緋袴と濃袴⑵

故実書の見解

3−1.既婚未婚で区別する説

装束に関する解説書で,袴の色について,「未婚者は緋色(紅色),既婚者は濃色」という見解を支持するものとしては,以下のようなものがある。

No.書名筆者成立濃袴緋袴備考
1 有職故実辞典*1 関根正直,加藤貞次郎 1962 中古以来の女子が晴れにも褻にも 近世以後の処女が晴れの時
2a 装束の知識と著法*2 八束清貫 1962 結婚前 結婚後 異説併記
3 装束と衣紋*3 八束清貫 1982 未婚者 既婚者
4 有職の話*4 八束清貫 1988 未婚者 既婚者

こうして見ると,「未婚者は緋色(紅色),既婚者は濃色」という有職は,かなり根拠薄弱である。それを唱えているのが,ほとんど八束清貫だけと言って良いからである。しかも,八束清貫自身,『装束の知識と著法』(No.2)で,それが唯一の見解ではないことを認めている。関根正直,加藤貞次郎による『有職故実辞典』(No.4)も,濃き袴は処女が用いるとしても,処女が緋の袴をも着用することまでは否定していない。

確かに,濃き色の落ち着いた配色は,処女の清楚な風情に似つかわしいのかもしれない。例えば,『今昔物語集』巻22・第7話「高藤ノ内大臣ノ語』という有名な段には以下のような表現がある。

庇ノ方ヨリ遣戸ヲ開テ,年十三四計有ル若キ女ノ,薄色ノ衣一重・濃キ袴着タルガ,扇ヲ指隠シテ,片手ニ高坏ヲ取テ出来タリ,耻シラヒテ遠ク喬ミテ居タレバ,君,「此寄」ト宣フ。和ヲ居ザリ寄タルヲ見レバ,頭ツキ細ヤカニ,額ツキ・髪ノ懸リ,此様ノ者ノ子ト不見ズ,極メテ美麗ニ見ユ。高坏・折敷ヲ居テ,坏ニ箸ヲ置テ持来タリ。幼キ者ナレバ賢クモ不居ズシテ,置テ居ザリ去テ居タリ。

しかし,そうだとしても,何も既婚未婚という基準に拘る必要はない。若ければ良いのである。実際,服飾の解説書の中には,紅袴(緋袴)と濃袴の区別として,若年か非若年かの基準を立てるものが少なくない。そこで,次節では,年齢等をメルクマールとして,袴の色を区別する諸書について検討したい。

3−2.年齢等をメルクマールとする説

女性の袴の色について,年齢等をメルクマールとする区別を示す有職書として,以下のようなものがある。

No.書名筆者成立濃袴緋袴備考
5 装束要領抄*9 壷井義知,徳田良方・注 1711 わらはめの著るはかま おとなしき人*10 ただし,五節の舞姫の「わらはめ」のことかもしれない*11
6 勅任官夫人服餝色目*12 宮内省式部寮 1881 16歳未満 16歳以上 明治17年*13,一律に緋袴と改められる。
7 装束図譜*14 河鰭実英 1896 年弱き者。限界については色々の説がある。 「年弱き」の基準には「いろいろの説がある」とする。
8 増訂装束図解*15 関根正直 1924 中世以後の若上臈君などが晴れの時 (一般)
9 新修有職故実*16 江馬務 1930 若年が用いる習慣 (一般)
2b 装束の知識と著法*17 八束清貫 1962 28歳未満 28歳以上 異説を併記する。
2c 装束の知識と著法*18 八束清貫 1962 分娩前*19 分娩後 異説を併記する。
10 平安時代史事典*20 清田倫子 1994 若年 (一般)
11 有識故実図典*21 鈴木敬三 1995 若年 本義
12 有識故実大辞典*22 鈴木敬三 1996 成人式*23 成人式以後 ただし,「成人式=婚姻」なのかもしれない*24

そして,このような区別の方が,既婚未婚で区別するより,服飾のあり方として自然である。というのも,装束と年齢を関係づけるのは,女性に限らず,男性においても非常に一般的であるからである。

例えば,『三条家装束抄*25』などを見ると,直衣につき,「若年の人は紫色。年成長の時次第ニ薄くなして、薄花田。又猶年老て後は大略如白なり、衰シテ宿老の人は裏一向白なり」などとあり,男子の下袴についても,「十五以前の人濃色。十六以後の人紅色なり」として、上記の女子の袴に類似する区別が見られる。

