法律用語としての「追行」考 〜何を追いかけるのか〜

第1 序章

法律関係では,「手続を『追行』する」という表現を用いることがある。要するに,訴訟手続のために必要な訴訟活動すること全般をいう*1。しかし,そうであるとすると,「行」の字はともかく,「追」の字の部分が,いかなる意味を担っているかとの疑問が生じる。

国語辞典で「追行」という語を引くと,「つづいてあとから行うこと」,「追いかけて行くこと」などとして,「追」と「行」の両方の字義を踏まえた定義がなされている*2。しかし,法律用語としての「追行」に,そのような含意はないように思われる。

そこで,その由来を紐解いてみることにする。結論からいえば,この言葉は,元来,「つづいてあとから」というニュアンスを込めて翻訳,造語されたものであるが,その後の転用を経て,現在のような意味合いのものとして定着してしまったものということになるようである。

第2 淵源 〜Verfolgung〜

 明治民事訴訟法82条1項

法律用語としての「追行」は,明治民事訴訟法(明治23年法律29号)に遡る。同法82条1項は,訴訟費用の裁判を争うことができる場合として,「本案ノ裁判ニ対シ許ス可キ上訴ヲ提出シ且ツ追行スルトキ」*3と定めていた。この用例は,法律用語としてのみならず,日本語としての「追行」の用例としても初出である可能性がある*4。そこで,当時の司法省に設置されていた法律取調委員会の議事録から,「追行」という語が採用された経緯について,同法起草時の議論をみてみることにする*5

村田*6:「追行」は?
南部*7:「訴追」と同じです。*8
清岡*9:「訴追」とやるが宜しい。
山田*10:(裁判所)構成法で用いたから其の字を用いようではないか。
松岡*11:「訴追」は「続いて行く」のではあるまい。*12
今村*13:「続いて行く」と云うのです。*14
松岡:それなら「続行」と云わなければなりません。
三好*15:構成法が直らなければ,「訴追」としなければなりません。

【中略】

三好:「追行」の字,翻訳局に相談しましょう。
松岡:「追行」は「進んで行く」と云うのですか?
本多*16:「進んで行く」のです。
松岡:それでは,「提出ばかりでは良けんです。上訴を歩かして行く。」のですか?
今村:そうです。
渡邉*17:「訴追」と云う字は区々になって,商法では「追及」としてあります。
松岡:「駆逐する」*18と云う字で,「裁判所で兎猟をする」と云う字だろうと思って居ります。*19
箕作*20:フランスでは「追い駆ける」と云う字で御座います。今の御議論のある処はフランスの「poursuite」と云う「権利を拡張する」と云うので「訴追」とやりましたので,「追」と云う字は張*21い意味があるのではない。「訴える」と云う位の意味に止って居ります。此処は「やったことを続けて往く」のと云うので御座いますから「訴追」とは区別を付けて戴きたい。
松岡:「続行」とは出来ませんか?
箕作:「続行」と云う様な字です。
尾崎*22:「追行」で良かろう。
渡邉:此処では余り必要な字ではないです。

これによれば,ここにいう「追行」は,「続いて行く」,「進んで行く」ことを意味し,単に上訴を提起する「訴追」とは異なり,「やったことを続けて往く」,すなわち,「上訴を歩かして行く」という文脈で了解されていたことになる*25。先行して上訴提起があることを前提に,それに「続けて」,訴訟行為を行うということであろうか。このような意味であれば,現代の国語辞典の載せる「つづいてあとから行うこと」という意味に繋がる。ただし,委員らの上記議論をみれば分かるように,この言葉遣いは当時の日本語として違和感があったようである。

委員らの違和感は,「上訴ヲ提出シ且ツ追行スルトキ」という文句が,ドイツ人顧問モッセ*26の原案「[wenn ein] Rechtsmittel eingelegt und verfolgt wird.」*27の訳語であったことに由来するのかもしれない*28。「追行スル」に対応する「verforgt」(<verfolgen)は,法律用語としては「訴追する」で定着しているが,一般には「追求する」,「追跡する」などと訳され,「(政策を追求し)実行する」,「(人を追跡し)ついて行く」との意味合いも有する。「追行」の「追」の字は,このような原語のニュアンスに引きずられて残っただけとも思われる。

とはいえ,「追」の字に,「追って書き」の「追って」に相当する意味,すなわち,「あとから」という意味合いを持たせることは不自然ではない。実際,他の法律用語にも,「追完」,「追認」など,「あとから」という趣旨で「追」の字を用いるものがある。そうすると,明治民事訴訟法82条の「追行スル」という語は,「追」の一字をもって,ドイツ語「verfolgen」のニュアンスを残すとともに,日本語の字義としても許容範囲にある「あとから」という意味を持たせた絶妙な訳語であったと評価することもできよう。

 明治民事訴訟法422条5号

明治民事訴訟法は,その422条5号においても,「別訴訟ヲ以テ追行ヲ為スノ権」*29として,「追行」の語を用いる。同条項は,前記モッセの草案ではなく,別のドイツ人顧問テヒョー*30の別案に由来するのであるが,その原文は「eine Einrede zur Verfolgung in einem besonderen Prozesse」(Art. 474)*31であるから,対応するドイツ語が「Verfolgung」であることに変わりはない。

そして,この条項の起草過程をみると,当初の翻訳*32では,「抗弁ヲ為ス」とされ,明治20年(1887年)の草案*33でも,「訴追ヲ為ス」とされたものが,明治21年(1888年)6月26日の草案*34に至り,「追行ヲ為ス」と修正されたという経緯が判明する*35。この時系列からすると,前節に示した同法82条1項に関する議論を経た結果,「Verfolgung」の訳語が「追行」に統一されたようにもみえる。

しかし,実際には,そのような単純な話ではない。その修正理由書には,「訴追」を「追行」と改めたのは,同条項にいう「別訴訟」を進めることが,「訴追ト云フ程の場合」ではないからであるという法理上の説明がされているからである*36。この説明の意義を理解するには,その前提として,ここにいう「別訴訟」の「本訴訟」に当たる「証書訴訟及び為替訴訟」の手続を知る必要があろう。

証書訴訟及び為替訴訟は,現行民事訴訟法にいう手形訴訟に類似した制度で,原則として書証以外の証拠方法を許さないなど(487条2項*37),簡易迅速に債務名義を得る手続である。被告は,これらの手続において敗訴判決を受けても,当該判決に対する上訴とは別に,同一審級における「続行手続」として,通常の訴訟手続で請求を争うことができるのが原則である(491条1項*38,492条1項*39)。

明治民事訴訟法422条5号の「別訴訟ヲ以テ追行ヲ為スノ権」とは,上記「続行手続」で請求を争うことができる権利をいう。この理解を踏まえ,法律取調委員会報告委員の小松濟治*40に先ほどの修正理由を敷衍させれば,「訴追」であれば,(新たな)「訴訟を起して仕舞うが此処はそうでない」,「為替手続で敗訴になったら当り前の手続」*41を続けるにすぎないから「追行」という語が選択したという説明になろう。

以上のとおり,明治民事訴訟法422条5号の「追行」は,新たに通常訴訟を提起する「訴追」とは区別されるものであり,為替訴訟手続の「続行手続」として当然に開始する通常訴訟手続を引き続いて行うことをいう文句として用いられていることになる。このような用法であれば,同法82条1項の「追行」について箕作麟祥が解説した「やったこと続けて往く」という趣旨を踏襲したものとして理解でき,現代の国語辞典の載せる「つづいてあとから行うこと」という意味にも通じる。

 人事訴訟手続法

明治民事訴訟法で確立した「追行」という法律用語は,同法と同時期に成立した婚姻事件養子縁組事件及禁治産事件ニ関スル訴訟規則(明治23年法律104号)においても,婚姻事件及び養子縁組事件について,「検事ハ自ラ訴ヲ起ササルトキト雖モ訴訟ヲ追行シ殊ニ独立シテ申立ヲ為シ及ヒ上訴ヲ為スコトヲ得」(17条)という形で採用される。同規則は,禁治産事件についても同旨の規定を置くが,そこでも「追行」の語が用いられる(22条3項*42)。

同規則に関する資料は少ないが,同規則の後身たる人事訴訟手続法(明治31年法律13号)が,同規則17条を「検察官ハ他ノ者カ訴ヲ提起シタル場合ニ於テモ申立ヲ為シテ訴訟手続ヲ追行シ又ハ上訴ヲ為スコトヲ得」(22条本文)という形で引き継ぎ,同規則22条3項の「追行」も同法45条1項の「追行」に引き継がれる*43。これらのなかで,「追行」の意義について,起草時に明快な議論がなされているのが同法22条本文についてである。

河村*44:本条は旧法の17条に当たります。此の訴えは最初から検事が提起することを得る訴えでありますから*45,他の者が訴えを起こしてそうして訴訟手続を中止した或いは中断の場合でも,其の場合に中途から検事が這入って訴えをする或いは上訴をすると云うことが出来ると云う規定であります。【後略】
*46:一寸申しますが,そうすると此の「追行」と云うことは,「他の者が一旦訴えを起こしておいてあと引き続きてやらぬときに,検事がやる。」と云うように承ったようでありますが【中略】訴えを起こした人間が訴訟が極めて下手である【中略】そう云うときは検事も一緒に為ってやることができるように為らないと具合が悪かろうと思いますが如何で御座いましょうか。
河村:其事は別に規定を置かぬでもそう云うことになろうと思います。【後略】
長谷川*47:私も此の「追行」と云う文字が分からぬから伺いますが今の御説明に依ってみると,もう最初の原告人が「止めよう」と言うからしてそれに出る場合を慮ったのでありますか。
河村:取り下げました場合は往けませぬ。
長谷川:取り下げる前の間と云うことはどう云うときを慮ったのでありますか。
河村:それは中止の場合或いは戦争でも起こって出られないとか其の他中止の原因は色々ありましょう【中略】又は中断の場合もあります【中略】そういう場合には検事が這入ることが出来る此の「追行」と云うのは余程広いことを言うつもりであります。
長谷川:そうすると中止して居る間も当然這入る云うことで為りはしませぬか【中略】訴訟が継続して居る間,其の間に自分が純粋の原告人に為るならば其の中止の場合でも当然明文を待*48たないで這入れはしないかと思います。
河村:それは少し違うと思います。明文がなくて出来ると云うのは,それは自分が別に訴訟を起こすと云うことに為ります。何時から訴訟を提起したかと云えば検事が訴状を出すときから。「追行」と云うことに為りますると訴訟は既に起こっている,それを引き継ぐと云うことも出来ると云うことになります【中略】期間が過ぎて居れば検事,別々訴えを提起することは出来ないが,「追行」と云うことになると期間を過ぎても出来ることになろうと思います。【後略】

