ミミズの俗信「歌女」

蚯蚓鳴く

秋の季語に「蚯蚓鳴く」というものがある。秋の夜,「ジー」という虫の音が聞こえるのをミミズの鳴き声と解したものである*1

「ミミズが鳴く」という見解は,中国の崔豹『古今注』(300頃)の「ミミズは,地中で善く長吟するため,江東では〈歌女〉と呼ぶ。或いは〈歌砌〉と呼ぶ。」という記載に遡る*2。同書は,源順『倭名類聚鈔』(934頃)に引用されており,同書の見解は,日本においても,古くから知られていたと考えてよさそうである*3

しかし,次に年代が分かる資料となると*4,木下長嘯子『四生の歌合(虫の歌合)』(1643頃)のミミズに仮託した狂歌,「此ころはつちの中なるすまゐして君がすがたも『みゝすなく』なる。」まで時代が下ってしまう*5。この狂歌が,前記『古今注』の系譜を引くものであるのか,それとは別に独自に由来を有するものであるのか,『倭名類聚鈔』から数えても700年の空白があるため即断することはできない*6

いずれにせよ,上記『四生の歌合』以後,ミミズが鳴くことは,石田未得『我吟我集』(1649序)「目をもたぬ虫のことくに音をそなく見ゝすしらさる人をこふとて」*7,池西言水『東日記』(1681)「露と波とに蚯蚓鳴くらん芥川」(才麿)*8など,周知の文学的題材になる。

蚯蚓は陰晴を知る

ミミズが鳴くことに関する日本の言い伝えの中には,単に「ミミズが鳴く」とするだけではなく,さらに「ミミズが鳴くと良い天気になる」とまでするものがある*9

この点について中国の李時珍『本草綱目』(1578)を紐解くと,ミミズが「長く吟するように鳴くこと」に加え,ミミズに「陰晴を知る能力があること」が記載されている。もっとも,同書の記載からは,「陰晴」と「鳴くこと」との間に関連があるのか判然としない。

術家言蚓可興雲,又知陰晴。故有土竜,竜子之名。其鳴長吟,故曰歌女。

ところが,その少し後,同じく中国の李中立『本草原始』(1612)では,「雨則先出,晴則夜鳴,因知陰晴」として,「陰晴」と「鳴くこと」が関連づけられていたようなのである*11。そして,日本の人見必大『本朝食鑑』(1697)も,「晴れそうなときは夜に鳴く。」,「陰であるか晴であるかを知り,或いは出,或いは鳴く。」*12として同様である。さらに,寺島良安『和漢三歳図会』(1713)になると,『本草綱目』を典拠として掲げた上,「雨則先出,晴則夜鳴」とする*13

これらの事実に『本草綱目』の影響力を併せ考えてみると,近世日本における「ミミズが鳴く」という見解は,10世紀以前に渡来した『古今注』の見解が根付いたものとみるより,16〜17世紀ころ,『本草綱目』等を典拠とし,「陰晴」に関する見解とセットになって,改めて渡来したものと考える方が妥当ではなかろうか。

3.ミミズは鳴かない

現在では,「ミミズが鳴く」とは「ケラが鳴く」のを誤ったものであると理解するのが一般である*14。このことは,古く江戸時代から知られていたことである。

例えば,北慎言『梅園日記』(1845)には,北慎言が,ミミズが鳴くのではなく,ケラが鳴くのであるという話を聞き,実際に,ミミズの鳴く声を調べてみたところ,やはりケラが鳴いていたという趣旨の記載がある。

鳴呼矣草ヲコタリクサ云,蚯蚓ハ鳴を以て,本草には鳴砌と云,続博物誌ニハ,歌女と云とかや,或人これをためし見しに,蚯蚓はなかず。螻蛄ケラの鳴にぞ有けるとかや … 暑月雨後,土中有声若長哦者俗謂蚯蚓唱歌,余既得六技之説*15,嘗于夏夜,傾聴久之篝火発土,果螻蛄也

(『梅園日記』巻2*16

また,小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1803)も,明の劉彦心『太倉州志』(1629)と思われる文献を引いて*17,「蚓竅但鳴螻」という詩句を根拠に,「おそらく,ミミズが善く鳴くといわれているのは間違いである。鳴いているのはケラである*18。」とする見解を紹介する*19

このように,「ミミズが鳴く」とは「ケラが鳴く」のを誤ったものであるとする理解は,江戸時代からの伝統である。逆に言えば,そのような理解自体,ひとつの「伝承」であって,無条件に信用してよいものではない。