しかも,『落窪物語』(c.996)では,この年齢による濃袴と紅袴の区別を,典型的な形で見ることができるのである。ここでは「若き人」が「濃き袴」であり,そうでない人*26は「赤らかなる袴」であると対照的に描写されている。

清げなる若き人二十人ばかり、白張の単襲、ニ藍の裳、濃き袴着て、五、六人、赤らかなる袴にて、綾の単襲引きかけたる、薄色の穀の裳、綾など、同じやうにさうぞきつつ、かいむれかいむれて出で来つつ、

そうすると,この年齢等をメルクマールとする説,すなわち「若年者は緋色(紅色),非若年者は濃色」とする見解は,少なくとも一つの目安として,有力な立場と言って良いのではないかと考えられる*28

3−3.ハレとケを問題とする説

これらに対し,濃袴なのか緋袴(紅袴)なのかは,ハレとケ,すなわち儀礼服か日常着なのかの問題であるとする全く別系統の見解もある*32。明治以前の有職書に多い見解である。

No.書名筆者成立濃袴緋袴備考
13 女官飾抄*33 一条兼良 1506 祝の時 褻の時
14 胡曹抄*34 一条兼良 祝の時*35 褻の時
15 源氏男女装束抄・後附*36 褻の時 祝の時
16 倭訓栞*37 谷川士清 1862 褻の時 祝の時
8 増訂装束図解*38 関根正直 1924 中世以後の若上臈君などが晴れの時 晴れにも褻にも
1 有職故実辞典*39 関根正直,加藤貞次郎 1962 近古以来,祝賀の儀式に。近世は,処女の間に限り,晴れの日に 中古以来,晴れにも褻にも*40

もっとも,どちらが儀礼服で,どちらが日常着なのかということになると,上記のように,正反対の立場が並立している。時代的な問題があるのかもしれない*41

ちなみに,儀礼服として濃袴が用いられている実例としては,『胡曹抄』(No.14)における永暦2年(1161)の婚儀の記事がある。お付きの女房たちが,結婚初夜から3日目の露顕まで一様に濃袴を用い,翌4日目から一斉に紅袴に替えるのである。

忠順記,永暦二年正月廿九日,中納言中将(月輪殿)嫁娶,今夜女房已下ノ装束,
女房廿人,裏濃蘇芳ノ衣五,亀甲ノ文 青単 濃打衣 柳唐衣 白腰裳 濃袴 扇各無表裏云々,
童二人 裏濃キ蘇芳 衵五亀甲ノ文 青単 濃キ蘇芳表着 濃打衵 裏濃キ蘇芳ノ汗衫 濃袴 泥檜ノ扇
半物二人 裏濃キ蘇芳衵五亀甲ノ文 青単 濃打衵 柳ノ唐衣立文歟 濃袴 扇 沓
下仕二人 白衣五 白単 濃打ノ衣 白打ノ唐衣 濃袴 扇 ・・・
同記,永暦二年ニ月二日,今日中納言殿渡御,第四日也,是ノ日人々改着装束,
女房上臈四人 表白六立涌雲ノ文,裏紅濃薄。紅薄色,薄色ノ濃薄, 紅単 濃蘇織物表着亀甲ノ文 紅ノ打衣 萌木ノ織物ノ唐衣亀甲ノ文 紅袴
中下臈十六人 表白五同シ文裏紅ノ濃薄青ノ濃薄濃薄色 紅ノ単 蘇織物ノ表着亀甲ノ文 紅打ノ衣 萌木ノ織物唐衣同文 紅ノ袴
童女 表白三裏紅青薄色 紅ノ単 紅打ノ衵 柳汗衫 紅ノ袴 扇散リ薄ク ・・・・

(胡曹抄・女房夏冬装束/改訂史籍集覧27・290頁*42

『胡曹抄』には,この他にも婚儀で濃袴を用いる例が引用されているのだが,特に『広季記』を引く平治元年(1159年)の婚儀の記事では,7月1日から「濃張袴」を用いた後,7月4日から「紅ノ生袴」を「褻ノ装束」として用いたと明記されている(前掲書291-292頁)。

