法律用語としての「釈明」考 ~するのかさせるのか~

第1 序論

訴訟手続における「釈明」とは、「事実関係や法律関係を明確にさせるために、裁判所から当事者に対してされた質問に答えてする当事者の陳述」をいう有斐閣・法律用語辞典*1。したがって、「釈明」の主体は、質問に回答する「当事者」であり、裁判官がする質問のことは、「求釈明」と称するのが本来である(裁判所職員総合研修所・民事訴訟法講義案*2

しかし、実務上、当事者の行動を「釈明」というと同時に、裁判長の行動をも「釈明」という*3。この紛らわしい慣用の存在は、昭和3年12月の司法研究報告書に掲載された論文民事訴訟に於ける証拠に就て*4が夙に指摘することである*5。それによれば、大審院判例においても、その実例は、「特に指示するの要なき程に繁し」ということになる*6

f:id:hakuriku:20191124123540p:plain:rightところで、日常用語としての「釈明」には、相手の非難に対する「弁明」、「弁解」というニュアンスがある(時の法令*7。このような語感を前提にすると、何らかの誤用であったにしても、「裁判官が釈明する」という言い方が生じてしまうのは奇妙のように思える。そこに如何なる経緯を考え得るであろうか。関連する事情を整理する。

第2 明治民訴法の構文

そもそも、「釈明」という言葉は、伝統的な日本語に発見することができず、明治初期の造語であるようである*8。そのため、その法律上の意義は、この術語を採用した明治民事訴訟(以下「明治民訴法」という。)の条文自体によって理解されたと思われる。ところが、その条文の構造が、ミスリーディングなのである。

裁判長ハ問ヲ発シテ不明瞭ナル申立ヲ釈明シ主張シタル事実ノ不十分ナル証明ヲ補充シ証拠方法ヲ申出テ其他事件ノ関係ヲ定ムルニ必要ナル陳述ヲ為サシム可シ

(明治23年法律第29号・民事訴訟法第112条2項〔原規定〕)

これを見るに、「裁判長ハ…釈明シ」とあるから、裁判長が釈明の主体であるかのようである。しかし、この条項は、「裁判長ハ…釈明シ…補充シ…申出テ…陳述ヲ為サシム」という構造をとるから、最後の使役の助動詞「ム」が「釈明シ」にも掛かると読むべきものである。日本語の文法として疑問もあるが、その独文による原案は「Er hat durch Fragen darauf hinzuwirken, dass unklare Anträge erläutert ... werden.」*9であったのであり、これに対応する和文も「詳悉セシメ」*10として、使役の助動詞を個別に明記していた*11

したがって、釈明の主体は裁判長ではない。前記条項は、当事者に不明瞭な申立てを「erläutert」させること、すなわち、「解説させ」ることを意図したものである。もとより、最終的な条文の文言は「釈明シ」と修正されたわけであるが*12、そこでいう「釈明シ」は、1877年ドイツ民事訴訟法130条の「erläutert」*13と同義であると理解されており*14、条文の趣旨に変更を加える意図はなかったと考えられる。

例えば、明治民訴法の起草に深く関与した深野達は*15、同法制定直後の明治23年7月において、同条項に基づき、「裁判長ハ問ヲ発シテ各当事者ノ不明瞭ナル申立ヲ釈明セシメ…判決ノ基本ト為ルヘキ弁論事項ノ確実ナルコトヲ努ムヘキナリ」(日本民事訴訟法釈説*16と解説し、大審院明治30年2月3日判決(民録3輯2巻1頁)は、「原裁判所ハ須ク民事訴訟法第百十二条第二項ノ規定ニ従ヒ其不明ナル申立ヲ釈明セシメタル上判決ヲ為スヘキ」(3頁)であった旨を説示し、同条項の正しい理解を示す*17

しかし、このような明治民訴法112条2項の構文は、当時にしても分かりにくいものであり、誤読を誘いやすかったのではなかろうか。例えば、大審院明治29年3月23日判決(民録2輯3巻84頁)に引用される上告論旨は、同条項について、「裁判長」は、「釈明シ…補充シ…申出テ…陳述」を「為スヘキ」と規定したものと誤読する*18

