「兄弟」が「sister」を意味する件

.問題の所在

以上の議論と似たようなことを,私も以前に調べたことがあり,うまくまとまらなかったので記事としてはボツにしていたのだが,せっかくなので載せてみる。

.「兄弟」と表記して「sibling」を意味する例

「兄弟」と書いて兄弟姉妹を指す場合は少なくないと思われるが,日本における最古の例として,『古事記』のコノハナサクヤヒメの段が挙げられる。天孫ニニギノミコトコノハナサクヤヒメを見初めて口説くシーンである。

邇邇芸の命,笠沙の御前に,麗き美人に遇へるに,「誰が女ぞ。」と問ひたまひき。答したまはく,「大山津見神の女,名は神阿多都比売,またの名を木花之佐久夜毘売と謂したまひき。」。また,「汝の兄弟ありや*1」と問へば,「我が,石長比売あり。」と答したまひき。

古事記・神代・原漢文・強調部筆者*2

ただし,ここでの「兄弟」の訓み方は「はらから*3」ないし「いろねいろと*4」であったとするのが通例である。いずれにせよ,日本に「兄弟」という漢語が導入されてた後,かなり早い時期から「sister」として用いられているのは興味深い*5

他の例としては,藤原清輔の『袋草紙』(12世紀後半)が面白いかもしれない。読み方は分からないが,赤染衛門(女)の妹を「赤染兄弟之女」と表現しているのである*6。もし,「兄弟の男」という表現がないとしたら,この非対称性はポイントになろう。

.「兄弟」と表記して「きょうだい」と発音して「sibling」を意味する例

前節の例のように,「兄弟」と書いても「はらから」と読むのであれば,これが「sister」を意味するのも不思議ではないとも言える。問題は,「きょうだい」「けいてい」と読むにもかかわらず「sister」を意味する場合である*7

この点,『日本国語大辞典』第2版は,謡曲『玉井』(1516頃)の「豊玉姫御兄弟(きょおだい)は御出でなされ」という用例を挙げる*8。しかし,この一節は,『玉井』の中でも間狂言の部分である。間狂言のセリフが固定化した時期が遅いことを考えれば,この用例部分の底本*9が成立した1685年まで年代を下げる必要があろう。

また,同じく謡曲『松風』*10の古写本である車屋本(1596)には,松風・村雨という海女を指して「兄弟の女人」と呼ぶ一節があり*11金春流など下掛り系では「きょおだいのにょにん」と読んでいるようである*12。そうすると,1596年までは遡ってよいかもしれない。

そもそも読み方が確実に分かる史料は少なく,確実なものとしては,大槻文彦言海』(1889−91)のような辞書に頼ることになろう。

きや(ヨ)う-だい (名) 兄弟*13  アニ、オトウト。兄弟(ケイテイ)。男の同胞(ハラカラ)。通ジテ、姉妹(アネイモウト)の同胞ニモイフ。 

これによれば,少なくとも明治20年代には,「sister」のことを「きょうだい」と呼ぶことが市民権を得ていたということになろう。

しかし,むしろポイントは,明治以前の辞書・故実書の類で「『兄弟』が,その字義にもかかわらず,『sister』を意味することがある」と明示しているものが見つからないことかもしれない。

.「姉妹」と表記して「きょうだい」と発音して「sister」を意味する例

しかし,面白いのは,「姉妹」と書くにもかかわらず,「きょうだい」と訓む例であろう。「きょうだい」という音読みを訓読みとして用いているのである。

四人(にん)の女子(にょし)はお由(よし)を第(だい)一とし,此糸(このいと)を二ばんとなし,三番目(ばんめ)を米(よね)八とし,四人目(にんめ)をお蝶(てふ)とさだめ,歳(とし)のじゆんにて内々(ないない)は,姉妹(きゃうだい)のやくそくをなし,子宝(こだから)おほくまうけつヽ

この種の用例の初出として,為永春水春色梅児誉美』(1832)であろうか。日本国語大辞典が挙げる,同じく為永春水の『春色英対暖語』(1838)*17より古い。

岩波古語大辞典は,やはり為永春水の『春色袖の梅』(1842)の「二人の子といふのは,親父の妾に出きた妹と弟サ。その二人の姉妹(けうだい)の為には実の親父で」という用例を挙げる。これは妹と弟を「姉妹(きょうだい)」と読んでおり,これまた不思議な使い方である。

為永春水は,他の作品などでも「sister」を意味する「姉妹(きょうだい)」という単語を用いているが*18,それとは別に「sister」を意味する「姉妹(あねいもうと)*19,「sister」を意味する「兄弟(きょうだい)」*20,「sister」を意味する「姉妹(はらから)」*21という単語も用いており,必ずしも一貫しない。

ただし,そもそも「菩提所(おてら)」「小児間(ちいさいうち」「超男(まさるおとこ)」などの当て字と並べて*22,「姉妹(きょうだい)」という単語が用いられていることには注意が必要であろう。

いずれにせよ,この「姉妹(きょうだい)」という単語は,「はてな」の方で指摘があったように,島崎藤村『新生*23』(1918−19),泉鏡花『若菜のうち*24』(1933)など明治以降も使われることになる*25

.思いつきの考察

おそらく,「sister」のことを「兄弟」と書いたり,「きょうだい」と呼んだりするのは,男子に対する呼称で男女を代表する一般的な原則どおりということに過ぎないのであろう。

