ドイツ連邦共和国基本法の改正経過🄔:第35次〜第46次 ('82-'98)

ヘルムート・コールを首班とするキリスト教民主・社会同盟は,1982年,自由民主党と連立を組んで政権を奪還する。コールは,1970年代からのスタグフレーションに対し,新保守主義的な市場経済重視の改革を遂行する*1。1990年代に入って実行に移される第40次改正国鉄民営化),第41次改正郵政民営化)は,その結果である。

しかし,コール政権における基本法改正で最も重要なのは,東西統一に伴う第36次改正である*2。西独の基本法は,もともと統一後に新たな「憲法」を制定することを予定していたが(同改正前の146条),種々の議論を経て,第42次改正による若干の見直しをしたのみで,西独の「基本法」が統一ドイツの「憲法」として確立することになる*3

また,ドイツ統一による「強いドイツ」の復活に対する警戒感を削ぐため,欧州統合が進められ,マーストリヒト条約の批准のための第38次改正が実施される*4。他方,旧東独地域の復興のための財政負担は,外国人難民に対する国民の眼を厳しくさせ,その不満に対処するため,外国人難民の庇護権に関する第39次改正が実施せざるを得なくなる*5

35. 政党の資産公開義務の拡大

第35次改正 1983.12.21

制定時の基本法は,政党に収入の「出所」を公開すべきことを規定していたが,フリック事件など,公益団体などを通じた迂回献金がスキャンダルとなった。そこで,政党財政の改革が進められ,収入の「使途」及び「資産」についても公開が義務付けられることとなったが,政党活動の自由の原則との調整のため,これを基本法上の義務として追加規定した。*6

解説

ドイツの基本法の特色として,政党に憲法上の位置付けを与え(21条),「憲法編入」の段階に達したことが指摘される。しかし,連邦憲法裁判所は,政党を純粋な「国家機関」とは位置付けず,政党に対する国庫補助に消極な態度をとっているため*7,政党の収入源といえば,政治献金が重要な位置を占める*8

そして,政治献金の規制として,本改正前の基本法21条1項4文は,「政党は,その資金の出所について,公に報告しなければならない」と規定し,これを受けた従前の政党法(1967年)は,自然人では2万マルク,法人では20万マルクを越える大口の献金について,献金者の氏名と献金額を記載するよう規律していた*9

しかし,西独では,1980年代まで,前記政党法の公開義務を逃れるため,名目的な公益団体を通じた迂回献金が常態化していた*10。また,連邦憲法裁判所は,政治献金を所得控除の対象とすることに厳格な態度を示していたが,公益団体に対する寄付という名目での迂回献金には,所得控除を受けやすくするというメリットもあった*11

この慣習的な不正は,1980年代初頭,検察の捜査によって政治スキャンダルとなり,フリック・コンツェルンの違法献金事件によって,その頂点に達する(フリック事件)*12。このような不正献金は,与野党を問わず「公然の秘密」であり,各党の協力によって,「特赦」のための法律が成立しかねないところであった*13

このような状況を受け,連邦大統領は,1982年3月4日,専門委員会を立ち上げ,同年4月28日,政党財政の改革に関する意見書を提出させた*14。これを受けた連邦議会は,同年12月1日,同意見書に基づき,公益団体等からの献金の受領を禁止するなど*15,政党財政の健全化・透明化を目的とする政党法改正を成立させることになる*16

本改正は,この政党法改正で,政党が資金の「出所」のみならず,「使途」及び「資産」の公開義務を負うことに伴い,基本法21条1項4文に,「使途」及び「資産」という文言を追加したものである。西独においては,基本法の規定を越えて政党に資産公開義務を課すことは,政党活動の自由との関係で許されないとされていたからである*17

36. 東西再統一による旧東独諸州の加入

第36次改正 1990.09.23

東独との統一に伴う基本法改正である。制定時の基本法146条は,東西再統一に当たっては,「新憲法」を制定することを予定していたが,その実施には,政治的にも,技術的にも困難が多く,本改正前の基本法23条に基づく新たな州の「加入」という方式が採用されたため,これに伴う基本法の改正は技術的なものに留まった。

解説

東西再統一の機運は,1989年のベルリンの壁崩壊から急激に高まったが,その具体的な手続について,西独においては,政府与党キリスト教徒民主・社会同盟が推す本改正前の基本法23条による東独地域の「加入」という方式と,社会民主党緑の党が推す同146条による「新憲法」の制定という方法が対立した*18

確かに,基本法は,「過渡期」(本改正前の前文)の暫定的な憲法典として制定されたものであり,統一によって新憲法を制定するのは自然のようにも思われ,また,ゼロから憲法を制定する方が,統一後の国家秩序について,東西の対等な交渉が可能となり,旧東独の国民心理の観点からも好まし結果を招来するように思われた*19

しかし,本改正前の基本法146条は,新憲法の制定手続を何ら定めておらず,また,これによって制定される新憲法の内容も白紙というのは,従前の基本法に満足していた西独側には不安であった*20。しかも,ベルリンの壁崩壊後,東独から西独への移住者が増加する中,新憲法制定に時間を掛ける余裕がないという実際上の問題があった*21

結局,1990年3月,東独の自由選挙で,加入方式による早期統一を主張するドイツ連合が勝利し,同年8月31日の統一条約(BGBl II S. 890)は,加入方式を確定した*22。本改正は,同条約の同意法律に基づき,旧東独5州の連邦参議院におけるの票決数や旧東独地域の法の効力に関する経過規定などについて,技術的な改正をしたにすぎない*23

ただし,統一条約は,新憲法方式によるべきとの主張に対する妥協として,2年以内に,連邦と州との関係,国家目標規定の導入の外,基本法146条の適用等の問題に関し,基本法の改正・補充を「推奨」する規定を置いた(同条約5条)*24。1993年6月28日に成立することになる第42次改正は,この規定に基づく議論に由来する。

また,本改正の際,従前の基本法23条が削除されたことには,技術的改正を越えた意味があった。同条は,「ドイツのその他の部分」の「加入」を規定していたが,東独地域の「加入」のみで同条項を削除することは,オーデル・ナイセ線以東の旧東部領土が「ドイツのその他の部分」に含まれないと承認したことを含意していたからである*25

37. 連邦の航空行政の私法組織化

第37次改正 1992.07.14

第11次改正以来,連邦政府が実施してきた航空管制業務は,交通量の増大に対応できていないなどの問題が指摘され,組織を私法上の有限会社の形態とする改革が行われることとなった。しかし,連邦大統領が,連邦の「固有行政」を私法上の組織に委任することの違憲性を指摘したため,これを合憲とするための改正がなされた。

解説

ドイツの航空管制は,第11次改正以来,連邦の「固有行政」とされてきたが,交通量の増加に伴う慢性的な遅延などの問題が生じ,組織改革が課題とされていた*26。他方,欧州共同体は,各国の航空行政の民営化を勧めており*27,このような流れの中,1990年,組織の有限会社化などを目的とする航空法改正案が両院で可決した*28

具体的には,連邦運輸大臣は,連邦が所有する私法上の有限会社組織に対し,航空管制業務の権限等を委任することができるとされ,これによって,技術水準の変化への対応,業務に応じた給与水準の確保が可能となるとされた*29。また,併せて,そのような有限会社に対する国家の監督,私人による不服申立ての方法などが規定された*30

ところが,本来は名誉職的地位にすぎない連邦大統領のヴァイツゼッカーが,同改正法案は疑いなく違憲であるとして,その認証の拒否という「伝家の宝刀」を抜いた*31。航空行政のような高権的権限は,公務員によって行使されねばならず(基本法33条4項)*32,これを民営化(私法化)しては,「固有行政」(本改正前の87d条1項)にならないというのである*33

連邦大統領の指摘は,私人に対する国家権限の委任,私法組織を通じた国家権限行使の限界という深淵な議論を含み得たが,立法府は,航空行政に関する基本法87d条1項に「この組織が私法的な形態を採るかについては,連邦法律によって決定される」という第2文を追加するという形式的な対応を採った*34。これが本改正である*35

38. マーストリヒト条約批准のための改正

第38次改正 1992.12.21

欧州連合を設立するマーストリヒト条約批准のための改正である。基本法は,その制定時から,国家主権を国際機関に委譲するための規定を置いていたが,同条約に関しては,州の権限が国際機関に委譲されることなどが問題となり,欧州連合との関係において,州の関与を強めるための手当などがなされた。*36

