巫女さんの袴

.問題の所在

現代において、一部の例外を除き*1、巫女は緋袴を用いるのが通例とされる*2

ところが、この点について、「未婚女性は濃色(紫色)の袴、既婚女性は緋色(紅色)の袴を用いるのが原則であるが、巫女の場合、神と結婚しているから既婚者用の緋色の袴を用いる」と言われることがある。

しかし、まず、「未婚女性は濃色(紫色)の袴、既婚女性は緋色(紅色)」という原則があったのか疑問である。というのも、平安時代鎌倉時代の用例を調べても、これに反する例が少なくないからである。

確かに、最近の書物の中には、「未婚者は濃袴、既婚者は緋袴」との区別を述べたものもある。しかし、これは少数説であり、一般には、単に「若年者は濃袴、非若年者は緋袴」として区別する方が有力のようなのである。

また、そもそも、「巫女は緋色の袴を用いるものである。」という慣行は絶対的なものなのか、よく分らない。古くから緋袴を用いていたらしい傍証はあるのだが、他方で、これに反するような例もある。

むしろ、単に女性の一般的な衣装として緋袴が用いられているから、巫女についても緋袴を用いているに過ぎないのではないかとも思われるのである。

.「未婚者は濃袴、既婚者は緋袴」という原則の有無

(1).実際の使用例

まず、平安・鎌倉期の物語・記録には、未婚者なのに緋袴を用いている例や、既婚者なのに濃袴を用いている例が散見する。

藤襲の単衣,紅の表着に,紅の織物の袴踏みしだき,さしあよみたまへる御ありさま,いとめでたく,秋の夜の月,雲間より差し出でたる心地して,

f:id:hakuriku:20180909143052j:plain:right以上の引用は、『住吉物語』の主人公が、ヒロインの姫君を見初める場面における姫君の描写であるが、姫君は当然のことながら未婚である。

右の図版*4、その場面の絵巻であるが、ここからも明らかなように、未婚の姫君が緋袴を用いているのである。

逆に、既婚者が濃袴を用いている例としては、『今昔物語集』巻20・第10話*5があり、「郡司の妻」が「紫苑色ノ綾ノ衣一重,濃キ袴ヲゾ着タリケル」場面が描写されている。

この種の例は他にも指摘することができ*6、そうすると、「未婚者は濃袴、既婚者は緋袴」という原則は、少なくとも絶対的なものではなかったと言える。

(2)有職書の見解

ところで、「未婚者は濃袴、既婚者は緋袴」という原則について、もっとも有力な典拠になるのは、八束清貫の所説である。例えば、その『有職の話』第2版・175頁*7には、「未婚者が濃で,既婚者が紅である。」と明記されている。

ところが、これと異なり、例えば「祝いの時に濃袴を用いる。」とか「紅が本来であるが、若年は濃色を用いる。」などという区別を主張する見解が多数ある。

袴は紅のはりばかま。祝の時こきはり袴、

(女官飾鈔/新校羣書類従6・46頁*8

色目は紅を本義として、紅梅とも称されているが、若年は濃色とし、

(鈴木敬三『有識故実図典』132頁*9

そして、諸書を比較検討すると、女性の袴については、「若年は濃色、非若年は緋色」と理解するのが多数説であり、もっとも有力な見解ということになるようなのである*10

実際、先ほどの八束清貫も、「未婚者は濃袴、既婚者は緋袴」という原則を絶対的なものとして主張しているわけではない。むしろ、以下の記述を読むと、若年・非若年を区別するひとつの基準として、既婚・未婚というメルクマールを採用しているに過ぎないようなのである*11

この色目の濃と紅の使用の限界に三説がある。第一説は・・・二十八歳までが濃で、二十九歳より紅とするのである。第二説は分娩を以て限界とし、第三説は、結婚を以てその限界とするものである。以上限界線を年齢、分娩、結婚の内に求むれば、私は、現今に於いては、最後の結婚を以てその限界とするを最も至当なり信とずる。

