緋袴と濃袴⑴

.問題の所在

女房装束などの袴の色について,「未婚者は濃色*1,既婚者は緋色(紅色)*2」と言われることがある。

確かに,星野文彦『有職の話』など権威ある有職書を開くと,そのような使い分けが規定されており,絵画などで十二単を描く場合にも,この例に従うことがあるようである。

色は濃(こき=濃き紫)か,紅かである。未婚者が濃で,既婚者が紅である。

(八束清貫『有職の話』第2版・175頁*3

しかし,このドレスコードは,少なくとも絶対的なものではなく,せいぜい一つの基準に過ぎないように思われる。というのも,後に示すように,『源氏物語』や『今昔物語』など平安・鎌倉期の用例を見ても,この区別が守られていないのである*4

それどころか,明治以前に書かれた書物の中で,「未婚者は濃袴,既婚者は緋袴」と規定するものは無く,むしろ「若年者は濃袴,非若年者は緋袴」「ハレの時は濃袴,ケの時は緋袴」と言った区別の方が,理由があるように思える。ネット上にも同旨の結論を示したものはあるが,私なりの検討を加えたいと思う。

.実際の使用例

2−1.未婚者が紅袴を使用している例

まず,有名な『源氏物語』空蝉巻(11世紀初)から,未婚なのに紅袴(緋袴)を着けている例を紹介する。これは,光源氏が空蝉を垣間見する場面における,軒端の荻の描写である。

今一人は、東向きにて、残るところなく見ゆ。白き羅の単襲、二藍の小袿だつもの、ないがしろに着なして、紅の腰ひき結へる際まで胸あらはに、ばうぞくなるもてなしなり。

少し分かりにくいが,強調部分は「袴の腰紐を結んでいる付近まで」という意味であり,それが紅だというのであるから,軒端の荻(未婚)の袴は紅の袴であったことになる。

また,この他にも『源氏物語』蜻蛉巻には,匂宮の姉である女一宮(未婚)が紅袴を着ていたことが分かる記述があり*5,『源氏物語絵巻』竹河二(12世紀前半)では,結婚を控えた玉鬘の大君が赤い袴を著けて描かれる*6

ノンフィクションの事例としては,『源氏物語』の成立とほぼ同時期の長久元年(1040)に行われた斎宮良子内親王貝合の記録がある。ここでは,斎宮であるから当然に未婚である良子内親王の衣装について,以下のように記述されている。

御前には,御几帳の前に御褥,羅の二藍の御単襲に,紅の生絹の御袴奉りて,短き御几帳の楝の裾濃なるを引きよせて,小さうおかしげにおはします。

少し時代が下ったものとしては,12世紀末に成立した『粉河寺縁起』がある。これは絵巻物であるが,長者の娘(未婚)が,自分の病気を治した童子に対し,自分が肌身離さず用いていた提鞘と紅の袴を差し出す場面と思われる部分がある*8

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静嘉堂住吉物語絵巻(第6紙)*9

最後に,『住吉物語』から最も有名な場面を示す。嵯峨野で子の日の遊びをする姫君たちを,主人公である少将が垣間見する場面におけるヒロインの姫君(未婚)の描写である。

なお,『住吉物語』の成立は,『源氏物語』以前に遡ると思われるが,その後の改作により,さまざまな諸本がある。下記の引用は,新編日本古典文学全集によるものであり,右の図版は,静嘉堂住吉物語絵巻(第6紙)*10による。

