明対象・条件次第で変わり得るし,当然ながら,人によって,その評価も異なり得ることには注意が必要であるということになろう。

そして,これに関連し,訴訟法上の証明責任の分配論との関係について付言すれば,現在,「消極的事実の証明」であるからといって当然に立証責任を免れるという考え方はとられていないこと,そもそも,日常の議論と訴訟上の立証とでは前提条件が異なることが多いから,訴訟法上の立証責任の議論を当然に日常の議論の場に持ち込むことができるわけではないことは指摘しておくべきであろう。

*1:最判昭和40年2月23日集民77号573頁の上告理由(581頁),荻原金美「スウェーデン法における婚姻外の子の父性確定とその法的地位」(判例タイムズ・271・49)・49頁,東京地判昭和50年1月23日判タ321号194頁の弁護人の主張(196頁),東京地判昭和53年6月29日判タ375号120頁の理由(121頁),東京高決昭和53年7月18日下民集29巻5~8号475頁の抗告理由(483頁),並木茂「証明責任の分配についての二,三の試論」(司法研修所論集63・48,昭和54年)・53頁,定塚孝司「主張立証責任論の構造に関する一試論」(司法研修所論集74・28,昭和60年)・54頁,中野貞一郎・下村眞美『請負の証明責任』(判例タイムズ・679・99)・104頁(昭和63年),東京高判平成6年1月26日判タ840号64頁の被控訴人の主張(66頁),村重慶一「国籍法二条三号にいう「父母がともに知れないとき」の意義及び立証」(平成6年度主要民事判例解説・156,平成7年)・157頁。高野嘉雄「甲山事件」(季刊刑事弁護3・36,平成7年)・43頁,福岡高判平成15年12月25日(平成14年(ネ)第695号,最高裁データベース)の裁判所の判断,知財高判平成18年2月27日(平成17年(ネ)第10100号,同第10116号,最高裁データーベース)の一審原告(被控訴人・当審反訴被告)の主張,工藤莞司「第3回:商標制度の現状と課題について : ―不使用登録商標対策と商標の使用を巡る諸問題―」(情報管理46・5・284,平成15年)・ 287頁。なお,石飛仁『ドキュメント悪魔の証明』(昭和57年)は,「賃金を受取っていないという証明」について,「法律家はこの示しようのない証明を相手側に求めて来る事柄に対して″悪魔の証明″ と呼び慣わしている。」とする(97頁)。

*2:Barendrecht, J.M., et al. Service contracts. Principles of European law / Study Group on a European Civil Code, 1860-0905 ; v. 3. Munich : Sellier ; ‪[‬Brussels‪]‬ : Bruylant ; Berne : Stæmpfli, 2007. P752, Stuckenberg, Carl-Friedrich. Untersuchungen zur Unschuldsvermutung, Berlin : W. de Gruyter, 1998. P215, Donahue, Charles, Jr. "Medieval and early modern lex mercatoria: an attempt at the probatio diabolica." Chicago Journal of International Law 5.1 (Spring 2004): 21-37, P27, Deutsch, Erwin. "The Protection of the Person in Medical Research in Germany." Medicine and Law 18(1999):77, P90, 欧州司法裁判所関係; Judgement of the Court of First Instance 20 April 1999 in Joined Cases T-305/94 to 307/94, T-313/94 to T-316/94, T-318/94, T-325/94, T-328/94, T-329/94 and T-335/94 Limburgse Vinyl Maatschappij NV et al. v. Commission [1999] ECR II-945 para. 519. Conclusions de l'avocat général M. Jean Misho, Association Greenpeace France e.a. contre Ministère de l'Agriculture et de la Pêche e.a., Affaire C-6/99, présentées le 25 novembre 1999, スペイン憲法裁判所関係; STC 237/2005, de 26 de septiembre de 2005, BOE-T-2005-17753.

