間違いだらけの痴漢冤罪回避マニュアル

痴漢冤罪回避マニュアルと称するコピペが,ネットを賑わしたことがあった。しかし,このマニュアルは,法律的にみて,明らかな誤りを含む。

貴方(身分証を提示、名刺を渡す)
「私は痴漢ではありませんし、住所・氏名を明らかにしました。
 刑事訴訟法217条により、私を現行犯逮捕することは違法です。」

第1に,痴漢は,刑事訴訟法217条の適用される「軽微事件」ではない。痴漢行為は,迷惑防止条例違反とされるのが通常であるが*1,条例違反が「軽微事件」とされるのは,条文にあるように,「2万円以下の罰金」の場合である。ところが,痴漢行為については,「6月以下の懲役又は50万円以下の罰金」(東京都*2),「20万円以下の罰金又は拘留若しくは科料」(愛知県*3)など,この要件を満たさないのが一般である*4。。

第2に,軽犯罪法違反の痴漢行為など,「軽微事件」の要件を満たす場合を想定したとしても,「住所・氏名を明らかに」したからといって,当然に逮捕を免れ得るわけではない。条文にあるように,「逃亡するおそれがある場合」であれば,刑事訴訟法217条の適用があったとしても,逮捕は許されることになる。

貴方
「どうしても連れて行くというのであれば、現行犯逮捕をしているという事に
 なりますが、 刑事訴訟法217条を無視して現行犯逮捕するんですか?
 アナタとこの女性が刑法220条の逮捕監禁罪に問われますよ?」

仮に,「逃亡するおそれ」がなく,刑事訴訟法217条の要件を欠いていたとしても,私人の逮捕行為が,直ちに逮捕監禁罪を構成するとは限らない。特に,「逃亡するおそれ」については,私人において判断する必要はなく,被疑者を引き渡された警察官が判断すれば良いとも考えられるからである*6

警官(いきなり)
「おたく、名前は?痴漢やったの?」
貴方
「黙秘権、弁護士について触れずにいきなり尋問を始めましたね?
 刑事訴訟法198条違反です。この駅員室に居る方すべてが証人です。」

このような事態が,どの程度の割合で生じるのかはともかく,確かに,駅員室において,刑事訴訟法198条1項の被疑者取調と評価される行為があれり,黙秘権,弁護人選任権が告知されなかったのであれば,それは違法である。しかし,このような場面の法的評価は,具体的状況による。実際上,この段階で被疑者取調と評価されるような行為がなされることは多くないのではなかろうか。いまだ逮捕はなされておらず,警職法2条1項の職務質問にすぎないとされるような状況もあろう。そもそも,被疑者取調より先に,同法203条1項の弁解録取が必要であろう。そして,職務質問であれば,「黙秘権、弁護士について触れ」る必要はなく,弁解録取の場合,「黙秘権」については触れなくても違法ではない*7

やがて弁護士が来たら、ここまでの違法逮捕の経緯を説明する。間違い無く
即時開放されるので、その後は訴訟を起こし不名誉と不利益を挽回しよう

仮に,以上の経過の中で違法があったとして,当然に釈放されるべきものになるわけではない。その違法が,逮捕自体を無効にするような違法でなければならない。黙秘権を告知せず取調べが行われた以上,その違法な取調べに基づき作成された供述調書は証拠能力が否定されるべきだという主張であれば,自然な論理の流れといえようが,その違法な取調べに先立つ逮捕までが違法になると主張するのであれば,その点の論理の飛躍を埋めなければならない*8。また,実際上の問題として,弁護士が違法を指摘しても,捜査機関が違法でないと考える場合もあろう。

もちろん,何らかの違法があり,しかも,それが国家賠償法上の違法に当たると評価されるものであれば,「その後は訴訟を起こし、不名誉と不利益を挽回」することはできる。しかし,痴漢冤罪マニュアルは,そもそも逮捕勾留されないための指南なのであろうから,即時に釈放してもらえなければ,事後的に争うことができても,あまり意味はないといえる。

「当番弁護士をよんでください。以後は黙秘します。」

覚えておいても良いとしたら,この部分くらいであろう。しかし,当番弁護士という単語を覚えておく暇があれば,刑事弁護に熱心な弁護士を探しておく方がベターのように思う。また,黙秘というのも,ひとつの戦略であって,必ずしも優れた手段とは限らない。

なお,痴漢冤罪回避マニュアルの問題点については,「menschlichkeit」というブログが,3月23日付けの記事で,つとに指摘されていたところであるので,そちらも参照されたい。

*1:強制わいせつ罪であれば,「6月以上7年以下の懲役」であるから,ますます軽微事件から遠くなる。

*2:東京都・公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例・第5条1項・第8条。

*3:愛知県・公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例・第3条・第12条2項。

*4:もっとも,全ての条例等の法規を調べたわけではないので「軽微事件」にあたる場合がないとは言えない。

*5:「逮捕の必要性」が問題とされる典型的な事例は,警察官の現認による道交法違反である。警察官の現認により,罪証隠滅の虞が減殺される点が大きいのであろう。

*6:コンメンタール刑事訴訟法〔第2版〕第3巻・512頁。

*7:最判昭27・3・27刑集6・3・520。

*8:もっとも,このマニュアルは,逮捕自体にも違法があることを前提にしているから,この部分の指摘は的外れかもしれない。

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