同第二論旨ハ民事訴訟法第百十二条第二項ニ裁判長ハ問ヲ発シ不明瞭ナル申立ヲ釈明シ主張シタル事実ノ不充分ナル証明ヲ補充シ証拠方法ヲ申出テ其他事件ノ関係ヲ定ムルニ必用ナル陳述ヲ為スヘキ旨ヲ規定セリ而シテ此ノ訊問義務ニ関スル規定ハ宜シク本件ノ塲合ニ行フヘキモノナリト信ス何トナレハ本件乙第二号証ノ如キハ第一審以来争ヒ居ルモノニシテ裁判官ハ斯ル挙証ノ原被何レニアルヤルヤ両岐ニ渉ル塲合ニハ右規定ニヨリ立証ノ提否如何ヲ職権上訊問スル乎又ハ事実ヲ補足若クハ釈明スヘキ職権訊問ヲナスヘキ筈ナルニ然ラスシテ弁論ノ終結ヲ告ケ判決ヲ与フルニ至リタルハ右規定ヲ蔑視シ以テ事実ヲ確定シタルモノニシテ訴訟手続ニ違背シタル不法ノ裁判ナリト云フニ在リ

(大判明治29年3月23日・民録2輯3巻84頁,86頁)

そして、大審院大正7年10月15日判決(法律新聞1496号114頁)に至ると、以下のとおり、大審院の判断として、明治民訴法112条2項は、「裁判長」が「不明瞭なる申立を釈明すべき旨を規定」したものであると明確に判示されてしまう。この判決した裁判官らは、同条項における「釈明」を「説明させること」、「説明を求めること」のようなニュアンスに誤解していたことになろう。

案ずるに民事訴訟法第百十二条に裁判長は不明瞭なる申立を釈明すべき旨を規定せる依て看れば当事者の判決を求むる事項の申立にして不明瞭なるときは之を釈明して明確ならしめたる後其請求の当否を判定すべきは当該裁判所の職責なりとす

大審院大正7年10月15日判決・法律新聞1496号114頁,114頁)

もとより、このような誤解が生じた原因が、明治民訴法112条2項の構文の難解さにあったと断定する根拠はないが、その一因となった可能性はありそうな気がする。

第3 釈明の本義

実は、大審院判決を調べると、もっと早い段階から、「釈明」の主語を「裁判所」としてしまっているものを見つけることができる。例えば、大審院明治36年11月27日判決(民録9輯27巻1313頁)は、以下のとおり、「原院」は、「不明瞭ナル申立ヲ釈明シ…」という言い方をする(1318頁)。しかし、明治民訴法の条文上の文脈を離れ、「釈明」の本義に遡って考えると、このような用例を直ちに誤用であると断じて良いのかという厄介な問題に気づいてしまう。

原院ハ先ツ以テ其不明瞭ナル申立ヲ釈明シ果シテ確認訴訟ナルニ於テハ之ヲ許シ得ヘキ事件ナルヤ否ヤ即チ速ニ確定スルニ於テ被上告人カ法律上ノ利益ヲ生スヘキ事件ナルヤ否ヤヲ調査シ相当ノ判決ヲ与フヘキ筋合ナルニ原判決ハ事茲ニ出スシテ其主文ニ於テ「被控訴人ハ云々ノ山林ヲ分割シ其三分二ヲ控訴人ニ引渡ス可シ」ト言渡シタルハ法則ニ違背セル不当ノ裁判ニシテ此点ニ於テモ上告其理由アリ

(大判明治36年11月27日・民録9輯27巻1313頁)

というのも、「釈明」とは、文字どおりには、「釈して明らかにする」と読み下し、「解き明かす」という意味の言葉だからである日本国語大辞典*19。明治大正期の辞書も、そのような語釈を掲げており*20、法律の文脈を離れると、例えば、人生の意味を「釈明」(Deutung)したり*21、鰊の回帰性の有無を「釈明」したり*22、そのような意義による用例を確認することができる*23。これを前提に、先ほどの大審院判決を見ると、その説示は、裁判所が当事者の申立ての趣旨を「解き明かす」ことをいう趣旨に理解し得なくもない。

また、このように理解したとして、明治民訴法112条2項の用語法と必ずしも矛盾はしない。同条項は、当事者が、裁判所からの発問に応じ、その申立ての趣旨を説明するなどし、これを「解き明かす」すべきことを規定したものとも読み得るからである。同法の制定に先立ち、明治6年8月の箕作麟祥仏蘭西法律書 憲法』が、仏語「interprétation」を「釈明」と訳した事例もあったのであるから*24、法律用語として、「釈明」を「解き明かす」と読むのは突飛なことではない*25