(人事訴訟手続法議事速記録第1回,M31/5/4*49,表記平易化*50

長谷川の指摘は,要するに,検察官に訴え提起の権限がある以上,その後の訴訟手続をなす権限があることは当然の前提であり,敢えて本条を規定する必要がないのではないかというものである。そして,これに対する河村の回答は,検察官自身の訴訟提起権限の一環として訴訟行為をすると構成すると,訴え提起の期間制限等についても検察官の行為を基準時とすることになるが,本条の規定のように他人が提起した訴えを「追行」する権限の行使として構成すると,その他人の行為を基準時とすることができると説明するものと理解される。

これによれば,人事訴訟手続法22条本文に「追行」という語が採用されたのは,明治民事訴訟法422条5号と同様,新たに訴訟を提起する「訴追」ではなく,既に提起された訴えの訴訟手続を引き続いて行うという趣旨を含ませるためであったということができる*51。そして,このような意味合いは,これと同趣旨の規定である同法45条1項,これらの規定の前身である婚姻事件養子縁組事件及禁治産事件ニ関スル訴訟規則17条,22条本文における「追行」という語においても同様であったと考えて間違いなさそうである。

 小括

ここまでの経緯をまとめると,「追行」という語は,元来はドイツ語「Verfolgung」の訳語であり,日本の法律用語としては「つづいてあとから行うこと」という意味で採用されたものであり,明治30年代までの立法においては,特に新たに訴訟を提起する「訴追」とは区別し,既存の訴訟手続を引き続いて行う場合を指すために用いられていたということになる。

確かに,ドイツ語「Verfolgung」は,「追求」,「追跡」などといった意味合いを含む語であるから,「追行」の「追」という字も,このようなニュアンスで理解したくなるが,「追」という字は,「追って」(あとから)という意味合いで解釈することもでき,叙上のように,「追行」を「つづいてあとから行うこと」と理解したとしても必ずしも間違いということはできないであろう。

しかし,このような「追行」の用法は,現代の法律用語としての「追行」の語義と直ちに結び付くものではなく,むしろ,現代の国語辞典の載せる「追行」の語義の方に一致する。訴訟手続をすること一般を「追行」と称する現代の法律用語の由来を探るためには,もう少し時代を下り,講学上の用法を確認してみる必要がある。

第3 転用  〜Betrieb〜

 訴訟の追行

日本の大学で,最初に専門の教師として民事訴訟法を講じたのは,明治33年(1900年)に京都帝大教授となった仁井田益太郎*52である*53。仁井田は,当事者の訴訟行為を「訴訟の追行」,「訴訟材料の提供」,「訴訟上の法律行為」の3種に分類する。この「訴訟の追行」が明治後期からみられる「追行」の講学上の用法であり,ドイツ民事訴訟法学にいう「Prozeßbetrieb」(訴訟手続を開始進行させる訴訟行為*54)の訳語であろうと思われる*55。その初出として確認できるのは,日本法律学校(現・日本大学)における明治36年度(1903年度)の講義録である。

当事者ノ訴訟行為ハ其内容ニ因リテ之ヲ区別スレハ訴訟ノ追行訴訟材料ノ提供及ヒ訴訟上ノ法律行為ノ三種とナスコトヲ得ルモノナリ【中略】民事訴訟ノ開始後ニ其進行ヲ促カス行為ハ狭義ニ於テ之ヲ訴訟ノ追行と名ク而シテ当事者ノ負担スル訴訟追行ノ行為ハ判決送達ノ申立訴訟手続ノ中断後ニ於ケル受継又ハ訴訟手続ノ休止後ニ於ケル期日指定ノ申立等ナリ

このように,仁井田のいう「訴訟追行」は,「訴訟手続を開始進行させる訴訟行為」を対象とする。他方,「Prozeßbetrieb」の「Betrieb」は,一般的には「営業」,「操業」の意であり,「追」の義を含まない*57。思うに,仁井田は,この訳語を採用するに当たり,原語を直訳するのではなく,当時の現行法たる明治民事訴訟法から対応する用語を借用したのではなかろうか。そうであるとすると,明治36年(1903年)の時点で,「追行」の語から,「つづいてあとから」という本来の意味合いが忘れ去られてしまっていたということになる。

いずれにせよ,この訳語は,他の民事訴訟法の講義録等に引き継がれ,現在まで生き残る*58。実務においても,少し時代を下るが,大審院大正14年4月24日判決民集4巻5号195頁が,和解無効確認の訴えを許容した有名な判例において,「追行」という語を用いる。具体的には,「裁判上ノ和解ニシテ無効ナルニ於テハ…当事者ハ其ノ訴訟ヲ追行スルニ妨ナキ」などと説示され,そこにいう「追行」は,仁井田のいう「訴訟手続を開始進行させる訴訟行為」としての「訴訟追行」を意味すると理解して良さそうである*59

裁判上ノ和解ニシテ無効ナルニ於テハ…当事者ハ其ノ訴訟ヲ追行スルニ妨ナキコトハ論ヲ俟タスト雖裁判上ノ和解ノ無数ヲ主張スル者カ新期日ノ指定ヲ申請シ前訴訟ヲ追行セム【トシ裁判所】之ヲ許容シテ前訴訟ヲ追行セシメタリトスルモ裁判所ノ右ノ許否ニ依リテハ未タ以テ直ニ該裁判上ノ和解ニ依リテ生シタル法律関係ノ有効無効ヲ確定スルコト能ハサル次第ナルヲ以テ…前訴訟ヲ追行シ得ル途アルノ一事ヲ以テ直ニ確認訴訟ヲ提起スル何等ノ利益ナキモノト速断スルコトヲ得サルナリ

大審院大正14年4月24日判決民集4巻195頁,195頁)

また,仁井田は,別の体系書である『民事訴訟法要論』(1907年)において,「当事者追行主義」,「職権追行主義」などという語も用いる(上巻207頁〜208頁)。これらも,ドイツ民事訴訟法学の「Parteibetrieb(prinzip)」,「Amtsbetrieb(prinzip)」の訳語であろうと考えられるが,この訳も広く普及していくこととなる*60

刑事訴訟法学の方でも,最初にドイツ法学を体系的に導入した豊島直通*61は,明治38年(1905年)の『刑事訴訟法新論』において*62,「訴訟行為」の一類型として,「訴訟追行」という語を用いる(293頁)*63。これも前後の文脈からみる限り,ドイツ刑事訴訟法学における「Prozeßbetrieb」*64の訳であると理解される。

これらの用例における「訴訟追行」という概念の具体的内容は,必ずしも訴訟行為一般を対象とするわけではない。先に引用した仁井田によれば,それは期日指定の申立てなど,訴訟の進行を促す行為に限られることになる*65。しかし,このように「訴訟追行」という訳語が普及したことが,「つづいてあとから」の意味合いを離れ,訴訟行為一般を対象とする「追行」の用法の広まりに寄与したことは想像されよう。

ただし,この段階において,「Prozeßbetrieb」を「訴訟追行」と訳すことが完全に定着していたわけではないことも指摘しておく必要がある。例えば,明治44年(1911年)の富田山寿『最近刑事訴訟法要論』〔第三版〕は,「Prozeßbetrieb」に対し,「訴訟ノ進行」という訳語を採用することを明示する(550頁,555頁・注3)*66

 権利の追行

前節でみたように,明治後期以降,「Verfolgen」に由来する「追行」ではなく,「Betrieb」に由来する「追行」の用例が増加するようになる*67。しかし,この時期において,「Verfolgen」に由来すると考え得る「追行」の用例が見当たらないわけではない。

例えば,豊島は,「証拠決定ハ…証拠調ヲ順次追行セントスル訴訟指揮ノ命令タル」(前掲『刑事訴訟法新論』・552頁)とするが,豊島は,「訴訟指揮」と「訴訟追行」を区別するから*68,ここにいう「追行」は,「Betrieb」に由来するものでない。「順次追行」というのは,前の証拠調べに続けて後の証拠調べを行うということであるから,「Verfolgung」に由来する「追行」が有する「つづいてあとから」というニュアンスを意識していると考えることもできよう。

また少し時代は下るが,大審院昭和5年3月15日判決・民事判例集9巻6号371頁は,大正15年法律61号による改正後の明治民事訴訟法(大正民事訴訟法)が,「訴訟費用ノ裁判ニ対シテハ独立シテ控訴ヲ為スコトヲ得ス」(361条)と規定し*69,これが上告審にも準用されていたことについて(396条),以下のような説示をする。この説示に登場する「追行」は,明治民事訴訟法での表現を踏襲したものであり,「Verfolgung」に由来する「追行」であろう。