(八束清貫『装束の知識と著法』第2版・131頁*12

すなわち、「現今に於いて」、若年者と非若年者を区別するのであれば、既婚・未婚による区別が、明確であり、穏当であり、便宜であるという趣旨に読めるのである。

ただし、この「若年は濃色、非若年は緋色」という見解にも反例があり*13、いずれにせよ緋袴と濃袴を使い分ける絶対的な基準というものは無いということには注意が必要である。

(3).小括

以上によると、およそ一般的に「未婚者は濃袴、既婚者は緋袴」という原則が存在したということはできず、そういう原則があったとしても、せいぜい特定の神社において、そういう伝統があるというに過ぎないと言える。

また、仮に既婚・未婚で区別するとしても、それは若年・非若年を区別するひとつの基準に過ぎず、例えば、巫女の処女性などとは無関係であると考えることができよう。

なお、この緋袴と濃袴の区別については、拙稿「緋袴と濃袴」において、別に詳しく論じているので、興味のある方は参照されたい。

.「巫女は緋袴を用いる。」という原則の有無

(1).実際の使用例

巫女には大きく分けて2種ある。第1は、神社に附属して、補助神職・員外神職を勤める神社巫女であり、第2は、神社を離れて、民間信仰の対象となる口寄巫女・歩き巫女の類である。
ここで問題とされるのは前者の神社巫女なのであるが、この装束の用例として見つけられるものは、以下のとおりである。

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第1図
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第2図
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第3図
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第4図

第1図は、平安時代厳島内侍と呼ばれた厳島神社の巫女である。平家納経*14に描かれる同時代史料であるから信用性は高い。通常の女房服に、白の上衣を用いているのだろうか。袴の色は緋とも濃(濃蘇芳)とも見える。

第2図は、鎌倉時代、京都は石清水八幡宮の摂社に属する巫女の図とされるものである(一遍上人絵伝・巻9・第2紙*15)。小さく描かれているので分かりにくいが、緋色の袴を用いているようである。

第3図は、江戸時代初期、東照宮の祭礼における巫女である(東照社縁起・巻4・第5紙*16)。『続々日本絵巻集成』の解説には、「袿の上に白の小袿を着用」とある。袿の下に見える水色の衣が見える。この場面には、ここに示した図の他に3人の巫女が描かれているが、白の小袿に下は、カラフルでヴァラエティに富んでいる。

第4図は、安藤広重の名所江戸百景より「神田明神曙之図」*17である。この巫女は、打掛風だが微妙に違う。下に緋色の裾が見えるが、袴を穿いているとも限らない。
これらの史料からすると、巫女の衣装は、必ずしも緋袴に限るものではなく、そもそも袴さえ用いない場合もあるなど、それなりのヴァラエティはあったということになろうか。

(2)有職書の見解

それでは有職書の見解はどうなっているかと言うと、この点を明らかにする史料が見つけられない。関連がありそうなものとしては、『古事類苑』の引く『壬生家記』文政元(1818)年10月6日の記事に、宮中で神楽を行う女官である「猿女」の装束につき、貞享から天明までの間(1684-1788)、「緋袴」を用いていたとの記述がある*18

また、『閑居友』下・第3話について、新日本古典文学大系は、典拠は不明なものの、「中世後期に次第に固定化してくる巫女の袴の紅色」と注釈している*19

これだけでは何とも言い難いが、従来からの慣行として、何となく緋袴に固定化していったということであろうか。

(3).小括

以上のように、江戸時代においても、巫女の装束として、必ずしも緋袴が用いられていたわけではないようであり、そもそも袴を用いるとさえ限らなかったようである。
そうすると、巫女の緋袴という慣行に特段の理由があるわけではなく、単に、「袴を着るのであれば、女袴に一般的に用いられる緋色を用いる。」というだけに過ぎないとも考えられよう。

.総括

以上の議論のポイントをまとめると、以下の通りになろう。

  1. 巫女の服装は、単衣・袴に限られるものではない。
  2. 既婚・未婚により、袴の色を区別することは、あまり一般的ではない。
  3. 女性の袴として、緋袴を用いることは通常のことである。