実際,元の脫因『至順鎮江志』(1332)は,ミミズが鳴くのではなく,セミ(蟪蛄)が鳴くのであるとしているし*20,松浦一郎『鳴く虫の博物誌』(1989)は,ミミズの鳴き声とされるものの中には,例えばトラツグミの鳴き声を誤ったもののもあるのではないかと示唆する*21

4.それでもミミズは鳴く(1)

「ミミズが鳴く」とは「ケラが鳴く」のを誤ったものであるとする江戸時代の理解に対しては,同時代に,喜多村信節『嬉遊笑覧』(1830)の反論があった。

蚯蚓は鳴ものにあらず,土中にて鳴は螻蛄ケラなりといへれど是もおぼつかなし,鳴く処を尋ねみしが螻蛄は見えず猶みみずなるべし

(喜多村信節『嬉遊笑覧』巻12*22

しかし,「鳴く処を尋ねみしが螻蛄は見えず」というだけで,本当にケラがいなかったのか,断言するのは困難であろう。しかも,ケラがいなかったということを確認しただけで,ミミズがいたということを確認したわけでもないようなのである。

また,『本草綱目啓蒙』も,「螻蛄の鳴は雨ふる時にありて其声短し,蚯蚓の鳴は晴たる時にありて其声長し,自ら分別ありといへり。」*23という反論を主張していた*24。しかし,この反論も,ミミズの鳴き声とされるものが,ケラの鳴き声とは異なるものであることを指摘したものにすぎず,ミミズの鳴き声とされるのものが,本当にミミズの鳴き声であることを示したものではない。ミミズの鳴き声とされるのものが,例えば,トラツグミの鳴き声であるという可能性は否定されない。

現代科学の洗礼を受けた我々としては,現にミミズが鳴いている様子の観察記録でも提示してくれないことには,俄に信用し難いところである。近代科学を受け入れた1889年の『動物学雑誌』にも、「ミミズには音声を発すべき器官なく…其鳴かざる事明なり。」、「今其是非を知らんと欲せば、ミミズ一二疋を取り来りて之を解剖せよ。直ちに判然たるべし。」とある*25

.それでもミミズは鳴く(2)

現代科学において,ミミズが鳴くとはされていないこと,他方で,ケラが鳴くとされていることからすれば,「ミミズが鳴く」という見解を擁護するのは難しい。

ところが,現代科学において,「ミミズが鳴く」としたドイツの報告がある。しかも,報告者は,日本や中国におけるミミズの俗信の存在を知らなかったようであり,先入観がないだけに,その信憑性は高い。

ドイツの研究者C・メルケルは1940年代にミミズが声を持っているという事を示して仲間の研究者達を仰天させた。メルケル博士は言った。彼等は声を持っているだけでなく,そのかすかな響きは「まれに一声だけだが普通は,連続していて,はっきりした特徴があり,リズムが変わる」。言い替えれば,ミミズ達は歌っていたという事だ。

(ジェリー・ミニッチ著・川崎昌子訳『ミミズの博物誌』・現代書館・147頁)

もっとも,追試等は行われなかったようであり,同報告を紹介するミニッチも,「今では」,「ミステリーという事にしておかざるを得ないだろう。」と結んでいる*26

結局のところ,ミミズは鳴かないのであろうが,「ミミズが鳴く」という俗信については,なお検討の余地があるのかもしれない。
(了)

*1:水原秋櫻子・加藤楸邨山本健吉(監修)『カラー図説日本大歳時記』(座右版)・講談社・1069頁。

*2:魚虫第5「蚯蚓 … 善長吟地中,江東謂之歌女,或謂之歌砌」(NDL請求記号:特1-612,巻之中・七ウ)。

*3:巻19・虫豸類第240・蚯蚓「崔豹古今注云江東謂為歌女或云鳴砌」(早大・橿屋蔵書本・第5冊)。ただし,「善長吟地中」という部分は引用されておらず,『倭名類聚鈔』の記載だけから,直ちに「ミミズが鳴く」と理解できるわけではないことに注意が必要である。

*4:成立年代の分からない昔話としては,「昔蛇は歌が巧みであって目を持たなかった。その蛇の処へ蚯蚓が歌を教へて貰ひに行くと,その目とならば取替へてやらうと答へた…」(柳田国男柳田国男集』・第8巻・米倉法師・295頁)というものがある。