控訴審ノシタル訴訟費用ノ裁判ニ対シテハ本案ノ裁判ニ対スル上告ノ全部又ハ一部カ理由アルトキニ限リ不服ノ申立ヲ為シ得ヘキモノト解スルヲ正当トス…法典ニ所謂「独立シテ控訴ヲ為スコトヲ得ス」ト云フハ寧ロ本案ノ裁判ニ対スル上訴ノ全部又ハ一部ノ貫徹スル場合ニ限リ訴訟費用ノ裁判ニ対スル上訴ヲ追行スルコトヲ得ル趣旨ナリ

大審院昭和5年3月15日判決民集9巻6号371頁,372頁,373頁)

しかし,この時期の用例で注目すべきなのは,昭和7年(1932年)の宮崎一雄訳『独逸抵当制度論』が用いる「権利の追行」という表現である(242頁)。これはヌスバウム*70の原著にいう「Rechtsverfolgung」の訳語なのであるが*71,「追行する」の目的語が,明治民事訴訟法82条1項のように手続それ自体ではなく,手続の結果となる点に特徴がある。「追求」,「追跡」を意味する「Verfolgung」の本来の語義に即した訳例であるということができる。

このような意味での「追行」は,明治27年(1894年)の高木豊三『民事訴訟法講義』「訴訟行為カ直接ニ請求ノ追行ナル場合」(210頁)に遡ることができるが,この時期に至ると,「此の目的を追行」(大阪朝日新聞大正元年8月31日),「国防充実の政綱を追行」(大阪毎日新聞・大正7年12月24日),「国策追行の大決意」(国民新聞昭和9年1月24日)など,法律以外の分野でも広く使われるようになる。

宮崎が,明治民事訴訟法における訳例があることを意識して「権利の追行」という訳語を選定したのか,叙上のように単に広く使用されていた「追行」という用語を借りただけなのかは定かでない*72。しかし,「Rechtsverfolgung」は,その後,「権利の追行」と訳されるのみならず*73,文脈によって*74,「訴訟追行」とも訳されるようになる*75。「Betrieb」の出現にもかかわらず,「Verfolgung」は「追行」の原語たる地位を保ったといえる。

 手続の追行

しかし,種々の用例をみるに,「Betrieb」とも「Verfolgung」とも付かず,特段の定義なく,何気なく使用されているといわざるを得ない「追行」もある。そして,そのような「追行」のなかには,漠然と訴訟行為一般,訴訟活動全般を対象とし,現代の用法に通じる広い意義を有すると考え得るものが散見される。

例えば,前掲富田(1911年)が,「被告人ノ出頭ナケレハ其訴訟ヲ追行スル能ハサル」(547頁)というとき,これを「Verfolgung」と理解するのは難しい。どちらかというと「Betrieb」であるが,前記のとおり,富田は,これを「進行」と訳すはずである。広く訴訟を進行させること全般に対し,「追行」という表現が用いられていると考えざるを得ない。

また,大正13年(1923年)の中外商業新報の新聞記事には,調停の合議の秘密に関し,「傍聴を許さずして追行したる手続きは必ずしも秘密に亘ると云ふものではない」*76という法学博士が執筆した新聞記事が見付かる。ここでの「追行」も,大雑把に調停手続全般を対象とする言葉として用いられていると考えるのが相当であろう。

薬師寺志光『借地借家法論』〔改訂第五版〕(1932年)まで下ると,この点の揺れを示す面白い用例がある。次に引用するとおり,同書は,同一段落中に,訴訟の目的を目的語にとる動詞「追行」と訴訟行為を目的語にとる動詞「追行」とを並存させる。しかも,同時に,訴訟行為を「進行」させるとも表現するのである。

調停申立に因り、法律上、訴訟中止したるに拘らず、事実上裁判所が依然として訴訟手続を進行発展せしめ、当事者双方が、訴訟行為を進行して行くことは、争議を先ず調停に依つて解決せんとする法の要求に合しないことは明である。併し元来此規定は、調停に依る解決の方が訴訟に依る解決よりも、当事者に歓迎されるであらうと云ふ考量と、同一目的を追行する両手続の並行に因り生ずる手続の浪費を防止せんとする訴訟経済とから設けられたもので、両手続の並立が、性質上相容れないとか、又は公益を害するとか云ふ趣旨に基づき規定されたのではない。故に調停申立が受理された後、当事者が異議を述ずして訴訟行為を追行するときは、責問権の拋棄として、訴訟行為は有効となると解しなければならない。

前者の「追行」は,前掲宮崎のいう「権利の追行」と同じく,「Verfolgung」の原義に親和的であるが,後者の「追行」は,「Betrieb」の意味で理解せざるを得ない。その両方を兼ねる動詞「追行」の意味は曖昧であり,後者の「追行」と「進行」とが区別されているのかも判然としない。その意味内容が希薄化してしまっていることは明らかである。

翻って考えるに,前掲仁井田の段階においても,前記引用のとおり,「狭義ニ於テ之ヲ訴訟ノ追行と名ク」として,「広義」の用法があることが示唆されていた。これらの事実からすると,厳密に定義しない場合,広く漠然とした意味に「追行」という言葉を用いる事例は,早い段階から存在したのではないかとも推測されよう。

 小括

以上のとおり,「追行」という語は,明治後期以降,「Prozeßbetrieb」の講学上の訳語である「訴訟追行」の構成要素として広く普及するようになる。その語は,「Verfolgung」の訳語である明治民事訴訟法の用語を転用したものであり,昨今の「訴訟追行」という法律用語のひとつの淵源であるということはできる。しかし,この段階の「訴訟追行」は,訴訟行為一般を対象とするものではなく,直ちに現在の用法と一致するものではない。

また,このころ,「Rechtsverfolgung」という語が,明治民事訴訟法の「Verfolgung」の訳例を流用し,或いは,それとは独立の訳語として「権利の追行」と訳されるようになる。この語も,現代において「訴訟追行」と訳されることがあり,昨今の「訴訟追行」という法律用語のもうひとつの淵源である。しかし,あくまでも「権利」を目的語とする「追行」であり,「手続」を「追行」するという現在の「訴訟追行」そのものではない。

現在の用法のように,広く漠然とした「追行」は,明治後期から昭和初期ころ,カジュアルに用いられる用例のなかから生じたとみざるを得ない。前記「Rechtsverfolgung」や「Prozeßbetrieb」に由来する「追行」の用法が普及するに応じ,このように厳密な定義を意識しない一種の「誤用」が生じることは避けがたい。しかし,その「誤用」の定着に当たっては,もうひとつ重要なステージがあったと思われる。すなわち,「訴訟追行権」という定訳の確立である。

第4 定着 〜Führung〜

1 訴訟追行権

ドイツの法学者ヘルヴィヒ*77は,明治36年(1903年),「Prozessführungsrecht」という民事訴訟法上の概念を確立した*78。現在,「訴訟追行権」と訳される術語である。しかし,「Prozessführungsrecht」の「Führung」は,「指揮」,「指導」,「案内」,「ふるまい」,「行状」などと訳される言葉であり,「追行」の「追」の字は出てこない*79

この概念を早い段階で日本に紹介した雉本朗造*80は,明治42年(1909年)の論文において,これを「訴訟ヲ為ス権能」と訳していた*81。また,昭和5年(1930年)の細野長良「民事訴訟法要義」を始めとし(381頁),昭和一桁のころの学界では,これを「訴訟ノ実施権」,或いは,「訴訟実施権」と訳すのが大勢であったようである*82

或特定ノ訴訟ニ付当事者適格ヲ有スル者ハ其訴ヲ原告トシテ提起シ又ハ被告トシテ受ケ自己ノ名ニ於テ之ヲ追行シ且裁判ヲ受クル権能ヲ有スルモノニシテ此ノ権能ヲ訴訟実施権(Prozessführungsrecht)と云フ。…訴訟実施権ヲ有スル者ハ自己ノ名ニ於テ訴訟ヲ追行シ且裁判ヲ受ク。此ノ点ニ於テ本人ノ名ニ於テ訴訟ヲ追行シ裁判ヲ受クル法定代理人又ハ訴訟代理人ト異ル。

昭和9年(1934年)の中島弘道『日本民事訴訟法』も,上記引用のとおり,「訴訟実施権」という訳語を採用する。しかし,ここで注目すべきは,同時に,その定義として,特定の訴訟を「追行シ且裁判ヲ受クル権能」という言い方をする点である。中島は,「追行」という言葉と「訴訟実施権」にいう「実施」とを同義に捉えるようである。そこにいう「追行」の具体的内容は,漠然と広義に理解されていると考えて良さそうである。

そして,菊井維大*84東京帝国大学における昭和12年度講義録は,「訴訟実施権」という用語をメインで用いながら,何の説明も加えることなく「訴訟追行権」という言い換えをする*85。昭和13年(1938年)には,兼子一 *86の『民事訴訟法概論』(179頁)を始め,加藤正治民事訴訟法(1)』(新法学全集21巻)・103頁,小野木常「第三者の訴訟追行権」(法学論叢35巻6号38頁)などで,「訴訟追行権」という用語のみが使用されるようになる。

もちろん,この段階で「訴訟実施権」という言い方が俄に消滅したわけではない*87。また,現代においても,一部の学派は,「訴訟遂行権」という言い方を採用する*88。しかし,昭和10年代以降,「訴訟追行権」という語は,「Prozessführungsrecht」というドイツ語の定訳となり*89,その意義は,特定の訴訟の当事者として,「訴訟を追行し判決を受ける権能」と定義されるようになる*90。これが現在の法律用語「追行」の第3の淵源である。