藤襲の単衣,紅の表着に,紅の織物の袴踏みしだき,さしあよみたまへる御ありさま,いとめでたく,秋の夜の月,雲間より差し出でたる心地して,

2−2.既婚者が濃袴を使用している例

次に,既婚者が濃袴を使用している例として,『今昔物語』(12世紀前半)から,巻20・第10話「陽成ノ院ノ御代ニ瀧口,金ノ使ニ行キタル語」を紹介する。

女ノ傍ニ寄テ臥スニ・・・九月ノ十日ノ此ノ程ナレバ,衣モ多ク着ズ。紫苑色ノ綾ノ衣一重,濃キ袴ヲゾ着タリケル。香馥シキ事,当ノ物ニサヘ匂タリ。

天皇の勅使が,信濃国で宿を借りた夜,その家の主人の妻に夜這いをしようとする場面である。この後,話は滑稽な展開を見せるのだが,ここでは既婚者が濃袴を着けている。

ノンフィクションの事例としては,『増鏡』(c.1360-76)がある。建治元年(1275),六条院の長講堂が再築され,女房たちが移徒(転居)をする場面である。

出車あまた,みな白きあはせの五衣・濃き袴,同じ単にて,三日過ぎてぞ,色いろの衣ども,藤・躑躅・撫子など着かへられける。

(増鏡・巻10/大系87・362頁*13

ここで用いられる濃き袴は,移徒後3日間は謹慎するという当時の風習の一環であると考えられる*14。ある意味で「儀礼服」であるから,特殊な例であると言えるが,いずれにせよ濃き袴が未婚者に限られない例と考えられよう。

なお,これと同じ場面は『とはずがたり』(c.1306)にもあり,同様に「御移徒後三日は白き衣にて,濃き物具・袴なり*15」(巻1)と記載されている。

2−3.小括 - 緋袴は「女性一般」に用いられる。

以上の用例からすれば,袴の色について「未婚者は緋色(紅色),既婚者は濃色」とするドレスコードは,伝統的には存在しなかったと考えられる。

ところで,古代・中世の日記や物語を読むと,しばしば詳細な服飾描写がある。ところが,その中で,袴の色について言及していることは意外と少ない。

これは,例えば,喪中を表す「萱草色の袴」だとか*16,晴れの場面の華やかな衣装である「錦の袴」*17など,特殊な場合を除き*18,女性の袴の色は緋色(紅色)が当然であり,わざわざ記載するまでもなかったということを意味するようのではないだろうか。

そして,敢えて「紅の袴」と明記する場合,ある種の「女性らしさ」を強調する特殊な効果を狙っている場合が多いように思う。

若き人々二十人ばかり、そなたに行きて階より、高き屋にのぼりたるを、これより見あぐれば、薄鈍の裳、同じ色の単襲、紅の袴どもを着てのぼりたるは、いと天人などこそえ言ふまじけれど、空よりおりたるにやとぞ見ゆる。

枕草子・155段*19・故殿の御服のころ/新全集・283頁*20

この『枕草子』(c.994-1000)の記事では,若い女房たちの天女と見まがう華やかさを示すものとして「紅の袴」が用いられていると見ることができる。清少納言が,同書で「にげなきもの(似合わないもの)」として「下衆の,紅の袴着たる*21」としているのも,このような意味で理解できよう。

「此ヤ鬼ナラム」ト思フモ,静心无クテ見レバ,薄色ノ衣ノ□ヨカナルニ,濃キ単・紅ノ袴長ヤカニテ,口覆シテ破无ク心苦気ナル眼見ニテ女居タリ,打長メタル気色モ哀気也。

あるいは,『今昔物語』巻27・第13話では,人里離れた黄昏時,橋の上に一人たたずむ女性が現れる。明らかに人外の者の化けた姿に過ぎないと分かっていながら,思わず目をとめてしまう。そんな女性以上に女性らしい「鬼」の姿の描写に出てくるのは「紅の袴」である*23

要するに,紅袴(緋袴)とは,「女性一般」の象徴なのであり,「既婚女性」のそれではないのである。そうすると,「未婚者は緋色(紅色),既婚者は濃色」という冒頭の見解は,どこから生じたのであろうか。この点を考えるため,次章では,主に近世以降の有職故実書を確認していきたいと思う。
続く

*1:濃色とは,元来は濃い色の総称であるが,特に濃い紅〜濃蘇芳〜紫系の色を指す。時代的な変遷・混乱もあるのだが,紅色とは区別された赤紫系の色と考えて良い。ただし,『筆の霊』は「赤き袴きたるは,此中の貴人なり・・・此を濃き袴といふ。古き名にて,紅の色濃きよしなり,又紅の袴とか,張袴ともいふ。」(前編巻3-10),「雅亮装束抄に,紅のはかま,こきはかま,濃き張りばかまなど云り,今は俗にそれを官女と云者のみ著る者として緋の袴と云り」(後編巻8-41)などとして,紅袴と濃袴を区別しないかのごとくである。

*2:以下では,「緋色」と「紅色」を区別しない。広文庫・はかまぎ・千代鏡「緋の袴は紅袴の長なり」。倭訓栞・はりばかま「夏冬同じく織生の紅の袴を用ふ,所謂緋の袴也といへり」。

*3:有職の話 / 八束清貫. -- 2版. -- 神社新報社, 1988.6.