*3:田中整爾『占有論の研究』・84頁,齋藤秀夫『民事訴訟法概論』〔新版〕・301頁,クリンゲンベルク『ローマ物権法講義』(瀧澤栄治訳)・77頁,Diöpsdi, Gyórrgy. Ownership in Ancient and Preclassical Roman Law. Budapest: Akademiai Kiado, 1970, P161 (佐藤篤志ら訳・251頁), Yiannopoulos, Athanassios N. Property. Louisiana Civil Law Treatise; Vol. 2, 4th ed, St. Paul, Minn. : West Group, 2001, §256, §257, Schuz, Fritz. Classical Roman Law, Oxford : Clarendon Press, 1951 ;1954 printing , P369, Ourliac, Paul, et al. Droit Romain et Ancien Dorit. Vol. 2, Paris : Presses universitaires de France, 1957, P279. 参考:藤原弘道「占有正権原の立証と占有の推定力」(判例タイムズ・202・64)・66頁・第4段。

*4:兼子一「推定の本質及び効果について」(法学協会雑誌・55・12・1)・28頁,藤原弘道「占有の推定力と訴訟上の機能」(司法研修所論集・39・17)・24頁,齋藤秀夫『民事訴訟法概論』〔新版〕・301頁,吉野悟『ローマ所有権法史論』・223頁,加藤雅信『新民法体系II』・240頁,クリンゲンベルク『ローマ物権法講義』(瀧澤栄治訳)・77頁,Windscheid, Bernhard. Lehrbuch des Pandektenrechts. 6. Aufl Band 1. Frankfurt a.M. , 1887, P670, §196 n.3, Yiannopoulos, Athanassios N. Property. Louisiana Civil Law Treatise; Vol. 2, 4th ed, St. Paul, Minn. : West Group, 2001, §256, §257,Ourliac, Paul, et al. Droit Romain et Ancien Dorit. Vol. 2, Paris : Presses universitaires de France, 1957, P279, P301. 参考:藤原弘道「所有の意思について(二)」(判例タイムズ・314・36)・39頁.

*5:別稿「悪魔の証明の由来」に紹介する。

*6:この法諺は,パウルスの学説「主張する者は証明を要し,否定する者は要しない。」(ei incumbit probatio, qui dicit, non qui negat.[Digesta. 22, 3, 2]),ディオクレチアヌスとマクシミアヌスの勅法「事物の性質上,否定する者は証明を要しない。」(cum per rerum naturam factum negantis probatio nulla sit.[Codex. 4, 19, 23])に根拠を置くとされる(村上博巳『証明責任の研究』〔初版〕・59頁,小山昇『小山昇著作集』第3巻・186頁)。

*7:ただし,この法諺は,パウルスの学説を誤解して生じたものであることが指摘されていることには注意が必要である(中島弘道『挙証責任の研究』・34頁)。

*8:根拠としては,消極的事実は論理上立証不可能であることとか,消極的事実は因果関係の原因とはなりえないことなどが議論されていた(雉本朗造『民事訴訟法の諸問題』・203頁)。

*9:厳密には,消極的事実説のいう「論理上立証不可能」とは,「悪魔の証明」が問題とする「実際上立証困難」とは異なることをいうため,論理的には当然の帰結である(中島弘道『挙証責任の研究』・38頁)。もっとも,実際には,必ずしも厳密に区別されていなかったようである(松本重美「実務的主張責任・立証責任の分配」(判例タイムズ108・1)・2頁,ローゼンベルク『証明責任論』〔全訂版〕(倉田卓治訳)・405頁。)。

*10:村上博巳『証明責任の研究』〔初版〕・59頁,松本重美「実務的主張責任・立証責任の分配」(判例タイムズ108・1)・2頁,村田渉・山野目章夫編『要件事実論30講』・14頁(村田渉執筆部分)。

*11:消極的事実であることにウェイトを置く程度は論者により異なる。例えば,村田渉・山野目章夫編『要件事実論30講』のうち,村田渉(14頁,99頁),山野目章夫(33頁,37頁),三角比呂(177頁),村上正敏(211頁)の各執筆部分を比較されたい。

