ドイツ連邦共和国基本法の改正経過🄒:第15次〜第26次 ('65-'69)

西独は,1966年,戦後初の景気後退に直面し,連立政権を構成していたキリスト教民主・社会同盟と自由民主党との間に経済政策を巡る対立が生じる*1。連立を離脱した自由民主党に代わって政権入りしたのは,階級政党から国民政党への転換を図っていた社会民主党であり,ここに左右の二大政党による「大連立政権」が成立し,キリスト教民主・社会同盟のクルト・ゲオルク・キージンガーが首相となる。

大連立政権は,その圧倒的な議席占有率を背景に*2景気対策のため,連邦の財政権限を強化する第15次改正を皮切りに,約3年間に12回の基本法改正を成立させる。最も議論を呼んだのは,緊急事態条項を整備する第17次改正であったが(68年闘争),同条項の補充が実現したことによって,旧占領国の留保権限が解消され*3基本法は,占領下に制定された「暫定憲法」としての性格を脱する(後追いの憲法改正*4)。

このようにして西独の対外的地位が確定すると,その後の基本法の改正課題は,連邦と州の権限関係に関わるものが多くなり,概して,連邦の権限が強化される方向での改正が進む*5。その背景には,基本法の原規定が,「強いドイツ」の復活を警戒する占領当局の意向を受け,州の権限を強くし過ぎていたということもあるようである*6。これらの改正のうち最大のものは,第20次第21次第22次の一括改正である。

15. 連邦の財政権限の強化

第15次改正 1967.06.08

制定時の基本法は,連邦と州の財政運営を独立のものと定め(109条),州は,租税収入こそ連邦との調整が必要であったものの,起債や支出の権限を独自に行使することができた。しかし,西独が初の本格的不況に陥る中,柔軟で統一した財政政策の実施が求められるようになり,州財政に対する連邦権限を強化する本改正がなされた。

解説

戦後ドイツの財政運営は,戦後改革に伴う官僚の自律性の低下もあり,多様な利益集団の介入のため,好況のうちに緊縮財政によって景気引締めと財政均衡を図ることができなかった*7。そのため,1966年からの本格的不況期に至って,インフレ抑制のための収支均衡と財政政策による景気刺激を同時に行うという課題が生じることになった*8

この課題を解決するため,連邦政府に柔軟で強力なケインズ的財政政策を実施する権限を付与することが検討されたが*9,本改正前の基本法109条が,州の財政政策を連邦から独立したものと定めていたことが立法の限界となった*10。州が,連邦の財政政策と相反する予算措置を採り,その効果を打ち消してしまうことがあり得たからである*11

厳密にいえば,連邦は,その税率設定権(第21次改正前の基本法105条2項)を行使することによって州の税収を増減させ,結果として州財政の規模に影響を与えることができた*12。しかし,州は,租税による歳入が不足する場合,起債によって歳入を補うことで財政規模を維持することができ*13,これを連邦が制限する手段は限られていた*14

そこで,連邦政府が,州の起債を制限し,また,連邦と州との財政計画*15の原則を策定することができるとする条項等を基本法109条に挿入する本改正がなされ*16,それを具体化する「経済安定成長促進法」が制定された*17。ただし,州の財政高権に対する配慮のため,その具体化立法には,州政府の代表機関たる連邦参議院の同意を要することとされた*18

16. 最高裁判所の設置規定の削除

第16次改正 1968.06.18

制定時の基本法は,5個の法分野ごとに専門の裁判所を用意し,各分野の最上級審判例を統一する最高裁判所を置くことを予定していた。しかし,連邦憲法裁判所の機能との兼ね合いもあり,その設置は遅れていたところ,結局,常設の「最高裁判所」は設置せず,必要に応じ「合同法廷」を開催する方式を採ることとなり,そのための本改正がなされた。

解説

ドイツの裁判所は,米国とは異なり,縦の関係では,州の裁判所と連邦の裁判所が連続する審級システムを採用しているが,横の関係では,通常の民事,刑事事件の分野の外,行政事件,税務事件,社会保障事件,労働事件の各分野について*19,専門の裁判所を用意し,各々の審級系統を完全に分離するという方式を採る。

制定時の基本法は,これら5系統の裁判所の判例を統一するための最高裁判所の設置を予定していた。すなわち,上記の分野(裁判権)ごとに,州の裁判所の上級審として,連邦の上級裁判所が設置され(同96条1項),それら「連邦上級裁判所」の裁判を統一するため,「連邦最高裁判所*20を設置するというのである(同95条1項,2項)*21

ところが,「連邦最高裁判所」の設置は遅れた。基本法制定会議の段階から,「連邦最高裁判所」を設置する必要があるのか,連邦上級裁判所の「合同法廷」を設置すれば足りるのか見解の対立があり,その後,連邦司法省が,連邦憲法裁判所の位置付けとの兼ね合いで,「連邦最高裁判所」の設置に慎重な態度を示すなどしたからである*22