そして,この婚姻の儀式においては,お付きの女房に限らず,当事者の姫君も,濃袴を用いたようである。『婚記』における藤原多子の入内(1157)の記事*43によれば,多子が,初夜から3日間の衣装として,濃袴が用いていたことが認められ,『増鏡』における藤原公子の入内(1258)及び藤原鏱*44子の入内(1288)の各記事*45,『とはずがたり』における深草院二条の初夜(1271)の記事*46も,これを裏付ける。

また,先述の「移徒」の儀式における濃袴の使用(『増鏡』)も,「儀礼服」としての濃袴の使用例と言えるであろう。

しかし他方で,これらと同じころの記録でも,治暦元年(1065)の法華八講という「ハレの場」において,「袴は赤き薄様,下ざまに白く重なりたる」(『栄華物語*47』)としたり,承安3年(1173)の御堂供養という「ハレの場」において「紅の綾の打袴に泥にて下絵して」(『たまきはる*48』)とするなど,紅袴をベースにしている例もある*49

3−4.全てにつき緋袴が用いられるとする見解

これらに対し,女性の袴は,およそ一般的に緋袴(紅袴)を用いるのだと読める見解もある。

No.書名筆者成立内容備考
17 近代女房装束抄*531722 祝の時は紅張袴,褻の時は紅生袴。夏冬同じ。
18 有職故實*54林森太朗1906 婦人の服装には,晴れにも褻にも,紅の長袴を穿く。
1 有職故実辞典*55関根正直,加藤貞次郎1962 中古以来,晴れにも褻にも紅の袴を用いるに至る。 近古以後については,場合により濃袴を用いることを排除しない。
19 装束甲冑図解*56関根正直1968 婦人の服装には,晴れにも褻にも,紅の袴を穿くことが常である。 中世以後については,濃袴との区別も述べる。

以上は,主に「ハレとケで区別する見解」に対する異説であるが,文脈からすると,およそ一般的に緋袴を用いるという趣旨のようである。

また,「年齢等をメルクマールとする説」との関係では,女子が初めて袴を穿く儀式である「著袴」の時点から,紅袴を用いるという事実がある*57。例えば,『貞丈雑記*58』(1736以降)によれば,「著袴」とは,6歳の年に行うものであり,「紅のはかまをはじめてめさする」ものであるとなる*59

この「紅のはかまをはじめて」という部分だけ見れば,それまでは他の色の袴を穿いていたとも考えられる*60。しかし,「著袴」は,袴を初めて穿く儀式のはずだから,要するに,女性の袴の色は,初めから紅色だったのだとして良いであろう。

3−5.小括 - 緋袴と濃袴を分ける絶対的基準はない。

以上のように,緋袴(紅袴)と濃袴を区別する基準については,有職書にも様々な見解があり一定しない。本来であれば,これを時代的変遷に従って整理すべきなのだろうが,その時間も能力もなく,整理してみても結論が出るとも思えない。

そうすると,現時点の結論としては,緋袴(紅袴)と濃袴を区別する絶対的基準はないとせざるを得ない。
続く

*1:有職故実辞典 / 関根正直,加藤貞次郎. -- 改訂. -- 林平書店, 昭15,314頁,704頁.

*2:装束の知識と著法 / 八束清貫. -- 文信社, 1962,130頁(八束清貫「装束の著け方」雄山閣と,ほぼ同じ内容である。).

*3:装束と衣紋 / 八束清貫. -- 神社本庁, 1982.11,24頁.

*4:有職の話 / 八束清貫. -- 2版. -- 神社新報社, 1988.6,175頁.

*5:山田孝雄[ほか]校注『今昔物語集 四』,日本古典文学大系25,岩波書店,235頁.

*6:原色日本服飾史 / 井筒雅風著. - 京都 : 光琳社出版 , 1989 ,71頁・261頁.

*7:時代装束−時代祭資料集成−, 京都書院,1995,152頁.

*8:八條忠基『素晴らしい装束の世界−いまに生きる千年のファッション−』,誠文堂新光社,2005 , 70頁.

*9:古事類苑/神宮司庁古事類苑出版事務所編,明治29年大正3年,服飾部6,1049頁.

