北方謙三『三国志』

三国志は、数多の作家が手がけているが、その北方謙三版である。いかにも北方謙三の小説であり、例によって登場人物は格好いい。特に、劉備が良い。他の三国志でしばしば見かける薄っぺらい「人格者」として描くのではなく、「人格者を演じなければならなかった人物」と描くことにより、リアリティを持たせ、それでいて格好いいと思える人物に仕上がっている。その他、曹操馬超など、武将は魅力的だし、相変わらず女性も可愛い。ただ、2つ、気に入らない点を挙げることができる。

第一は、「特殊部隊」の超人的役割に重きを置きすぎていることである。単に、こういうことを作者が好きで、私が好まないというだけという面もあるのだが、人物を魅力的に描きすぎたため、歴史的事実と整合性が取れなくなり、それを簡単に解決するため、これを多用している面もあるように思える。良い例が、張飛の暗殺が、部下の裏切りではなく、特殊部隊による暗殺とされている下りである。この三国志では、張飛は単に粗暴な人物とは描かれておらず、非常に部下思いとなっている。そのため、部下が裏切ったという事件と整合しない。しかし、歴史小説である以上、張飛は死なねばならない。張飛は無敵であるから、戦闘で殺すわけにもいかない。そこで、特殊部隊から女性の暗殺者のおでましなのである。もっとも、主人公を魅力的にせなばならない一方、それとそぐわない歴史的事実も書かねばならない、というのは歴史小説アポリアであり、北方謙三三国志は、それを上手くこなしている方と言えよう。思いつくままに例を挙げれば、塚本青史の『白起』のラストのごまかし方など、「どうよ」と思ったものである。

不満の第二は、劉備の夢である「漢朝の復興」という大義に共感できないところである。北方謙三の「三国志」の魅力とは、曹操大望や張衛の野望、馬超の絶望など、男たちそれぞれの人生の魅力である。この点、劉備大義は共感できないのである。彼の不屈の精神は魅力的である。しかし、「漢朝の復興」という価値はピンとこないのである。そして、北方謙三の「三国志」が、劉備孔明のラインを主軸に据える以上、この瑕疵は大きいものと言わざるを得ない。「権力はなくても、権威としての皇帝が中心にいることが重要」という理論は、おそらく日本の天皇制理論を借りたものであろう。北方謙三は、日本人なら、この命題に同意すると考えたのであろうか。しかし、易姓革命の中国を舞台にするにはリアリティを欠くと言わざるをないし*1、読者としての私自身も共感できるものではないのである。

ところで、北方謙三は「水滸伝」も手がけている。そして、面白いことに、この「水滸伝」についても、「三国志」に関する私の2つの不満が妥当するのである。すなわち、特殊部隊が活躍しすぎる点と、「替天行道」の大義に共感できないという点である*2そうだとすると、これは一作品の問題と言うより、この2種の事項に関し、北方謙三と私は本質的に一致できないということになのかもしれない。

*1:もちろん、後漢末に易姓革命思想がどの程度受け入れられていたかは、別の考慮を要するであろう。とは言え、黄巾の乱は、まさに易姓革命思想のプリミティブな表れである。

*2:もっとも、「替天行道」の大義の不完全性は意図したものかもしれない。というのも、政府側の青蓮寺勢力にも立派な「大義」が与えてられており、この2つの大義の折り合いが、後の梁山泊の帰順との関係で効いてくるのかもしれない。今後の作品の展開に期待したい。

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