故実

平安時代の死刑執行停止

日本においては,藤原仲成が弘仁元年に誅殺されたのを最後に死刑が停止されたが,源為義らが保元元年に成敗されたことを契機に死刑が再開されたといわれる。しかし,そこでいう「停止」や「再開」の意義は,必ずしも単純なものではない

後宮の婚儀における「紅葉見」

結婚初夜の翌朝,血の付いたシーツを親戚に公開するなどする慣習は,世界的にみられる。我が国では,京極為兼女『後宮名目』が,日本の後宮における「紅葉見」と称する同様の儀礼の存在を伝える。しかし,京極為兼女の実在には疑問がある。

近ごろの若いもん・エジプト編⑹

結局、古代エジプト人が「近頃の若い者は…」という愚痴を遺していた十分な証拠はないといわざるを得ない。しかし、そのような愚痴があったとして、実際に古代エジプトの王朝は滅びてしまっていることにも思いをはせる必要があろう。

近ごろの若いもん・エジプト編⑸

吉村作治教授は、エジプトの教訓文学の中に、「今どきの若いもんは……」と愚痴をこぼす記述があるという。同教授に聞いてみないことには分からないが、その記述の具体的な内容は、我々の期待するような「今どきの若いもんは」とは異なる可能性がある。

近ごろの若いもん・エジプト編⑷

柳田國男は、イギリスのセイス教授からの伝聞として、古代エジプトの時代から、「最近の若いやつは…」と記した文章があったという逸話を流布していたようである。しかし、柳田が言及する文章が実際に存在したのか、確認することはできなかった。

近ごろの若いもん・エジプト編⑶

「最近の若いやつは…」という文句について、フランス語圏では、ポリュビオスが引用する古代エジプトの「Ipuwer」の文句に言及するものがある。しかし、史料を確認する限り、そのような典拠があったとするには否定的な結論にならざるを得ない。

近ごろの若いもん・エジプト編⑵

F・W・ジャービス師によるスピーチには、カイロ博物館に「近頃の若いもんは…」と記した6000年前の石板があるとする一節がある。その石板の不存在を確認することは困難であるが、いずれにせよ時期的な点から信用性のある情報とすることはできない。

近ごろの若いもん・エジプト編⑴

「最近の若いやつは…」という老人の繰り言について、英語の引用句の中には、6000年のエジプトの墓碑に同旨の文句が記載されていたとするものがある。しかし、ヒエログリフの使用が始まった時期を考えれば、その信憑性は非常に低いというべきである。

絵画のタイトル

現在,絵画にタイトルがあるのは当たり前のように考えられているが,この慣行は,18世紀以降,絵画が美術館に飾られるようになり,作品にプレートが付けられるなどするようになってから,徐々に確立してきたものにすぎないようである。

冬紅葉

慣用的に「春の桜に秋の紅葉」という形で対比されるが,京都における紅葉の盛りは,新暦の11月中旬ころであるから,暦の上では「冬」である。実際,勅撰和歌集においても,紅葉の歌が,冬の部立に分類されていることは珍しくない。

元号の変わり目(史料編)

天平宝字,元慶,永観,慶応,明治,大正,昭和の各改元の詔書類,日本後紀,台記,江家次第の跋文,明治以降の政府内部の照会回答文書,清水澄「國法学」,芝葛盛「皇室制度」,美濃部達吉「憲法撮要」の抜粋など。

元号の変わり目(6)

結局,平成改元を除き,元号の変わり目については,諸説紛々とし,確立した解釈はないといわざるを得ない。敢えていえば,慶応以前も含め,全て改元日の午前0時で統一するのが,便宜であり,一応の理論的根拠もあるということになろうか。

元号の変わり目(5)

平成改元も,一世一元の制を根拠とする新帝即位時説にとっては分が悪い。平成改元は,一世一元の制を定めるものとして制定された元号法に基づくものでありながら,天皇の在位期間と元号の適用期間が一致していないからである。

元号の変わり目(4)

新帝即位時説は,一世一元の制を根拠とするが,天皇即位後2年目に改元した明治改元の説明の仕方に工夫が必要である。この点,明治改元は,一世一元の制の例外とする見解,一世一元の制を適用しない見解,一世一元の制と無関係とする見解がある。

元号の変わり目(3)

大正,昭和改元では,改元日説が通説化した。その結果,改元当日が,新元号なのか,旧元号なのかという問題に焦点が移った。そのようななか,一世一元の制度の趣旨を強調し,新帝即位の瞬間が元号の変わり目であるとする見解が生じた(新帝即位時説)。