解説

基本法は,その制定時から,「連邦は,法律により,高権的権利を国際機関に委譲することができる。」(24条1項)と定めていたため,従前,欧州統合との関係で,基本法改正が問題となることは少なく,マーストリヒト条約に関しても,連邦政府は,欧州連合諸国民に対する地方参政権付与と中央銀行権限委譲という2点の改正のみをする予定であった*37

しかも,主権委譲のための「法律」は,州政府の代表機関である連邦参議院の同意を要しない。主権委譲は外交問題であり,連邦の専権であるとされたためである。しかし,マーストリヒト条約の批准を巡っては,その発効によって,州政府が,財政,教育,文化,環境政策などに関し,多くの権限を失うこととなるため,州の発言権の強化が求められることとなった*38

そこで,前記2点の外*39,欠番となっていた基本法23条として,通称「ヨーロッパ条項」を追加し,欧州諸機関に権限を委譲する立法について,連邦参議院の関与等を創設し,欧州連合諸国に対するドイツの権利を州の代表者が行使できる場合を規定するなどし*40,その外,欧州連合との関係に関する諸規定を整備する本改正がなされた*41

本改正は,これまでの基本法改正が連邦権限の強化を志向してきたのに対し,欧州統合の進展を受け,州の権限を再強化し始めた転換点であり,ドイツの連邦主義が新たな局面を迎えたとも評価される*42。そして,欧州統合と呼応した連邦主義の再編の流れは,第52次第57次改正による連邦制度の大改革に繋がることとなる。

なお,本改正でヨーロッパ条項となった基本法23条は,もともと,基本法の適用を差しあたり西独地域に限ることを規定し,東西統一に伴う第36次改正で削除された規定の条番号である。すなわち,「ドイツ統一までの23条」が,「欧州統合のための23条」として復活したことになるのであり,この点に象徴的な意味があるとも指摘されている*43

39. 難民の庇護権の制限*44

第39次改正 1993.06.28

基本法は,政治的亡命者の無条件受入れを規定していたが(庇護権条項),ベルリンの壁の崩壊後,経済難民が増加し,移民排斥運動が政治・社会問題化していた上,シェンゲン協定との調整の必要もあった。そこで,欧州共同体諸国のような「安全な第三国」を経て来独した者について,その庇護申請を制限するなどの改正がなされた。

解説

本改正前の基本法16条2項2文は,「政治的に迫害された者は庇護権を享有する。」と定め,外国人の主観的権利として亡命権(庇護権)を保障するという世界に類例のない条項を有していた*45。この規定の背景には,多数のドイツ人が,ナチス政権時代に迫害を逃れて外国に亡命したことに対する反省があった*46

しかし,ベルリンの壁崩壊後,庇護申請者が激増し,その多くが,事実上の「経済難民」であることが問題となった*47。折しも,旧東独の市場経済意向のための負担もあって,国民の不況・失業に対する不満が鬱積し,外国人排斥の暴力事件が頻発し,ネオ・ナチ,極右勢力の台頭,一般世論の右傾化,右翼政党の伸長が懸念されるようなった*48

また,欧州統合に伴う調整も必要であった。シェンゲン協定諸国内では人の移動が自由となるため,ダブリン条約において,亡命希望者は,同協定諸国のうち1国でのみ審査を受け得るという調整がなされたが,ドイツは,庇護権規定を有するため,同条約にかかわらず,他国で既に難民申請を却下された者の庇護申請を受け付けざるを得なかったからである*49

与党のキリスト教民主・社会同盟は,移民規制に積極的であり,野党の社会民主党は,これに消極的であったが,前者を支持する世論が強かった。社会民主党にしても,上記シェンゲン協定との調整の必要性は否定できなかったことから*50基本法の庇護権規定を維持するものの,これに一定の制限を課することを許容することに方針転換した*51

そして,若干の妥協と調整を経て本改正が成立し,欧州共同体諸国その他の「安全な第三国」を経由してきた者は庇護権規定を援用することができず(本改正後の基本法16a条2項),政治的迫害等がない国と法定された国の出身者は迫害を受けていないとの推定を覆すべき事実を適示すること要するなどとする本改正がなされた(同3項)*52

40. 連邦鉄道の私法組織化

第40次改正 1993.12.20

モータリゼーションに伴う連邦鉄道の経営悪化,旧東独の国有鉄道の処理問題,欧州統合による市場経済化に対応するため,連邦鉄道の民営化が課題となった。しかし,基本法上,連邦鉄道は,連邦の「固有行政」として実施されることが規定されていたため,これを株式会社などの私法組織によって遂行することを可能とする本改正が実施された。*53

解説

西独の公企業の民営化は,1982年のコール政権成立後に本格化したが,連邦鉄道(及び第41次改正の対象となる連邦郵便)は,本改正前の基本法87条に連邦の「固有行政」として明記され,民営化には基本法の改正を要した。しかし,公務員・運輸・交通産業労組の反対が強く,基本法改正に必要な社会民主党の賛成が得られないでいた*54

しかし,モータリゼーションの進展に伴う連邦鉄道(DB)の経営悪化は否みがたく,さらに状況の厳しい旧東独の連邦帝国鉄道(DR)の処理問題もあり,その改革は避けて通れない状態に至る*55。そして,社会主義体制の崩壊と欧州統合による市場経済化の波,旧東独国営企業の民営化の経験から,連邦鉄道の民営化の流れが作られることになる*56

このような流れの中,ドイツ連邦鉄道政府委員会は,1991年12月21日,鉄道改革のための最終報告書を提出する*57。これによって,①連邦政府の全額出資によるドイツ鉄道株式会社(DEAG)の設立*58,②近距離交通の地方公共団体への移管,③経営部門の線路部門からの分離,④貨物部門と輸送部門の分離が目指されることになる*59

本改正は,上記の改革案を実現するため,前記のとおり,連邦の「固有行政」(本改正前の基本法87条)とされ,連邦の行政組織が直に運営することとが予定されていた連邦鉄道につき,「私法的形態」を採るとする新規定(本改正後の基本法87d条3項)を追加するなどした上,所要の経過措置を定めたものである*60

また,労組対策としては,従前の公務員(官吏)が,公務員身分を保障されたまま,民営化後の会社に「出向」することができるとした(本改正後の基本法143a条1項)。ここで「出向」という形式が採られたのは,公務員が私人に雇用されることは,公権力の国家独占原則(基本法33条4項)との関係で許されないと考えられてたためである*61

41. 連邦郵便の私法組織化

第41次改正 1994.08.30

欧州統合など,市場経済化・自由化の流れの中,連邦鉄道の民営化に引き続き(第40次改正),連邦郵便の民営化が課題となった。しかし,基本法上,郵便事業(郵便,貯金,通信)は,連邦の「固有行政」として実施されることが規定されていたため,これを株式会社などの私法組織によって遂行することなどを可能とする本改正が実施された。*62

解説

西独の公企業の民営化は,1982年のコール政権成立後に本格化したが,連邦郵便(及び第40次改正の対象となった連邦鉄道)は,本改正前の基本法87条に連邦の「固有行政」と明記され,民営化には基本法の改正を要した*63。しかし,公務員・運輸・交通産業労組の反対が強く,基本法改正に必要な社会民主党の賛成が得られないでいた*64

しかし,東西統一によって旧東独公企業が解体され,欧州統合が進む中,市場経済化・自由化の流れは抗しがたい情勢にあり,労組側も条件闘争に転じた*65。そして,連邦鉄道を株式会社化する第40次改正が実現したことが弾みとなり,郵便事業(郵便,貯金,通信)を民営化するための本改正が実現することになる*66

また,労組との妥協としては,従前の公務員が,公務員としての地位を維持したまま,民営化後の企業に雇用されるという形態が採られることとなった(本改正後の基本法143b条3項)。これは公務員の人事管理の権限を私企業に委任(特許)するものであり,公権力の国家独占原則(基本法33条4項)の明示の例外となる*67

42. 東西統一を契機とする憲法秩序の再編

第42次改正 1994.10.27

ドイツ統一に伴う第36次改正は,技術的な改正に留められたことから,統一条約5条に基づき,実質的な憲法秩序の見直しとして,本改正が実施された。保守派の抵抗が強く,旧西独の基本法構造を大きく変化させるには至らなかったが,男女平等促進規定や環境保護規定の導入など,注目すべき規定が導入された。

解説

第36次改正でみたように,東西ドイツの統一に当たり,当時の基本法23条による東独地域の「加入」方式派と同146条による「新憲法」の制定方式派との対立があった*68。結局,前者が採用されたが,その際の妥協として,統一条約5条は,2年以内に,連邦と州との関係,国家目標規定の導入等に関し,基本法の改正・補充等を推奨する規定を置いた*69