*12:兼子一「推定の本質及び効果について」(法学協会雑誌・55・12・1)・33頁(昭和12年),岩松三郎・兼子一編『法律実務講座 民事訴訟編 第四巻』・112頁(昭和36年),間中彦次「登記の推定力」(判例タイムズ・177・136)・137頁(昭和40年),藤原弘道「占有の推定力と訴訟上の機能」(司法研修所論集・39・17)・18頁(昭和43年),藤原弘道「占有正権原の立証と占有の推定力」(判例タイムズ・202・64)・66頁・第1段,39頁(昭和43年),村上久一「不動産引渡命令について」(判例タイムズ746号13頁)・17頁(平成3年),谷口知平,福永有利編『注釈民事訴訟法(6)』・65頁(福永有利執筆部分,平成7年),伊藤眞『民事訴訟法』〔補訂第2版〕・315頁(平成14年),大江忠『ゼミナール要件事実』・141頁(平成15年),小久保孝雄「登記手続請求」(民事要件事実講座第4巻・60頁)・74頁(平成19年),瀧澤泉ら「民事訴訟における事実認定」(司法研究報告書・59・1)・164頁(平成19年)。なお,兼子仁「行政争訟法」(現代法学全集11,昭和48年)・246頁が,公定力の適法性推定について,「悪魔の挙証」という用語を用いるのも同類である。

*13:兼子一「推定の本質及び効果について」(法学協会雑誌・55・12・1)・28頁,32頁,33頁。同論文以降の用例のうち,前掲岩松三郎,兼子一編『法律実務講座 民事訴訟編(4)』・112頁(昭和36年),藤原弘道「占有の推定力と訴訟上の機能」(司法研修所論集・39・17)・18頁,39頁(昭和43年),兼子仁「行政争訟法」(現代法学全集11,昭和48年)・246頁の各用例は,「悪魔の証明」という用語を用いるに当たり,いずれも兼子一の当該論文に触れており,その用法を借りていることは明らかである。また,前掲伊藤眞『民事訴訟法』〔補訂第2版〕・315頁(平成14年)の用例は,上記岩松らの文献に触れており,当該文献を経由して,兼子一の影響を受けていると考えられる。前掲谷口知平,福永有利編『注釈民事訴訟法(6)』・65頁(福永有利執筆部分,平成7年)の用例も,上記岩松らの文献とほとんど同じ表現が用られており,同様に当該文献を経由して,兼子一の影響を受けていると考えられる。

*14:三井哲夫「要件事実の再構成(一)」(法曹時報・27・10・1,昭和50年)・34頁,三井哲夫「要件事実の再構成(二)」(法曹時報・27・11・1,昭和50年)・6頁,浦和地判昭和62年3月25日判タ652号167頁の被告の主張(171頁),谷口知平・甲斐道太郎編『新版注釈民法(18)』・626頁(松本博之執筆部分,平成3年),滝澤孝臣『不当利得法の実務』・418頁(平成13年),大江忠『ゼミナール要件事実』・101頁(平成15年),吉川愼一「所有権に基づく不動産明渡請求訴訟の要件事実(1)」(判例タイムズ1172・36,平成17年)・41頁,43頁,吉川愼一「不当利得」(民事要件事実講座第4巻・121頁,平成19年)・150頁)。

*15:これに対し,「法律上の原因がないことの立証」が「悪魔の証明」に当たらないとする見解は,この通説的な前提を攻撃することが多い(松本博之『証明責任の分配』・408頁(平成8年),吉川愼一「不当利得」(民事要件事実講座第4巻・121頁,平成19年)・157,158頁,浦和地判昭和62年3月25日判タ652号167頁の原告の主張(171頁))。

*16:ただし,学説の多くは,「法律上の原因がないことの立証」が,「事実の不存在」の立証ではなく,「権利の不存在」の立証を意味することに自覚的でない(吉川愼一「不当利得」(民事要件事実講座第4巻・121頁,平成19年)・150頁。)。例えば,松本博之『証明責任の分配』・408頁(平成8年),定塚孝司「主張立証責任論の構造に関する一試論」(司法研修所論集74・28,昭和60年)・54頁は,「法律上の原因がないことの立証」について,事実の不存在の証明に関する問題として取り扱う。

*17:例えば,加藤新太郎・細野敦『要件事実の考え方と実務』〔第2版〕・8頁(平成18年)は,所有権に基づく妨害排除請求について,相手方に「占有権原がないこと」を請求原因とする必要がないことの理由付けに関し,「悪魔の証明」という言葉に言及している。この用例は,「占有権原」という「権利」に関し,「権利の不存在の証明」を課すことを問題にする趣旨と理解することができる。

