「心の闇」について
『文藝春秋』2006年6月号に,評論家・エッセイストの坪内祐三氏による「『心の闇』の本当の意味を教えてあげよう」(人声天語・連載37)と題するコラムが掲載されていた。
論旨を要約すれば,「ここ数年,安易に『心の闇』という言葉が使われるが,判断停止が隠蔽されてしまっている。『心の闇』とは,もっと複雑な陰翳を持った人間的な言葉であったはずである。私は,動物的な暴力を『心の闇』という言葉でごまかしたくない。」ということのようである。
そして,「『心の闇』という言葉の用例で私が知るもっとも古いもの」として,尾崎紅葉の恋愛小説『心の闇』(1893)を挙げ,その梗概を紹介した上,「『心の闇』とはこんなに深い言葉なのだ。」と結ばれる。
その論理展開は不明瞭であり*1,ただの衒学趣味のようにも思われる*2。しかし,衒学趣味にすぎないとしたら,それは全く成功していない。例えば,在原業平(825−880)の作とされる歌がある。
- かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは世人さだめよ(古今・恋3・644*3)
これは全くの一例であり,古来より「心の闇」という言葉は,「恋情に惑乱する心」「煩悩に迷妄する心*4」「子供に執着する親心*5」など,理性の光を曇らす情動の比喩として,広く知られた歌語である*6。言葉の沿革を論じようというのであれば,ちょっとした辞書を引いてみるくらいのことはしたいものである。
ただし,伝統的な「心の闇」は,闇夜で道に迷ってウロウロしている状況に喩えるべき心理のことである。これに対し,現在の「心の闇」は,外部から窺い知ることができず,場合によっては自分さえも気付かない,心の奥底に溜った澱のようなイメージで用いられているように思う。そして,これは無意識の存在など,近代的な心理学,精神医学を前提にした発想であるように思う。その意味で,直ちに前者から後者が生まれたとはいえないであろう。
いずれにせよ,紅葉のいう「心の闇」は,古くから知られた「恋情に惑乱する心」を意味する用例の系譜を外れるものではないというべいである。確かに,紅葉の『心の闇』には,現代風のストーカーじみた行為も描写されるが、やはり現代の用例からは遠い*7。
現代的な「心の闇」の用法に繋がる初期の例を探すとすれば,例えば,松永延造『職工と微笑』(1928)がある。その描写は,近代的な心理学,精神医学的な発想を前提としているように思われる。
娘は家の裏へ逃げて行った。私は緊張の後の疲れを感じて、淋し相に店の方へ帰った。
ああ何と云う悲しい陰惨な計略!
私は闇を歩き乍ら、自分を憐愍して、女のように嘆いた。本当に電柱へ縋って嘆いたのであった。
全体之は何であるか? 私は何を悩み、何を為しつつあったか?
私には全く反省力が欠けているのか?
否、私は自分の心の闇を見詰めるのが恐ろしいのであった。然もそれは結局発かれずに済まされないものだった。
私は静かに注意力を集め、見る可きものを指摘せねばならない。分っている。私が本来望んでいるのは女性を虐待する事ではなかったではないか。妹のための復讐! それが初めでもあり、終りでもある唯一のそして重要な予定ではなかったか?
皆分って了っている。今更弁解は一切不用であろう。分っている。実に、人々よ。鬱積せる復讐心、満たさるる事なき一つの願望、それが目的の道を閉ざされた時には、必ず曲った方向へ外れて行かねばならない。
精神分析家はそんな傾向から来る悪い行為を「復讐の代償」と呼ぶが好い。私は実に新しい相手へ向って無意識的に「代償」を実行したに相違ないではないか。自分の苦悩を軽減するために、他人の苦悩するさまを見て楽しむとは……ああ、それは虎にも獅子にも具わっていない特異なる残忍性の発露である。私が男らしくなく泣き崩れ、何処にも救いを見出せない闇の中を這い廻ったのは、以上の事に気附いたからであった。
そして,現在の用法の直接的な系譜としては,飯橋明宏『霊感商法が映し出した心の闇』(『世界』1987年7月号,堂8月号),春日武彦『心の闇に魔物は棲むか 異常犯罪の解剖学』(1996年3月),鈴木光司『心の闇 オウム事件と家族の問題』(『海燕』1996年9月号)などを挙げることになるのであろう。
*1:議論の前半では,「心の闇」という言葉で判断停止し,真相追求を放棄してしまう欺瞞が問題であるとする。しかし,氏自身が「はたして彼はどんな『心の闇』をかかえていたのか」と言うように,その「心の闇」の具体的内容を追求するのであるから,判断停止とは言い難いのではないか。
*2:もちろん,私は,衒学的であることを否定的に評価しない。私の『雑記』の9割は衒学である。
*3:ちなみに,この歌は,有名な『伊勢物語』「狩の使」において,末句が「今宵さだめよ」という形で利用されている。
*4:細川幽斎(1534−1610)「けふのこよひ心のやみもはるばかり光をそへよ法のともし火」(衆妙集/1588年)。
*5:藤原兼輔(877−933)「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(後撰集・雑1・1102)。
*6:単に「闇」というだけであれば,中臣宅守「逢はむ日をその日と知らず常闇にいづれの日まで我れ恋ひ居らむ」(万葉集15・3742)というものもある。
*7:単に犯罪について「心の闇」という単語を用いるのであれば,十返舎一九(1765−1831)『雑談紙屑籠』が先行する。紅葉の『心の闇』には遅れるが,伊東桜州『心の闇』(1910)なども,強盗を計画したことを「心の闇」と表現してる。