このような経緯から,統一条約5条の課題を履行するに当たっても,新憲法制定派は,市民を含めた特別の協議会を設置し,国民投票を実施することも提案した*70。しかし,結局,1992年1月16日,連邦議会連邦参議院による両院合同憲法調査委員会が設置され,その勧告に基づき,通常の基本法改正手続が採られることとなった*71

確かに,同委員会でも,統一条約5条の列挙事項のみならず,旧東独憲法では広汎に保障されていた社会的基本権規定の導入,旧東独政府の非民主的な性格に対する反省としての直接民主制の導入など*72基本法の約半数に亘る条項が審議され検討が加えられており,本改正が,新憲法制定に代わる実質を有する改正となる可能性はあった*73

しかし,同委員会が1993年10月28日に全会一致で承認した最終報告書(BT-Drs. XII/6000*74)は,従前の基本法の構造を大きく代えるものではなく,当たり障りのない妥協的なものに留まった*75。これは旧西独の路線を支持する保守派の抵抗が強く*76,また,同委員会が3分の2の特別多数による議決方式を採っていた結果とされる*77

本改正は,この最終報告書を基本とし,両院で若干の修正を経たものである*78。その主な内容は,①男女平等促進規定*79・障害者差別禁止規定*80,②環境保護規定*81,③連邦による競合的立法権の行使要件の厳格化など連邦と州の関係規定*82,④旧東独のベルリン州及びブランデンブルク州の合併のための手続規定*83の創設・改正である。

43. 児童手当制度の再設計に伴う州の財源保障

第43次改正 1995.11.03

連邦憲法裁判所の1992年9月25日決定を受け,児童手当制度が再設計され,所得税の還付として位置付けられることとなった。しかし,従前,児童手当は連邦の負担であったところ,共同税たる所得税の還付の増大は州の歳入減をもたらすものであったことから,これを同じく共同税たる売上税の配分で補填するため,本改正がなされた。

解説

基本法6条1項は,婚姻と家族に「特別な保護」が与えられるべく定めるが,その顕れとして「家族負担調整」という概念があり,伝統的に社会保障給付としての児童手当と税制上の所得控除としての児童控除とを二本柱としてきた*84。その制度設計を巡っては,左右の考え方の相違もあり,従前から制度改正が繰り返されてきた*85

この問題は,連邦憲法裁判所でも頻繁に争われており,同裁判所の1990年5月29日決定(BVerfGE 82, 60)は,社会保障給付としての児童手当には立法者の裁量があるが,1975年の制度改正以降は*86,児童手当にも所得控除としての機能(税負担軽減機能)が付与されたため,最低生活費の非課税原則を満たす必要があると判示した*87

要するに,児童控除及び児童手当は,社会保障の対象とならない高額所得者をも対象とした上,対象者と対象者の家族・子供の最低生活費を所得控除する効果があるよう設計される必要があるということであり,これに引き続く1992年9月25日決定(BVerfGE 87, 163)は,立法者に対し,1996年度から有効な新規定を制定するよう命じた*88

この判決を受け,1996年の年次税法等において*89,家族負担調整が最低生活費の非課税原則を満たすよう再設計する改革がなされた(家族履行調整)。新制度は,児童手当を所得税の還付として位置付け,児童手当と児童控除の双方を所得税法上の制度として統一的に捉えることを可能としたものであった*90

本改正は,上記改革に伴う付随的な調整である。すなわち,これまで児童手当は連邦の負担であったが,同改革によって,これが連邦と州の共同の収入たる所得税の還付と位置付けられため,結果として,州の収入額が減少してしまうことが大問題となったことから,その補填として,州に対する売上税の配分割合を引き上げることとされたのである*91

44. 営業資本税の廃止に伴う市町村の財源保障

第44次改正 1997.10.20

市町村の独自財源であった営業資本税は,収益に無関係に賦課されることから経済界の評判が悪く,ドイツ経済の低迷を契機として廃止されることになった。本改正は,これを市町村側に納得させるため,その補填としての売上税の分配の基準,残る独自財源である営業収益税の存続を基本法に明記するためのためのものである。

解説

ドイツの市町村では,伝統的に営業税が重要な財源であった*92。営業税は,自治体サービス等の受益に対応するものとして,収益と無関係に課される対物税であるが(応益原則)*93第22次改正による改革,1979年租税改革法を経て,営業収益を課税標準とする営業収益税が中心となり,その対物税としての性格を弱めていた*94

1990年代になると,営業税のうち,対物税としての性格を残す営業資本税の廃止の圧力が強まる*95。営業資本税は,そもそも収益の多寡と無関係に営業資本に応じて賦課される点で問題である上,課税最低限が高く,実質的に「大企業課税」となっており,ドイツ企業の国際競争力を弱めているというのである*96

このような議論が高まった背景には,1990年の東西統一の興奮が過ぎ*97,ドイツ経済の活力低下がみられるようになったとして(ドイツ病),高い租税負担や労働コストの低減が求められていたことがある*98。当時のコール政権にとっても,この点を改善し,産業・経済構造を変革することは,政権を維持する上で重要な課題となっていた*99

しかし,営業資本税の廃止には,独自財源を失うことになる市町村の反対が強く,また,営業資本税が「大企業課税」であることの裏返しとして,その廃止は中小企業にとって不利となるという指摘もあって*100,1995年,営業資本税を廃止するため連邦議会に提出された法案は,市町村の意向を受けた野党社会民主党の反対で頓挫してしまう*101

とはいえ,社会民主党にしても,ドイツ企業の投資環境の改善自体に絶対反対というわけにはいかない。そこで,市町村側も営業資本税廃止に伴う減収の補填が適切な基準によってなされること,営業収益税が廃止されないことが基本法の規定に保障されることなどの条件面での妥協に応じ*102,営業資本税を廃止する1998年営業税改革が実現する*103

45. 住居内の会話を傍受する捜査の許容

第45次改正 1998.03.26

組織犯罪対策の必要性の高まり,欧州統合の反動としてのドイツ国民の保守化等を背景に,犯罪捜査のため,電話など外部との通信の傍受のみならず,住居内の会話の傍受を可能とする法整備がされることとなった。しかし,これは基本法の住居の不可侵(13条)の規定との関係で問題があったことから,その合憲性を担保する本改正がなされた。

解説

ドイツでは,緊急事態法制を整備した1968年の第17次改正のにおいて,通信の秘密に関する基本法10条を改正し,捜査手段としての通信傍受を導入したが,これと似て非なるものとして,住居内会話の盗聴という概念がある。電話や郵便による住居外との交渉ではなく,住居内で完結すべき事象を対象とするからである*104

住居内に盗聴器を設置し,その会話を収集するような場合*105,通信の秘密ではなく,私的領域(プライバシー)の保護が問題となるが,基本法は,これを住居の不可侵(13条)として保護する*106。そのため,立法化には基本法上の疑義が生じかねないところ,ナチスの監視国家体制への反省もあって,その導入は見送られてきた*107

しかし,1990年代から,組織犯罪対策が世界的に課題となり,また,欧州統合の深化に対する反動として,国民の保守化・内向き姿勢が強まったことを背景に,連邦議会選挙を控えた野党社会民主党が協力姿勢に転じると,多数の造反など紆余曲折はあったものの,1998年3月,住居内盗聴を可能とする刑事訴訟法等の改正法が成立する*108

本改正は,前記法改正と同時に,住居の不可侵の例外として,住居内会話の盗聴を許容する要件として,基本法13条3項以下に詳細な規定を付加したものである。もっとも,その詳細さにもかかわらず,これを具体化する刑事訴訟法の規定を巡って争いが残り*109,2004年3月3日,連邦憲法裁判所によって,当該規定の違憲判決が下されることになる*110

46. 連邦議会の選挙時期の調整

第46次改正 1998.07.16

第33次改正の結果,連邦議会選挙の時期は,解散による場合を除き,徐々に繰り上がる運用がされており,次々回の選挙には,投票日が夏季休暇と重なることが予想された。折しも投票率の低下が問題となっていたところ,投票率の低下に拍車が掛かることを避けるため,選挙の時期を夏季休暇後に固定するための改正がされた。

解説

連邦議会は,解散が無い限り,4年(48月)ごとに改選されるが,第33次改正は,夏季休暇と新旧議会の空白期間の連続を避けるため*111,旧議会の45月目から47月目の間に旧議会の選挙を実施し(同改正後の基本法39条1項2文),その後,30日以内に招集される新議会の最初の集会とともに旧議会を終了させることとした(同条3項)。

この結果,連邦議会の議員の任期は,解散がない場合でも,4年に満たないことが常態となり,その帰結として,新議会のための選挙の時期も徐々に繰り上がることとなった。実際,1983年の解散後でみても,連邦議会選挙の日は,1983年3月6日,1987年1月25日,1990年12月2日,1994年10月16日というように早まっていた*112