2 訴訟追行過程

ドイツの法学者ザウアー*91は,刑事訴訟の発展的性格に着目し,大正8年(1919年),その発展過程には,「Sachgestaltungslinie」,「Verfolgungslinie」,「Verfahrenslinie」の3種があると論じた*92。この理論を広く日本に浸透させたのは団藤重光*93であるといわれるが*94,その昭和12年(1937年)の助手論文「刑事訴訟行為の無効(二)」(法学協会雑誌55巻2号44頁)において,「Verfolgungslinie」は,「訴追過程」と訳されていた(46頁)。

ところが,戦後,新刑事訴訟法(昭和23年法律131号)が施行され,この点に関する団藤説が批判されるようになると,「Verfolgungslinie」の「Verfolgung」は,「追行」と訳されるようになる。例えば,昭和24年(1949年)の井上正治『新刑事訴訟法原論』(131頁),昭和34年(1959年)の毛利與一『刑事訴訟法序説』(81頁)である*95

団藤は,その後も「訴追」という訳語を用い続けるが*96,現在では少数派であろう。「訴追過程」というと「訴え提起」に重きが置かれすぎるきらいがある。前掲井上がいうとおり,ここでの「Verfolgung」は,「訴というごときものではなく寧ろ上位概念」(132頁)なのであるから,「訴え提起」以降の過程も広く含む概念としては,別の訳語を用いた方が適当であると考えられたのであろう。

それでは,その「追行」という訳語は,どこから発想を得たのであろうか。今さら明治民事訴訟法の「Verfolgung」が参照されたのであろうか。実は、ザウアーは,「Verfolgung」を「Betreiben die Sachgestaltung」とも定義していた*97。この「Batreiben」(< Betrieb)が関係するのだろうか*98。しかし,ここでは,これまで見たような「Prozeßbetrieb」や「Prozessführungsrecht」の例を通じ,「追行」という術語が,法学界に広く定着した結果と考えたい。その定着度合いの差が,団藤の時代の訳語との差異となったということである。

 平成民事訴訟

その後,周知のとおり,「追行」という語は,講学上のみならず,実務上も広く定着していった*99。しかし,船舶の所有者等の責任の制限に関する法律(昭和50年法律第94号)の「管理人が査定の裁判に対する異議の訴えを追行するために必要な費用」(93条1項,2項)を例外として,法文上の用語として用いられることはなかったようである。

平成8年(1996年),大正民事訴訟法に代わって新法として制定された平成民事訴訟法(平成8年法律第109号)が,この状況に転機を与える。同法2条は,民事訴訟手続に関する一般法の一般規定において,明治民訴訟法とは異なる意義で,すなわち現在の用法と同じ意味で,法文上の用語としての「追行」を復活させた。

(裁判所及び当事者の責務)

第2条 裁判所は,民事訴訟が公正かつ迅速に行われるように努め,当事者は,信義に従い誠実に民事訴訟を追行しなければならない。

本条の文言は,法務省法制審議会民事訴訟法部会が平成5年(1993年)に公表した「民事訴訟手続に関する改正要綱試案」の段階からのものであるが,日弁連は,「当事者は真偽に従って誠実に行動しなければならない」という文言を提案をしていた。日弁連によれば,本条のままでは,「具体的な訴訟の場における当事者の法律上の義務」が規定されてしまうので,「訴訟における抽象的な行動基準」を示す日弁連提案の文言によるべきであるというのである*100。両文言の差異は必ずしも明確でないが,「追行」というと,法的意味のある訴訟手続上の行為としてのニュアンスが強くなるということであろうか。

本条にいう「当事者は信義に従い誠実に訴訟追行をしなければならない」という表現は,例えば,昭和37年(1962年)の山木戸克紀「民事訴訟と信義則」(末川古稀・中巻・265頁)においても使われていた(285頁)。同論文は,「訴訟現象の個別的な場面」に即して信義則の適用を検討するとした上で,「訴訟(全体としての訴訟追行)と信義則」という項目を立てており,訴訟の全体を対象として「追行」という語が用いられていたことが分かる(270頁)。平成民事訴訟法2条の表現も,このような学説の理解を前提にするのであろう。

そして,平成民事訴訟法の制定以後,同法と同じ意味で法文上に「追行」という語を用いる例が頻出するようになる。法律だけをみても,以下の表のとおりであって,同法の先例があることが,その使用に少なからぬ影響を与えたものと推察される。

なお,平成民事訴訟法制定の時点では,明治民事訴訟法の「追行」の系譜を引く人事訴訟手続法の規定が残存していたが,これも人事訴訟法(平成15年法律第109号)に置き換えられた。この新法においても「追行」という語が用いられるが(26条*101),この用例は,旧法の用例ではなく,平成民事訴訟法の系譜を引く語として理解するべきであろう。

 小括

昭和10年代から,それまで「訴訟ヲ為ス権能」,「訴訟実施権」などと訳されていたドイツ民事訴訟法学にいう「Prozessführungsrecht」が,「訴訟追行権」という訳語で定着するようになる。その背景には,第2章までにみたように,訴訟活動全般をすることを「追行」という広義の用法が普及していたことがあるのであろう。

他方で,このようにして「訴訟追行権」という術語が定着したため,いわば逆成的に,訴訟行為をする際に用いる動詞として「追行」という語を採用するコロケーションが確立したという逆の流れも想定される。刑事訴訟法学のいう「訴追過程」が,戦後になって,「訴訟追行過程」と訳し直されたのも,その一貫とみることができる。

平成民事訴訟法は,明治民事訴訟法の廃止後も,講学上の用語として変容,定着してきた「追行」を法文上の用語として確立させた。そこでいう「追行」が,「Verfolgung」なのか,「Betrieb」なのか,「Führung」なのか,もはや不明というしかないが,何はともあれ,現在の日本では,訴訟手続等の手続をすることを「追行」ということになっているのである。

第5 終章

 結論

第1章で指摘したとおり,法律用語としての「追行」は,元来,ドイツ語「Verfolgung」の訳語として,明治民事訴訟法(明治23年法律29号)が採用した語であり,「追」の字は,「追って沙汰する」の「追って」と同様,「あとから」というニュアンスを示していた。このような「追行」の語義は,現代の国語辞典の示す語釈からも導き得るもので,平成15年まで現行法であった人事訴訟手続法(明治31年法律13号)においても長く存続していた。

しかし,第2章にみたとおり,明治後期以降,ドイツ法学が日本の法学教育に導入されるなか,「追行」という言葉は,「Prozeßbetrieb」の訳語に転用され,また,「追」の字に「追求する」というニュアンスを含め,「Rechtsverfolgung」の訳語として,「権利の追行」という言い方もされるようになる。このような用法の普及を背景に,訴訟行為一般,訴訟活動全般を対象とする広義の「追行」の用例がみられるようになる。

そして,昭和10年代以降,「訴訟追行権」が,「Prozessführungsrecht」の新訳として,他の訳例を押しのけて定着し,戦後になると,「訴追過程」(Verfolgungslinie)も「訴訟追行過程」と訳し直されるようになったことは第3章で示したとおりである。平成民事訴訟法2条にいう「訴訟追行」は,このような流れの集大成であり,今さら「追行」の「追」とは何ぞやと言ってみたところで詮ない話ということになるのであろう。

 補論

ところで,第3章の注で触れたように,中村英郎*102は,現在でも「Prozessführungsrecht」の訳語として。「訴訟遂行権」を採用するのであるが(同『新民事訴訟法講義』,平成12年,51頁),その理由として,平成9年(1997年)の論文で,以下のように論じる。すなわち,「訴訟追行権」という語は,兼子一が,「訴訟遂行権」の「遂行」を「ついこう」と読み誤り,さらに「追行」という漢字を当てた誤用に由来するというのである。

ドイツ語の「Prozessführungsrecht」は,ドイツ法を移入した頃「訴訟遂行権」と翻訳され、それが用いられてきた。この「遂行」は「すいこう」と読むのが正しく、「ついこう」はいわゆる田舎読みであり、誤りである(岩波国語辞典・第1版〔1963〕参照)。兼子はこれを「ついこう」と読み、さらに「追行」という漢字を用いた(兼子一・民事訴訟法概論〔1938〕179頁)。兼子のこの誤った用い方は、東京大学グループにより広く伝播し、1996年の民事訴訟法改正に際しては条文でも用いられるに至っている(例えば民訴244条)。「追行」とは追いかけてゆくことであり、成し遂げることを意味する「遂行」とは異なる(例えば、「任務遂行」は正しいが「任務追行」は誤りである)。もっとも法務当局が、訴訟は当事者が主体的に行なうのではなく、当事者がそれを追いかけてゆくものだと理解するのであれば、漢字の用い方は正しい。しかし、訴訟に主体性があり、当事者がそれを追いかける関係として訴訟を把握すること自体誤りである。誤った東京大学信仰が、日本の国語文化を破壊していると言わなければならない。

しかし,第2章第1節でみたように,仁井田益太郎は,兼子(1906-1973)が生まれる以前,明治33年(1900年)の段階で,「Prozeßbetrieb」の訳語として,「訴訟追行」という語を採用している。兼子は,この訳例などを参照し,「訴訟追行権」という訳を選んだと考える方が遙かに自然である。また,「訴訟追行権」という語は,兼子が『民事訴訟法概論』(明治13年)を刊行する前,菊井維大によって東京帝国大学の講義で用いられている。

そもそも,「遂行」を「ついこう」と読み誤ることはあるのかもしれないが,これに「追行」という漢字を当ててしまうという論理は意味が分からない。読み誤っているのあれば,そのまま「遂行」という漢字を当てるであろう。また,「訴訟追行権」という語が定着する以前,「訴訟遂行権」という訳が用いられていたことさえ確認できない。「訴訟追行権」が普及するまでは,「訴訟実施権」という言い方が大勢であったことも,同節で指摘したとおりである。

