学者の傲慢

法科大学院適性試験の問題を読んでみた(大学入試センター・初回)。いろいろ感想はあるのだが、第2部第9問の問題文の選択について、コメントしてみる。

これは『法学教室』1982年3月の巻頭言として、東京大学法学部の竹内昭夫教授が書かれた随想なのであるが、次のように始まる。

 いつか早朝ラジオの農家向け番組みを聞いていたら、「ドジョウヲシンコウゴ、シュシヲハシュスル」というような話で、いったい何のことかととまどった。しばらくして、どうやら「土を深く耕してから種をまく」ということらしいと理解できた。それなら、内容は至極もっともなことであるが、もっと普通の日本語で話した方がわかりやすいだろうにと思った。農民にとって必要なのは、作物の顔をみて水や肥料の加減を判断する知恵ではあっても、こなれの悪い教科書言葉をあやつる能力ではあるまい。
 しかし考えてみれば、似たような現象は、法律についても見られる。(以下略)

以下の省略部には、「法律家は、一般人にも分かる言葉で法律を語るべきだ」という、穏当かつ妥当な主張が続く。

しかし、枕に振った事例が悪い。学者の傲慢さが滲み出ているのである。確かに、「ドジョウヲシンコウゴ、シュシヲハシュスル」という一文は、素人に過ぎない竹内昭夫には聴解しづらかったであろう。しかし、専門家である「農民」にとっても果たしてそうであったろうか。彼は、「農民」が、学者である自分よりも多くの漢語に馴染んでいるかもしれないという可能性を一顧だにしないのである。彼にとって、「農民」とは農業の専門家ではなく、せいぜい「作物の顔をみて水や肥料の加減を判断する知恵」しかない無教養人に過ぎないのである。f:id:hakuriku:20180916220453p:plain:right:w150

しかも、本人はその傲慢さに無自覚であるのであるから始末が悪い。彼としては、庶民にも理解ある教養人として発言をしているつもりなのであるにも関わらず、無意識のうちに大衆を見下す態度が垣間見えるのである。オールド・リベラリストの啓蒙的な発想とでも言おうか。

もちろん、これはあくまでも試験の題材であり、このような発想を持つ人物が望ましいと、出題者側が考えていると断定する論理的必然はない。しかし、やはりこの文章は肯定的に用いられていると考えるのが自然であるようにも思える。そうだとすると、この出題は非難されてしかるべき問題文の選択と言えるだろう。

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