このような読み方は、前記大審院明治36年11月27日判決の理解として、少し苦しいように見えるかもしれない。しかし、若干の傍証はある。例えば、以下の仁井田益太郎『民事訴訟法要論』の記述は、明治40年7月の段階で、裁判所は、当事者に「陳述ヲ為サシメ」ることによって、「訴訟材料ヲ釈明」することができると表現する。前者が手段で後者が結果であるから*26、ここでいう「釈明」は、当事者に陳述を為さしめること自体ではない。そして、目的語が「訴訟材料」であることも考慮すると*27、これは「解き明かす」に近い趣旨で用いられていると考えざるを得ない。

裁判所カ裁判ヲ為スカ為メ其意見ニ従ヒ当事者ヲシテ口頭弁論ヲ為サシムルコトヲ得ヘキ塲合ニ於テハ口頭弁論ニ関スル規定ニ従ヒ当事者ヲシテ口頭ノ陳述ヲ為サシメ既ニ存在スル訴訟材料ヲ釈明シ又ハ之ヲ補充スルコトヲ得ルモノナリ

(仁井田益太郎『民事訴訟法要論』〔再版〕上巻・220頁)

また、少し遅れるが、大審院大正8年5月13日決定(法律新聞1579号22頁)も、以下のように、原審裁判所が「釈明」を「試むべき」ものであったと指摘する。それが「試むべき」とされる以上、その意義は、当事者に「説明させること」ではなく、裁判所が「解明すること」であるとみた方が自然である。当事者が裁判所に説明しないことは考え難いが、当事者の説明を受けても裁判所の疑問が解消されないことはあり得るからである。

按ずるに原裁判所は…との主張は主張自体に於て失当なりとして以て抗告人の抗告を棄却したり…然れども…は絶対に有り得べからざる事実にして痴人に非ざる者が有意識に斯る虚偽明白なるの主張を為さんとは容易に信ずる能はざる所なれば其間に錯誤の存するなきやを疑ひ一応抗告人に質して之が釈明を試むべきは事実裁判所の当然尽すべき職責なり

(大決大正8年5月13日・法律新聞1579号22頁)

大審院明治37年3月15日判決(民録10輯7巻279頁)の以下の説示は、少し別の観点からの傍証となる。すなわち、明治民訴法の文言に忠実にいえば、当事者が「釈明」するのは、申立てが不明瞭な場合であり、立証が不十分である場合には、証明を「補充」するなどすべきことになる。しかるに、同判決は、立証事項について、「補充」ではなく、「釈明」という用語を用いる。この判決は、当事者が、追加の立証によって、事実関係を「解き明かす」ことを「釈明」と表現していると考えることができる。

手形面上ニ使用セラレタル文言カ地方ノ慣習上如何ナル意義ヲ有スルヤニ付キテハ当事者ニ於テ鑑定又ハ其他ノ方法ニヨリ之ヲ釈明スルコトヲ得ルモノト云ハサルヘカラス何トナレハ是レ唯手形文言ノ意義ヲ釈明スルニ過キサルモノニシテモ毫モ文言以外ニ其意義ヲ補充又ハ変更スルモノニ非サレハナリ

(大判明治37年3月15日・民録10輯7巻279頁,283頁)

以上のように、「釈明」が、「解明」という意味で用いられている可能性を考慮にいれると、明治民訴法の「釈明」の語義を誤解したがため、裁判所を主語にしてしまっているようにみえる用例の中にも、実は誤用ではなかった可能性を否定しきれないものを多く見出すことができる。例えば、次に示す大審院大正15年7月17日判決(法律新聞2606号15頁)は、長崎控訴院が「被上告会社ノ陳述ノ本旨ヲ釈明」(16頁)すべきであったことを指摘するのであるが、この「釈明」を「解明」と置き換えたとして、それはそれで意味が通じてしまう。

被上告会社ノ主張事実ハ直ニ之ヲ原判決認定ノ如ク解シ得ヘキヤ甚タ疑ハシキモノアリト謂ハザルヲ得ス然ラハ原審ニシテ本件当事者ノ主張ノ当否ヲ判定セントセハ須ク此ノ点ニ関スル被上告会社ノ陳述ノ本旨ヲ釈明シ進ンテ其ノ是非ヲ甄ツヘカリシモノニシテ原判決ハ此ノ点ニ付審理不尽ノ不法アリテ破毀ヲ免レサルモノトス