元号の変わり目(2)

慶應以前の改元の効果は,改元の年の年始に遡及するという見解がある(年始説)。他方,そのような遡及はしないという見解もある(改元日説)。両者いずれが正しいのか,平安時代から明治時代に至るまで,必ずしも明確でない。

元号の変わり目(1)

明治天皇が崩御した1912年7月30日は,明治なのか,大正なのか。諸説が紛糾しているが,この問題を理解するには,古代から問題とされていた改元の年始遡及効の問題,近代から採用された一世一元の制度の趣旨などに遡って検討する必要がある。

江戸時代の「北陣」について

下橋敬長『幕末の宮廷』(東洋文庫・62頁)には,江戸時代においても,朝廷において,平安時代に行われていた「着鈦政」を「北陣」と称し,斬首刑の真似事をするという年中行事があったことが説かれている。「コウベ」と呼ばれる罪人役を演じる百姓も定ま…

ミミズの俗信「歌女」

秋の季語に「蚯蚓鳴く」というものがあるが、現在では、これはケラの鳴き声を誤ったものであると理解するのが一般である。ただし、1940年代、ドイツの研究者が、ミミズは声を持っているとの研究結果を発表したことがあるとのことである。

或書曰 - ジョルジュ・ミノワ『悪魔の文化史』

ジョルジュ・ミノワ『悪魔の文化史』によれば、フランスでは、1682年の王令により魔女罪が廃止され、教皇パウルス6世の教皇書簡で祓魔師という聖職位を廃したため,1972年8月15日には,祓魔師の職務が消滅したとのことである。

ミミズの俗信「小児陰腫」

日本の俗信に、「ミミズに小便をかけると陰茎が腫れる。」というものがあるが、中国の『本草綱目』にも、これを連想させる記載がある。しかし、両者の伝える内容には重要な相違もみられ、互いに独立した伝承である可能性も否定し得ない。

緋袴と濃袴⑶

女性の袴の色について,「未婚者は緋色,既婚者は濃色」する見解は,諸説の中のひとつに過ぎない。それは若年と非若年を区別するひとつのメルクマールに過ぎず,それを超える何か特別な意味があるわけではないと考えられる。

緋袴と濃袴⑵

確かに,装束の解説書には,「未婚者は緋色,既婚者は濃色」という見解を支持するものもある。しかし,有職書にも,その使い分けについて,年齢をメルクマールとするものやハレとケを問題とするものなど様々な見解があり一定しない。

緋袴と濃袴⑴

女房装束などの袴の色について,「未婚者は濃色,既婚者は緋色」と言われることがある。しかし,平安・鎌倉期の実際の用例を見ても,このドレスコードは,少なくとも絶対的なものではなく,せいぜい一つの基準に過ぎないように思われる。

家名と諱の直結

角田文衛氏は,明治4年以前,家名と諱を直結することは「絶対に許されない」ことであったという。しかし,実際には,愚管抄を始め,前近代の史料にも,家名と諱を直結した記事を見つけることができる。

糸脈の真偽

「糸脈」という診断法(貴人の肌に触れるのをはばかり、絹糸の一方を患者の手の脈どころに巻いて,離れたところから糸に伝わる脈搏を間接的にはかる方法)は、現実には存在しなかったと思われる。

巫女さんの袴

未婚者は濃色の袴、既婚者は緋色の袴を用いるが、巫女は、神と結婚しているため既婚者用の緋色の袴を用いるという説がある。しかし、未婚者は濃袴、既婚者は緋袴という原則があるのか疑わしいし、そもそも巫女が緋袴を用いるという慣行にも疑問がある。

📂 近ごろの若いもん・エジプト編〔目録〕

「最近の若いやつは…」という老人の繰り言について、古代エジプト人が「近頃の若い者は…」という愚痴を遺していたという言説には、十分な証拠がないといわざるを得ない。(全6回)

📂 元号の変わり目〔目録〕

明治天皇が崩御した1912年7月30日は,明治なのか,大正なのか。明治以前の改元に遡って整理しても,諸説紛々とし,確立した解釈はない。敢えていえば,改元日の午前0時で統一するのが,便宜といえようか。(本編6回,史料編1回)

📂 緋袴と濃袴〔目録〕

女性の袴の色について,「未婚者は緋色,既婚者は濃色」する見解は,諸説の中のひとつに過ぎない。それは若年と非若年を区別するひとつのメルクマールに過ぎず,それを超える何か特別な意味があるわけではないと考えられる。(全3回)

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