近ごろの若いもん・エジプト編⑸

実は、「近ごろの若いもん」のソースを知るための確実な方法と思われる手段がある。吉村作治教授に聞くのである。同教授は、『古代エジプト“人生”の遺産』という著作において、古代エジプトの教訓文学を紹介しているのだが、その最後を以下のように締めくくる。

 傑作なのは、「今どきの若いもんは……」と愚痴をこぼしている記述だ。若者が老人を大事する社会であったことは間違いない。しかし、老人にしてみれば、若者世代のありようには我慢できないことも多かったのであろう。
 古代エジプトも現在も、世代間のギャップというのは同じように存在したのかもしれない。

しかし、残念ながら、吉村教授に同記述の典拠を聞いてみても、我々の望むような答えが出てこない可能性がある。というのも、同書に紹介される他の教訓文学は、「ビールを飲み過ぎてはならん。飲み過ぎると、汝の知らないうちに意味のわからぬ言葉が口から出る。」(133頁)のように具体的に記載されているのに対し、上記「今どきの若いもん」に限っては、具体的な引用がないからである*2

単に、老人の若者に対する愚痴というだけであれば、前掲『パピルス・ランシング』の「若者よ、なんとおまえはうぬぼれていることか、おまえはわたしが話すとき、聞こうともしない。」という文句でも十分である*3。吉村教授のいう「今どきの若いもんは……」も、その程度の記述である可能性がある。

この推測には、傍証がある。松村弥『物語 古代エジプト人』は、「いつの時代にも『今時の若い者は』という嘆息が老人の口からもれていたようである。」(170頁)とした上、以下の文句を引用する*4

  • 酒に酔った老人には手を貸し、子供のように彼を敬いなさい*5
  • あなたよりも年老いた者を呪うな。彼らはあたなよりも先に太陽神ラーを見たからだ*6
  • あなたは手を胸に置き、老人があなたを打つがままにしておきなさい。黙っていなさい*7
  • あなたよりも年上の者、地位が上の者が立っているとき、坐ってはなりません*8

すなわち、エジプトを専門とする者が、エジプト文学のなかから、「今時の若い者は」に相当する文句を探そうとしても、この程度のものしか見つからないということが窺えるのである。吉村教授のいう「今どきの若いもんは……」についても、せいぜい上記程度のものにすぎなかったのではないかと推測されよう。
続く

*1:吉村作治古代エジプトの“人生"の遺産』(プレイブックスインテリジェンス),青春出版社,2002.5,136頁。

*2:ちなみに、「ビールを飲み過ぎてはならん」云々の記述は、『アニの教訓』第13節から引用されたものであることを確認することができる(杉勇ほか訳「古代オリエント集」(筑摩世界文學大系1)・539頁。)。

*3:Papyrus Lansing, Buritish Museum, P.BM 9994. 訳文は、杉勇ほか訳「古代オリエント集」(筑摩世界文學大系1)・646頁による。同書は、同訳文部分の出典として、A. Gardiner, R. A. Caminos, Late Egyptian Miscellanies, London, 1945を掲げるのみでが、Miriam Lichtheim, Ancient Egyptian Literature, Vol.2, University of California Press, 1973, p168により、出典を確認した。

*4:松本弥『物語古代エジプト人』(文春新書),文芸春秋,2000年3月,170〜171頁。

*5:『アメンエムオペトの教訓』第26章からの引用と思われる(杉勇ほか訳「古代オリエント集」(筑摩世界文學大系1)・558頁)。

*6:『アメンエムオペトの教訓』第27章からの引用と思われる(杉勇ほか訳「古代オリエント集」(筑摩世界文學大系1)・558頁)。

*7:『アメンエムオペトの教訓』第27章からの引用と思われる(杉勇ほか訳「古代オリエント集」(筑摩世界文學大系1)・558頁)。

*8:出典を見つけることはできなかった。ちなみに、『アメンエムオペトの教訓』第26章には目上の者と席を同じくするなという文句がある(杉勇ほか訳「古代オリエント集」(筑摩世界文學大系1)・558頁)。

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