(大判大正15年7月17日・法律新聞2606号15頁,16頁)

もとより、この判旨にいう「釈明」も、当事者に陳述の本旨を「説明させること」をいうものと考える方が無理がない解釈であるという指摘はあろう。しかし、明治民訴法112条2項の「釈明」の意義を誤解し、裁判所を主語としてしまった文例であっても、これを「解明すること」という語義で善解すれば、正当に文意が取れてしまうことは、誰が「釈明」するのかという問題を生じさせる一因になったと想定することはできるのではなかろうか。

第4 釈明権との関係

ところで、裁判所を主語とする「釈明」に、「解明」の義を読み込むことできるという事実は、「釈明権」、「釈明義務」が、「Aufklärungsrecht」、「Aufklärungspflicht」の定訳であることに注意を向けさせる(独和法律用語辞典*28。「釈明」に相当する「Aufklärung」の部分が、「解明」という意味を含むからである小学館独和大辞典*29。このドイツ語は、「啓蒙」の訳語で知られるが、動詞「aufklären」は、本来的に「明らかにする」、「教える」という意味であり、そうであるからこそ、「啓蒙する」という術語に用いられるアポロン独和辞典*30。法律用語としても、「犯罪の捜査」は、「Aufklärung von Straftaten」である(独和法律用語辞典*31

しかし、結論からいうと、ドイツ法上の「Aufklärungsrecht」が「解明権」という意味で「釈明権」と訳されたというより、先に日本法上の「釈明権」という用語が存在し、後から対応するドイツ法上の「Aufklärungsrecht」という概念が関連付けられたにすぎない可能性が高い。したがって、残念ながら、「Aufklärung」が「解き明かす」という意味を有することをもって、本来、「釈明」は「解き明かす」という意味であったということはできない。

というのも、遅くとも明治43年5月の教科書には、「釈明権」という日本語が使用されているのであるが*32、これと「Aufklärung」との関係を明示するのは、確認し得た限り、大正民訴法の制定後である昭和5年6月にまで下るからである*33。しがも、当時の諸書には、「釈明権」の原語として、「Fragrecht」(発問権)、「Instruktionsmaxime」(指導主義)を挙げる例もあり*34、その時点では、両者の関係が絶対的なものであったとまでいうことはできないからである。

とはいえ、そのようなドイツ民訴法学上の概念の影響があったからこそ、日本民訴法学において、「釈明権」、「釈明義務」という講学上の用語が確固たるものになったということはできよう。そして、これらのタームを用いるに当たり、釈明権を有し、釈明義務を負う主体は「裁判所」とせざるを得ない。そして、裁判所が、釈明権を行使しするのであるから、「裁判所が釈明する」という言い方が生じるのは自然である。

明治民訴法を改正した大正民訴法が、「裁判長ハ…当事者ヲシテ釈明セシムヘキ事項ヲ指示シ」(128条)として、「釈明」の主体を「当事者」であることを分かりやすく表現したにもかかわらず*35、裁判所を主語とする「釈明」という表現が定着してしまったことには、このことが大きく寄与していると想定してよいのではなかろうか。

5 結語

以上のとおり、裁判所を主語とする「釈明」という慣用が生じた背景には、この言葉が明治の新造語であったのに、⑴この用語を早くに採用した明治民訴法の条文の構造が、裁判所を主語とするかのようなミスリーディングなものであり、⑵また、同法の文脈を離れ、これを「解き明かす」という意味でとれば、裁判所を主語としても必ずしも誤った表現とはいえなかったところ、さらに、⑶裁判所を主体とせざるを得ない「釈明権」、「釈明義務」という講学上の用語が定着してしまったという要素を想像することができる。

この慣用は、冒頭に指摘したとおり、現代の日常的な語感からすれば、裁判所が「弁明」、「弁解」するかのような奇妙な表現をもたらす*36。しかし、「釈明」とは、本来、「解明」、「説明」などと同様のニュートラルな言葉であり、国語辞典による限り、現在においても、そのようなニュアンスで用い得るはずのものなのであるから日本国語大辞典*37、これを不可解な誤用ということもないであろう。例えば、文書の「改竄」があったと言えば、これが本来は中立的な表現であるにもかかわらず、当然に「不正」があったと理解されてしまうのと同じような語義のズレが生じ始めているにすぎないのである*38