そして,ここでも夏季休暇が問題となった。ドイツでは1990年代から投票率の低下が顕著になり,国民の政治不信,政党離れが広く指摘されるようになっていたところ(*),このままでは連邦議会選挙の時期が一般的な夏季休暇期間と重なってしまい,投票率の低下に拍車がかかる危険性があったからである*113

本改正は,この問題に差し当たって対応するため,選挙の時期を旧議会の「46月目から48月目」としたものである*114。本改正直後の連邦議会選挙は,既に1998年9月27日に実施することが決められていたため,本規定は適用されなかったが*115,2002年以降の選挙については,本規定に基づき,いずれも9月下旬に行われるよう運用されることになる*116
続く

*1:松原聡「民営化と規制緩和」(東海大学文明研究所紀要11号71頁),1991年,71頁,小澤幸夫「ドイツ統一とヨーロッパ統合:コール政権の十六年」(国際経営フォーラム10号29頁),1998年,30頁。

*2:他方,前記第40次第41次改正については,ドイツでの議論も少なく,新聞報道でも簡単にしか触れられなかったという(初宿正典「最近のドイツの憲法改正について(一)」,自治研究71巻2号3頁,1995年2月,6頁)。

*3:広渡清吾「統一ドイツにおける基本法改正をめぐる問題・1」,法律時報67巻8号55頁,1995年7月,同「2」,同9号99頁,同年8月,同「3・完」,同10号43頁,同年9月。

*4:万仲脩一「欧州連合(EU))の成立と発展」,大阪産業大学経営論集8巻1号103頁,2006年10月30日,111頁。Cf. Conclusions of the Presidency, European Council, Strasbourg 8 and 9 December 1989, European Parliament Activities, Special Edition, SN 441/2/89, p. 15.

*5:小林正文「西欧諸国の外国人規制強化とその波紋」(東洋女子短期大学紀要26巻33頁),1994年3月15日,36頁から39頁,西修アルバート・P・ブラウスタイン著「世界の憲法」解説と補遺」(法学論集49号39頁),1994年3月,57頁。

*6:本改正法は,下田久則「第35次基本法(第21条第1項)改正法及び,政党法及びその他の法律を改正する法律」(外国の立法23巻3号117頁,1984年5月,122頁)に訳出される。

*7:1958年6月24日判決(BVerfGE 8, 51)は,傍論で国家による財政援助を許容する判示をしていたが,1966年7月19日判決(BVerfGE 20,56)は,これを選挙準備費用に限って認めるとの制限を課した(森英樹「判批」,ドイツ憲法判例研究会ら編『ドイツの憲法判例』〔第2版〕・89頁,2003年12月25日,加藤一彦「判批」,同・390頁)。もっとも,1968年12月3日決定(BVerfGE 24, 300)は,その制限を実質的に緩やかに解し,本改正後の1992年4月9日判決(BVerfGE 85, 264)は,一転して厳格な制限を課すことになる(中島茂樹「政党国庫補助と思想・良心の自由」,立命館法学289号・1頁,200年,41頁〜44頁,上脇博之「判批」,前掲『ドイツの憲法判例』〔第2版〕・408頁)。

*8:ただし,政治献金を所得控除することは,間接的財政援助(前掲上脇・411頁)として問題となり得る。前掲1958年判決は,この点を平等原則との関係で問題としており(前掲森),前掲1992年判決は,1986年7月14日判決(BVerfGE 73, 40)の段階では問題とならなかった企業献金の特殊性を問題とする(前掲上脇,前掲中島・43頁)。

*9:この政党法の規律は,基本法の文言にそぐわないように思われるが,献金者の氏名の公表は献金者の減少をもたらすことから,基本法21条1項4文にいう「出所」とは,個々の献金者の氏名をいうのではなく,「収入の一般的方向」をいうものにすぎず,個々の献金者の氏名を公表してしまっては,選挙の秘密の保障に反し,また,実際上も困難であるなどとする主張がなされたことから,妥協的に設定されたものとされる(佐藤功「西ドイツにおける「憲法と政党」(二・完)」,上智法学論集14巻1号13頁,1979年10月,35頁〜37頁,ドイツ連邦共和国政党法委員会[著],土屋正三ら[訳]「政党制度の法的秩序」,自治庁選挙局,1958年,225頁〜227頁)。

*10:早くも1954年,ブルジョア諸政党に寄付金を提供する「登記社団・国家国民協会1954」が設立され,連邦政府から資金援助を受ける財団を通じた間接的な国家補助,外国を経由した資金洗浄が行われてた(ハイリンヒ・アウグスト・ヴィンクラー[著],後藤俊明ら[訳]『自由と統一への長い道Ⅱ』,2008年7月25日,359頁〜360頁)。

*11:前掲1958年判決(BverfGE 8, 51)が,政治献金の所得控除を定率とすることは,資金力の強い集団の支持する政党を一方的に有利にするとして,平等原則違反を指摘したものであり,これによって,献金者は,直接的な政治献金ではなく,公益財団等を通じた間接的な献金によるようになったとされる(前掲森,前掲ヴィンクラー・359頁)。

*12:フリック・コンツエルンによる間接的な献金が,同社の株売却や投資計画に対する免税許可などの便宜供与の対価としてなされたのではないかという疑惑などが問題となった事案である(前掲ヴィンクラー・360頁〜361頁,中村英一「厳しい社会的制裁が政治倫理の意識を守る」,世界週報67巻20号12頁,1986年5月20日,14頁)。

*13:この種の違法献金に関しては,野党においても,緑の党はともかく,社会民主党も無縁ではなかった(前掲中村・13頁)。そのため,政党資金にかかわる犯罪全般を特赦するための法律さえ制定されかねないところであり(前掲ヴィンクラー・361頁),「買収された共和国」などという揶揄もされた(同・391頁)。

*14:同意見書は,国立国会図書館調査立法考査局[訳]「政党財政再編に関する報告書」(調査資料83−1)として邦訳されている。

*15:ただし,同時に,選挙準備費用名目での政党に対する国庫補助の額が引き上げられ,政治献金に対する税制上の優遇を拡充されるなど,政党が,「適法」に資金調達することのできる範囲が拡大されており,これに反対した緑の党が連邦憲法裁判所に提訴したことにより,前掲1986年判決(BVerfGE 73, 40)に至る(前掲ヴィンクラー・393頁)。

*16:この際の政党法改正法(vom 22. 12. 1983, BGBl I. S. 1577)は,前掲下田・122頁に訳出されている。なお,河島太朗「米英独仏における外国人の政治献金規制」(調査と情報542号,2006年6月1日)・8頁は,この改正を「1984年12月」とするが,「1983年12月」の誤りではないかと思われる。

*17:我が国の感覚からすると不思議であるが,1967年に政党法制定の際の報告書である前掲「政党制度の法的秩序」・223頁は,「収入」の審査の範囲内において「使途」の公報告を求めることができるとしており,前掲「政党財政再編に関する報告書」・145頁,183頁も,基本法を改正した上,「使途」及び「資産」の公開義務を課すことを勧告する。

*18:その外に,基本法24条に基づき,西独と東独が「国家連合」を形成し,徐々に統合を推し進めていく方法もあり得たが,事態の急激な展開は,そのような漸進的な方法による可能性を消滅させた(高田篤「ドイツ統一直前の基本法(三・完)」,自治研究67巻1号107頁,1991年1月10日,108頁〜109頁)。また,同条は,欧州連合の創設のような「超国家的」な統合を問題とする条項であり,東西統一のような「国家的統一」(本改正前の前文参照)を問題とするものではないように思われることも指摘されていた(クラウス・シュルテン[著],高田篤[訳]「ドイツ統一への道における憲法上の基本問題」,立命館法學214号724頁,1990年,731頁〜732頁)。

*19:実際,1989年まで,この方法によることが当然であると考えられていた(前掲高田・109頁,中村登志哉『ドイツの安全保障政策』,2006年7月20日,34頁,35頁)。

*20:本改正前の基本法146条は,「この基本法は,ドイツ国民が自由な決断で議決した憲法が施行される日に,その効力を失う。」とのみ定め,具体的な手続は何ら定められていない。1950年代には,東西合同の憲法制定議会を開催する方式などが議論されていたが,具体的な詳細には種々の議論があった(前掲シュルテン・732頁)。新憲法方式を推した社会民主党も,現行の基本法の内容は高く評価しており,新憲法方式によることの不確実性には迷いがあったとされる(前掲高田・109頁)。

