離婚判決の主文表現の由来について

平成28年9月の永澤済「判決における漢語動詞の特殊用法—「XとYとを離婚する」をめぐって—」(言語文化論集38巻1号39頁)は、現代一般に「XはYと離婚する」のように自動詞で用いるのが通常である「離婚する」という漢語動詞が、離婚判決の定型文言において、「XとYとを離婚する」という他動詞の特殊用法で出現する事情を考察した論文(以下「永澤論文」という。)である。

永澤論文は、以下のようにいう。近現代の漢語動詞は、人間のような「有情物」のみを変化主体とする他動詞としては存在しないが、その所以は、日本語の他動詞は、「地面に棒を立てる」と「×舞台に子どもを立てる」の対比に見られるように、動作主が一方的にコントロールし得る事態に対して用いることにある(40頁~41頁)。「離婚」という動詞も、もともとは、夫側の一方的な意思によるという前近代以来の思想の下、「妻を離婚する」という他動詞表現に用いられたが、そのような「男子専権離婚主義」の思想が退いた現代においては、このような他動詞が存立し得なくなった。しかし、「判決」という「特殊な場」に限っては、裁判所が一方的に事態の成立をコントロールするになるため、他動詞の存立条件が満たされ、戦後になって、「XとYとを離婚する」という特殊な他動詞用法が使われるようになった(48頁~49頁)

f:id:hakuriku:20201227133940p:plain:w150:rightしかし、この考察に対しては、法律上の観点からの前提を補足しておくべきように思われ、その立論の基礎となる用例について、明らかな事実誤認の存在も指摘せざるを得ない。また、当該考察は、前記のとおり、人間のような「有情物」のみを変化主体とする漢語動詞は、近現代の日本語では他動詞たり得ないという前提から出発するのであるが、「Xを解雇する」、「Xを雇用する」という他動詞表現が普通に存在することからしても*1、そもそも、その前提の立て方に疑問がある。

確かに、「XとYとを離婚する。」という判決主文は、裁判所の一方的な宣言で、XとYとの間の「離婚」という事態がコントロールされることを含意し、その限りで、永澤論文の分析は正当である。しかし、法律的にいえば、それが「判決という特殊な場」におけるものであること自体は決定的でない。そこで重要なのは、離婚判決が、裁判所の宣言で法律関係が形成される「形成判決」という特殊な効果を有する判決であるということであり、しかも、その判決主文に他動詞表現が用いられているのは、それが「形成判決」であるという観点から自覚的に採用されている「約束事」であるにすぎないという側面があることは補足されるべきであろう。

裁判所の「判決」の典型は、「被告は、原告に対し、100万円を支払え。」などといった命令文による「給付判決」である。しかし、原告が100万円を請求する権利を有し、被告が100万円を支払わなければならないという事態は、判決の前から客観的に存在したのであり、裁判所がコントロールするところではない。裁判所の強制力は、この命令に被告が任意に従わない場合に、これを強制的に「執行」し得るという局面で生じる。また、「原告が、甲土地の所有権を有することを確認する。」という類型の「確認判決」もあるが、これについても、原告が甲土地の所有権を有するという事態は、判決の前から客観的に存在し、裁判所がコントロールするものではない。

これに対し、「形成判決」である離婚判決は、離婚を「宣言」する判決の効果として、離婚という事態が生じる。判決の前から原告に離婚を請求する権利が存するにしても、判決の前に離婚という事態は客観的に存在しない。他方、離婚判決が確定した後には離婚という事態が自動的に生じるため、先ほどの給付判決のように「執行」を問題とする必要はない。離婚判決における「XとYとを離婚する。」という判決主文は、それが形成判決であることを明確に表現する方法として、現在、積極的に推奨されている定形文言である司法研修所・民事判決起案の手引)*2。そのため、この表現が、「判決という特殊な場」における人為的な「約束事」である側面は無視し得ないのではなかろうか*3

また、離婚判決に「XとYとを離婚する。」という定型表現が使われるようになったのが「戦後」であると推測する永澤論文の理解は、明らかな誤りである。この表現は、明治38年頃から採用されている。この誤り自体は、「LEX/DBインターネット」が、明治8年からの裁判例を「網羅的」に収集した判例データベースであると早合点したことによる些細なミスにすぎないと思われるが*4、この表現が明治後期に定着した経過を検討してみると、それが形成判決であることを明示する手法として、自覚的に創出された表現である可能性を見出すことができるのである。