中村は,平成23年(2011年)に至っても,「訴訟追行か訴訟遂行か」と題する随筆で同旨の議論を繰り返すが(同『民事訴訟法学研究とその周辺』・97頁)*104,特に具体的な根拠の追加もなく,採用することは困難である。民事訴訟法学者が,「追行」という語が「遂行」の読み誤りに由来すると断ずるのであれば,明治民事訴訟法82条1項との関係くらいは検討してほしいものである。

*1:横畠裕介ら編『法律用語辞典』(第4版,2012年,ジャパンナレッジ版)は,「訴訟追行」とは,「訴訟において、当事者がその目的とする終局裁判に必要な訴訟行為をすること。特に、その終局裁判のため直接的な効果がある適切な法律上の主張や事実上の主張をし、又は必要な証拠の提出をすることをいう。」とする。

*2:例えば,『日本国語大辞典』は,「つづいてあとから行うこと。」,「追いかけて行くこと。また,あとをつけること。」(第2版,2000年〜2002年,ジャパンナレッジ版)と定義する。その外,新村出編『広辞苑』(第5版,1998年,1763頁),松村明監修『デジタル大辞泉』(ジャパンナレッジ版)も同旨である。

*3:明治民事訴訟法82条1項「費用ノ点ニ限リタル裁判ニ対シテハ不服ヲ申立ツルコトヲ得ス然レトモ本案ノ裁判ニ対シ許ス可キ上訴ヲ提出シ且追行スルトキニ限リ費用ノ点ニ付キ不服ヲ申立ツルコトヲ得」

*4:『日本国語辞典』〔第2版〕は,岩野泡鳴『現代小説の描写法』の「平面描写という技巧−それも、その作の実際には、よく追行されてゐない技巧−にわづらはされて」(泡鳴全集・第10巻・489頁,1922年,498頁)という用例を載せるが,明治43年(1910年)まで時代が下る(なお,『日本国語辞典』は初出を1911年とするが,前掲泡鳴全集10巻・505頁は,1910年12月を初出とする)。これに先立つ用例としては,東京帝国大学史料編纂掛『大日本史料 第6編ノ1』(1901年)が,元弘2年の維摩会が大乱のため行えず,翌年に前年分を実施したことについて,「興福寺去年ノ維摩会ヲ追行ス」との綱文を立てる例を確認することができる(242頁〜243頁)。

*5:なお,以下,明治民事訴訟法の起草経緯については,鈴木正裕『近代民事訴訟法史・日本』(2004年,115頁以下),大久保泰甫=高橋良彰『ボワソナード民法典の編纂』(1999年,144頁以下)を参考にした。

*6:村田保(1843*-1925),法律取調委員,元老院議官(当時):刑法・治罪法の制定にも関わり,後に貴族院議員に至るが,シーメンス事件で山本内閣を弾劾して辞する(上田正昭ら監修『日本人名大辞典』〔ジャパンナレッジ版〕,国立公文書館「村田保」(『職務進退・元老院 勅奏任官履歴原書』,職149・62),同「大審院長尾崎忠治外二十三名法律取調委員及取調報告委員被命ノ件」(『官吏進退・明治二十年官吏進退十五・司法省五』,任A141・14))

*7:南部甕男(1845-1023),法律取調委員,大審院民事第一局長(当時):維新前に京都で尊皇攘夷運動に加わり,神戸裁判所長,司法省民事局長を務める。後に東京控訴院長,大審院長を歴任し,枢密顧問官となる(前掲「日本人名大辞典」,国立公文書館「南部甕男」(『枢密院文書・枢密院高等官転免履歴書 大正ノ二』,枢179・8),同・前掲任A141・14)。

*8:ここでの南部の発言は,「追行」の原語が,「訴追」の原語と同じ「verfolgen」であることを以て,「同じです。」と言っているものと理解される。

*9:清岡公張(1841-1901),法律取調委員,元老院議官(当時):維新前に三条実美の衛士を勤め,甲斐府権判事,二本松県権知事などを経て,大阪控訴裁判所長を務める。後に枢密顧問官となる(前掲「日本人名大辞典」,国立公文書館「清岡公張」(『枢密院文書・枢密院高等官転免履歴書 明治ノ一』,枢176・31),前掲「大審院長尾崎忠治外二十三名法律取調委員及取調報告委員被命ノ件」)。

*10:山田顕義(1844-1892), 法律取調委員長,司法大臣(当時):東京鎮台司令長官被免後,司法大輔に転じ,司法卿,司法大臣を歴任し,法典編纂に関わる(前掲『日本人名大辞典』,国立公文書館山田顕義」(前掲枢176・12),同「司法大臣伯爵山田顕義法律取調委員長被命ノ件」(前掲任A141・9),前掲鈴木・125頁)。

*11:松岡康毅(1846-1923),法律取調委員,大審院刑事第二局長(当時):後に訴訟法組合長を引き継ぎ,検事総長から内務次官に転じ,農商務大臣,枢密顧問官に至る(前掲『日本人名大辞典』,国立公文書館「松岡康毅」(『枢密院文書・枢密院高等官転免履歴書 大正ノ二』,枢179・7),同「大審院刑事第二局長松岡康毅法律取調委員被命ノ件」(前掲任A141・23),前掲鈴木・149頁)。

*12:松岡の発言は,「訴追」と訳してしまっては,「続いて行く」という意味が出てこないことを指摘しているものと理解される。

*13:今村信行(1840-1909),法律取調委員会報告委員(訴訟法組合所属),東京控訴院評定官(当時):後に東京控訴院部長,大審院判事を歴任する。明治民事訴訟制定直後は,数少ない「民事訴訟法通」として知られた(前掲『日本人名大辞典』,前掲「大審院長尾崎忠治外二十三名法律取調委員及取調報告委員被命ノ件」,原嘉道「民事訴訟法雑感」(法曹会雑誌8巻12号8頁,1930年)・8頁〜9頁)。

*14:今村の発言は,松岡の発言に反論しているのではなく,松岡の発言に我が意を得たりと,「続いて行く」という意味の訳語が必要であることを主張するものと理解される。

*15:本多康直(1856-1900),法律取調委員会報告委員(訴訟法組合所属),司法省参事官(当時):後に大審院判事に至る。明治民事訴訟法制定直後は,数少ない「民事訴訟法通」として知られた(前掲「大審院長尾崎忠治外二十三名法律取調委員及取調報告委員被命ノ件」,大植四郎『明治過去帳』〔新訂〕(1971年,585頁〜586頁),前掲原・8頁〜9頁)。

*16:三好退蔵(1845-1908),法律取調委員(訴訟法組合長を務めたと思われる。),法制局参事官(当時):法律取調委員の任務半ばで司法次官を辞し,ドイツに洋行する。後に,検事総長大審院長を歴任し,貴族委員議員と至る(前掲『日本人名大辞典』,前掲鈴木・126頁,前掲大久保ら・159頁〜160頁)。

*17:渡邉廉吉(1854-1925),法律取調委員会報告委員(訴訟法組合所属),法制局参事官(当時):後に行政裁判所部長に進み,貴族院議委員となる(臼井勝美ら編『日本近現代人名辞典』(吉川弘文館,2001年)・1179頁.国立公文書館「法制局参事官長森敬斐外一名法律取調報告委員被命ノ件」(前掲任A141・20),前掲鈴木・126頁)。

*18:ここでの「駆逐」は,「追い払う。」ではなく,「馬や車などに乗って追いかける。」(前掲『日本国語大辞典』)という意味で理解するのが適切と思われる。

*19:渡邉の発言は,箕作の次の発言の前半部分と同旨と理解される。「訴追」に対応するフランス語「poursuite」,ドイツ語「verfolgen」の語源の理解としては,それで正しいのであろう。

*20:箕作麟祥(1846-1897),法律取調委員,元老院議官:三好退蔵(前注)の後を襲って司法次官となる。後に行政裁判所長官を経て貴族院議員と至る(前掲『日本人名大辞典』,前掲鈴木・126頁,前掲大久保ら・159頁〜160頁)。

*21:原文どおりに写したが,「強」の誤植ではないかと思われる。「訴追」といっても,「追」という字に「強い意味」はなく,「訴える」というくらいの意味にすぎないということであろう。

*22:尾崎忠治(1831-1905),法律取調委員,大審院長(当時):長崎上等裁判所長,大阪上等裁判所長,高等法院裁判長を務める。後に貴族院議員に至る(前掲『日本人名大辞典』,国立公文書館「尾崎忠治」(『枢密院文書・枢密院高等官転免履歴書 明治ノ二』,枢177・7),前掲「大審院長尾崎忠治外二十三名法律取調委員及取調報告委員被命ノ件」)。

*23:日本学術振興会『法律取調委員会 民事訴訟法草按議事筆記』(第参巻),民訴3ノ63オ以下のうち70ウ〜3ノ72オ(日本近代立法資料叢書22・206頁参照)。