*21:「加入」方式を主張する論者は,当初,この時間的な問題を主たる論拠とし,その後,新憲法の内容の不確実性などを指摘するようになったという(前掲高田・109頁)。

*22:もっとも,この東独国民の意思表明には,既に東独の国家機関が事実上の崩壊状態を来たし,西独の政党が選挙戦に参入して遊説するような状況下になされたことは留意するべきであろう(広渡清吾「統一ドイツにおける基本法改正をめぐる問題・1」,法律時報67巻8号55頁,1995年7月,57頁)。

*23:本改正の具体的な改め文は,政府間の合意文書である統一条約に規定されたものにすぎないが,西独においては,条約に対する議会の同意が法律(同意法律)の形式でされるため(基本法59条2項),その同意法律の議決に両院の3分の2を課すことで,基本法を改正する法律(同法79条1項)の制定に代えられた。なお,このような形式による基本法の改正の合憲性を巡って,連邦憲法裁判所に機関訴訟が提起されたが,連邦憲法裁判所は,これを追認した(BVerfGE 82, 316,岡田俊幸「判批」,ドイツ憲法判例研究会ほか編『ドイツの憲法判例Ⅱ』〔第2版〕,55事件・355頁,2006年5月20日)。

*24:東独においても,選挙で加入方式派が勝利したとはいえ,新憲法の制定を求める声も根強かった(前掲広渡・57頁)。例えば,社会的基本権に相当する規定の制定,環境保護に関する規定の追加,州の権限の拡大,直接民主制的要素の導入などが議論されていた(前掲高田・112頁)。

*25:前掲中村36頁〜37頁,樋口陽一『比較憲法』〔全訂第三版〕,現代法律学全集36,1992年2月20日,291頁。

*26:航空管制に関しては,その外,技術設備の老朽化,給与制度の問題点も指摘されていた(米村恒治「ドイツにおける航空管制組織改革と「私人による行政」論」,同『私人による行政』・第4章149頁,1999年2月26日,152頁)。

*27:Mathew W. Pile (JD Cand.) ”Ten years of Basic Law amendments: developing a constitutional model of German unification”, 34 Vanderbilt Journal of Transnational Law 633, 651

*28:なお,この改革には,第40次改正による鉄道民営化と同様,旧東独の公共インフラの改善の必要性に起因する面があることも指摘されている(Pile, op. cit., 651.)。

*29:さらに,連邦運輸大臣は,飛行計画調整権限,航空スポーツに関する許認可権限を私人に委任することができるとされた(前掲米村・153頁〜154頁)。

*30:例えば,権限委任を受けた私人は,行政手続法の適用を受け,「行政庁」として,行政訴訟の対象ともなる(前掲米村・155頁〜156頁)。

*31:連邦大統領は対外的にドイツを代表する存在であるが(基本法59条1項),その命令・処分には,連邦首相又は担当大臣の副署を有するなど(同法58条),自ら政治的な権限を行使しない儀礼的・名誉職的な地位にある。連邦の法律も,両院の議決等のみによって成立し(同法78条),連邦大統領による認証は,公布の前提となる形式的な手続にすぎないのが通常である(同法82条)。

*32:高権的権限の行使が公務員によってなされる必要があると定める基本法33条4項の規定には,歴史的な経緯もあるのであるが,国民に責任を負う専門の公務員に権限を留保することには,人権保障的な意義もあった(前掲米村・156頁〜157頁)。

*33:連邦の「固有行政」とされた権限については,連邦の行政組織によって担われる必要があるのか,連邦に直属する公法上の社団・営造物を通じた間接行政を許すものなのであるかには議論が分かれていたが,問題となった航空法改正は,私法上の組織を通じた間接行政という従前は議論されていなかった論点を含むものであるため,これを違憲とする議論はあり得た(前掲米村・157頁〜158頁)。

*34:特に,基本法33条4項との関係,すなわち,国家権限の行使が,国民に責任を負う専門の公務員に留保されていることの人権保障的効果との関係について,連邦政府が,どのような立場をとるのかは明確でない(前掲米村・158頁〜161頁)。

*35:ところで,東西ドイツ統一条約5条に基づく第42次改正(1994年10月27日)は,連邦議会連邦参議院とが合同で設置した「憲法問題合同調査会」の最終報告書を受けてなされることになるが,同報告書(BT-Drs. XII/6000)をみると,基本法87d条1項について,本改正と同内容の改正をすべきこともが勧告されている。同報告書は,本改正の後である1993年11月5日に提出されたものであるから,もはや無意味な勧告ということになるが,基本法87d条1項の改正の必要性については,同調査会において,本改正に先立つ1992年3月12日に審議されている(vgl. BT-Drs. XII/6000, S. 164)。なお,同報告書が勧告した具体的な条項案部分(BT-Drs. XII/6000, S. 15-18)の全文は,吉田栄司「ドイツ憲法問題合同調査会最終勧告」(ジュリスト1036号77頁,1993年12月15日)に邦訳されている(78頁〜80頁)。

*36:本改正後の条文は,初宿正典「ドイツ統一後の基本法の改正について」(ジュリスト1023号95頁,1993年6月1日)に訳出されている。

*37:山口和人「欧州連合設立に伴う基本法の改正作業」(ジュリスト1011号72頁,海外法律情報・ドイツ)1992年11月1日,72頁。

*38:本改正は,第42次改正を導く「憲法問題合同調査会」で審議されることになるが(vgl. BT-Drs. XII/6000, S. 15-18, 19-30),欧州統合は,もはや「外交問題」ではなく,「ヨーロッパの国内問題」であるといて,州の利害の反映が課題となった(前掲山口・同頁)。

*39:欧州連合諸国民の地方参政権は,基本法28条1項に第2文を追加し,中央銀行の権限の委譲に関しては,基本法88条2項に第2文を追加することでなされあ。なお,前者のについては,一般的な外国人参政権の導入論との関係でも議論されたが,結局,マーストリヒト条約の要請の限度の改正に留まった(日比拓也「ドイツにおける国民主権の同様」,法政論集215号121頁,2006年,153頁)。

*40:また,このような欧州諸機関に権限を委譲する法律は,緊急事態の際の立法機関である合同委員会の法律によることはできないとされた(115e条2項2文)。

*41:すなわち,州は,連邦政府の同意を得て,州の主権を(他国の機関にも)委譲することができるとされたが(24条1a項),欧州連合には連邦参議院を通じて関与することとされた(50条)。また,欧州連合の事務のため,連邦議会に専門の常任委員会が設置され(45条),連邦参議院に専門部会を設置されることが憲法事項とされ(52条3a項)。個々の条文と解説は前掲初宿・96頁以下のとおりである。

*42:村上淳一ら『ドイツ法入門』,改訂第8版,2012年8月,74頁,広渡清吾「統一ドイツにおける基本法改正をめぐる問題⑵」(法律時報67巻9号95頁),1995年8月,96頁。

*43:Timothy Garton Ash, In Europe's Name: Germany and the Divided Continent. Google eBooks, 2010, Epilogue, European Germany, German (p. 385 in the printed version. 1993).

*44:山岡規雄・元尾竜一「諸外国における戦後の憲法改正【第4版】」(調査と情報824号,2014年4月24日)・8頁は,本改正の内容を「庇護権規定の充実」とするが,少なくともミスリーディングといわざるを得ない。

*45:小林正文「西欧諸国の外国人規制強化とその波紋」(東洋女子短期大学紀要26巻33頁),1994年3月15日, 34頁〜35頁。

*46:基本法制定に関わった議員の多くが亡命経験者であり,理想主義に裏打ちされた規定であったともされる(前掲小林・35頁)。

*47:もちろん,経済難民であれば亡命は認められないが,審査中は就労することができる,その間に行方をくらますケースも少なくなかった(前掲・34頁,35頁)。

*48:外国人に関するネオ・ナチ,極右勢力が絡んだ暴力事件は,1991年に1483件,1992年に2285件に及んだ(前掲小林・35頁〜36頁)。

*49:ダブリン条約は,各国に対し,他国が既に棄却した難民申請を却下をする根拠を付与したものにすぎず,各国が,その国内法に基づき,他国で難民申請を却下された者を受け入れることを禁じるものではない(前掲小林・37頁〜38頁)。しかし,ドイツのみ,手厚い庇護を与えているとなると,ドイツを最終目的地とする「難民ツーリズム」を生み出し,ダブリン条約体制の「穴」となってしまうという批判があった(広渡清吾『統一ドイツの法変動』,1996年4月5日,239頁,247頁)。