したがって、巫女が緋袴を用いるのは、「袴を用いるのであれば、女性の通例に従って緋色を選ぶ。」というだけのことに過ぎない。もちろん、神社ごとに、特別の使い分けがある場合もあるのであろうが、一般論として言える話ではない。

ただ、議論を混乱させるようだが、「緋袴」というものには、やはり特別の意味があるようにも思える。何しろ、キーワードとして、「女性」「赤」「下着」なのである。ここに呪術的な意義を見いだしても不当ではないのではなかろうか。

しかし、いずれにせよ、「未婚女性は濃色(紫色)の袴、既婚女性は緋色(紅色)の袴を用いるのが原則であるが、巫女の場合、神と結婚しているから既婚者用の緋色の袴を用いる」という見解は疑わしいであろう。

*1:例えば、讃岐の金刀比羅宮では、濃袴が用いられる。

*2:例えば、星野文彦「祭祀服の概説」40頁を参照されたい。

*3:三角洋一・石埜敬子校訳注『住吉物語 とりかへばや物語』,新編日本古典文学全集39,小学館,38頁.

*4:静嘉堂住吉物語絵巻・第6紙(雄山閣『日本繪巻物集成』巻2).

*5:山田孝雄[ほか]校注『今昔物語集 四』,日本古典文学大系25,岩波書店,162頁.

*6:より詳しくは、拙稿「緋袴と濃袴」第2章以下を参照されたい。

*7:有職の話 / 八束清貫. -- 2版. -- 神社新報社, 1988.6.

*8:新校羣書類従 / [塙保己一編] ; 川俣聲一編.- 東京 : 内外書籍 ,第6巻,1931,46頁.

*9:有識故実図典 : 服装と故実 / 鈴木敬三著. - 東京 : 吉川弘文館 , 1995.7,131-132頁(打袴).

*10:より詳しくは、拙稿「緋袴と濃袴」第3章以下を参照されたい。

*11:そもそも,同書が緋袴と濃袴を明確に区別しているのは「五衣」についてだけであり,「袿袴」や「采女服」については,常に緋袴を用いるとするようであることには注意が必要である。

*12:装束の知識と著法 / 八束清貫. -- 文信社, 1962,131頁

*13:例えば、『貞丈雑記』は、女児が初めて袴を着る儀式である「著袴」において、紅の袴を用いるとする。

*14:山根有三監「日本美術史」, 美術出版社, 1977。

*15:小松茂美編「日本絵巻大成」別巻, 中央公論社, 1978。

*16:小松茂美編「続々日本絵巻大成」伝記・縁起篇8, 中央公論社, 1994。

*17:ヘンリー・スミス・生活史研究所監訳『広重名所江戸百景』岩波書店,1992.3。

*18:なお,「采女」の衣装については,井筒雅風『原色日本服飾史』277頁によると,鎌倉時代までは,裳・裙帯・比礼の奈良装束であったものが(『西宮記』『枕草子』『永仁御即位用度記』),江戸時代には,紅袴を用いるようになったとのことである(『故実拾葉』)。

*19:新日本古典文学大系 / 佐竹昭広 [ほか] 編 ; 40,宝物集 / [平康頼著] ; 小泉弘, 山田昭全校注 . 閑居友 / [慶政著] ; 小島孝之校注 . 比良山古人霊託 / [慶政著] ; 木下資一校注,422頁・注17

*20:日本古典文學大系 ; 84,古今著聞集 / [橘成季編著] ; 永積安明, 島田勇雄校注,170頁

*21:新日本古典文学大系 / 佐竹昭広 [ほか] 編 ; 40,宝物集 / [平康頼著] ; 小泉弘, 山田昭全校注 . 閑居友 / [慶政著] ; 小島孝之校注 . 比良山古人霊託 / [慶政著] ; 木下資一校注,422頁

*22:「老松若松尋剣事」「康頼熊野詣附祝言事」の両段を参照されたい。なお、「法皇三井灌頂事」の段では、天狗になった女性の「紅の袴」も描写される。

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