実は、初期の離婚判決の主文は、給付判決のように表現されていた。我が国に近代的な法典である民法が施行されたのは明治31年7月であるが*5、確認し得る明治36年頃までの裁判例を見る限り、「被告ハ原告ト離婚スベシ」京都地裁36年11月10日判決)などとして、「離婚」という作為を命じる自動詞の命令文を採用するのが通常であったようである*6大審院明治36年2月7日判決(民録9輯117頁)も、離婚判決が「執行」を観念し得る判決であることを前提としており、給付判決のように理解していたものと思われる*7

ところが、その後になると、例えば、東京控訴院明治38年11月20日判決(法律新聞321号11頁)における「被控訴人と控訴人とを離婚す」のように、平叙文の他動詞表現を採用する離婚判決が通常となる*8。特に注目されるのは、同院同年5月2日判決(法律新聞286号9頁)が、「被控訴人は離婚すべし」との判決を求める申立てに対し、「離婚を宣言するのを相当とする」とした上、敢えて他動詞の平叙文による認容判決をしていることである。その頃、判決主文の表現を意識的に変更する動きがあったのではないかと想像されるのである。

この点で気になるのは、前掲東京控訴院判決の裁判体を構成する裁判官である阪本三郎(坂本三郎)である*9。阪本は、東京控訴院判事に補せられた後、明治33年から明治36年までドイツに留学しており*10、その現場の復帰の時期が、前記のように判決主文が変更された時期に一致する*11。そして、阪本は、遅くとも大正初年には、早稲田大学において、離婚の訴えは、「創設の訴」であるから、「離婚すべし」との判決を求めてはならず、「被告ヲ離婚スル」の「宣言」を求めるべきであると講じている。ここにいう「創設の訴」とは「形成の訴え」のことであり、これを認容する判決が先に説明した「形成判決」(=創設判決)である。

離婚ノ訴ハ婚姻解消ヲ目的トシ裁判所ニ對シ其宣言ヲ求ムルモノナレハ其訴ノ性質ハ所謂創設ノ訴ナリ、即チ離婚ハ裁判所カ判決ヲ以テ當事者間ノ婚姻ヲ解消スルモノナルヲ以テ之ヲ目的トスル訴力創設ノ訴ナルコト明カナリトス、從テ之二基キ其離婚ヲ宣言シタル判決ノ效力ハ旣往ニ遡リ初メヨリ解消スルニアラスシテ將來二向ヒ解消セシムルモノナリ、故二離婚ノ訴ヲ提起セントスル原告ハ被告二對シ離婚スヘシトノ意思表示ヲ求ムヘカラス、裁判所二對シ原告カ被告ヲ離婚スルノ宣言ヲ求ムヘキモノトス

(坂本三郎『早稲田大学第廿六回法律科講義録 親族法』,182頁)*12

もっとも、この講義録では「離婚スル」の主語が「原告」となっており、前記東京控訴院の判決とは異なる。同時期の中央大学の講義録にも、同様に離婚の訴えが「創設ノ訴」であることを理由に、裁判所に対し、「離婚スヘシ」との判決を求めるのではなく、「原告被告ヲ離婚スル旨ノ宣言」を求めなければならないとの注意があるが、これも「離婚スル」の主語を「原告」としているように読める奥田義人『日本親族法』,大正5年度,535頁)*13。そうすると、言語使用史という観点からは、これら大学の講義録の記載を以って、直ちに裁判所における判決主文の表現の変更と結びつけて良いかについては、もう少し慎重に検討する必要があるかもしれない。

いずれにせよ、離婚訴訟における「原告と被告を離婚する」という表現は、明治末年ころから大正初年ころに一般的になった。書式集をみても、明治36年の段階では、裁判所書記が作成したものにも給付判決を求めるかのような文例がみられるが*14、大正2年の時期には、「原告ト被告ヲ離婚ストノ御判決相成度候」とする訴状例を載せるものが公刊されている(田淵田『民事人事訴訟書式全書』,大正2年8月,272頁)*15。離婚判決における「原告と被告を離婚する」との他動詞表現の由来を考える上では、これらの時期における「創設ノ訴」を巡る法律上の議論、それを踏まえた裁判実務の運用の変化も考慮に入れる必要があるように思われる。

