江戸時代の「北陣」について
下橋敬長『幕末の宮廷』(東洋文庫・62頁)には,江戸時代においても,朝廷において,平安時代に行われていた「着鈦政」を「北陣」と称し,斬首刑の真似事をするという年中行事があったことが説かれている*1。
すなわち,勢多,町口など検非違使が,正月7日,参内殿の庭先に設けられた北陣に列し,「コウベ」と呼ばれる罪人役に斬首を申し渡す。そして,「コウベ」は,実際に首を斬られる代りに,その烏帽子を梅の枝(梅楉)で叩かれ,走って退出するというものである。
文字通り「儀礼」にすぎないが,「これが済まぬことにおきましては,京都の町奉行所で,徳川さんの方での裁判ができぬのであります。」(同書・63頁)というのであるから,大したものである。もちろん,例えば,朝廷が,これを本気でサボタージュしたとしたら,徳川家は,それに構わず司法権を行使したであろう。しかし,前記のように観念されていたとすれば,そのことは重要である。現憲法にいう国事行為に似るところがあるかもしれない。
なお,「コウベ」の役は,毎年,特定の者が担当していたようである。世襲なのかは定かでないが,百姓身分であり,蔑視されていたわけでもなさそうである。