冬紅葉
「春の桜に秋の紅葉」といえば,日本人の季節感を代表するものである*1。しかし,実のところ,紅葉は,どちらかというと「初冬」の風物である。
例えば,今年の紅葉情報を見ると,嵐山や嵯峨野,三千院の紅葉の見ごろは,11月中旬ころからとされている。他方,今年の旧暦10月1日は,新暦の11月11日に当たり,二十四節季にいう立冬は,新暦の11月8日に当たる。伝統的な観念によれば,旧暦の10月から12月まで,または立冬から立春までが「冬」であるから,現実の紅葉は,「冬」に入ってから色付くのである。
もちろん,歳時記というのは観念の問題であるから,現実の紅葉情報と照らし合わすことは,必ずしも意味のあることではない。しかし,規範的な季節感を代表するはずの勅撰集において,紅葉の歌が,冬の部立に分類されていることは珍しくない。最初の勅撰和歌集である『古今集』では,紅葉の歌は,一首を除き*2,秋の歌として分類されていたのであるが,次の『後撰集』以降,相当数の「冬の紅葉」が現れるようになる。
- 神な月限とや思もみぢ葉のやむ時もなく夜さへに降る(巻8・冬・456・読人不知*3)
- 人住まず荒れたるやどを来て見れば今ぞ木の葉は錦織りける(巻8・冬・458・藤原仲平*4)
- 涙さへ時雨にそひてふるさとは紅葉の色も濃さまさりけり(巻8・冬・459・伊勢*5)
この点について,『後撰集』以後,「散る紅葉」が冬の景物としても定着したとする理解もある*6。しかし,冬の紅葉の歌は,必ずしも「散る紅葉」に限られない。
- 神無月しぐるゝまゝに暗部山したてるばかり紅葉しにけり(金葉集・巻4・冬・274・源師賢*7)
- 神無月時雨ふるらし佐保山の正木のかづら色まさりゆく(新古今集・巻6・冬・574・具平親王*8)
- 神無月もみぢにふれる初雪はをりたがへる花かとぞみる(玉葉集・巻6・冬・893・弁乳母*9)
他方,秋の紅葉の歌にも,「散る紅葉」を歌うものは珍しくないのであるから,「散る紅葉」のみを冬の景物とすることもないであろう。
- 秋の夜に雨と聞えて降る物は風にしたがふ紅葉なりけり(拾遺集・巻3・秋・208・紀貫之*10)
- 惜しめどもよもの紅葉は散果てゝなせぞ秋の泊なりけり(金葉集・巻3・秋・273・藤原公資*11)
- 秋深み紅葉おちしく網代木は氷魚のよるさえ赤く見え鳬(詞花集・巻3・秋・135・紀貫之*12)
王朝物語の世界を見ても,冬の紅葉は珍しくない。『伊勢物語』の第81段は,「十月のつごもりがた」に「紅葉のちぐさに見ゆる」とし*13,『源氏物語』の紅葉賀は,「神無月の十日あまり」の行幸を「紅葉賀」と題し*14,『狭衣物語』の平野の行幸は,「十月かみの十日」に「紅葉さかり」であったとするなど*15,冬の紅葉が,何の違和感もなく描写されている。
しかるに,「秋の紅葉」という理解は根強い。おそらく,現代人の感覚からすると,新暦9月〜11月ころが秋であり,新暦11月に紅葉狩りをすることと「秋の紅葉」という慣用句との間に,何の矛盾も感じないのであろう。
*1:「冬紅葉」という季語は紅葉が秋のものであることを前提とするものである。
*2:巻6・冬・314・読人不知「竜田川錦おりかく神無月しぐれのあめをたてぬきにして」(国歌大観・歌集部・7頁)。
*6:秋山虔『王朝語辞典』44頁。もっとも,同書には,「『後撰集』以後に時雨が冬の景物となるとともに,その時雨と結びついた紅葉は広く冬の景物としても定着していった。」とする記載もある(同頁)。
*7:国歌大観・歌集部・119頁。
*8:国歌大観・歌集部・182頁。
*9:国歌大観・歌集部・382頁。
*10:国歌大観・歌集部・59頁。
*11:国歌大観・歌集部・119頁。
*12:国歌大観・歌集部・133頁。
*14:新編古典文学全集20・311頁。
*16:もっとも,この歌は,紅葉が,本来は「秋の色」であることを前提とするものである。
*17:国歌大観・歌集部・382頁。