永澤論文は、明治6年5月15日の太政官布告が、妻からの「離縁」を許すとした後も、前近代以来の夫優位の思想が残ったとした上、その後、「離縁」に代わり「離婚」という語が使われるようになり、明治31年の民法に「離婚」の語が見られるようになった後も、前近代以来の「妻を離縁する」という表現を引き継いだ「妻を離婚する」という表現が使われるようになったと推論する。しかし、「離縁」に代わり、「離婚」が用いられるようになった経緯が明らかにされないため、論理展開が明解でない。その原因は、「離婚」という語の初期の用例を明治27年の『女学雑誌』に求めたためと思われる。

例えば、箕作麟祥は、明治4年頃、フランス民法を訳す際に「離婚」という用語を採用している*16。それ以前にも「離婚」という訳例はみられるが*17、政府部内における公式用語としての普及という観点からは、この事実は大きいであろう。明治6年5月15日の太政官布告には、未だ「離縁」の語が用いられているが*18、同年6月9日の司法省伺には、既に「離婚告愬の儀」という表現があり*19、そのころの内部文書には、「離縁」や「離別」とともに、「離婚」という語も用いられており、それらが、明治8年『法例彙纂』に整理される頃には、正式な法律用語として定着していたと思われる*20

そして、この法律用語は、早い段階で民間にも流布したようである。明治11年4月の『戸籍必需日要規則集覧』は、「離婚」という項目を立てた上、「婦より離婚を訴ふるを得る者」として、「婦離を請ふも夫之を肯せざる時」などを挙げ、「親族協議連署の上離婚するを得る者」として、「婦ハ家女にして戸主たるの夫を離婚する時」などを挙げる*21。この時点で、「離婚」という名詞や「離婚する」という動詞はもとより*22、「夫を離婚する」という表現まで用いられている。離婚は、庶民にも身近な事象であり、法律用語の変化を受け、日常用語としても、「離縁」に代わり、「離婚」が普及したと考えるべきであろう。

なお、永澤論文のうち、前近代の離婚が男性優位であったため、「妻を離縁する」、「妻を離婚する」という他動詞表現が用いられたという指摘は首肯し得る*23。ただし、その論理のみでは、同論文自身が挙げる「彼を離婚する」岡本綺堂黄八丈の小袖)という表現があることと整合しない*24。前掲『戸籍必需日要規則集覧』にもあるように、妻の親族が婿を離婚させることは古来からあったのであり、むしろ、離婚という現象が必ずしも当事者たる男女の合意によらなかったことが、他動詞表現が存在し得た所以というべきところであろう*25

ところで、永澤論文は、既に平成19年10月の「漢語動詞の自他体系の近代から現代への変化」(日本語の研究3巻4号17頁)において、人間のような「有情物」のみを変化主体とする漢語動詞は、近現代の日本語では他動詞たり得ないという統語上の存立条件を定立してしまっていたことから、それにもかかわらず、離婚判決の主文において、「有情物」たる人間を「変化主体」とする他動詞表現が存在するという例外現象を説明しようとしたものと思われる。

しかし、その理由として、日本語の他動詞は動作主が一方的にコントロールし得る事態に対し用いるという意味上のルールを持ち出すのであれば、初めから当該ルールで整理すれば良かったのではないかという疑問が生じる*26。その方が、当初の論文にいう「変化主体」なる物は何かという曖昧な問題を回避し得るし、当初の論文の時点から例外とされていた「殺害」が他動詞となる理由も統一的に説明することができるように感じる*27

そして、法律は、裁判所に限らず、権利や権限を有する者に対し、事態を一方的にコントロールする能力を与える。また、法律上、双方の合意によるものであっても、実際上、一方の意思で実現されているかのように観念されがちな事象もある。「Xを解雇する」、「Xを雇用する」という有情物を目的語とする他動詞表現も、「X」を「変化主体」と見たとしても、そのように説明され得るであろう。このように考えると、そもそも、「XとYを離婚する」という表現は、「特殊用法」というほどでもないような気がしてくる。

*1:例を挙げるまでもないが、東京地判平成29年3月8日(平成26年(ワ)第16874号)に「被告は,平成26年3月10日,原告に対し,同月28日付けで解雇する旨の解雇予告の意思表示を行い,原告を解雇した(本件解雇)」という表現があり、同平成27年3月12日(平成25年(ワ)第2210号)に「司書となる資格を有する原告を雇用したものである」という表現がある。

