離婚判決における「XとYとを離婚する」という他動詞表現は、形成判決であることを示すための約束事であり、明治38年頃に自覚的に採用されたものと思われる。この他動詞用法を「特殊用法」とする見解は、この歴史的な由来を踏まえていないように見える。
裁判実務において、「裁判所が釈明する」という語法が慣用化した背景には、⑴明治民訴法の条文がミスリーディングであったこと、⑵「釈明」は「解明」の意味に理解し得たこと、⑶その後、「釈明権」という用語が定着したことという要素を想像することができる。
隋の煬帝を呉音で「ようだい」と読むのは、単なる和文の「読み癖」が残っているにすぎないと考えられる。しかし、最近、煬帝は悪帝であるから、敢えて呉音で読んだという説を前提とする論文が発表されたので、関係する反対資料の指摘をするなどした。
人口動態統計の初婚年齢は、戦前と戦後で統計の基準が異なるので、その点を割り引いてみる必要がある。すなわち、戦前の部分は、婚姻を届け出たときの年齢を基準とするが、戦後の部分は、結婚式を挙げるなどしたときの年齢を基準とするのである。
はてなダイアリーのサービス終了が予告されたことを受け、はてなダイアリー「雑記」から過去の記事を抄出し、旧データを削除するなどの作業が終了した日である。
はてなダイアリー「雑記」の移転先として、はてなブログ「略本雑記」を作成した日である。略本とは、同一書名の作品の伝本のうち、意図的な省略や過誤による欠落を多く含むため、相対的に内容の少ないものをいう。その逆は広本という。
1949年から2015年まで,ドイツ連邦共和国基本法の60回の改正の概要を一覧表にしたものである。なお,参考までに,改正当時の政権与党の構成を色分けで図示している。
メルケル政権下の改正である。現職の政権であり,総括するには早いが,第52次改正(第1次連邦改革)及び第57次改正(第2次連邦改革)は,欧州統合を踏まえて,連邦と州との関係を整理するものであり,基本法施行以来の大改正といわれる。
長期のコール政権の後,左派の社会民主党が政権を取り戻す。しかし,基本法改正という面では,約7年の間に5回の小改正があったのみである。その中では,動物の保護義務を追加した第50次改正が,一見の印象以上に注目に値する改正である。
政権を取り戻した保守系のコール政権は,国鉄民営化,郵政民営化などのための憲法改正を行う。しかし,コール政権の下で最も重要なのは東西統一に伴う憲法改正であり,同改正を巡る議論を経て,基本法が統一ドイツの憲法として確立することになる。
大連立政権の経験を経て,始めて社会民主党主導の政権が成立する。対外的には「東方外交」が展開された時期であるが,基本法の改正については,従前の傾向が維持され,その頻度も低下する。基本法が,西独の憲法として安定をみるようになったといえる。
第7次改正の経験を踏まえ,左右の大連立政権が成立すると,その圧倒的な議席占有率を背景に,緊急事態条項を整備する第17次改正が成立する。同改正により,西独の対外的地位が安定し,その後の改正は,連邦と州との権限関係にかかわるものに向かう。
戦後,アデナウアーに始まる長期保守系政権が成立する。基本法には,急拵えの暫定憲法としての側面があったため,早い段階から改正を重ねることになる。しかし,当時の重要課題は主権回復であり,これに関して,第7次改正が重要なメルクマールとなる。
ドイツ基本法は,2014年12月23日まで合計60回の改正を重ねている。このような高頻度の憲法改正の要因はどこにあるのか。このことを論じるには,個々の改正の目的及び意義,必要性や重要性を把握する必要がある。そこで,これを整理する。
原田信男『神と肉』は,「屠」と「祝」を同根であるとする。結論に積極的に反対する理由はないが,同書は,論理が粗雑であるばかりか,資料を誤読するものである。何より,著者には,古字書の読み方について,基本的な理解さえないように思われる。