*50:シェンゲン協定との調整は,庇護権の制限という保守的な政策に方針転換する上での「大義名分」(前掲小林・42頁)となり得るものであったとも指摘されている。

*51:キリスト教民主・社会同盟が,1989年のベルリン市議会選挙において,難民政策に不満を持つ有権者の取り込みに失敗し,右翼政党である共和党の進出を許してしまっており(昔農英明「現代ドイツの難民政策に関する政治社会学的考察への序論:一九九三年の基本法庇護権改正以降を中心に」,法學政治學論究68号195頁,2006年3月,201頁),1990年の連邦議会選挙で移民規制の強化を訴えて勝利していたため,社会民主党も,この世論を無視することは難しく(Mathew W. Pile, JD Cand., ”Ten years of Basic Law amendments: developing a constitutional model of German unification”, 34 Vanderbilt Journal of Transnational Law 633, 657.),1992年に方針転換した(前掲小林・38頁)。

*52:ちなみに,現行の2008年庇護手続法(Asylverfahrensgesetz v. 2.9.2008 I S. 1798, Zuletzt geändert durch Art. 2 G v. 23.12.2014 I S. 2439)では,「安全な第三国」として,欧州連合諸国の外,スイスとノルウェーが指定され(26a条,別表Ⅰ),政治的迫害等がない国として,欧州連合諸国の外,ボスニアヘルツェゴビナ,ガーナ,マケドニア旧ユーゴスラビア共和国セネガルセルビアが指定されているが(29a条,別表Ⅱ),日米などは指定されていない。

*53:本改正後の条文は,初宿正典「最近のドイツの憲法改正について(一)」(自治研究71巻2号3頁,1995年2月)・8頁〜12頁において,おおよそ邦訳されている。

*54:初期の民営化事例としては合同電力鉱山株式会社(VEBA),合同工業企業株式会社(VIAG),フォルクスワーゲン(VW)の民営化である(加藤榮一「ドイツにおける公企業の民営化」,経済学論集35号1頁,1996年,1頁,3頁〜4頁)。

*55:DBは,1983年11月の閣議提言に基づく「DB戦略’90」などの経営改善策を実施していたが,結局,現行の経営形態による再建は不可能になったとされる(堀雅通「公企業改革としてのドイツの鉄道改革」,観光学研究7号37頁,2008年3月,37頁〜38頁)。

*56:前掲加藤・7頁〜8頁,桜井徹「EC市場統合とドイツ統一の中のドイツ連邦鉄道」,ペーター・アイヒホルン,桜井徹,縣公一郎[編著]『EC市場統合と統一ドイツ』・第Ⅱ部第6章105頁,1993年3月10日,129頁。

*57:同報告による改革案は,欧州共同体の鉄道指令(91/440/EEC)に対応するためという側面も有するが(前掲堀・49頁・注9),同指令自体は,鉄道組織を私法組織とすることまでは求めておらず,その内容を超える改革といえる(前掲桜井・133頁)。

*58:前記のとおり,民営化には労組の反対があったが,我が国の国鉄民営化に比し,労働者の身分保障に配慮されたと指摘される(米村恒治「連邦鉄道改革と「私人による人事管理」」,同『私人による行政』・第8章239頁,1999年2月26日,245頁〜246頁)。

*59:前掲桜井・130頁〜132頁の整理によるが,経営効率を高めるため会社組織を採るが,不採算であるが公共性が高い路線を地方公共団体に維持させ,公共インフラとしての線路の維持を連邦の責任とする点がポイントである(前掲堀・46頁)。

*60:なお,連邦固有行政の私法組織化の先例としては,航空管制に関する第38次改正があるが,連邦鉄道の私法組織化においては,原則として,鉄道行政に関する高権的任務は行政機関の側に残され,私法組織に移されるのは鉄道事業の運営に関する部分のみであり,公権力の国家独占原則(基本法33条4項)との抵触が問題になりにくかった点で状況を異にするといえよう(前掲米村・242頁,243頁,249頁・注11,注15)。

*61:民営化後の会社が,出向した公務員に指揮命令権を行使するため,法律によって,個別の委任が必要となる(前掲米村・246頁)。

*62:本改正後の条文は,初宿正典「最近のドイツの憲法改正について(一)」(自治研究71巻2号3頁,1995年2月)・12頁〜14頁において,おおよそ邦訳されている。。

*63:米村恒治「第2次郵便改革と「私人による官吏の雇用」」,同『私人による行政』・第9章251頁,1999年2月26日,274頁〜276頁,初出「ドイツ第二次郵便改革の行政法的考察」,鹿児島大学法学論集30巻2号95頁,1995年3月20日,119頁〜121頁)。

*64:初期の民営化事例としては合同電力鉱山株式会社(VEBA),合同工業企業株式会社(VIAG),フォルクスワーゲン(VW)の民営化である(加藤榮一「ドイツにおける公企業の民営化」,経済学論集35号1頁,1996年,1頁,3頁〜4頁)。

*65:その政治的妥協の結果,本改正後も,郵便事業に対する国家関与の確保,従業員の待遇の維持,独占分野の残存などがみられることになる(前掲加藤7頁〜8頁)。

*66:ただし,既に1989年の段階で,基本法改正を伴わない第1次郵便改革が実施され,郵便,貯金,通信の各現業部門の分離がなされており,第40次改正に先立つ1993年5月には,連邦政府主導で妥協案が取りまとめられていた(前掲米村・257頁〜263頁,同初出論文・97頁〜107頁)。

*67:連邦鉄道の民営化においては,公務員の「出向」(第40次改正後の基本法143a条1項)という形式が採られたが,本改正による「私人による管理の雇用」という形式は,雇用主たる企業側の権限が強くなり,柔軟な人事を可能とするとされる。(前掲米村・282頁〜287頁,同初出論文・128頁〜132頁)。

*68:憲法制定方式は,もともと予定されていた方式であり,東西の平等性を担保し得るというメリットがあったが,統一を急ぐ必要があった中,制定される新憲法の内容の不確定性が懸念され,結局,加入方式が採用されることになった(高田篤「ドイツ統一直前のボン基本法(三・完)」,自治研究67巻1号107頁,1991年1月,109頁)。

*69:また,同条は基本法146条の適用の問題にも取り組むことを推奨しており,統一後,改めて新憲法を制定するという可能性も残されていた(前掲高田・118頁〜19頁)。

*70:なお,基本法79条に基づく通常の基本法改正は両院の議決のみによってなされ,基本法146条による新憲法制定は手続規定を欠くため,国民投票によって新憲法を制定するためには,(法的革命によらない限り)基本法79条又は146条の通常の改正を先行させる必要があろう(広渡清吾「統一ドイツにおける基本法改正をめぐる問題・1」,法律時報67巻8号55頁,1995年7月,60頁)。

*71:同委員会には,連邦議会から32名,連邦参議院から32名の委員が選出され,また,各同数の補助委員が選出された(渡辺暁彦「統一ドイツにおける基本法改正論議の一側面」,同志社法學48巻3号477頁,1996年9月30日,485頁〜486頁)。

*72:統一条約5条も国民投票の問題に触れるが,これは基本法146条(新憲法制定)の適用の範囲内に限ってのことである。

*73:広渡清吾「統一ドイツにおける基本法改正をめぐる問題・3完」,法律時報67巻10号43頁,1995年9月,43頁〜45頁。

*74:同委員会での議論の大略は,山口和人「両院合同委員会の審議終了」(ジュリスト1030号122頁,1993年9月15日)で紹介される。また,最終報告書において承認された条項案は,後掲吉田・78頁以下に邦訳されている。

*75:その多くは統一前から議論されていた問題とされる(前掲渡辺・491頁)。なお,統一前に問題となっていた事項については,高田篤「ドイツ統一直前のボン基本法(二)」(自治研究66巻12号110頁,1990年12月),「同(三・完)」(前掲)が詳しい。

*76:社会的基本権については,基本法に権利として規定されながら,具体的権利性がないとすると,却って有害であるという反対論があり,直接民主制については,ワイマール憲法の失敗,議会の形骸化などが問題とされた(前掲広渡(3完)・44頁〜45頁)。

*77:特別多数決の問題の外(前掲吉田・77頁〜78頁),各委員が,所属する政党,州政府に拘束されたという問題も指摘されていた(前掲渡辺・491頁,497頁・注37)。

*78:両院の審議経過は,初宿正典「最近のドイツの憲法改正について(一)」(自治研究71巻2号3頁,1995年2月)・4頁〜5頁に略述される。最終的に可決された改正法の内容が,「同(二)」(同巻3号3頁,同年3月)に解説されるので,最終報告書における条項案の邦訳(吉田栄司「ドイツ憲法問題合同調査会最終勧告」,ジュリスト1036号77頁,1993年12月15,78頁以下)と対照されたい。