*2:司法研修所編『10訂 民事判決起案の手引』(平成18年9月)は、形成判決の主文例として、「原告と被告とを離婚する。」を挙げ、「確認や給付の判決主文と紛らわしい表現は避けるべきである」と注意する(17頁)。また、塚原朋一『事例と解説 民事裁判の主文』(平成20年1月)は、「給付判決や確認判決と紛らわしい表現は,避けなければならない。」として、「原告と被告とを離婚する。」という「記載をするのが適切である(前掲民事判決起案の手引17頁)。」とする(29頁)

*3:なお、認知の訴えにかかる請求を認容する判決については、それが給付判決、確認判決、形成判決のいずれであるのかが議論されていたが、最高裁昭和29年4月30日民集8巻4号861頁が形成判決であると判断したことから、その判決主文は、「原告が被告の子であることを認知する。」で定着した(池田辰夫「認知の訴えの性質」,別冊ジュリスト193号56頁,平成20年10月)。形成判決であれば、「原告が被告の子であることを認知する。」というような形式で表現することが望ましいとされていた(中島一郎「認知の訴の性質」,民商法雑誌31巻3号80頁,昭和30年11月,82頁)

*4:永澤論文は、「LEX/DBインターネット」が、「明治8年大審院判例から現在までに公表された判例が網羅的に収録されたフルテキスト型」の判例データベースであるとし(48頁)TKCローライブラリーのサイトは、平成28年8月31日当時においても、そのような説明をしていたようである。しかし、その収録する戦前の民事判決が、基本的に大審院民事判決集及び大審院民事判決録に掲載されたもののみであるとすれば、離婚判決を認容する主文の表現を検討する上では全く「網羅的」とはいえない。そのためには、下級審の裁判例を収集する必要がある。

*5:それ以前は、後掲明治6年第152号布告による裁判となる。永澤論文は、昭和52年の石井良助『日本婚姻法史』・434頁に基づき、「当時の判例がない」とするが、現在では、少なからぬ裁判例が紹介されている。例えば、京都地方(始審)裁判所の裁判例を見ると、「離婚可致事」(明治13年7月7日裁決),「被告ハ原告ノ請求ニ応シ離婚シテ速ニ復籍ノ手続ヲ為ス可シ」(明治24年5月1日判決)、「被告ハ原告ト離婚スヘシ」(明治29年2月21日判決)、「被告ハ原告ト離婚ノ上復籍スヘシ」(明治29年5月7日判決)などとしており(村上一博「明治期の離婚関係判決(1)—京都地方裁判所所蔵民事判決原本より—」,同志社法學36巻5号94頁,昭和60年1月)民法施行前の段階においても、作為を命じる自動詞表現による主文が通常であったようである。

*6:同様の主文による多数の裁判例が、村上一博「明治期の離婚関係判決(3・完)—京都地方裁判所所蔵民事判決原本より—」同志社法學37巻1・2号94頁,昭和60年7月)に復刻されており、本文中に挙げた事例は、同231頁(74番)の明治36年(タ)第35号離婚請求事件である。これらは京都における事例であるが、大阪控判明治33年6月8日は、「被控訴人は控訴人と離婚ス可シ」などと命じ(関弥一郎「婚姻法に関する若干の初期判決(二)」,横浜国立大学人文紀要 第一類 哲学・社会科学40号82頁,平成6年10月,88頁)、大阪控判明治35年11月5日も、同様であったようである(民録9輯118頁,123頁)。また、名古屋控判明治35年5月13日(法律新聞91号14頁)は、原告からの離婚請求であっても、原告と被告の双方に離婚を命じる判決をする必要があるとした異例の「新判例」であるが、これに対する法律新聞のコメントによれば、「従来」の離婚判決は、「被告は原告と離婚すべし」とするものであったことを推測し得る。

*7:同判決の判旨第5点は、「縦令離婚ノ判決確定スルモ之ヲ執行スルト否トハ其自由ナルヘキハ当然ノ法理」であるなどとして、離婚判決の「執行」行為を観念している。この判決は、直接的には控訴人にのみ「離婚スへシ」と命じた前掲大阪控判明治35年11月5日の判断を是認したものであるが、この判旨によれば、当事者双方に「離婚すへし」と命じるべきとする前掲名古屋控判明治35年5月13日の判断は否定されよう。

*8:その外、東京控判明治38年1月21日(明治37年(ネ)第435号)が、「控訴人ト被控訴人トヲ離婚スル」と判決した事例(関弥一郎「婚姻法に関する若干の初期判決(三)」,横浜国立大学人文紀要 第一類 哲学・社会科学41号96頁,平成8年10月,105頁)、浦和地土浦支判明治42年4月2日(明治41年(タ)第18号)が、「原告永井セイト被告永井行藏トノ離婚ス」と判決した事例を確認することができる(関弥一郎「婚姻法に関する若干の初期判決(五)」,横浜国立大学人文紀要 第一類 哲学・社会科学43号71頁,平成10年10月,87頁)

