刑法には「人を殺してはいけない。」と書かれている。

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上記の記事タイトルのような言い方も,「法律は《技巧》の上に成り立っているので」,「法律に不慣れな人は,下手に法律を持ち出して議論しない方がいい。」ということを例証するためのキャッチーなコピーとしては間違っていないのであろう。

しかし,これが単なるトリビアを超えて,一般的な意味で流通してしまうのも困るので,念のため注釈を加えておくと,法解釈学の正統によれば,刑法には「人を殺してはいけない。」と書かれていることになっている。

刑法の殺人罪の規定(刑199条)は,「人を殺してはならない」という,殺人を禁止する規範を内容とするものである。刑法は,この規範により,殺人行為がやってはならない行為であるとする(法の立場からの)評価を明らかにし,国民(すなわち規範の名宛人)に対し殺人行為を行わないよう呼びかけている。もっとも,刑法199条に「人を殺してはならない」とはっきり書かれているわけではない。この規定は,直接には,殺人罪という犯罪の要件とこれに対する刑の内容を定めているにすぎない。それは,裁判官に対し,いかなる行為が犯罪であり,これにいかなる刑を科すべきかを示したものであり,その意味で裁判規範である。刑法は,「人を殺してはならない」という国民に向けられた行為規範の存在を暗黙の前提として,これを国民に守らせるため,行為を犯罪とし刑を科すための裁判規範を定めている。

(井田良『基礎から学ぶ刑事法』〔第2版〕・33頁・一部編集((井田良『基礎から学ぶ刑事法』〔第2版〕,有斐閣,2002年4月.)

学説によってニュアンスの違いはあるかもしれないが,少なくとも,殺人という行為が,法律上,価値中立的な行為である理解するものはないであろう。そうであるからこそ,人を殺害しようとする行為は,当然に,正当防衛における「不正の侵害」(刑法35条)にあたるのである。

したがって,刑法の条文のみを読んで,「刑法には『人を殺してはいけない』とは書かれていない。」と大まじめに主張してしまっては,それこそ「シロウト」の解釈と一笑に付されてしまうであろう*1

ところで、前掲記事は,刑法の条文に,「〜してはならない。」という禁止規定がない理由を,「個々人の行動を国家が直接に制御することは難しいから」,「間接的ながら不利益を用意しておくことで,ある行動に出ることを思いとどまらせようとしている」と説明する。

しかし,それは罰則規定を設ける理由であって,禁止規定を置かない理由にはならない*2。現に,同記事も脚注で紹介するように,禁止規定を明記した上で,罰則規定を置く法律は多数に上る。

有力な見解は,刑法の条文に禁止規定がないのは,刑法で禁止される各行為が,敢えて禁止規定を明記するまでもなく,許されない行為であることが明らかであると説明する*3

しかし,刑法においても,堕胎罪(刑法212条以下)のように,許されない行為といえるのか議論があるもや、変死者密葬罪(刑法192条)のように,単なる行政取締規定にすぎないといえるものもある。

そうすると,一定の行為に「刑罰」が科せられる以上,それが法律によって禁止される行為であることは明らかなのであって,「〜してはならない。」という文言を用いるかは,歴史的な沿革や,立法技術上の問題にすぎないと考えるのが妥当ではなかろうか。

*1:もとより,法哲学のレベルに遡り,例えば,功利主義的法理論のような考え方をベースにすれば,「刑法には『人を殺してはいけない』とは書かれていない。」という主張をする余地はあろう。しかし,その立場からは,仮に,刑法の条文に「第199条 人を殺すなかれ。」と書かれていたとしても,それでも,「刑法には『人を殺してはいけない』とは書かれていない。」と主張することになるから,ここでの議論の前提からは離れてしまう。

*2:ちなみに,古代中国の刑法である唐律などにも,禁止規定がなく,罰則規定だけがみられる。しかし,その理由は,唐律が,国民に対する命令ではなく,裁判官に対する命令であるにすぎなかったからと考えられている。

*3:井田良『基礎から学ぶ刑事法』〔第2版〕33頁以下,前田正道『ワークブック法制執務』〔初版〕201頁以下。

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