*24:原文「(村田)追行ハ/(南部)訴追ト同ジデス/(清岡)後追トヤルガ宜シイ)/(委員長)構成法デ用ヒタカラ其字ヲ用いヒヤウデハナイカ/(松岡)訴追ハ続イテ行クノテハアルマイ/(今村)続イテ行クト云フノテス/(松岡)ソレナラ続行ト云ハナケレハナリマセン/(三好)構成法カ直ホラナケレハ訴追トシナケレハナリマセン/【中略】/(三好)追行ノ字翻訳局ニ相談シマシヨウ/(松岡)追行ハ進ンテ行クト云フノテスカ/(本多)進ンテ行クノテス/(松岡)ソレテハ提出ハカリテハイケンテス上訴ヲ歩カシテ行クノテスカ/(今村)ソウテス/(渡邉)訴追ト云フ字ハ区々ニナツテ商法テハ追及トシテアリマス/(松岡)駆逐スルト云フ字テ裁判所テ兎猟ヲスルト云フ字タロウト思ツテ居リマス/(箕作)仏蘭西テハ追駆ケルト云フ字テ御座イマス今ノ御議論ノアル処ハ仏蘭西ノ「フルシイ」ト云フ権利ヲ拡張スルト云フノテ訴追トヤリマシタノテ追ト云フ字ハ張イ意味カアルノテハナイ訴ヘルト云フ位ノ意味ニ止ツテ居リマス此処ハヤツタコトヲ続ケテ往クノト云フノテ御座イマスカラ訴追トハ区別ヲ付ケテ戴キタイ/(松岡)続行トハ出来マセンカ/(箕作)続行ト云フ様ナ字テス/(尾崎)追行テ良カロウ/(渡邉)此処テハ余リ必要ナ字テハナイテス」

*25:なお,本多康直は,後に,明治民事訴訟法82条の逐条解説(明治26年)において,「上訴を追行する」とは,「上訴を為すも本案に付き之を取下げず又は本案の裁判の変更申立つる」ことをいうと解説している(本多康直ら『民事訴訟法講義』,1893年,179頁)。

*26:モッセ(Mosse, Albert,1846-1925),法律取調委員:本国ではベルリン市裁判所判事を勤めていたが,伊藤博文の依頼により,1886年,内務省法律顧問として来日する(前掲『日本人名大辞典』)。

*27:日本学術振興会『モッセ氏訴訟法草案(獨逸文)』・本編81条・19頁(日本近代立法史料叢書24・モッセ氏訴訟法草案(獨逸文)35頁)。

*28:なお,明治民事訴訟法の原案は,当初,ドイツ人顧問テヒョー(後注)が起草したが,モッセが途中まで書き直し,同法82条は,モッセ草案81条に基づく部分である(前掲鈴木・142頁〜144頁,同156頁〜158頁・注42)。なお,これに対応するテヒョー草案113条は,「本案ノ上訴ヲナシタル時」([wenn] gegen die Entscheidung in der Hauptsache, ein Rechtsmittel eingelegt wird)とするのみで,「verfolgen」の語は用いていなかった(テヒョー『訴訟法草案 完』(国立国会図書館蔵,XB500・T1−6,後掲「民事訴訟法〔明治編〕⑶」・資料13・93頁から94頁)・61頁,後掲「Entwurf einer Civilprozessordnung für Japan」・43頁。)。モッセが,「verfolgen」の語を加えた理由は,前掲『モッセ氏訴訟法草案』に同綴されるモッセ自身の解説をみても明らかでない。

*29:明治民事訴訟法422条5号「不服ヲ申立テラレタル判決カ証書訴訟及ヒ為替訴訟ニ於テ敗訴ノ被告ニ別訴訟ヲ以テ追行ヲ為ス権ヲ留保シタルモノナルトキ」

*30:テヒョー(Techow, Hermann, 1838-1909):プロイセンの政府参事官で教育顧問として来日(1883−1886)した。同人が完成させた明治民事訴訟法の草案は,条約改正問題の煽りを受け,大幅な見直しを強いられた(Schenc, Paul-Christian, Der deutsche Anteil an der Gestaltung des modernen japanischen Rechtswesens und Verfassungswesens. Steiner, 1997, pp.291-293, p.342. 前掲鈴木・35頁〜113頁)。

*31:Techow, Hermann,Entwurf einer Civilprozessordnung für Japan国立国会図書館蔵,B380・J8−1,165頁(松本博之ら編『民事訴訟法〔明治編〕⑶ テヒョー草案Ⅲ』(日本立法資料全集193),2008年,資料14・278頁参照)

*32:テヒョー『訴訟法草案 完』,国立国会図書館蔵,XB500・T1−6,240頁・474条(前掲「民事訴訟法〔明治編〕⑶」・資料13・134頁参照。)。なお,富谷薏太郎「明治二十三年法律第二十九号民事訴訟法実施に就て」(法曹会雑誌8巻12号45頁,法曹会,1930年)・46頁によれば,訳者は,今村信行及び本多康直であるが,その翻訳は必ずしも正確でないとのことである(日本立法資料全集191・10頁参照)。

*33:日本学術振興会民事訴訟法草案 其ノ一』第20回・民訴草1ノ118ウ〜119オ(日本近代立法史料叢書23・71頁参照)

*34:日本学術振興会民事訴訟法草案議案意見書』・民訴意15オ〜18ウ・民事訴訟法草案議案第29号(日本近代立法史料叢書22・77頁参照)。

*35:ただし,明治21年6月26日の草案が審議された同月30日の取調委員会で読み上げられた当初案は,「進行」という語が用いたものであった(日本学術振興会民事訴訟法草按議事筆記 第五巻』・民訴5ノ125オ・第31回,日本近代立法史料叢書22・407頁参照)。結局,これは「追行」に再修正されているのであるが,その議事録からは明確でないが(同・132ウ,133オ),当初案は何かの間違いであったように思われる。活字が潰れると,「進」と「追」の字は紛らわしいことが関係しているかもしれない。

*36:前掲『民事訴訟法草案議案意見書』・民訴意19オ・民事訴訟法草案議案第29号修正ノ理由

*37:明治民事訴訟法487条2項「証書ノ真否及ヒ第四百八十四条ニ掲ケタル以外ノ事実ニ関シテハ書証ノミヲ以テ適法ノ証拠方法ト為スコトヲ得」

*38:明治民事訴訟法491条1項「主張シタル請求ヲ争ヒタル被告ニハ敗訴ノ言渡ヲ受ケタル総ノ場合ニ於テ其権利ノ行使ヲ留保ス可シ」

*39:明治民事訴訟法492条1項「被告ニ権利ノ行使ヲ留保シタルトキハ訴訟ハ通常ノ訴訟手続ニ於テ繋属ス」

*40:小松濟治(1848-1893, 旧姓:馬島),法律取調委員報告委員(訴訟法組合所属),司法省民事局次長(当時):後に横浜地方裁判所長となり,これを最後に退職する。第13回の議事以降,報告委員の発言は,殆ど小松に限られるようになる(国立公文書館・前掲任A141・14,前掲鈴木・158頁・159頁・注43,荒木康彦『近代日独交渉史研究序説』,2003年,26頁〜30頁,176頁〜177頁)。なお,前掲『明治過去帳』・376頁は弘化3年(1847年)生とするが,国立公文書館和歌山県士族小松済治御用掛被命ノ件」(『公文録・明治十八年・第百八十六巻・明治十八年一月〜七月・官吏進退(司法省)』,公4081・13)添付の履歴書が,生年月を嘉永元年(1848年)11月とするのに従う。

*41:民事訴訟法草按議事筆記第31回(明治21年6月30日)「(小松) 訴追ナレハ「訴訟【」欠カ】ヲ起シテ仕舞フカ此処ハソウテナイ為替手続テ敗訴ニナツタラ当リ前ノ手続テ訴ヲ為スノテアリマス」(日本学術振興会『法律取調委員会 民事訴訟法草按議事筆記』(第五巻),民訴5ノ132ウ,日本近代立法資料叢書22・411頁参照)

*42:婚姻事件養子縁組事件及禁治産事件ニ関スル訴訟規則22条3項「検事ハ総テノ場合ニ於テ申立ヲ為シテ訴訟手続ヲ追行スルコトヲ得」

*43:人事訴訟手続法45条1項「検事ハ他ノ者ガ禁治産ノ申立ヲ為シタル場合イ於テモ申立ヲ爲シテ其手続ヲ追行シ且期日ニ立会ヒテ意見ヲ述フルコトヲを得」

*44:河村譲三郎(1859-1930,本姓不破),法典調査会委員,司法省参事官,法制局参事官(当時):後に司法次官,大審院部長となり貴族議員議員に至る(前掲『日本人名大辞典』,国立公文書館「文部省専門学務局長法学博士木下広次以下十一名法典調査会委員命免ノ件」(『任免裁可書・明治三十年・任免巻二』,任B125・8),同「故従三位勲一等河村譲三郎位階追陞ノ件」(『叙位裁可書・昭和五年・叙位巻十二』,叙1023・3))。

*45:現行民法744条1項と同様,旧民法780条1項は,婚姻に公益上の取消事由がある場合,検察官は婚姻の取消しの訴えを提起することができるとしていた。

*46:梅謙次郎(1860-1910),法典調査会委員,東京帝国大学法科大学長,法制局長官,内閣恩給局長(当時):民法,商法の起草者として知られ,明治期の偉大な立法家(国史大事典)と評される。後に韓国法律顧問も務める。(国史大辞典編集委員会国史大事典』〔ジャッパンナレッジ版〕,1979年から1997年,東川徳治『博士梅謙次郎』,法政大学・有斐閣,1917年,年譜1頁から32頁,国立公文書館行政裁判所評定官箕作麟祥外二十九名法典調査会委員被命ノ件」(『任免裁可書・明治二十七年・任免巻六』,任B35・50))

*47:長谷川喬(1852-1912),法典調査会委員,大審院判事(当時):後に東京控訴院長に至る(前掲『日本人名大辞典』,国立公文書館・前掲任B35・50,勲409・6)。

*48:原文は「待」に相当する部分が空白となっているが意により補った。

*49:日本学術振興会『法典調査會 人事訴訟手続法議事速記録』,人訴ノ1以下のうち50ウ〜52オ(日本近代立法資料叢書23・27頁~28頁参照)