もちろん、それが奇妙な表現とはいえないにしても、いずれにせよ、誤用から始まった語法である可能性が高いことは否めない。しかし、そのような用法が定着している現状に照らせば、「Aufklärungsrecht」の定訳が「釈明権」であることを援用し、「釈明」という法律用語は、その由来はともかく、現時点においては、「Aufklärung」のニュアンスを有し、すなわち、「解明」の意味で理解し得る言葉であるなどと言い張り、「裁判所が釈明する」という慣用を正当化し、追認していく方向性もありではなかろうか。

*1:有斐閣『法律用語辞典』〔第4版〕,平成24年6月,「釈明」(ジャパンナレッジ版).

*2:裁判所職員総合研修所『民事訴訟法講義案』〔三訂版〕,平成28年11月,129頁.

*3:中野貞一郎「訴の変更と釈明義務」(判例タイムズ279号27頁,昭和47年10月)は、「条文上」は「当時者がなす行為を指す」が、実務上は「裁判長が問いを発したり立証を促すこと」も「釈明」と称しているようであるから、「叙述の便宜上、二義を混用することをおことわりしておきたい」とする(27頁・注2)。前掲「民事訴訟法講義案」の指摘は、このような慣用が定着していることを前提としよう。

*4:遠藤剛一ら「民事訴訟に於ける証拠に就て」,司法研究報告書第8輯5(司法省調査課),昭和3年12月,38頁.

*5:同様の指摘は、昭和7年の中島弘道『日本民事訴訟法』第1編627頁~628頁、昭和12年の前野順一『民事訴訟法論』第1編総則477頁~478頁・註1にもある。

*6:なお、これとは別に、裁判所ではなく、訴訟当事者が、相手方当事者に説明を求める場合にも、「釈明を求める」という言い方がされてしまうという混乱もある。厳密に言えば、(裁判所に対し、相手方に対する)「求釈明を申し立てる」などと表現すべき場合である。しかし、訴訟当事者には「釈明を求める」法律上の権限がないせよ、これを「任意に求める」ことは可能なはずであるから、そのような言い回しを誤用と言い切ることもないように思う。実際、裁判所が、当事者による求釈明の申立てに対し、正式に釈明権を行使しないまま、相手方の任意の回答に任せ、あるいは、任意に回答するかの検討を促すという訴訟指揮はあろう。

*7:昭和34年8月の『時の法令』の記事「釈明(法令用語)」(325号48頁)は、この点を指摘した上、訴訟法上の「釈明」は、「通常の用語例よりも、ややひろい」という。

*8:小学館日本国語大辞典』〔第二版〕「釈明」の載せる用例は、明治23年4月の明治民訴法112条2項からであるが(ジャパンナレッジ版,平成12年12月~平成14年1月)、その初出は、後述のとおり、少なくとも明治6年8月の箕作麟祥訳編『仏蘭西法律書 憲法』・32丁に遡ることができる。

*9:日本立法資料全集193巻〔資料14〕「Er hat durch Fragen darauf hinzuwirken, dass unklare Anträge erläutert, ungenügende Angaben der geltend gemachten Thatsachen ergänzt, die Beweismittel bezeichnet und überhaupt alle für die Feststellung des Sachverhältnisses erheblichen Erklärungen abgageben werden.」(238頁)

*10:日本立法資料全集193巻〔資料13〕「裁判長ハ問ヲ発シテ不明瞭ナル申立ヲ詳悉セシメ主張シタル事実ノ不完全ナルモノヲ補充セシメ立証方法ヲ申出テシメ其他總テ訴訟ノ関係ヲ確定スル為必要ナル弁明ヲ為サシム可シ」(107頁)

*11:いわゆる「テヒョー草案」(明治19年6月)であり、形式的には日本語版が「正文」であるが、実際にはドイツ語版が「原著」であるとされる(日本立法資料全集193巻17頁・注35)。テヒョーの初期の草案は、和文として、「説明セシメ」「敷衍セシメ」の語が用いられていたが(同191巻〔資料2〕166頁,〔資料4〕320頁,〔資料6〕455頁)、訴訟規則委員会議の審議を経た後に「詳悉」(同192巻〔資料7〕31頁)の語が用いられるようになったようである(同191巻6頁~7頁)

