「確信犯」に関する若干の考察
0.『日本国語大辞典』第二版
法律用語「確信犯」の誤用に対する指摘は、インターネット上にも多く見られるところであるが,日本最大の国語辞典『日本国語大辞典』は、第二版からこの誤用を認めている*1。
【確信犯】
- 法律で政治的,道義的な確信に基づく義務感または使命感によって行われる反抗。政治犯,思想犯などがこれにあたる。
- 俗にトラブルなるとわかっていて,何事かを行うこと。またその人。
ところで,この「トラブルになるとわかっていて,何事かを行うこと」という定義は、俗に用いられる確信犯(誤用)のニュアンスを伝えているであろうか。これを考える前提として,確信犯(誤用)に関する2つの見解を検討してみたい。
1.確信犯(誤用)=確信犯(原義)?
「むしゃくしゃしたからやった」というのは、「自分がむしゃくしゃしたのなら気分をスッとさせるために他者を犠牲にしても良い」という自分至上主義が彼なりの倫理としてあり、誰も受け入れられないその理由を信じて行動した結果犯罪に踏み込んだという意味では「確信犯」なんだろう。
論理的に詰めたとき、「確信犯(誤用)も,彼なりの屁理屈で自分の行為を正当であると確信している。その場合の確信犯(誤用)は誤用ではなく正しい用法である」という考えに至るのは自然である。しかし、沿革的にみれば、この見解を確信犯(原義)という概念に対する批判とすることはできても、この理屈をもって確信犯(誤用)が誤用でないというのは難しい。
というのも、確信犯(原義)という言葉は、抽象的に「自らの行為を正しいと信じて犯罪を行う者」を類型化する分類概念として生まれたものではなく、具体的な犯罪類型—政治犯や思想犯など—を念頭に、このような「崇高な動機」に基づく犯罪には名誉ある処遇をすべきであるという特定の刑事政策上の主張を前提に提唱された概念であるからである。
すなわち、確信犯(原義)を巡る議論は、ドイツの法哲学者ラートブルフが、第一次大戦後ドイツの政治的・社会的混乱を背景とする政治犯の増加に対し、これらの者は、単に「異なった考えを抱く者」にすぎないから、懲役刑を科すのではなく、監禁刑(名誉拘禁)にとどめるべきであるとして始めたものである*3。
したがって、刑事政策上の議論は、このような名誉ある刑罰にとどめる犯罪者の範囲を適格に区別するという観点から、①確信犯(原義)の定義を精緻化するか、②そのような犯罪者を区別することはできず、あるいは、区別するべきではないと批判するかという方向に進むことになる*4。
もとより、前記②の思考を突き詰めれば、「理想を奉ずる政治犯」と「彼なりの屁理屈で自分の行為を正当であると確信している利己的犯人」を区別することができないという批判には至ろう。しかし、その場合、確信犯(誤用)という概念が無意味であるという主張にはなろうが、確信犯(誤用)が誤用ではないという主張にはならない。
要するに,確信犯(原義)は,「自らの行為を正しいと信じて犯罪を行う者」の「一例」ではあるが「イコール」ではないから、確信犯(誤用)は,やはり誤用であるとということである。この点に対する誤解は,刑法総論の教科書に,この点にミスリーディングな記述をしているものがあることに由来するのかもしれない*5。
3.確信犯(誤用)=故意犯?
他方,「確信犯(誤用)とは故意犯のことに過ぎない」という指摘がなされることもある。しかし、故意犯は,過失犯と対になる言葉であって,確信犯(誤用)の言い換えとしては,明らかに広すぎる定義の言葉である。これは法律上の「故意」の概念を誤解していることに由来するものと思われる。
細かい話は置いておくとして、刑法では「犯罪の故意がある」人を「故意犯」と呼びます。
要は、「自分がやってることは悪いことだ。違法なんだ」との認識があれば、それは「故意犯」なのです。「確信犯」の誤用者は、この「故意犯」という言葉を知らないか、訂正する柔軟性を持たない人なのではないかと思います
前記引用が、「自分がやってることは悪いことだ。違法なんだ」という認識を当然に故意の要件とするのであれば、それは誤解である。故意とは、基本的には、自分の行っている犯罪行為の「事実」を認識していることであり、その行為が「違法」であることを認識していることではないとするのが通説である*6。
たとえば、日本の法律を知らない外国人が,何ら罪の意識なく銃を所持していたとしても,銃の所持という「事実」を認識していた以上,故意があるとされる。しかし,これを確信犯(誤用)とは表現しないであろう。確信犯(誤用)には、「その行為が否定的に評価されるものであることを重々承知していること」というニュアンスがあるからである。
また,衝動的な犯罪であっても、その瞬間に「事実」を認識している以上、故意があるとされる。たとえば、「カッとなって手元にあったハサミで刺した行為」は故意犯である。しかし,確信犯(誤用)ではないであろう。衝動的な犯罪は,その行為が悪いことであることを思い出すひまもなく,悪いことであると「重々承知」していたとはいえないからであろうか。
さらに言えば,確信犯(誤用)には,悪いことであることを「重々承知」しながら,「罪悪感がない」というニュアンスもあるように思われる。異論はあるかもしれないが、例えば、「いけないことだとは思ったのですが,腹が減ったもんで,ついついお宅の柿を盗んでしまいました」というのは、故意犯であるが、確信犯(誤用)ではないような気がする。
4.結論
以上の検討のまとめとして、日本語国語大辞典の「トラブルになるとわかっていて,何事かを行うこと」という定義の妥当性を検証する。
まず、第2節で検討したように、確信犯(誤用)は確信犯(原義)とは異なる概念であるから、確信犯(誤用)に独立した定義を与えたことは妥当である。
それでは、この定義は故意犯と区別されているであろうか。この点、以下のように個別の対応関係を考えると、日本語国語大辞典の定義する確信犯(誤用)は故意犯とイコールになってしまうようにも見える。
法律上の故意犯の定義 | 犯罪事実を | 認識・認容して | 実行行為に着手すること |
---|---|---|---|
日国の確信犯(誤用)の定義 | トラブルになると | わかっていて | 何事かを行うこと |
しかし,全体的にみれば、何となくの雰囲気として,「悪いことであると重々承知して」,「衝動的でもなく」,「罪悪感もない」というニュアンスを醸し出しているようにも思える。そうだとすると,故意犯との区別という面でも合格点を与えてよいと思われる。
問題を挙げるとすれば,「トラブル」という「日常用語」を用いられているため、正真正銘の犯罪行為を含まないようにも見える点であろうか。これについては,もう少し工夫が必要であろう。
*1:もっとも、この誤用を載せた国語辞典は他にはないようであり,これを正しい用法とみなしてよいかは,慎重な判断が必要であろう。
*2:
*3:内藤謙「西ドイツ刑法改正事業と名誉拘禁」( ジュリスト346号42頁)・ 43頁.
*4:木村亀二「確信犯人の問題」『刑事政策の諸問題』(165頁~262頁)・206頁以下参照.
*5:本文で述べたように,確信犯(原義)とは,本来は、刑事政策上の問題から生じた概念である。しかし,刑法の教科書には、そのような文脈に触れることなく、「故意に違法性の意識は必要か」という論点において、「違法性の意識がない犯罪者」とされる者の一例として、「確信犯」という単語を挙げるものがある。そのため、何となく読んでいると、「確信犯(原義)」=「違法性の意識がない犯罪者」という誤解が刷り込まれてしまう可能性がある。
*6:ただし、違法性の意識の「可能性」もない場合には故意を欠くとするのが伝統的な通説(制限故意説)である。しかし、論旨に関係しないので省略する。