しかし,各連邦上級裁判所の間における判例の不一致は早くから生じ*23,これを統一する機関の設置が望まれるようになった*24。そこで検討が進められた結果,必要に応じ,各連邦上級裁判所の「合同法廷」を招集する方式が採用されることになったが,そのためには,基本法を明示的に改正する必要であるとの結論になった*25

そこで,本改正によって,基本法から連邦最高裁判所に関する諸規定が削除され,前記5系統の「連邦上級裁判所」を新たに「最高裁判所」と位置づけ(改正後の95条1項),その裁判の統一のため,「合同法廷」が設置されるものとされた(同条3項)*26。この合同法廷は,各「最高裁判所」の長官や裁判官によってアドホックに構成されるものとなった*27

17. 緊急事態条項の整備

第17次改正 1968.06.24

西独がNATO体制内で再軍備を進めるなか,緊急事態条項(有事法制)の整備が政治日程に上った。左右の対立が厳しい分野であったが,旧占領諸国に留保された有事の権限を解消し,完全な主権を回復するためという名目もあり,現実路線に転換した左派SPDが政権に参画したことなどを受け(大連立),左右の二大政党間で妥協がなり,本改正が成立した。*28

解説

基本法の当初草案(ヘレムヒムゼー草案)には,いわゆる国家緊急権の規定が置かれていた。しかし,一方で,ワイマール憲法の失敗に対する反省があり,他方で,当時のドイツが未だ占領下にあり,敢えて当該規定を置く喫緊の必要性が低かったこともあってか,基本法は,緊急事態に関する規定を置かない形で成立した*29

西独の占領体制は,1954年に解除されるが,西独が緊急事態法制を整備するまで,緊急事態における旧占領諸国の権限が留保されることになった(ドイツ条約5条2項)*30。西独が再軍備を実施し,有事法制を整備する中*31,前記留保権限を除去し,完全な主権を回復することを「錦の御旗」として,緊急事態法制の整備が政治日程に上がる*32

左派の社会民主党(SPD)は,緊急事態法制に批判的であったが*33,1966年,同党が政権入りしたことが転換点となる(大連立政権)。議会外の左翼・学生運動は,SPDが体制に「取り込まれた」として,むしろ先鋭化・過激化するが(68年闘争)*34,これが逆に左右の連立与党間の妥協を進め,本改正の成立に漕ぎつけることになる*35

こうして成立した本改正は,新たに「第10a章」を追加し,連邦の領域が武力によって攻撃されるなどした「防衛上の緊急事態」について,連邦政府の権限を拡大し,また,これに至らない程度の緊急事態や平時の通信監視*36に関し,相応の規定を追加するなどした。我が国の学界の関心も深く,邦文の文献も多い分野であるので*37,その具体的内容の詳細は省略する。

18. 連邦参議院の法案検討期間の延長

第18次改正 1968.11.15

連邦参議院は,政府提出法案を先に検討して態度決定する権限,連邦議会が可決した法案について,両院協議会の開催を求め,また,異議権を行使する権限などを有しているが,基本法は,これらの権限の行使に一定の機関制限を定めていた。本改正は,その議決期間が短すぎるとしてなされたテクニカルな改正であり,特段の反対もなく成立した。*38

解説

ドイツの連邦参議院(Bundesrat)は,国会の第二院ではあるが,いわゆる上院(Senat)とは区別される「州政府」の代表機関である*39。その議員は,州政府によって任命される州首相その他の閣僚であり,個々の議員の意思に基づき行動するのではなく,州の人口に応じて配分される票決権を州ごとに統一して行使する必要がある(基本法51条)。

また,連邦参議院の立法関与は限定されており,その同意を要すると定められている法律を除き*40,「一定の期間」内に,①政府提出法案を先に検討して意見を付す「態度決定」の外は,②連邦議会で法案が可決された後,両院協議会の開催を求め,③これを経た後,当該法案に異議を議決する権限を有するのみである(基本法76,77条*41)。

しかも,連邦参議院の異議は,過半数の議決に基づくものであれば,連邦議会過半数の再議決で却下され,3分の2の議決に基づくものであっても,同様に3分の2の再議決で却下される(基本法77条4項)*42。そして,「一定の期間」内に両院協議会の開催が要求されず,又は異議が述べられなかった場合,当該法律は当然に成立する(同78条)。

連邦参議院は,これらの「一定の期間」が短かすぎるとして,これを延長するため,本改正法案を提出した。すなわち,本改正によって,両院協議会の開催を要求するべき期間を2週間から3週間に,異議を議決すべき期間が1週間から2週間に,また,政府提出法案に態度決定すべき期間も3週間から6週間に,それぞれ延長しようというのである*43

これらの期間が短かいことは,基本法制定時から問題となっており,連邦議会においても,改正自体に対する反対はなく,本改正法案は全会一致で可決された*44。ただし,連邦政府の意見を踏まえ,政府提出法案に事前の態度決定をすべき期間について,緊急の場合,従前どおり3週間とすることができるとの修正がなされた*45

