近ごろの若いもん・エジプト編⑷

日本における「近頃の若い者は…」の初出は、柳田国男の「昔風と当世風」と題される講演(昭和2年)*1であると思われる*2。柳田は、「中期王朝の一書役の手録」に同趣旨のことが書かれていると、「英国のセイス老教授」から聞いたというのである。

此話題(引用注:「昔風と当世風」という話題)はそれ自身が如何にも昔風だ。…(中略)…先年日本に来られた英国のセイス老教授から自分は聴いた。曾て埃及の古跡発掘に於て、中期王朝の一書役の手録が出てきた。今からざつと四千年前とかのものである。其一節を訳してみると、斯んな意味のことが書いてあった。曰く此頃の若い者は才智にまかせて、軽佻の風を悦び、古人の質実剛健なる流儀を、ないがしろにするのは歎かわしいことだ云々と、是と全然同じ事を四千年後の先輩もまだ言って居るのである。

同書の存在は、Dain氏が、「最も古い「最近の若者は…」のソース」(わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる)が夙に指摘されているところであるが、同氏によれば、「英国のセイス老教授」とは、Archibald Henry Sayce教授(1845-1933)のことであるという。しかし、セイス教授の著書をいくつか眺めてみても、典拠となるような記述を発見することはできなかった。もちろん、すべてを網羅して調べたわけでもないのであるが、実際のところ、網羅的に調べるには、私の時間と能力が足りない。

そこで、「英国のセイス老教授」の線は諦め、もうひとつの手がかりである「中期王朝の一書役の手録」という部分に着目してみることにする。この観点からすると、先に引用したパピルスライジングの文句が、第20王朝の「書記」(埃 ssh, sesh)の書いた文章として、その候補に挙がる。

  • 若者よ、なんとおまえはうぬぼれていることか、おまえはわたしが話すとき、聞こうともしない。パピルス・ランシング*3

しかし、上記文言は、セイス教授のいう「此頃の若い者は才智にまかせて、軽佻の風を悦び…、古人の質実剛健なる流儀を、ないがしろにするのは歎かわしいことだ」という文句とは離れすぎており、意訳にしても同一のものとは考えがたい。なによりも、エジプト第20王朝は新王朝に分類されるのであり、柳田のいう「中期王朝」という限定に反する。そして、そのほか中期王朝近辺のパピルスの訳文を探しても、私の能力の及ぶ範囲では、それらしき文言を発見することはできなかった。

もちろん、この柳田=セイス説を積極的に否定する根拠もないのであるが、確実な典拠として示し得るのは、「柳田國男が言っていた。」というレベルのことか、頑張っても「アーキバルド・ヘンリー・セイス教授が言っていた。」という程度のことにしかならなさそうである。
続く

*1:講演の時期については、必ずしも判然としない。『柳田國男全集』第9巻(筑摩書房)・676頁以下を参照されたい。

*2:柳田國男全集』第9巻(筑摩書房)・445頁所収、底本は創元選書『木綿以前の事』(昭和14年)である。また、題名を同じくする同趣旨の講演が、大正13年の『全国関西婦人聯合会』第1号(全集26巻・244頁所収)、昭和4年の『家の光』第5巻・第10号(全集28巻・161頁所収)にも収められており(ただし、後述するセイス教授の名前は出てこない。)、柳田が、この話題を各所で披露していたことが窺われる。

*3:Papyrus Lansing, Buritish Museum, P.BM 9994. 訳文は、杉勇ほか訳「古代オリエント集」(筑摩世界文學大系1)・646頁による。同書は、同訳文部分の出典として、A. Gardiner, R. A. Caminos, Late Egyptian Miscellanies, London, 1945を掲げるのみでが、Miriam Lichtheim, Ancient Egyptian Literature, Vol.2, University of California Press, 1973, p168により、出典を確認した。

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