そして,「姉妹」と書いて「きょうだい」と読むのは,江戸以降,文字文化の裾野が広がりながら,近代国家の教育により,標準的な訓読法が定著する前に生じた「当て字文化」の一種ということになるのかもしれない。
(了)

*1:ところで,ここでニニギノミコトは,「Do you have any brothers and sisters?」「Do you have any brothers?」「Do you have any sisters?」のいずれを問いたかったのであろう。

*2:池辺義象編『古事記通釈』(1911・2)を参考にした(国会図書館サイト内画像)。

*3:「はらから」と訓ませる例として,本居宣長『訂正古訓古事記』(1802)がある。なお,『国史大系』巻7(1897・7)の画像を参考に掲げる(国会図書館サイト内画像・53頁54頁)。

*4:「いろねいろと」と訓ませる例として,「卜部兼永筆者本古事記」(室町末)のほか,國學院大學図書館蔵「春満訓点古事記」(1644)などがある(同大学図書館サイト内画像・51頁52頁

*5:もっとも,中国における「兄弟」の意味も調べる必要はあろう。例えば『正字通』(17世紀)には,「『兄』は,男女の通称である,故に今は女の先に生まれた者を,『姉』と称し,『女兄』と称する(兄者男女之通称故今女先生者称姉称女兄)。」とある。

*6:白百合女子大学図書館のサイトで同図書館蔵本(1685写)の画像が見られる(DjVuプラグインが必要)。

*7:コメント欄<で指摘されるように,『孟子』に「兄弟」と書いて「sister」を指す用例があるから,この点を気にする必要はないのかもしれない。

*8:ところで,謡曲『玉井』の主人公は「海幸彦」であるが,彼の両親は,前節で取り上げたニニギノミコトコノハナサクヤヒメである。これは,偶然の一致であろうか。

*9:日本国語大辞典』の謡曲の用例は,岩波『日本古典文学大系』に依っているのであるが,同書『玉井』の間狂言底本としては貞享松井本が使用されている。

*10:余談であるが,「巨人大鵬目玉焼き」の元ネタは,「熊野(ゆや)に松風,米の飯」ということで良いのであろうか。

*11:小学館『新編日本古典文学全集』58・392頁「七* 車屋本及び下掛三流は『兄弟の女人のしるしかや』」,参考・芳賀矢一訂『四流対照:謡曲二百番』中巻・237頁(国会図書館サイト内画像

*12:野上豊一郎編『解註:謡曲全集』3巻・33頁「姉妹(きょおだい)の女人(にょにん)のしるしかや」

*13:原文には,和漢通用の熟語であることを表す記号が示されている。

*14:言海:日本辞書;第1−4冊/大槻文彦編,1889−1891(国会図書館サイト内画像)。

*15:国民図書『為永春水集』近代日本文学大系巻20・256頁より。なお『春色梅こよみ』同盟分社・明治20年の国会図書館サイト内画像が閲覧できる。

*16:ただし,「ないない」の部分は原文では繰り返し符号が用いられている。

*17:第5巻・第30回「実の姉妹(けうだい)よりも睦まじく」

*18:例えば,『春色辰己園』「仇吉さんは姉妹の様に(巻3・国会図書館)」「仇さんおめへわりいものを姉妹にしてはいけない(巻4・国会図書館)」。『春色英対暖語』「姉妹二人して一人の男には添とげられぬ(巻5・国会図書館)」「姉妹が和合(なかよく)して(国会図書館)」。

*19:『春色英対暖語』第6回「姉娘は年十八名に紅葉妹娘は年十七才なれども子細有て十六才と云ならはして有其名はお房姉妹二個(あねいもうとふたり)とも発明にて美麗」(国会図書館)。

*20:『春色辰己園』巻11「今ぢやァ実の兄弟同然」(国会図書館)。ただし,「兄弟」ではなく「兄弟同然」の用例である。

*21:貞操婦女八賢誌』第11回「勇美姉妹(ゆうびのはらから)会本郷山(ほんがうのやまにくわいす)」(国会図書館)。

*22:この部分に関する国会図書館サイト内画像がある。

*23:「節子が岸本の家へ手伝いに来たのは学校を卒業してしばらく経(た)った時からで、丁度その頃は彼女の姉の輝子も岸本の許(ところ)に来ていた。姉妹(きょうだい)二人は一年ばかりも一緒に岸本の子供の世話をして暮した。」(青空文庫

*24:「近くに藁屋(わらや)も見えないのに、その山裾(やますそ)の草の径(みち)から、ほかほかとして、女の子が――姉妹(きょうだい)らしい二人づれ。」(青空文庫

*25:ところで明治以降の用例に,石原和三郎『女子歌物語』(1899)の「祇王祇女といへる姉妹(きやうだい)の白拍子(30・いずれかあきに)」がある(国会図書館)。これの原典として,平家物語に「祇王祇女とて○○あり」という部分がある。この「○○」の部分は,「おととひ」(京大國學院大學国会図書館),「はらから」(国会図書館)などとするのが普通のようであるが,写本によっては「兄弟」(京大)としているものもあり興味深い。また,寶文館発行の山田孝雄平家物語』も「兄弟」とするようである(バージニア大)。

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