*10:ただし,明確な記載ではない。原文は「紅のはり袴,長さいまだかんがへず。但雅すけ装束抄に,わらはめのかさねはかま,ながさ九尺五寸とみえたり,おとなしき人はいかヾ候はん,こきはり袴は,わらはめの著るはかまなりといへり」とあり,これを「紅の袴の裾の長さはよく分らない。『満佐須計装束抄』に「九尺五寸」という記述があるが,これは童女の着る濃き袴に関する記事であり,「おとなしきひと」はどうすれば良いだろう。」という趣旨であると理解した。

*11:というのも,同書は『満佐須計装束抄』の五節の舞姫に関する記述を引いた上で,このように言及しているからである。

*12:元老院日誌 : 国立公文書館蔵 / 大日方純夫, 我部政男編. - 東京 : 三一書房,1981,第2巻・488頁・492頁,明治13年12月9日・同月15日.

*13:宮内省内達「婦人服制」による(元老院日誌 : 国立公文書館蔵 / 大日方純夫, 我部政男編. - 東京 : 三一書房,1982,第4巻・336頁,明治17年10月17日.)。

*14:装束圖譜 / 河鰭實英編. - 改訂増補. - 東京 : 明治圖書出版 , 1993.6. - 故實叢書 / 故實叢書編集部編 ; 第32巻,第101図.

*15:装束甲冑図解 / 関根正直‖著 / 協同出版 , 1968,121頁.

*16:有職故実 / 江馬務著.- 京都 : 星野書店.- 330,18p ; 22cm.- 1930.6 ,110頁.

*17:装束の知識と著法 / 八束清貫. -- 文信社, 1962,130頁.

*18:装束の知識と著法 / 八束清貫. -- 文信社, 1962,130頁.

*19:これは厳密に言うと年齢で区別する説ではないが,参考のために掲げた。

*20:平安時代史事典 / 古代学協会, 古代学研究所編. - 東京 : 角川書店 , 1994.4,1913頁.

*21:有識故実図典 : 服装と故実 / 鈴木敬三著. - 東京 : 吉川弘文館 , 1995.7,131頁.

*22:有識故実大辞典 / 鈴木敬三編. - 東京 : 吉川弘文館 , 1996.1,289頁.

*23:ちなみに,『内院年中行事』は,女子の成人式のひとつである「鬢削ぎ」について,「姫宮十五歳までは御袴黒也,御十六歳六月十六日,御びんそぎより御袴赤なり」として,成人式以前は黒い袴,成人式以後は赤い袴という例を示す。しかし,黒い袴というのは,ほとんど他に例を見ず,不審である(古事類苑/神宮司庁古事類苑出版事務所編,明29-大3,礼式部1,531頁)。

*24:というのも,この所説の直接の根拠は『婚記』の多子入内(=成人)の記事なのである。

*25:群書類従 / 塙保己一編. - 訂正3版. - 東京 : 続群書類従完成會 , 1959.7-1960.9,第8輯・262-262頁.

*26:なお,前掲新全集では,「それより年老いた五、六人は」と訳されている。

*27:落窪物語 ; 堤中納言物語 / 三谷栄一, 三谷邦明, 稲賀敬二校注・訳,新編日本古典文学全集17,小学館,216頁.

*28:ところで,濃袴の用例として,これまで挙げた他に,「年十七八計」(今昔・巻30-1)とか「十七八ばかり」(栄華・はつはな)などというものがある。しかし,18歳が,当時として「若き人」なのかは微妙である。

*29:原色日本服飾史 / 井筒雅風著. - 京都 : 光琳社出版 , 1989 ,71頁.

*30:八條忠基『素晴らしい装束の世界−いまに生きる千年のファッション−』,誠文堂新光社,2005 , 70頁.

*31:外題「装束模様留書」,内題「女房装束之類寄書」,早稲田大学図書館・請求記号「ワ03 01409 0002」.

*32:なお,『近代女房装束抄』(故実叢書8)は,祝の時と褻の時の装束につき,それぞれ紅張袴と紅生袴とで区別する。

*33:新校羣書類従 / [塙保己一編] ; 川俣聲一編.- 東京 : 内外書籍 ,第6巻,1931,46頁.

*34:新加書雑類.- 京都 : 臨川書店.- 2,754p ; 22cm.- 改定史籍集覧 第27册.- 1902.12,第93・桃花蘂葉,300頁.

*35:改定史籍集覧本には「税時濃張袴」とあるが,上掲『女官飾抄』の記載を漢文にしただけと思えるので,このように理解する。

*36:廣文庫 / 物集高見著. - 東京 : 廣文庫刊行會 ,第16冊, 1929,808頁.

*37:倭訓栞:増補語林;中/谷川士清著他,1898 ,865頁.

*38:装束甲冑図解 / 関根正直‖著 / 協同出版 , 1968,121頁.