*79:前者は,基本法2条2項「男性と女性は同権である。」に第2文を追加するものであるが,連邦憲法裁判所は,本改正前の上記規定に基づき,積極的差別是正措置を是認する見解を示しており,本改正は,その追認ともいえる(前田徹生「男性のみに消防奉仕活動・消防活動負担金を義務づける州法の合憲性」,ドイツ憲法判例研究会ほか編『ドイツの憲法判例Ⅱ』〔第2版〕,15事件・109頁,2006年5月20日,113頁)。

*80:ドイツの障害者施策は,伝統的には,障害による不利益を補填するという方法論によっていたが,1990年代,差別の禁止,機会の均等・バリアフリーの確保という方向性への「パラダイム転換」が生じたとされており,本改正は,この流れの中に位置付けえることができる(山本真生子「ドイツの障害者平等法」,外国の立法238号73頁,2008年12月,74頁〜75頁)。

*81:環境保護規定に関しては,1970年代から議論されてきたものであり,人権の「人間中心主義」との相克もあって重要な改正であるが,邦語文献も多いため詳述は避けるが,その制定過程については,例えば,岡田俊幸「ドイツ憲法における「環境保護の国家目標規定(基本法20a条)」の制定過程」(ドイツ憲法判例研究会ほか編『未来志向の憲法論』・11論文・223頁,2001年8月30日)を挙げることができる。

*82:連邦参議院連邦議会との関係を含む。総則的規定の改正で注目されるのは,連邦の競合的立法権の行使の制限を実効化するための基本法72条の改正,93条1項2a号の追加であり,改正後の規定に基づく判例として連邦憲法裁判所2002年10月24日判決・判例集106巻62号がある(服部高宏「連邦と州の立法権限の再編」,佐藤孝治ら編『現代社会における国家と法』・453頁,2007年5月21日,462頁〜463頁)。**追補:個別的規定の改正として,例えば,生殖補助医療に関する規律が,連邦の競合的立法事項とされた(74条1項26号)。同改正前も,この分野を規律する法律として「胚保護法」があったが,あくまでも「刑事法」(改正前74条1号)という建前であった(三輪和宏ら「ドイツとイタリアの生殖補助医療の制度」,レファレンス792号33頁,2017年1月20日,40頁,同頁・注18,41頁)。

*83:ベルリン州は1都市で州の地位を有する都市州であり,周囲をブランデンブルク州に囲まれている。その合併のための規定を整備することは統一条約5条に明記されていたものであり,1996年3月,本改正が創設した基本法118a条に基づき住民投票が行われたが,ブランデンブルク州民の反対多数によって合併は実現しなかった(山口和人「ドイツ連邦制下の州と自治体」,レファレンス64巻4号3頁,2014年4月,5頁・注5)。

*84:その外,疾病保険や介護保険において児童を負担のない被保険者と扱うなど,種々の優遇保護策がある(斎藤純子「ドイツの児童手当と新しい家族政策」,レファレンス60巻9号47頁,2010年9月,50頁,同頁・注27)。

*85:再分配政策を重視する社会民主党は児童手当を重視しており,1975年,シュミット政権下で児童控除を廃止し,児童手当に一元化したが,これを違憲とする1982年11月3日の連邦憲法裁判所判決もあり,児童控除を重視するキリスト教民主・社会同盟のコール新政権が成立すると,1983年,児童控除が復活することになり,その具体的な制度設計を巡って,多数の違憲訴訟が提起され,本改正の契機となる連邦憲法裁判所の判断が示されることとなる(前掲斉藤・53頁〜55頁)。

*86:前注のとおり,家族負担調整は,1975年,一時的に児童手当に一本化され,児童手当の給付額は,児童控除の機能をも取り込むよう引き上げられ,1983年に児童控除が復活した際も,元通りには切り下げられなかった(前掲斎藤・53頁〜54頁)。

*87:この判決は,1983年に児童控除が復活された後,これが1986年に大幅に拡充される前の制度を対象としている(前掲斎藤・55頁,倉田賀世「ドイツ家族負担調整の一側面」,北大法学研究科ジュニア・リサーチ・ジャーナル6号127頁,1999年12月,136頁〜138頁,岩間昭道「判批」,ドイツ憲法判例研究会ほか編『ドイツの憲法判例Ⅱ』〔第2版〕,31事件・203頁,2006年5月20日)。

*88:同判決は,1996年1月1日までに,納税義務者及び同義務者が扶養する児童について,最低限度の生活費用の控除に関する新規定を施行することを義務付けた(前掲斉藤・55頁,前掲倉田・138頁)。評釈として,三木義一「課税最低限とその法的統制」(現代財政法学の基本課題・27頁,1995年1月20日)があるが,国立国会図書館に所蔵されていないようである(大学図書館の外では,日本税務研究センター図書館が便利である。)。

*89:Jahressteuergesetz 1996 v. 11. 10. 1995, BGBl I S. 1250. Gesetz zur Ergänzung des Jahressteuergesetzes 1996 und zur Änderung anderer Gesetze v. 18.12.1995, BGBl I S. 1959.

*90:児童手当法所得税法の「児童」概念が統一され,児童手当と児童控除が選択的に適用されることとなる(前掲斉藤・54頁,55頁〜56頁,前掲倉田・141頁〜142頁)。ただし,前記1992年判決は,児童手当と児童控除を統一的な制度として一体化することを論理必然的に求めたものではなく,このような制度設計となったのは,立法府の政治判断であり(前掲斉藤・55頁・注39,56頁),これには批判もある(前掲倉田・143頁)。

*91:基本法106条3項に第4文が追加され,連邦と州との売上税の取得分の確定に当たって,本改革によって所得税に関して州に生じる収入減が「付加的に参入」されることとされ(本改正が追加した基本法106条3項4文),もとより,これによって州が取得する売上税の額が増えたことは,連邦と州の売上税の配分割合を変更する理由とはならないことが,本改正後の同条4項1文で確認された(前掲斉藤・63頁,同頁・注83)。

*92:市町村の財源たる対物税(本改正前の基本法106条6項1文)には,営業税の外,不動産税があるが,不動産税は経済発展に応じて増収しにくいため,第22次改正まで,営業税が,市町村収入の8割を占めていた(関野満夫『現代ドイツ地方税改革論』,2005年8月,40頁〜41頁)。

*93:営業税は,もともとは収益税の一種とされていたが(前掲関野・42頁),1893年市町村税法によって(ミーケルの改革),所得税を州税,営業税を市町村税と整理するにあたり,応益原則による説明がなされた(山内健生「ドイツにおける営業税改革について」,地方税47巻10号130頁,1996年10月,132頁〜133頁)。なお,営業資本税の廃止は,ドイツにおける財産税一般に対する廃止の流れの中に位置付けることもできるが(野田裕泰「ドイツ財産税の廃止について」,二松学舎大学國際政経論集7号125頁,1999年3月25日,126頁),ドイツの財産税は,応能原則によるものであり,必ずしも同一には論じられないとも指摘される(関野満夫「ドイツにおける富裕税(純資産課税)」,中央大学経済学論纂54巻1・2号13頁,2013年12月・16頁)。

*94:第22次改正は,市町村間の税収不均衡を是正するため,営業税の一部を連邦・州に分与される代わり,市町村が所得税法人税の分配を受けるとしたものにすぎないが,1979年租税改革法は,営業税(営業収益税,賃金額税,営業資本税)のうち,給与総額を課税標準とする外形標準課税である賃金額税を廃止し,営業資本税の課税最低限を引き上げたため,営業税は,営業収益税が主体となり,法人税と変わりないものになってしまった(前掲関野(2005年8月)・48頁〜50頁)。市町村は,営業税改革による減収の補填として,所得税法人税の分与を受けたが,営業収益が生じる中心都市が営業税を失う一方,所得税の納税者が居住する郊外の都市が所得税の分配を受けることになるなど,市町村間での不均衡が生じた(同・50頁〜51頁,54頁〜55頁)。

*95:営業税に対しては,親・営業税派と反・営業税派との間で長い議論があるが,1980年代までは,営業収益税の改革が議論の中心であった(前掲山内・150頁から151頁)。

*96:このような指摘自体は,1980年代からされており,例えば,1983年11月に発表された経済専門委員会の年次報告がある(前掲山内・142頁〜143頁)。また,営業収益税と営業資本税が二重課税になっているという指摘もあった(水野忠恒「ヨーロッパにおける営業税の概観」,地方税47巻9号64頁,1996年9月,71頁)。