*50:原文「河村讓三郎君 本条ハ旧法ノ十七条ニ当タリマス此訴ハ最初カラ検事ガ提起スルコトヲ得ル訴アリマスカラ他ノ者ガ訴ヲ起シテサウシテ訴訟手続ヲ中止シタ或ハ中断ノ場合テモ其場合ニ中途カラ検事ガ這入ツテ訴ヲスル或ハ上訴ヲスルト云フコトガ出来ルト云フ規定デアリマス【中略】/梅 謙次郎君 一寸申シマスガサウスルト此「追行」ト云ウコトハ他ノ者ガ一旦訴ヲ起シテ置テ後ト引キ続キテヤラヌトキニ検事ガヤルト云ウヤウニ承ツタヤウデアリマスガ【中略】訴ヲ起シタ人間カ訴訟ガ極メテ下手デアル【中略】サウ云ウトキハ検事モ一緒ニ為ツテヤルコトガデキルヨヤウニ為ラナイト具合ガ悪ルカラウト思ヒマスガ如何テゴザイマセウカ/河村讓三郎君 其事ハ別ニ規定ヲ置カヌデモサウ云ウコトニナラウト思ヒマス。【中略】/長谷川 喬君 私モ此「追行」ト云フ文字カ分カラヌカラ伺ヒマスカ今ノ御説明ニ依ツテ見ルトモウ最初ノ原告人カ止メヤウト言フカラシテソレニ出ル場合ヲ慮ツタノテアリマスカ/河村讓三郎君 取下マシタ場合ハ往ケマセヌ/長谷川 喬君 取下ゲル前ノ間ト云フコトハドウ云フトキヲ慮ツタノテアリマスカ/河村讓三郎君 ソレハ中止ノ場合或ハ戦争尾デモ起ツテ出ラレナイトカ其他中止ノ原因ハ色々アリマセウ【中略】又ハ中断ノ場合モアリマス【中略】サウイウ場合ニハ検事ガ這入ルコトガ出来ル此「追行」ト云ウノハ余程広イコトヲ言フ積リテアリマス/長谷川 喬君 サウスルト中止シテ居ル間モ当然這入ル云フコトデ為リハシマセヌカ【中略】訴訟カ継続シテ居ル間其間ニ自分ガ純粋ノ原告人ニ為ルナラバ其中止ノ場合デモ当然明文ヲ タナイデ這入レハシナイカト思ヒマス/河村讓三郎君 ソレハ少シ違ウト思ヒマス明文ガナクテ出來ルト云フノハソレハ自分カ別ニ訴訟ヲ起スト云フコトニ為リマス何時カラ訴訟ヲ提起シタカト云ヘハ検事カ訴状ヲ出ストキカラ「追行」ト云ウコトニ為リマスルト訴訟ハ既ニ起コッテ居ルソレヲ引継クト云フコトモ出來ルト云フコトニナリマス【中略】期間ガ過ギテ居レバ検事別々訴ヲ提起スルコトハ出来ナイカ「追行」ト云フコトニナルト期間ヲ過キテモ出来ルコトニナラウト思ヒマス【後略】」

*51:なお,訴訟の「提起」と訴訟の「追行」とは,明治民事訴訟法の明治36年草案に関する議論でも区別されていた節が見受けられる(民事訴訟法改正起草委員会審議録・第65回「改正案第一〇一条ニ付キ」,松本博之ら『民事訴訟法[大正改正編]Ⅰ』(日本立法資料全集10),1993年,424頁・資料207所収)。また,現在においても,「提起」と「追行」が区別される場合があり,例えば,裁判所書記官研修所監修『民事訴訟法講義案』(2002年)は,「訴訟を提起しまたはこれを追行する権限」(55頁・注2)という言い方をするし,村重慶一「公訴の提起・追行」(ジュリスト993号79頁,1992年)は,論題のとおり「提起」と「追行」を並列に用いる。

*52:仁井田益太郎(1868-1945),京都帝大教授,東京帝大教授,貴族院議員:ドイツ,イギリスへの留学があり,「仁井田法学」を確立した(前掲『日本人名大辞典』)。

*53:鈴木正裕「民事訴訟法の学説史」(ジュリスト971号・11頁),1991年,11頁,12頁・注4。それまでの講義は,明治民事訴訟法の制定に関与した本多康直,深野達などの裁判官によって担われていた。

*54:例えば,少し時代は下るが,ローゼンベルク『Lehrbuch des Deutschen Zivilprozeßrechts』(1927年)は,「Prozeßbetrieb ist das Ingangsetzen und das Inganghalten des Prozesses.」(170頁)と定義する。

*55:なお,「訴訟材料の提供」及び「訴訟法上の法律行為」は,それぞれ「Stoffsammlung」,「Prozeßrechtsgeschäfte」に対応するのであろうと推測される。

*56:ただし、三十六年度法学講義合本の106頁〜107頁による。

*57:これが「Verfolgung」の意味合いで用いられることもあるようであるが(後掲「訴訟発展の三個の線<その4>」・79頁・注13参照),この場合は違うように思われる。

*58:岩田一郎『民事訴訟法原論 上巻』,1907年,363頁以下,横田五郎『民事訴訟法第一編』(日本大学明治42年度法科第2学年講義録),1909年,226頁,ベルンド・ゲッツェ『独和法律用語辞典』〔第2版〕,2010年,361頁。

*59:なお,昭和2年(1927年)の加藤正治民事訴訟判例批評集』(第2集)は,同判例の評釈において,「和解カ有効ニ成立…スルトキハ訴訟ヲ追行シ確定判決ヲ得ル必要ナキ」(136頁)とし,「当事者ハ弁論期日ノ指定ヲ乞ヒ以テ訴訟ノ進行ヲ為シ得ヘシ」(137頁)とする。

*60:前掲岩田・335頁,竹野竹三郎「改正民事訴訟法と訴訟の促進」(司法研究20輯),1929年報告,125頁,山田正三『改正民事訴訟法』(第3巻下冊),1930年,700頁,708頁。ただし,例えば,松岡義正『破産法論上巻』(1929年)は,「当事者訴訟専行主義」という語を用い(233頁),加藤正治民事訴訟法要論』(初版1946年,再版1948年)は,「当事者処分権主義」,「職権進行主義」という訳語を用いる(201頁)。

*61:豊島直通(1872-1930):大審院検事,司法省法務局長・刑事局長,東京控訴院検事長を経て,大審院判事(刑事部長)に至る(前掲『日本人名大辞典』)。それ以前はボアソナード以来のフランス法学の影響が強かったという(田宮裕「学説一〇〇年史 刑事訴訟法(戦前)」,ジュリスト400号166頁,1968年,169頁)。

*62:なお,「職権追行主義」という用語の採用は,例えば,高橋一郎『新憲法下における刑事訴訟法解説』(1947年,100頁)のように,もう少し遅れるようである。

*63:また,同書では,「公訴ハ…検事ヨリ職権ヲ以テ追行」(199頁)として,「公訴の追行」という言い方をしている点も注目される。それ以前をみると,例えば,江木衷『治罪原論』(1889年)は,「公訴の実行」という連語関係を用いていた。そして,大審院明治44年6月29日判決大刑録17輯1330頁は,「縱令被害者ノ告訴ナク又告訴ノ取下ケアリタル場合ト雖モ裁判所ハ當然公訴ヲ受理シ又ハ受理シタル公訴ヲ追行セサルヘカラス」として、豊島の連語関係を採用する。ただし,その主語は裁判所である。

*64:Birkmeyer, Karl, Deutches Strasprozeßrecht, 1898: "Unter Prozeßbetrieb verstehen mir diejenige Thätigkeit, welche den Prozeß in Gang Bringt und den Prozeß in Gang gebrachten von Schritt zu Schritt forttreibt, bis er sein letztes Ziel erreicht hat."(p.203)

*65:ただし,仁井田は,「狭義ニ於テ」という留保を付す。この点については,本文で後に触れる。

*66:また,仁井田は,前記のとおり,前掲『民事訴訟法(第一編)完』において,当事者の訴訟行為の節では,「訴訟ノ追行」という語句を用いるが(107頁),裁判所の訴訟行為の節では,「訴訟ノ進行」という語句を用いる(125頁)。

*67:そもそも,明治後期以前においても,「Verfolgen」に由来する「追行」が,広く普及していたのかも疑わしい。例えば,栗原忠恕『人事訴訟手続法 非訟事件手続法 正解 完』(1898年)は,人事訴訟手続法22条の「追行」の解説として,「訴訟手続ヲ追ヒ行キテ続行シ」という言い方をするが(28頁),同条の「追行」が「Verfolgen」に由来することを理解した上での解説なのか疑問である。

*68:前掲「刑事訴訟法新論」(110頁)は,「訴訟追行」と「訴訟指揮」を並列に記載する。ここにいう「訴訟指揮」とは,ドイツ刑事訴訟法学にいう「Prozeßbetrieb」であろう。

*69:なお,大正民事訴訟法361条が,明治民事訴訟法82条1項と同趣旨の規定であることは,民事訴訟法改正調査委員会議事速記録第38回(松本博之ら『民事訴訟法[大正改正編](3)』(日本立法資料全集12),1993年,398頁・資料616所収),改正法律案理由書(同『民事訴訟法[大正改正編](4)』(同13),1993年,222頁・資料639所収)で明示されるとおりであるが,大正民事訴訟法は,「追行」という表現を用いない。「追行」という表現を回避することは,明治36年草案の段階からのことなのであるが(前掲『民事訴訟法[大正改正編](1)』,42頁),そのことに何らかの意味があったのかは不明である。

*70:Nussbaum, Arthur (1877-1964): 1904年にベルリンで弁護士となり,1918年から1933年まで,ベルリン大学法学部の准教授として,民商事法を始めとする分野で活動する。1934年に米国に亡命し,客員教授を経て,コロンビア大学の公法教授となる。「法事実研究」(Rechtstatsachenforschung)で知られる(Yashiki, Jiro Rei, Zwischen Katheder und Rechtspraxis. Arthur Nussbaum(1877-1964) und seine Rechtstatsachenforschung. in :Hitotsubashi journal of law and politics, 38(2010), 13-30.)。

*71:Nussbaum, Arthur, Lehrbuch des Deutschen Hypothekenwesens: nebst einer Einführung in das allgemeine Grundbuchrecht. 2. vollig umgearb. Aufl., 1921, p.148.