*9:前掲法律新聞は判決書を「坂本三郎」と翻刻とするが、印刷局『職員録』に掲載される東京控訴院判事は「阪本三郎」であり(明治38年版・甲271頁)、判事任命の裁可書の記載も同様である国立公文書館請求番号:任B00019100)。「坂」と「阪」は、崩すと紛れやすい場合がある。

*10:人事興信所『人事興信録』に「同二十六年十月判事に轉じ相川新發田各區裁判所新潟水戸東京各地方裁判所東京控訴院判事に補せらる同三十三年初月獨逸國に留學し同三十六年十月ドクトルユーリスの學位を得て歸る同四十年四月行政裁判所評定官に任せられ」(第4版・さ57頁)とある。

*11:印刷局『職員録』は、明治36年5月1日時点(凡例参照)の東京控訴院判事に阪本の名を挙げないが(明治36年版・甲403頁~404頁)、明治37年5月~明治39年5月時点の東京控訴院判事には、阪本の名が挙げられている(明治37年版・甲241頁,同38年版・甲271頁,同39年版・甲357頁)

*12:国立国会図書館蔵の同講義録は、大正3年6月5日に製本された旨の印が押されている。次の第廿七回の講義録も記載内容は同一である(182頁)。なお、阪田は、明治40年には早稲田大学法学科の教務主任であり早稲田大学編集部『廿五年紀年早稲田大学創業録』,明治40年10月,附録)、大正2年度には「民法親族」及び「法学実習」の担当教授であった早稲田大学早稲田大学一覧』,大正2年12月,190頁)

*13:同講義録は「中央大學大正五年度法律科第一學年講義録」とされるものであり、「離婚ノ訴ハ創設ノ訴ナリ。蓋シ離婚ノ訴ハ旣存ノ婚姻關係ヲ新ニ解消スルコトヲ目的トシテ其宣言ヲ裁判所ニ請求スルモノナレハナリ。其判決ハ唯將來二向テノミ其效カヲ及ホスヘク原告ハ裁判所二對シテ原告被告ヲ離婚スル旨ノ宣言ヲ求ムヘキモノニシテ原告ハ被告二對シ離婚スヘシトノ意思表示ヲ求ムヘキニ非ラサルナリ。」とある(535頁)

*14:洲本区裁判所の監督書記武藤圓の手による『人事訴訟非訟事民事訴訟不動産登記及戸籍法ニ關スル訴、申請、申立、書式』(明治36年4月印刷,非売品)には、「被告乙某ハ原告甲某ト離婚スルヿ」との文例を記載されているが(4頁)。主文末尾を「すること」とするのは給付訴訟での表現である(長田俊樹編『日本語「起源」論の歴史と展望』(永澤済執筆部分)・198頁~199頁参照)

*15:その後も例えば、昭和5年10月の新井正三郎「新書式大全集」は、「被告(乙)ト原告(甲)トヲ離婚ストノ趣旨ノ判決ヲ求ム」のような訴状例や「原告ト被告トヲ離婚ス」との判決例を載せる(1378頁~1398頁)。また、国語協会法律部『判決の口語化 其の他』(昭和14年7月)は、離婚判決の口語化案として、「原告と被告とを離婚す」との主文例を掲載する(187頁)

*16:箕作麟祥訳『仏蘭西法律書民法』は、1804年フランス民法第6編の「DU DIVORCE」を「離婚」と訳する民法十七ウ)国立国会図書館に所蔵されている版は、明治8年12月に出版されたものであるが、その「例言」の記載からすれば、この翻訳は、明治4年2月(辛未仲春)頃には、政府内部で知られていたと思われる。同年8月出版の翻訳局訳述『仏蘭西法律書』の「例言」によれば、箕作麟祥は、「文部省ニ在ルノ日」において、「民法刑法ノ二者ハ既ニ同省ニ於テ梓ニ上」し、「譯スルハ從テ刻シ」ていたことになる(上巻・3頁~4頁)

