長い読みの漢字?

.問題の所在

かねがね気になっていたのだが,漢字を扱ったサイトで,しばしば「最も長い読みの漢字は何か」という記事を見かける。

これらの記事は皆,「ほねとかわとがはなれるおと(砉)」と「まつりのそなえもののかざり(裋)」を最長の訓と結論づけている。これが疑問である。

端的に言えば,「ほねとかわとがはなれるおと」とか「まつりのそなえもののかざり」などの「長い訓読み」は,「漢字の読み(字訓)」ではなく「漢字の意味(字義)」に過ぎないように思えるのである。

.字義と字訓

ここで「字義」とは,中国語である漢字を日本語に翻訳・解説したもののこととする。これに対して「字訓」とは,そのような「字義」を前提に,その漢字の読み方として日本で使われるようになった読みをいう。例えば,「磨」の意味は「砥石で擦る」であるが(字義),これを日本語として読むときは簡単に「みがく」などとなる(字訓)。

そうすると,「字義」というものは,漢字の解説なのであるから,いくらでも長くすることができる。例えば,「犬」という漢字の「字義」は,単に「いぬ」とされることが多いが*2,「食肉目イヌ科の哺乳類で,古くから家畜化され,多くの品種がある」としてもいっこうに構わないのである。

また,「字訓」にしても,法律で決まっているものではないから,各人が勝手気ままに作ることが出来る。実際,平安時代の字書『類聚名義抄』などには,「行」という字の「古い字訓」として,「ゆく。やる。いてまし。ありく。あるく。さる。めぐる。つらぬ。おこなふ。つとむ。わざ。しわざ。」などが載せられており(古訓),合計39の古訓を紹介する辞書もある。そして,さらに私が,「ウォーキングする」という「字訓」を作り出したとしても,間違いとは言えないのである。

したがって,「最も長い」を云々することに意味があるのは,「字訓」のうち,時代の淘汰を受け,一般的に認められるようになったもの,すなわち「定訓」に限られる。現在一般に「訓読み」と呼ばれているのも,この「定訓」のことである。

.『大漢和辞典』の字訓索引

それでは「ほねとかわとがはなれるおと」というのは「定訓」,そうでないとしても「字訓」なのであろうか。これが甚だ疑わしい。このような訓読みを行っている史料は存在しないように思う。

確かに,『大漢和辞典』という権威ある辞書の「字訓索引」を見ると,「ほねとかわとがはなれるおと」という項目があり,前掲の各記事も,これを根拠とするようである。
しかしながら,『大漢和辞典』の「字訓索引」を,「字訓」の根拠とすることはできなない。なぜなら,同索引の凡例には,以下のような注記があるからである。

  • 又,くだにまいたいと・くちをうごかす・くろいくちびるのうしの類も字訓として此の中に収録した。

大漢和辞典 全15巻セット 別巻『語彙索引』付

大漢和辞典 全15巻セット 別巻『語彙索引』付

これは要するに,字訓と呼べない類も,検索の便宜上,字訓として扱うということであろう*3

このように『大漢和辞典』の「字訓索引」には,通常は「字訓」と呼ばないもの,すなわち「字義」に過ぎないものが混じっていると考えられるのである。

そうすると結局,「ほねとかわとがはなれるおと」は「字訓」ではなく,大漢和辞典の編者が説明・検索のために作り上げた「字義」に過ぎないという結論になる。

そして,先述のように,「字義」というのは,単なる解説・翻訳に過ぎない以上,別に「骨と皮が離れる音」である必要はなく,「骨から皮が剥がれるときの音」でも「骨と皮膚が離れるときの音」でも何でも良い。

したがって,その文字数を云々するのは全くナンセンスなのである。

*1:追記:「曉に死す」さんは,この記事に答えて,新たな記事を書いてくださっています。

*2:この場合,「字義」も「字訓」も,同じ「いぬ」となることになる。

*3:もっとも,同凡例には,「訓の無いもの」は「字訓索引」に載せなかったかのような記述もある。しかし,これは「字訓と呼べない類も,検索の便宜上,字訓として扱」っても,なお「字訓」とすべき言葉が無い場合を指すと考えるべきであろう。

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