*72:前掲宮崎は,「訳語にして適語なきものに付いては原語を掲げた」とするので(1頁),「権利の追行」というのは適当な訳語と考えられていたのであろう。

*73:例えば,倉田卓治訳「ローゼンベルク 証明責任論 8」(判例タイムズ207号37頁),1967年,37頁(Rosenberg, Leo, Die Beweislast. 4. Auf., 1956, P.91.)。

*74:例えば,ドイツ民事訴訟法114条のように「Rechtsverfolgung oder Rechtsverteidigung」という慣用的な対句を用いられ,しかも同じ文中に「Prozessführung」とまであると「訴訟追行」とは訳しようがない。

*75:前掲『独和法律用語辞典』・378頁,法制審議会非訟事件手続法・家事審判法部会第2回会議(平成21年4月17日)・参考資料7「家庭事件及び非訟事件の手続に関する法律」(第2編、第3編、第4編及び第7編)。

*76:山内確三郎「小作調停法に就て」(五),中外商業新報・大正13年12月5日(ただし,旧活字体を新活字体に改め,振り仮名を略した。)。

*77:Hellwig, Konard (1856-1913):1885年にギーセン大学教授となり,1888年,エアランゲン大学教授,1903年,ベルリン大学教授を歴任する。手続上の確定力理論(Prozessualen Rechtskrafttheorie)の創始者である(K. G. Saur Verlag GmbH & Company, Große Bayerische Biographische Enzyklopädie. 2005, p.817.)。

*78:Hellwig, Konard, Lehrbuch des Deutschen Zivilprozessrechts, v. 1, 1903, p.155(中村宗雄「訴訟遂行権の系譜的考察」(民事訴訟法学の基礎理論・115頁),1957年。115頁・注1参照)。

*79:ちなみに,「Velforgungs」の派生である「Velforgungsrecht」は,物権の第三者効をいう言葉として「追及権」と訳されることがある(梅謙次郎『訂正増補民法要義(巻之二物権編)』〔第27版〕,1908年,1頁)。

*80:雉本朗造(1876-1922):東京帝大を卒業し,明治4年(1908年),京都帝大教授,大正7年(1918年),京都帝大法科大学長に至る。日本の民事訴訟法学の基礎をきずく(前掲「日本人名大辞典」)。

*81:雉本朗造「民事訴訟ニ於ケル「正当ナル当事者」ナル観念及其訴訟法上ノ地位ヲ論ス」(法学新報19巻2号1頁),1909年2月,2頁。

*82:寺澤音一『新民事訴訟判例学説総覧』(上巻),1933年,621頁〜623頁に掲げられる学説は,いずれも「訴訟ノ実施権」,「訴訟実施権」,或いは「正当なる当事者」という用語を用いる。

*83:なお、原書は、明朝系の活字が用いられているが、強調した部分は、ゴシック系の活字が用いられている。

*84:菊井維大(1899−1991):民事訴訟法,破産法を専攻し,昭和8年に東京帝大の教授となる(前掲「日本人名大辞典」)。菊井維大=村松俊夫『民事訴訟法』(全2巻,1957年〜1964年)及びその改訂版・補訂版は,大正民事訴訟法の定番のコンメンタールとして,実務に知られていた。

*85:菊井維大講述『民事訴訟法第一部〔昭和12年度東大講義〕』(第2分冊),1936年,91頁,92頁。なお,同第3分冊(1937年)では,「訴訟ノ追行」,「当事者追行主義」という用語が用いられている。

*86:兼子一(1906−1973):昭和16年東京帝国大学教授となり,民事訴訟法の分野で独自の理論を築く。昭和32年に弁護士となり,山陽特殊鉄鋼事件などを担当する(前掲「日本人名大辞典」)。

*87:河本喜輿之『新訂民事訴訟法提要』〔再版〕(1950年)は,表題で「訴訟実施権若しくは訴訟追行権」という表現をし,本文では「訴訟を追行」,「訴訟実施権」という言い方をする(63頁)。また,宮崎澄夫「当事者適格」(民事訴訟法講座第1巻・97頁,1954年)は,「訴訟実施権又は訴訟追(遂)行権(Prozessführungsrecht)」とし(98頁),三日月章『民事訴訟法』(法律学全集35),1959年)も,「訴訟実施権又は訴訟追行権」と併記する(184頁)。

*88:早稲田大学の中村宗雄,中村英郎の系統で用いられるようである(中村宗雄『民事訴訟法講義案』(中巻・第1分冊),1937年,63頁,同「訴訟遂行権の系譜的考察」(前掲),1957年,115頁,中村英郎『新民事訴訟法講義』,2000年,51頁)。前掲宮崎も,前注のとおり,昭和29年(1954年)の段階で,「訴訟実施権又は訴訟追(遂)行権(Prozessführungsrecht)」という言い方で「訴訟遂行権」という言い方に配慮している(28頁)。

*89:例えば,小山昇『民事訴訟法』(5訂版,1989年,93頁),新堂幸司『新民事訴訟法』(第2版,2001年,246頁),高橋宏志『重点講義民事訴訟法(上)』(第2版,2011年,235頁),伊藤真民事訴訟法』(第4版,2013年,180頁)などを指摘することができる。また,前掲「独和法律辞典」(2010年,361頁)も,この訳を採用している。

*90:前掲「法律用語辞典」は,「当事者適格」について,「民事訴訟法上,訴訟物たる特定の権利又は法律関係につき原告又は被告として訴訟を追行し判決を受けるのに必要な適格。訴訟追行権,訴訟実施権ともいう。これを欠くと訴えは却下される。」と定義する。

*91:Sauer, Wilhelm (1879-1962): 裁判官を経て,1916年,ケーニヒスブルク大学の講師となり,1921年に教授となる。1935年以後はミュンスター大学で刑法,刑事訴訟法法哲学を講じる。刑法と犯罪学の架橋を試みたことでも知られる(後掲「訴訟発展の三個の線<その一>」・66頁)。

*92:Sauer, Wilhelm, Grundlagen des Prozessrechts, 2. Aufl., 1919, p.111. なお,昭和4年(1929年)の第2版を典拠に,関係部分(§7,pp.110-117)を邦訳としたものとして,安村和雄ら訳注「訴訟発展の三個の線<その一>」以下(判例タイムズ172号66頁,173号98頁,同174号60頁,175号78頁,同176号66頁,同178号76頁)がある。

*93:団藤重光(1913-2012):1947年に東大教授となり,1974年に最高裁判事となる。戦後の新刑事訴訟法の立案に参画して以来,多くの刑事関連法の立案に関わる(前掲「日本人名大辞典」)。

*94:前掲「訴訟発展の三個の線<その一>」・66頁。なお,当該記述は,小野清一郎『犯罪構成要件の理論』(1953年)の139頁を根拠として引用する。

*95:ちなみに,井上正治刑事訴訟法』(新法学全書19,1955年)は,「訴訟追行過程」というとともに(128頁),「訴訟の追行」という言い方もする(123頁)。

*96:団藤重光『新刑事訴訟法綱要』〔7訂版〕,1967年,140頁,同編『刑事訴訟法講座(第一巻)』,1963年,27頁。

*97:「Die Verfolgung ist das Batreiben der Sachgestaltung」(Sauer, op. cit., p.112, 前掲「訴訟発展の三個の線<その4>」・78頁,79頁,同頁・注13),「die Verfolgung (das Batreiben) der Sachgestaltung」(Sauer, op. cit., p.117, 前掲「訴訟発展の三個の線<その6・完>」・79頁)。

*98:前掲「訴訟発展の三個の線<その4>」・79頁・注13は,ザウアーのいう「Betreiben」は,「Velfolgung」の意味を有するとする。

*99:例えば,大審院昭和13年9月28日判決(法律新聞4377号・14頁)は「上告人ハ第一審及原審ニ於テ何等意義ヲ主張スルコトナク本件訴訟行為ヲ追行シタルコトハ記録上明白ナル」(17頁)という。この用例は,本文で紹介した薬師寺の用法が影響したものかもしれない(法律学判例評論全集28巻民法353頁以下,359頁〜360頁参照)。

*100:日本弁護士連合会『「民事訴訟手続に関する改正要綱試案」に対する意見書』,1994年,210頁〜211頁。

*101:人事訴訟手続法26条「第12条第2項の規定により人事に関する訴えに係る身分関係の当事者の双方を被告とする場合において,その一方が死亡したときは,他の一方を被告として訴訟を追行する。この場合においては,民事訴訟法第124条第1項第1号の規定は,適用しない。 2 第12条第1項又は第2項の場合において,被告がいずれも死亡したときは,検察官を被告として訴訟を追行する。」

*102:中村英郎 (1926- ):中村宗雄の子で,刑事訴訟法の研究から民事訴訟法を専修するようになり,昭和35年に早稲田大学教授に就任,平成8年から名誉教授となる(中村英郎ら「座談会『早稲田大学の峰々』Ⅲ」(早稲田法学73巻2号127頁),1997年,中村英郎『民事訴訟法学研究とその周辺』(民事訴訟論集7巻),2011年,179頁,著者紹介)。

*103:早稲田法学82巻2号1頁,9頁・注13。

*104:この論文の存在は,過去に同テーマで記事を書いた際,コメント欄において,「静宜大学」氏に教示いただいた。

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