*17:村田文夫『西洋聞見録』には「離婚ノ當タラザルヿヲ政府に訟出」(後編巻之一・四十オ)とあり、これは明治2年3月には執筆され、明治4年1月に刊行されている(木村秀次「『西洋聞見録』の漢語 補遺」,千葉大学教育学部研究紀要45巻183頁,183頁,192頁・注2参照)。『世説新語』に「子敬云不覺有餘事惟憶與郗家離婚」(德行第一)とあるから、漢語としては古くから知られていた言葉であると考えられる。同旨の内容は、『晋書』列伝第五十王義之にも載せられている。

*18:明治6年布告第162号は、「夫婦ノ際已ムヲ得サルノ事故アリテ其婦離縁ヲ請フ卜雖モ夫之ヲ肯ンセス之レカタメ数年ノ久ヲ経テ終二嫁期ヲ失ヒ人民自由ノ権理ヲ妨害スルモノ不少候自今右様ノ事件於有之ハ婦ノ父兄或ハ親戚ノ内附添直ニ裁判所へ訴出不苦候事」(法令全書明治6年・209頁)という。なお、これを受けた訴答文例15条は、「離別」の訴状には「離姻」の事由を記載するよう定めており(同・325頁)、「離姻」という表現が不審であるが、法律用語が未定着であった時期故のことであろうか。

*19:太政類典第2編330巻20番「夫家ヲ出テ二年踪跡知レス或ハ懲役一年以上ノ刑ニ処セラル丶時其妻離婚ヲ訴ルヲ許ス」に収められており、法例彙纂(民法之部第一篇)の290頁に載せられている。なお、太政類典第1編185巻に、明治2年7月25日「華族大原重朝妻離婚」(139番)、同年12月9日「庭田正二位妻離婚」(139番)といった件名があるが、それ自体は太政類典を編纂した時点で付された件名であり、本文には「離婚」という単語が用いられていないため、これを初出とすることはできない。

*20:これらの伺指令は、明治8年刊行の法例彙纂(民法之部第一篇)の290頁~303頁に収められているが、その章題は「第四章 離婚」である。

*21:国立国会図書館に伊藤孫一郎著『日要規則集覧 : 戸籍必需』(請求番号:特58-529)として収められているものであり、離婚に関しては38丁ウ~40丁オにある。ただし、内容をみるに、伊藤孫一郎の「編集」であり、外題は『日要規則集覧』であるものの、奥付には『戸籍必需日要規則集覧続編』とある。

*22:永澤論文は、「離婚する」という動詞の初期の用例を明治45年7月20日の東京朝日新聞の記事にまで遅らせるが(47頁)、本文のとおり、明治11年の用例がある。同年6月の高知裁判所の裁判言渡書にも「離婚ス可キ謂ハレ無之」という表現がある(村上一博「続々・明治期の離婚関係判決—高知地方裁判所所蔵民事判決原本より—」,同志社法學41巻5号129頁,平成2年1月,149頁)

*23:ただし、法律上、夫にのみ離婚請求権が認められていたとしても、言語上、「夫を離婚する」という表現が非文となるわけではない。少なくとも、「妻が夫を離婚する権利」は認められていないという表現は可能である。当該指摘は、法律上の実態を反映し、「離婚」が他動詞の意味で受容されたという限度で理解すべきであろう。

*24:永澤論文は、当該表現を「妻を離縁する」を引き継いだヲ格目的語を伴う「離婚する」の用例として、特段の注記もなく引用しており(47頁)、その位置付けが明らかでない。当該引用にいう「彼」は、婿である又四郎であり、姑のお常、妻のお熊、その恋人である忠七が「何とかして又四郎を追い出したい」とする場面である。

*25:ちなみに、明治27年頃の奥田義人『親族法』(東京専門学校法律科第一年級講義録)は、「離婚なる語は古代に在りては單に夫が妻を去ると云ふの意義に用ゐられた」が、「婚姻を以て男女の共諾に因りて成るの結合なりと爲すの時代には離婚とは婚姻を解離することを謂ふ」(179頁~180頁)と自覚的である。

*26:永澤論文は、当初の論文で導いた他動詞の存立条件を引用した上、これを「意味の観点から掘り下げ」てみるとして、「日本語の他動詞は、動作主がコントロールできる事態に対して用いる」というルールを持ち出すが、両者の優劣、包含関係は明確にしない(40頁~41頁)

*27:当初の論文は、脚注11において、「案内」は、人間のような有情物を目的語にとる他動詞であるが、当該目的語は「変化主体」に当たらないから例外でないとし、「殺害」は、「相手の意思を無視して強行」するから、「有情物をいわば非情物的に扱う例外的な事象」であるとする(27頁~28頁)

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