*12:同条項に「釈明」の語が用いられたのは、法律取調委員会の再調査案の段階からのようであるが(日本立法資料全集197巻〔資料160〕18頁)、その経緯は定かでない。

*13:§ 130 Abs. 1 der Civilprozeßordnung vom 30.01.1877: Der Vorsitzende hat durch Fragen darauf hinzuwirken, daß unklare Anträge erläutert, ungenügende Angaben der geltend gemachten Thatsachen ergänzt und die Beweismittel bezeichnet, überhaupt alle für die Feststellung des Sachverhältnisses erheblichen Erklärungen abgegeben werden.

*14:高木豊三訳編『日独民事訴訟法対比』(明治25年11月7日出版)・78頁は、ドイツ民事訴訟法の「erläutert」を「釈明シ…為サシム」と訳している。

*15:深野達は、テヒョー草案が審議された委員会の事務局に関与した(鈴木正裕「民事訴訟法から」民商法雑誌132巻4・5号474頁,497頁)。原嘉道「民事訴訟法雑感」(法曹会雑誌8巻12号8頁)は、明治26年ころの回想として、「民事訴訟法通と言えば裁判官に在りては…東京控訴院の深野達判事の様な民事訴訟法の制定に関与した僅かの人々のみ」であったとする(9頁)

*16:深野達『日本民事訴訟法釈説』第1冊上,明治23年7月,231頁.

*17:その外、大審院明治39年6月9日判決(民録12輯15巻956頁)も、「釈明セシメ…補充セシメ」、「釈明又ハ補充ヲ為サシメ」として、同様の理解示している(959頁)

*18:ただし、この上告論旨は、「陳述ヲ為サシム」の部分さえ、「陳述ヲ為ス」と読んでしまっている点で論外ではある。

*19:前掲『日本国語大辞典』は、「解きあかすこと。説明すること。また、誤解や⾮難などに対して、事情を説明して了解を求めること。」と語釈する。しかも、そこに挙げられる用例をみるに、明治民訴法以外は、「解きあかすこと」の意義には理解し難い。

*20:例えば、明治45年5月の山田美妙『大辞典」は「トキアカシ」とし(上巻2153頁)大正元年12月の文盛堂『国民日用事典』も「ときあかすこと」とする(177頁)。大正7年2月の上田万年松井簡治大日本国語辞典』は「ときあかすこと。ときあかし。説明。」であり(第2巻1042頁)、大正11年10月の落合直文芳賀矢一『言泉』(改修言泉・日本大辞典)も「ときあかすこと。説明。」である(第3巻2104頁)

*21:坂崎侃は、大正11年2月の訳書『哲学の概念』において、ハインリヒ・リッケルトのいう「Die Deutung des Sinnes」を「意味の釈明」と訳し、「den Sinn des Lebens deuten」を「人生の意味を解釈する」と訳している(90頁~91頁)

*22:藤田経信,小久保清治「鰊の回帰に就きて」動物学雑誌35巻159頁(大正12年4月)は、「鰊の回帰性の有無即ち人工孵化の価値につき互に激しく論難し竟に何等の解決をみなかつた様にまだ頗る混沌たるものである。要するに此の問題を釈明し得べき条件は丁度縺れた糸の様に紛糾して容易に繹くことが出来にくいのである。」とする。また、稻見五郎「酵母蛋白質分解酵素類の研究趨勢並にその命名に就て」釀造學雜誌6巻11号816頁(昭和4年5月)は、「動物性酵素の研究も同様に進められ、而して酵母、細菌或は植物性酵素との比較対照の結果、何等か其の間に微妙なる特異的又は酵素構成因子的な差異が釈明せらるゝことゝ信ずるのである。」(822頁)という。

*23:その外、明治29年2月の田中矢徳『珠算教科書』16頁には「加減釈明」という表現が見られるが、これは「加」「減」の意味を「解き明かす」ことをいうものと理解される。近年においても、昭和62年9月の塚崎進『釈迢空折口信夫の人生』316頁は、「この三首になると、わざと遠心表現法をとることによって、読者にこの歌の意味を釈明する努力を強制している」という表現を用いる。