平成25年度の簡裁公判事件の無罪員数は434人に及ぶ。調べてみるに,その多くは,宇都宮東警察署が,レーダー式速度測定装置の使用方法を誤ったままスピード違反を摘発したことに伴う再審無罪の事案のようである。
法律用語「追行」の「追」という漢字は,いかなる意味を担っているのか。その由来を尋ねると,どうやら,明治立法期の訳語が,転用を経て定着したという複雑な経緯があるようである。少なくとも「遂行」の読み誤りであるという説は即断にすぎる。
日本においては,藤原仲成が弘仁元年に誅殺されたのを最後に死刑が停止されたが,源為義らが保元元年に成敗されたことを契機に死刑が再開されたといわれる。しかし,そこでいう「停止」や「再開」の意義は,必ずしも単純なものではない
絞首した死刑囚が蘇生した場合の処置について、明治5年の石鉄県の事件が、再絞首せず釈放した例として有名である。しかし、その後、現行の刑法が、このような場合であっても釈放せず再絞首すべきことを意図して制定されたことは、あまり知られていない。
最判昭和37年12月16日、原処分の取消しと裁決の取消しとが同時に求める訴えに対し、前者の請求を棄却しながら、後者を不適法却下ではなく棄却した原審の判断を是認したものであるが、これを誤って援用していると思われる文献が散見する。
結婚初夜の翌朝,血の付いたシーツを親戚に公開するなどする慣習は,世界的にみられる。我が国では,京極為兼女『後宮名目』が,日本の後宮における「紅葉見」と称する同様の儀礼の存在を伝える。しかし,京極為兼女の実在には疑問がある。
少年犯罪の実名報道を禁じる少年法61条は,文言上,単に逮捕された段階には適用されないようにみえる。これを当然のように逮捕段階にも適用するのが法解釈というものであるが,そこに何の正当性があるのかという疑問は,忘れないでおきたいと思う。
古くから,仏に供える水を称して「閼伽の水」という。ところが,「閼伽」という言葉自体,「水」を意味するという理解もあった。後者の理解を前提とすると,「閼伽の水」という表現は,重複表現ということになる。この点に関する江戸時代の議論がある。
法律上の夫婦間に強姦罪が成立するかという問題については,従前,婚姻関係の破綻の有無を問題とする裁判例が有名であったが,近時,破綻の有無にかかわらず,夫婦間でも強姦罪が成立することを正面から認めた東京高裁の裁判例が公刊された
現在のアメリカの法曹教育は,ラングデルが創始し,大学系ロースクールを基盤として確立した。この教育システムに対しては,古くからリアリズム法学などの立場から批判の声があり,他方,臨床実務教育や法曹倫理教育の不足を問う声もある。
結局、古代エジプト人が「近頃の若い者は…」という愚痴を遺していた十分な証拠はないといわざるを得ない。しかし、そのような愚痴があったとして、実際に古代エジプトの王朝は滅びてしまっていることにも思いをはせる必要があろう。
吉村作治教授は、エジプトの教訓文学の中に、「今どきの若いもんは……」と愚痴をこぼす記述があるという。同教授に聞いてみないことには分からないが、その記述の具体的な内容は、我々の期待するような「今どきの若いもんは」とは異なる可能性がある。
柳田國男は、イギリスのセイス教授からの伝聞として、古代エジプトの時代から、「最近の若いやつは…」と記した文章があったという逸話を流布していたようである。しかし、柳田が言及する文章が実際に存在したのか、確認することはできなかった。
「最近の若いやつは…」という文句について、フランス語圏では、ポリュビオスが引用する古代エジプトの「Ipuwer」の文句に言及するものがある。しかし、史料を確認する限り、そのような典拠があったとするには否定的な結論にならざるを得ない。
F・W・ジャービス師によるスピーチには、カイロ博物館に「近頃の若いもんは…」と記した6000年前の石板があるとする一節がある。その石板の不存在を確認することは困難であるが、いずれにせよ時期的な点から信用性のある情報とすることはできない。