*97:なお,旧東独地域の振興策として,時限的に営業資本税が賦課されないこととされ,その復興が進まないため,その延長が繰り返されていたところ,本改正に際し,旧西独地域も含め営業資本税が廃止されたことには,このような背景があることも留意されよう(中村良広「ドイツ営業税改革の現段階」,熊本学園大学経済論集12巻3・4号29頁,2006年3月,31頁,同「ドイツ市町村売上税参与の導入と地方自治」,自治総研25巻12号92頁,1999年12月,93頁)。

*98:旧東独地域の経済発展自体は相応に順調であり,また,統一の反動として景気後退が生じることは当然ともいえたが,単なる景気循環とはいえない経済のダイナミズムの低下がみられることが指摘された(山内健生「ドイツにおける産業・経済構造改革をめぐる議論について」,地方税47巻6号126頁,1996年6月,127頁〜138頁)。

*99:当時のコール政権は,東西統一に伴うコストが予想外に高かったとして,公約に反して増税をしたことが批判されており,地方選挙や世論調査において,野党の圧力を受けていた(前掲山内(1996年6月)・139頁〜141頁,同「ドイツにおける法人課税をめぐる議論について」,地方税47巻7号92頁,1996年7月,101頁〜103頁)。

*100:営業資本税廃止の影響は大都市において大きいため,市町村間においても利害が対立したが,営業資本税が伝統的に市町村の財源であったことから,場合によっては増収になり得る中小都市も基本的には反対の立場に立っていたようである(前掲関野(2005年8月)・56頁〜57頁,前掲山内(1996年10月)・151頁〜154頁)。

*101:同法は,その見返りとして売上税を市町村に分配するものとしたものであったが(前記山内(1996年7月)・105頁),そのためには基本法の改正が必要であったところ,社会民主党の反対によって,特別多数を確保することができなかった(西山由美「ドイツ営業税法の課税標準」,地方税47巻8号16頁,1996年8月,22〜23頁)。

*102:連邦政府は,前記の頓挫が明らかになった時点から新たな提案を行い,市町村側からの好意的な反応を得ていた(前掲山内(1996年10月)・153頁〜171頁)。

*103:本改正後の基本法28条2項2文は,「営業税」「営業収益税」という用語ではなく,「経済力に係る税源」という表現を用いる。この文言は多義的で不明確であり,その文言だけから,これを「営業税」「営業収益税」を意味するものと読み込むことは困難であることが指摘されている(前掲山内(1997年7月)・197頁)。

*104:連邦通常裁判所(連邦最高裁)の1983年3月16日判決(BGHSt 31, 296)は,通信傍受のため住居内の電話機に設置された盗聴器が,受話器が適切に架けられていなかったため,住居内の会話を拾ってしまった場合について,通信傍受ではなく,住居内会話の盗聴に当たるとする(辻本典央「刑事手続による私的領域の保護」,近畿大學法學54巻2号178頁,2006年9月30日,174頁)。

*105:住宅内の会話の盗聴を「大盗聴」(Großer Lauschangriff)といい,従前の電話等の通信傍受を含む住居外における会話の盗聴(100f, StPO)を「小盗聴」(Kleiner Lauschangriff)ということが多いように思うが,前者は,本文のように技術的機器を用いて遠隔盗聴する場合をいい,後者は,匿名捜査官が自ら住居に潜入して会話を録音する場合をいうという定義もあるようである(前掲辻本・175頁,176頁・注3)。なお,後掲『選択』・26頁,27頁には「大規模盗聴」という語が出てくるが,それが「Großer Lauschangriff」の訳語であるとしたら,不適切な翻訳であるといわざるを得ないであろう。

*106:なお,我が国には基本法13条に相当する規定はないが,口頭会話の傍受に対しては,プライバシー権,人格権の侵害との関係が問題となることになろう(井上正仁「捜査手段としての通信・会話の傍受(1)」,ジュリスト1103号73頁,1996年12月15日,77頁)。

*107:ドイツでは,「住居の平穏」(Hausfrieden)という言葉に代表されるように,私的領域としての住居を重視する観念があり,戦前のナチスや旧東独の秘密警察による監視国家体制に対する反省もあって,ドイツでは,住居内会話の傍受に嫌悪感が有するものが多数派を形成していたとも指摘される(選択24巻3号24頁「ドイツはなぜ「盗聴国家」に成り下がるか」,1998年3月,25頁)。

*108:1992年に組織犯罪対策法が制定されるが,住居内盗聴については基本法との関係から継続的な検討課題とされた(前掲辻本・176頁,川出敏裕「ドイツ犯罪対策法(上)」,ジュリスト1077号103頁,1995年10月15日,107頁,井上正仁「ドイツの新盗聴法案」,同1047号107頁,1994年6月15日,110頁「**」)。その後,1998年の総選挙を経て連邦大統領となるシュレーダーを中心とする社会民主党執行部が協力姿勢に転じたが(前掲『選択』・26頁),同党の約半数の議員が反対票を投じた(山口和人「盗聴を許容する基本法改正案両院で可決」,ジュリスト1131号107頁,1998年4月1日)。

*109:基本法の改正には特別多数を要するから,刑事訴訟法の改正に反対であれば,基本法の改正に反対してしまえば良いはずであるが,本件では,連邦参議院において,社会民主党キリスト教民主同盟が連立を組むブレーメン州が,基本法改正に限って賛成に回るという方針を採ったため,基本法改正が先に成立し,刑事訴訟法改正については,両院合同協議会を経て,少し遅れて成立することになる(前掲山口)。

*110:一般論として,特定の法律を制定するため,同時に憲法改正がされたのであれば,当該法律は合憲となるのが通常であろうが,連邦憲法裁判所2004年3月3日・判例集109巻279号の多数意見は,基本法の改正を有効としながら,それと併せて制定された刑事訴訟法の規定を違憲とした。なお,その判批として,ドイツ憲法判例研究会ら編『ドイツの憲法判例Ⅲ』,2008年10月15日,第53事件320頁(平松毅)がある。

*111:詳細は同改正の解説のとおりであるが,同改正前の規定では,旧議会の46月目から48月目に新議会の選挙を実施するが(同改正前の基本法39条1項2文),新議会は,旧議会の4年の期間が経過するまで集会しないこととされていたため(同条2項2文),選挙の結果が明らかとなり,旧議会が,いわばレイムダックとなるが,新議会も,もとより活動することができないという空白期間が生じ,さらに,これが夏季休暇と連続した場合,議会の不在期間が数か月に亘るという点が問題となった。

*112:Peter Schindler, Datenhandbuch zur Geschichte des Deutschen Bundestages : 1949 bis 1999, Bd. 1. Kapitel 1.3, S.57. http://www.bundestag.de/datenhandburch/01, Kapitel 1.2.

*113:1970年代に90%を超えた投票率は,1980年代には80%台に,1990年の選挙では史上最低の77.8%に低下し,1994年も79.1%に留まった(大曲薫「ドイツ連邦議会選挙と政党不信」,レファレンス45巻1号67頁,1995年1月,71頁)。我が国の状況からすれば十分に高いように思えるが,ドイツでは,投票率の低下(「非投票者」の増加)は,政治の統合力の低下のサインであり,極右勢力による外国人排斥の活発化などと対になる危機的な現象と捉えられていた(成田憲彦「主要国の選挙制度と政治資金制度の現状と課題⒄ - ドイツ⑷ - 非投票者と16歳選挙権)」,選挙50巻6号32頁,1997年6月,33頁)。ドイツ語協会は,1992年の言葉に「政治倦厭(politikverdrossenheit)」を選んでおり,その背景には,東西統一,欧州統合への反動,移民・難民の急増に対する不安に対し,既成政党による代議制民主主義が対応できていないことがあるなどとも指摘された(仲井斌「ワイマールがやってくる? - ドイツ極右のルネッサンス」,世界580号242頁,1993年4月,243頁〜247頁)。

*114:古賀豪,高澤美有紀「欧米主要国議会の会期制度」(調査と情報797号),国立国会図書館調査及び立法考査局政治議会課,2013年8月2日,7頁・注43。

*115:1998年の選挙は,同年2月の時点で,9月27日の実施が決まっており(Anordnung über die Bundestagswahl 1998 v. 28 Febrer 1998, BGBl. I S. 389),本改正は,同選挙前の旧議会である第14議会が終了したときから施行されるものとされた(本改正法2条)。

*116:本改正によっても,解散による選挙の場合,選挙の日が夏季休暇と重なる可能性は否定できない。しかし,解散による選挙であった2005年の連邦議会選挙は,丸1年の前倒しとなるよう調整することで,9月の選挙という運用を維持した。

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