*24:同書・32丁は、「Sénatus-consulte du 25 décembre 1852, portant interprétation et modification de la Constitution du 14 janvier 1852.」を「千八百五十二年一月十四日ノ憲法ヲ釈明シ且ツ之ヲ更改スル千八百五十二年十二月廿五日ヨリ三十一日ニ至ル決定書」と訳す。

*25:なお、これを法律用語としての用例といえるかは難しいところであるが、瀧川政次郎『日本法制史』(昭和3年11月)が、「明法勘文といふのは、明法家と呼ばれた当時の法律家が、律令格式等の文を引いて、法律上の疑義を釈明した鑑定書であって」(98頁)と説明する例があることは指摘し得る。

*26:逆に、大審院昭和6年7月16日判決(法律新聞3318号9929頁)は、「主張ノ趣旨ヲ闡明する為…スル事項ニ付釈明スル」という言い方をしており(9929頁)、「釈明」が手段であり、「闡明」(解明)が結果であるから、ここでの「釈明」は「解明」の趣旨ではないと考えられる。大審院昭和2年5月14日判決(法律新聞2762号7136頁)が、「之ヲ釈明シ…ナルカヲ闡明スヘキ」とするのも同様である(7138頁)

*27:もっとも、「~を釈明する」という言葉が、「~について質問する」という意味に用いられていると理解すべき場合もあるので、目的語が何であるかは必ずしも重要でないかもしれない。竹野竹三郎『新民事訴訟法釈義』上巻(昭和5年)が、「訴訟関係を明瞭ならしむる為当事者の事実上の陳述を釈明することは、裁判所の職務上の義務である」(360頁)とするのは、「当事者の事実上の陳述について質問する」という意味合いで理解することができる。

*28:ベルンド・ゲッツェ『独和法律用語辞典』〔第2版〕,2010年10月,50頁.

*29:小学館『独和大辞典』〔第2版〕,1997年11月,ジャパンナレッジ版.

*30:根本道也ほか編『アポロン独和辞典』〔第4版〕,1997年2月,98頁.

*31:ベルンド・ゲッツェ『独和法律用語辞典』〔第2版〕,2010年,49頁.

*32:河合廉一,末繁彌次郎『民事訴訟法要義』(明治43年5月)は、明治民訴法112条を引いて、「本条第一、二項ハ裁判所ノ釈明権ノ規定ナリ」とする(140頁)

*33:竹野竹三郎『新民事訴訟法釈義』上巻(昭和5年)は、大正民事訴訟127条を引いて、「之を所謂釈明義務(Aufklärungspflicht)と謂ふ。」とする(360頁)

*34:山田正三『改正民事訴訟法要義』第3巻下冊(昭和5年8月)は、「釈明権主義 Instruktionsmaxime」(705頁)とし、細野長良『民事訴訟法要義』第4巻上冊(昭和8年)は、「釈明権(Fragrecht)」(19頁)などとする。

*35:また、大正民事訴訟法の条文上、「釈明」という文言が、釈明権自体を規定する127条には何ら規定されず、釈明準備命令というマイナーな事項を規定する128条にのみ存したことも影響したと思われる。日本立法資料全集10巻以下を見ても、明治民訴法112条2項に対応するはずの大正民訴法127条1項に「釈明」という文言が用いられなかったのかは明らかでない。これは明治36年法典調査会案の段階からのことであるのであるが、同43巻以下を見る限り、その理由は判然としない

*36:ちなみに、「弁明」という言葉も、実は中立的に用いることができる言葉である。明治45年5月の山田美妙『大辞典』によれば、「弁明」とは「辯ジテ、明白ナラシメルコト」をいう(下巻4316頁)。実際、箕作麟祥は、明治10年9月、フランスの法律書を訳すにあたり、法律論の根拠を「説明」しようという部分について、「其所以ヲ左ニ弁明ス」(デモロンプ著、箕作麟祥訳『仏蘭西民法詳説』司法省蔵版,明治10年9月,149頁)と訳している。

*37:前注のとおり、前掲『日本国語大辞典』は、「解きあかすこと。説明すること。」という語釈を載せた上、「また」として、「誤解や⾮難などに対して、事情を説明して了解を求めること。」と付加する。

*38:前掲『日本国語大辞典』には、「⽂書の⽂字、語句などを改めなおすこと。書きかえること。現在では、多く⾃分の都合のいいように直す意に⽤いる。」とある。

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