有終の美

歴史の授業で,吉野作造の「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」という論文の名を聞いて以来の疑問は,「人生有終の美」などというように,「憲政有終の美」を飾ってしまっては,憲政が「終わってしまう」のではないかということである。f:id:hakuriku:20181028100922p:plain:right:w150

そこで,吉野の当該論文を見ると,「憲政は憲法の制定を以て始まる,けれども其有終の美を済すには実に国民の多大の努力奮闘を要する」*1とある。「単純なる憲法の発布,単純なる議会の開設は,それ丈で以て直ちに人民の権利自由を完全に保障し,我らの生活を十二分に幸福に為し得るものではない」*2が,憲法の精神である「民本主義*3に基づき,「現在の制度に幾多の改善を加え,且つ其運用を適当に指導するときは,自由の保障,幸福の増進という本来の理想を実現すること」*4も不可能ではない。吉野の「憲政有終の美を済すの論は実に此説に根拠して」*5いるというのである。

辞書を紐解くと,「有終の美」の語義には,「最後までやり通して,立派な成果をあげること。」*6というものもあるようである。そうすると,例えば,「『憲法制定』という行為は,単に憲法の発布に留まらず,憲法の理想を現実のものとしてこそ,『最後までやり通し』たといえるのであり,それが『其有終の美を済すの途』である。」ということであろうか。「憲法制定」の時代が有終の美を飾って終わり,今度は「憲法政治」の時代が始まるというイメージである。

しかし,吉野によれば,「憲政」は,憲法の制定により始まるものであるが,「憲政有終の美」の実現により,「自由の保障,幸福の増進という本来の理想」が現実のものになっても,そのような社会もまた「憲政」であるというようなのである*8。「憲政1.0」の時代が有終の美を飾って終わり,今度は「憲政2.0」の時代が始まると理解するのであろうか。それとも,当時は,このような「有終の美」の用法が一般的であったのであろうか。

*1:吉野作造選集』第2巻(岩波書店)・21頁。

*2:前気書・20頁。

*3:前掲書・22〜23頁。

*4:前掲書・21頁。

*5:前掲書・21頁。

*6:『日本国語辞典』〔第2版〕/有終の美。

*7:吉野作造 [著],山田博雄 [訳]『憲政の本義、その有終の美』(光文社古典新訳文庫).2019年11月8日,光文社.

*8:吉野は,以上の議論の前提として,「憲政,則ち立憲政治」(前掲書・11頁)とは,実質的な意味での憲法により,「我々の権利自由が保護せらるゝ政治」(前掲書・14頁)であると定義している。

*9:この用法は、高橋是清が大正13年1月16日に発表した声明書に対する解説(「高橋政友会総裁声明書の釈明」)のなかに表れる。この解説は、国民新聞に連載されたものが初出のようであるが、同年3月に発行された「政戦パンプレット」という小冊子にまとめられており、引用部分は5頁~6頁に相当する。政友会の機関紙である『政友』の同年4月号(279号)にも収められているようである(未見)。

*10:小泉は、本文に引用した部分に先立ち、「世に謂う憲政有終の美」という言い方をしている。そして、それを実現する方法は、「憲法の条章に則り議会の権能を発揮する事」にあるが、それが十分でないため「大正維新の要求が起こった」とする(前掲冊子4頁~5頁)。

*11:なお、前掲冊子177頁には、「先帝の御遺業たる憲政有終の美を済し」という表現がある。これは「「先帝の御遺業たる憲政」の「有終の美を済し」ということであろうか。同冊子は、「選挙のパンフレット」(同冊子のまえがき1頁)であり、勢いで語っている部分もあると思われるので論理的に分析しにくい部分がある点は注意が必要であろう。

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