元号の変わり目(4)
第4.過渡期の一世一元の制 − 明治
1.明治改元の特殊性
明治という元号は,一世一元の制を前提としない前近代の元号と一世一元の制を前提とする近代の元号の過渡期に位置し,少し特殊な性格を有する。というのも,明治の改元詔書は,慶応以前の改元と同様,「改慶応四年為明治元年」という年単位の記載により,年始説による余地を残しつつ,同時に,「一世一元以為永式」という一世一元の制の宣言により,大正以降の改元との理論的整合性を要求するからである。
ここに至って,一世一元の制を理由に,大正,昭和改元について新帝即位時説をとる見解は,何らかの手当をする必要がある。なぜなら,明治天皇の即位は,慶応2年12月25日であり,明治改元は,慶応4年9月8日であるから,新帝即位時説をそのまま採用すると,慶応2年を明治「マイナス」2年と呼ばなければならなくなってしまうからである。
2.一世一元の制の例外とする見解
前掲大正7年司法省法務局長回答は,明治改元について,新帝即位時説を維持しつつ,独自の論理をもって,明治「マイナス」2年問題を解決し,年始説と同じ結論に至る*1。
すなわち,明治改元の詔書は,一世一元の制をとることを明らかにしたものであり,一世一元の制である以上,「治世ノ始」である慶應2年に遡って,明治元年と称するのが原則であるが,同詔書は,同時に,「改慶応四年為明治元年」としているところ,その趣旨は,明治に限っては,「治世ノ始」ではなく,慶応4年までにしか遡らないという例外を定めたものと理解すべきというのである。
そして,本来であれば,慶応2年12月25日まで遡ることが可能であったというのであるから,まして,慶応4年1月1日まで遡ることができるのは当然であり,したがって,年始説と同じ結論に至る。
3.一世一元の制を適用しない見解
これに対し,一世一元の詔書は,明治元年9月8日付で出されているから,一世一元の制の趣旨は,それ以降の出来事,すなわち明治と大正,大正と昭和の変わり目に適用があるのであり,それ以前の出来事,すなわち慶応と明治の変わり目に適用はないとする考えもありえる。
例えば,前掲大正6年大阪区裁判所監督判事問合は,明治と大正の変わり目については,「明治元年九月八日ノ詔書ニ依テ御一代一元ノ旨被 仰出タルニ基ク」として改元日説をとりつつ,慶応と明治の変わり目については,大正改元と別個に検討しているから,明治改元について,一世一元の制の趣旨は適用されないという考え方であると理解することができる。
ちなみに,同問合は,明治改元の詔書の文言を検討した上,法律の効果を遡及させるには特別の規定が必要であるところ,同詔書の文言からは,必ずしもその趣旨を読み込むことはできないとして,結論として,改元日説に好意を示す。年始説による取扱は,「何等根拠ナク只年数ノ算定上ノ煩ヲ避クル便宜」にすぎないのではないかというのである。
4.一世一元の制とは無関係とする見解
慶応以前について,改元日説をとるのであれば,一世一元の制や改元詔書の文言とは無関係に,明治改元についても,何の問題もなく改元日説によることができる。前掲大正7年内閣書記官長回答*2,前掲昭和42年福岡連合戸籍住民登録事務協議会決議は,明治改元について,慶応以前についてと特に差異を示すことなく,改元日説によるとの見解を示す。
また,詔書の文言のみを重視するのであれば,一世一元の制とは無関係に,明治改元の詔書に「改慶応四年為明治元年」とある以上,年始説によることになる。前掲大正元年9月9日文部省図書局照会,前掲高橋「明治天皇崩御は『大正元年』」*3は,詔書の文言から当然に年始説を導く。