*18:村上博巳「証明責任の分配論再説(中)」(判例タイムズ485・14,昭和58年)・20頁。有馬頼義の小説『悪魔の証明』は,法医学教室の助手の発言として,科学的証明が困難な「人智を越えた問題を証明する」ことを「悪魔の証明」というとする(24頁)。有馬は,この言葉を「ある法律家」から聞いたという(221頁)。

*19:最判昭和47年2月10日判タ275号264頁の上告趣意(266頁)。

*20:齋藤秀夫編著『注解民事訴訟法(6)』〔初版〕・276頁(齋藤秀夫執筆部分,昭和55年),民事訴訟法研究会「〔最高裁民訴事例研究〕二一七」(法学研究[慶大]・57・2・96)・100頁(宗田親彦・櫻本正樹執筆部分,昭和59年)。

*21:福岡地判昭和48年4月3日労判175号75頁の理由(80頁)。

*22:福岡高判平成元年10月12日労判551号38頁の事実(39頁)。

*23:新美育文「倉敷公害判決における因果関係論の問題点」(判例タイムズ・845・3)・18頁。

*24:Zoller, Elisabeth. "The National Security of the United States as the Host State for the United Nations." Pace Yearbook of International Law. 1(1989): 127, P139, Antunes, José E. "The Liability of Polycorpolate and of Theirs Directors." Connecticut Journal of International Law. 13(Spring 1999): 197, FN98, Orlandini, Giovanni. "Trade Union Rights and Market Freedoms: The European Court of Justice Sets." Comparative Labor Law and Policy Journal. 29(Summer 2008): 573, P598, Zappalà, Salvatore, Human Rights in International Criminal Proceedings, OUP Oxford, P94, 欧州司法裁判所関係;Cimenteries CBR SA et al. v. Commission of the European Communities, Joined Cases T-25/95, T-26/95, T-30/95, T-31/95, T-32/95, T-34/95, T-35/95, T-36/95, T-37/95, T-38/95, T-39/95, T-42/95, T-43/95, T-44/95, T-45/95, T-46/95, T-48/95, T-50/95, T-51/95, T-52/95, T-53/95, T-54/95, T-55/95, T-56/95, T-57/95, T-58/95, T-59/95, T-60/95, T-61/95, T-62/95, T-63/95, T-64/95, T-65/95, T-68/95, T-69/95, T-70/95, T-71/95, T-87/95, T-88/95, T-103/95 and T-104/95, Ct. First Instance, Judgement of 15 March 2000. para. 161, イギリス・メキシコ請求権委員会関係; Robert John Lynch v. United Mexican States. R.I.A.A. 5, 17, 19.

*25:前掲村上博巳「証明責任の分配論再説(中)」(判例タイムズ485・14,昭和58年)・20頁は,「著しく立証困難でほどんど不可能な証明」を「悪魔の証明」と定義するに当たり,「権利推定に対する反証」を「悪魔の証明」と称する前掲兼子一の論文を参照しており,このような理解を前提にしていたと思われる(脚注)。

*26:並木茂「法律事項を要素とする要件事実の考え方(四)」(判例タイムズ459・26,昭和58年)・27頁,松本博之『証明責任の分配』(平成8年)・408頁,並木茂『要件事実原論』(平成15年)・179頁。

*27:松本博之「証明責任の分配」(新・実務民事訴訟講座2・249,昭和56年)・269頁,村上博巳「証明責任の分配論再説(中)」(判例タイムズ485・14,昭和58年)・20頁,ローゼンベルク『証明責任論』〔全訂版〕(倉田卓治訳)・405頁。

*28:そもそも,証明の困難は,個々の要件事実,個々の事件ごとに異なるのであるから,類型的な議論が当てはまらない場合は多いであろう。

*29:並木茂「民事訴訟における主張と証明の法理はどうあるべきか(下)」(判例タイムズ974・17)・21頁。原文は「長期間のわたる」となっているが,意により改めた。この見解は,『要件事実原論』(平成15年)・264頁でも維持されている。

*30:短期間内という場合に限らず,狭い範囲内であれば同様である。例えば,この文章の本文中に「神の証明」という文字が含まれていないことを証明するのは容易である。

*31:もっとも,この定義に当てはまらない「悪魔の証明」の用例も存在する。例えば,最判平成9年10月28日訟月44巻9号75頁の上告理由(80頁)は,「法律家としてあるまじき自己が自己を裁く悪魔の証明をなしている」と主張している。

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