家名と諱の直結

家名と諱に関し,角田文衛氏は,『冷泉家の歴史』において,以下のような所説を述べられている。

足利尊氏とかあるいは徳川家康などと書いた当時の文献はどこにも無いのであります。・・・明治四年までは、その翌年が『壬申戸籍』の出来た年でありますが、明治四年までは家の名前と諱とを直結することは許されなかったのであります。足利というのは家の名前であって氏の名前ではありません。尊氏というのは諱でありますから、家の名前と諱をくっつけて足利尊氏などと言うのは絶対に許されないのであります。・・・足利中納言とかあるいは鎌倉大納言とか足利将軍とかそういう言葉はかまいません。家の名前と官職を結び付けることはかまいません。

これによれば,明治4年以前において,家名と諱を直結することは「絶対に許されない」ことであったことになる*1。「足利」は家名であるから,本姓である「源」を用いて「源尊氏」とするか,「足利」を用いたいのであれば,官職と繋げて「足利将軍」とするのが正しいと言うことである。

しかし,例えば『愚管抄』には,以下のような記事が見える。

  • 能員ガ世ニテアラントテシケル由ヲ、母方ノヲジ北條時政遠江守ニ成テアリケルガ聞テ、頼家ガヲトト千万御前トテ頼朝モ愛子ニテアリシ(巻六*2
  • コレヨリ先ニ正治元年ノコロ、一ノ郎等ト思ヒタリシ梶原景時ガ、ヤガテメノトニテ有ケルヲ(巻六*3

説明するまでもなく,「北条」は家名であり,本姓は「平」なのであるが,「時政」は諱である。同様に,「梶原」は家名であり,本姓は「藤原」であるところ,「景時」は諱である。そうすると,これは数少ない例外ということになるのだろうか。それとも,角田氏の所説が誤りなのであろうか。このほか,『倭朝論鈔』などでも家名と諱を直結した記事を見つけることができる。

ところで,角田氏は,『日本歴史』第384号所収の「氏名と家名」でも,前掲「冷泉家の歴史」と同趣旨のことを述べられている。

 ・・・公式文書にはすべて氏姓名が記載され、家名や通称は用いられなかったこと、日常の消息、会話では、例えば、大石内蔵助のように称されても、大石良雄とは言われなかったことである。
 特に家名と諱の直結は厳禁であって、九条兼実熊谷直実北条政子足利尊氏徳川家康と言った人名は、明治四年までの公文書、公の記録には見受けられない(江戸時代中期以降の史書は、便宜上、この禁を冒している)。

(「氏名と家名」『日本歴史』第384号)

この記述のうち,後半の部分に注目すれば,公式の場合に限り,家名と諱の禁止の法則が妥当するとしているかのようにも読める。しかし,前半部分とあわせ読めば,やはり全ての文書について「厳禁」であるという趣旨であろう。

ここで注目すべきは,例外として,「江戸時代中期以降の史書」が挙げられていることである。そうすると,先ほど示した『愚管抄』(13世紀成立)の記事は,「江戸時代中期以降の史書」に準じるものということになるのであろうか。

思うに,公文書では「源尊氏」という正式な名称が用いられ,同時代人の呼称としては「足利将軍」などの通称が用いられ,いずれの場合も「足利尊氏」のように家名と諱の直結がなされなかったことは、角田氏がそういうのであるから,おそらく正しいのであろう。しかし,史書のように対象から距離を置いた文章において言及する場合,「源尊氏」では通りが悪いし,「足利将軍」では特定性に欠けてしまう。また,逐一,身分事項を注記していくのも煩雑である。家名と諱の直結は,このような場合において,簡単明瞭に対象を特定するため(角田氏のいう「便宜上」),作り出された表記方法ではなかろうかと想像される。

そうであるとすれば,「江戸時代中期以降の史書」に限らず,史書又は上記の意味で史書に類する性質を持つ文章であれば,家名と諱の直結も許されるというべきである。もちろん,この結論を声高に主張するには,もう少し裏付け捜査が必要である。家名と諱の直結が,いつごろから,どのような人の間で使われ始めたのか,さらに用例を調べねばなるまい。

冷泉家の歴史

冷泉家の歴史

*1:これと同趣旨のことは,Wikipediaの「人名」にもにも記載されている。

*2:日本古典文学大系・p300・強調部引用者

*3:日本古典文学大系・p301・強調部引用者

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