*5:狂歌大観刊行会『狂歌大観』第1巻・99頁。作者,成立年代ともに推定である。なお,『続群書類従』〔訂正三版〕33輯下・雑部・巻984・虫歌合・63頁は,第五句を「みえすなくなる」としている。

*6:前掲『カラー図説日本大歳時記』・1069頁は,『和漢三才図会』を引用しつつ,「蚯蚓鳴くとは中国伝来のように言っているが、そうではない。」,「『亀鳴く』『蓑虫鳴く』『川獺かわうそ魚を祭る』『雀海中に入て蛤となる』などと並んで、空想的、浪漫的季題として面白がられたのである。」とする。しかし,同書は,同書の引用する『和漢三才図会』の記述が,中国の『本草綱目』を典拠としていることを無視しており,直ちに採用することはできない。

*7:巻6・恋・寄蚯蚓恋(早稲田大学図書館蔵)。

*8:前掲『カラー図説日本大歳時記』・1070頁。

*9:「ミミズが鳴くと良い天気になる(群馬・石川・富山・岐阜・愛知・沖縄),夜明けに鳴くときは晴天になる(岐阜),夕方鳴くときは翌日天気(岐阜県吉城郡),ミミズが歌をうたえば天気がよい(神奈川)。」(鈴木棠三『日本俗信辞典』584頁)。

*10:本草綱目(校点本)』(人民衛生出版社出版・初版)・下冊2353頁。

*11:小野蘭山『本草綱目啓蒙』巻38・虫之四・蚯蚓の引用による(東洋文庫540・180頁)。

*12:巻12・蛇虫部・蚯蚓・集解「欲晴則夜鳴」「知其陰晴或出或鳴」(東京農業大学世田谷キャンパス所蔵本・第7冊)。

*13:和漢三才圖會刊行委員会『和漢三才圖會』〔上〕・599頁。

*14:前掲『カラー図説日本大歳時記』1069頁,前掲『日本俗信辞典』584頁,渡辺弘之『ミミズ − 嫌われものの はたらきもの』130頁など。

*15:引用注:「ケラが鳴く」という説。

*16:京大・谷村文庫本・第2冊。

*17:本草綱目啓蒙』は,「大倉州志」という名の書物を引用する。後掲『嬉遊笑覧』においても同様である。「大倉州志」という書名は,『箋注倭名類聚抄』においても言及されているのであるが,一般には知られない名である。この点,国立国会図書館蔵『諸州府志』には,「大倉州志」という題する抄本が収められているところ、同抄本の作者は,「劉彦心」と記載されており,同抄本の文言が,『本草綱目啓蒙』による「大倉州志」の引用部分とほぼ一致するところからすれば,『本草綱目啓蒙』の引用するの「大倉州志」は,劉彦心『太倉州志』のことであろうと推測される。

*18:原文「先評少作苦雨詩,有蚓竅但鳴螻之句,盖今謂曲蟺善鳴者非是,其鳴者乃螻蛄也」。ただし,前掲『諸州府志』には,「先評少作若小詩,有蚓竅但鳴螻之句,盖今謂曲蟺善鳴者非是,其鳴者亦螻蛄也」と読める。いずれにせよ私には文意不明なところがある。

*19:ただし,「蚓竅但鳴螻」という詩句における「螻」とは,「螻蛄(ケラ)」のことではなく,「螻蟈(カエル)」のことではないかという気もする。というのは,「蚓竅但鳴螻」という詩句は,『礼記』月令の「螻蟈鳴,蚯蚓出」という詩句に関連するものなのではないかと考えられるところ,『礼記』月令にいう「螻蟈」とは,カエルを指すものであるとする理解が有力だからである。

*20:巻四・土産・蟲・蚯蚓「此本不能鳴其鳴者蟪蛄耳陳簡齋詩云不知墻角蚯蚓方長哦蓋誤也」(国立国会図書館蔵本)。

*21:鳴く虫の博物誌 / 松浦一郎‖著 / 文一総合出版 , 1989.5 ( 自然誌ライブラリ ) , 106頁。

*22:『日本随筆大成』別巻10・新装版・266頁。

*23:前掲書・267頁。

*24:この見解は,前掲『嬉遊笑覧』でも援用されている。

*25:東京動物学会『動物学雑誌』第1巻11号393頁(1889年9月15日)に投稿された「ミヽズは鳴かず」(ミヽズ𛂞鳴か𛁏゙)と題する匿名(𛁈、い)の記事である。引用に当たり、旧字体変体仮名、読点は適宜に改めた。

*26:しかし,明確に否定されている訳でもない。

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