*4:例えば,『今昔物語』巻20第10話に出てくる郡司の妻は濃袴を着ている。

*5:「御袴も,きのふの同じ紅なり。」という部分である。この場面で紅袴を着ているのは,薫の妻である女二宮であるが,「同じ」とは,昨日の女一宮の服装と同じという意味であり,女一宮が紅袴を着ていたことが分かる。

*6:河添房江「王朝の襲」(『國文学 解釈と教材の研究』2006年2月号・13頁)・18頁参照

*7:萩谷朴・谷山茂校注『歌合集』,日本古典文学大系74,岩波書店,158頁.

*8:詞書に部分的な焼失があるが,このように理解するのが文脈にかなうであろう。この点については,日本絵巻大成巻5の各解説を参照されたい。

*9:雄山閣『日本繪巻物集成』巻2.

*10:雄山閣『日本繪巻物集成』巻2.

*11:三角洋一・石埜敬子校訳注『住吉物語 とりかへばや物語』,新編日本古典文学全集39,小学館,38頁.

*12:山田孝雄[ほか]校注『今昔物語集 四』,日本古典文学大系25,岩波書店,162頁.

*13:時枝誠記[ほか]校注『神皇正統記 増鏡』,日本古典文学大系87,岩波書店,362頁.

*14:世俗浅深秘抄・上57「移徒夜。女房用紅袴打衣等…中古以来憚之」(群書類従)。類聚雑要抄・巻2「御移徒之後。三日以内。不殺生不歌。不上厠。不悪言。不楽。不刑罸。不登高。不臨深。不見不孝子。入僧尼忌之。」(同)。鈴木敬三『有職故実図典』132頁は,移徒の時などは,時宜により白い袴を用いるとする。

*15:福田秀一校注『とはずがたり』,新潮日本古典集成20,105頁.

*16:例えば,『源氏物語』葵巻,椎本巻などに例がある。喪中の袴の色としては,「紅の黄ばみたる気添ひたる袴」(源氏・幻),「紅のはかまの黄ばみたる」(狭衣・1下)などという例もある。また,『平家物語』や『源平盛衰記』の入水の場面では白袴が用いられている。なお,『源氏物語』手習巻において,入水した浮舟が発見された時には,まだ「紅の袴」であったのに,同じ巻の後半,尼君のもとで隠棲しようとする場面では,「光も見えず黒き」袴になっているのも参考になろう。

*17:例えば,『栄華物語』巻40に例がある。また,同書の皇后宮春秋歌合の場面(巻36)では,戸奈瀬川に紅葉が舞う風情を描いた袴など,華やかな袴の例が数多く描写されている。

*18:紅・濃・萱草以外の色目としては,「白き袴」(虫愛づる姫君,たまきはる)の用例が目立つ。「黄なる生絹の単袴」(源氏・夕顔)や「青き単袴」(たまきはる),「御袴黒」(内院年中行事)などは珍しい。『宇治拾遺物語』の「大井光遠妹強力事」には「紅葉の袴」という表現があるが,大系の注釈は,これを紅袴のこととする。

*19:大系本の161段,全集本の165段にあたる。

*20:松尾聰・永井和子校注訳『枕草子』,新編日本古典文学全集18,小学館,283頁.

*21:松尾聰・永井和子校注訳『枕草子』,新編日本古典文学全集18,小学館,101頁.

*22:山田孝雄[ほか]校注『今昔物語集 四』,日本古典文学大系25,岩波書店,493頁.

*23:同じく『今昔物語』の巻29・第8話が,川に溺れて犬に食われた女房の遺体を「糸長キ髪ト赤キ頭ト紅ノ袴」と描写しているのも,「女性らしさ」の描写と言えよう。

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