*39:有職故実辞典 / 関根正直,加藤貞次郎. -- 改訂. -- 林平書店, 昭15,314頁,704頁.

*40:この点は,ハレとケを問題にしていない。後述のように,明治以降の有職書では,晴れにも褻にも紅の袴を用いるとする物が多い。

*41:女性の袴は,中世にいったん断絶している。それを復古した江戸期の有職は古式と異なる(寛永有職)。

*42:新加書雑類.- 京都 : 臨川書店.- 2,754p ; 22cm.- 改定史籍集覧 第27册.- 1902.12,第93・桃花蘂葉,290頁.

*43:久安六年正月十九日条に「蘇芳織物・・・唐衣白羅裳濃袴。是入内夜皇太后所賜之装束也」とあり,入内の夜は濃袴を用いたことが分かる。また,同日の記事に明後日の衣装として「今夜初着紅生袴」とあり,実際,廿一日条に同日の衣装として「紅張袴」とあり,婚姻3日目に紅袴に替えたことも認められる(いずれも群書類従29『婚記』第6巻による。)

*44:フォントがない場合のための注釈:[金章]。

*45:なお,後者の記事では,お付きの女房も濃袴であったことも描写されている。

*46:後深草院との初夜の前に,侍女から「白き三つ単」と「濃袴」を着るよう言われたとの記事がある。また,逆に言えば,それまで二条が濃袴を穿いていなかったことでもあるから,既婚未婚で区別する説に対する反例になりえる。さらに,二条が「濃袴を着ろ。」と言われただけでは,後深草院との初夜を予想できなかったことからすると,濃袴の使用は婚儀に限らなかったという意味で,ハレとケを問題とする説に対する反例にもなりえる。

*47:栄花物語 / 山中裕 [ほか] 校注・訳,新編日本古典文学全集33,小学館,414頁.

*48:たまきはる全注釈 / 小原幹雄〔ほか〕共著.- 東京 : 笠間書院 , 1983.2.- 10,44頁.

*49:また,『増鏡』に,後嵯峨天皇の五十賀において,「白袴」が用いられている例などもある。

*50:八條忠基『素晴らしい装束の世界−いまに生きる千年のファッション−』,誠文堂新光社,2005 , 70頁.

*51:外題「装束模様留書」,内題「女房装束之類寄書」,早稲田大学図書館・請求記号「ワ03 01409 0002」.

*52:群書類従 ; 第26輯 雑部 / 塙保己一‖編 / 続群書類従完成会 , 1960 , 471頁.

*53:故実叢書 / 今泉定介. -- 吉川弘文館,明32-39,第8巻.

*54:有職故實 / 林森太郎著.- 東京 : 文会堂書店,431頁.

*55:有職故実辞典 / 関根正直,加藤貞次郎. -- 改訂. -- 林平書店, 昭15,314頁,704頁.

*56:装束甲冑図解 / 関根正直‖著 / 協同出版 , 1968,121頁.

*57:なお,『筆の霊』巻3-10には,「裳著」において「濃袴」を穿くとする記述がある。しかし,『筆の霊』は同じ項で,「是を濃き袴と言ういふ,古き名にて,紅の色濃きよしなり,又紅の袴とか,張袴ともいふ」「あかあき裳は,こき袴にて」など,濃袴と紅袴を区別しておらず,「著袴」において,紅袴を用いたという事実に反するものではないであろう(故実叢書29,新訂増補/故実叢書編集部 明治図書出版,80頁・88頁.)。

*58:廣文庫 / 物集高見著. - 東京 : 廣文庫刊行會,1927,第16冊,820頁.なお,同頁にある『千代鏡』も,ほぼ同じ見解を述べる。

*59:ところで,16歳の年の行われる「鬢削ぎ」という儀式についても,「此の日より・・・緋の袴裳をめすなり」(『千代鏡』)とされることがあり,これと「著袴」との関係は良く分らない(古事類苑/神宮司庁古事類苑出版事務所編,明29-大3,礼式部1,539頁)。

*60:実際,『内院年中行事』は,前注の「鬢削ぎ」について,「姫宮十五歳までは御袴黒也,御十六歳六月十六日,御びんそぎより御袴赤なり」とする。ただし,黒い袴というのは,ほとんど他に例を見ず,不審である(古事類苑/神宮司庁古事類苑出版事務所編,明29-大3,礼式部1,531頁)。

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