19. 連邦憲法裁判所に対する憲法異議の訴えの憲法事項化

第19次改正 1969.01.29

基本法制定の際,連邦憲法裁判所の位置付けを巡って議論があったこともあり,従前,「憲法異議の訴え」は,法律上の制度として実施されていた。しかし,第17次改正が,緊急事態下における簡易な立法手続を導入したことを踏まえ,憲法異議が法改正のみで廃止され,権利救済手続が不十分となることを避けるため,基本法上の制度への格上げがなされた。

解説

連邦憲法裁判所は,現在まで,主として,①野党議員などの申立てに基づく抽象的違憲立法審査(抽象的規範統制),②一般の司法裁判所から事件の移送を受けてする具体的違憲立法審査(具体的規範統制),③一般私人の申立てを受けてする基本権侵害に対する救済(憲法異議)について,その権限を行使してきた*46

ところが,憲法異議(憲法訴願,憲法抗告)に関しては,制定時の基本法には明文の規定が置かれなかった。というのも,別に権利救済手続を保障する包括規定が置かれる予定であった上*47,連邦憲法裁判所の国制上の位置付けを含め,通常の裁判所による救済手続と憲法異議による救済手続との関係を巡る議論が定まらなかったからである*48

そのため,憲法異議の制度は,法律で特に付与された権限(制定時の基本法93条2項*49)として,1951年の連邦憲法裁判所法に規定される。しかし,緊急事態条項に関する第17次改正の審議において,緊急事態下の簡易な立法手続によって憲法異議制度が廃止され,憲法上の権利の救済手続が無くなってしまう危険性が問題とされた*50

本改正は,この危険性に対処するため,憲法異議の制度を基本法上の制度に格上げするものである*51。また,憲法異議は,誰でも申立てをすることができるため事件数が莫大となっており*52,予備審査の手続や事件受理の要件の整備などがされてきたが*53,本改正に併せて,そのような事前却下手続の合憲性を担保する条項も規定された*54

20. 連邦と州との関係を中心とする予算制度改革

第20次改正 1969.05.12

本改正は,連邦と州との関係を中心とする一括改革のうち,予算制度の改革に関する部分である。第15次改正の系譜を引き,国家全体の財政経済政策の運営という観点から州の予算管理に対する連邦の権限を強化した外,議会における予算審議に関する改革,会計検査院制度の強化などがなされた。*55

解説

第20次,第21次第22次の改正は,連邦と州との関係の改革を中心とする6件の基本法改正案が,連邦議会で「基本法第20次改正法案」として1本にまとめられた後,連邦参議院の審議を経て,①予算制度改革,②財政制度改革,③その他の改革の3法案に整理されたため*56,公式にも3件の改正としてカウントされている*57

予算制度改革に関する本改正は,西独経済の発展とともに,連邦の役割が重要となっていく中,国家全体の財政経済政策という観点から,州の予算管理に対する連邦の権限を強化することなどを目的とする*58。連邦と州との予算独立原則は,既に第15次改正で修正されていたが,この改正は,これを発展させたものと位置付けられよう*59

また,連邦の予算につき,起債の要件が「経済全体のバランスの乱れを防止するため」というものに緩和され,連邦の積極的な財政政策が容易にした点も重要である(本改正後の基本法115条1項)*60。本改正までは, 戦前のハイパー・インフレへの反省から,「非常の需要」,「特定の支出目的」という厳格な条件が付されていたからである*61

その外,本改正においては,連邦参議院の先議の廃止*62立法府の予算修正権の制限,連邦政府による経済政策の実施を容易にする改革がなされる一方,これを連邦議会が実効的に監視することを目的とする会計検査院の任務の拡大*63,予算外支出の要件の厳格化などが行われた*64

21. 連邦と州との関係を中心とする財政制度改革

第21次改正 1969.05.12

本改正は,連邦と州との関係を中心とする一括改革のうち,財政制度の改革に関する部分である。政権に参画したSPDの強い意志もあり,売上税を含む「基幹税大結合」(第6次改正参照)が実現した外,それまでグレーゾーンであった連邦による州の事務への関与について,「共同任務」という形で基本法の位置付けを与えられるなどした。*65

解説

第20次,第21次,第22次の改正は,連邦と州との関係の改革を中心とする6件の基本法改正案が,連邦議会で「基本法第20次改正法案」として1本にまとめられた後,連邦参議院の審議を経て,①予算制度改革,②財政制度改革,③その他の改革の3法案に整理されたため*66,公式にも3件の改正としてカウントされている*67

基本法は,もともと連邦と州との収入権限を税目で区分していたが,この方式は,税目の性質によって税収の変動の仕方が異なるという欠点がある。第6次改正は,所得税法人税を「共同税」化したが,両税は景気変動の影響を受けやすいという欠点があり*68,その影響を受けにくい売上税をも共同税とする税源の「大結合」が議論された*69

特に,税収の配分が少ない貧困州が,連邦から補助金を受けざるを得ないことには問題があった*70。連邦が,補助金の交付によって州の行政事務に介入することには,基本法上の疑義があり*71,連邦が,補助金の交付という「黄金の手綱」によって,州の行政事務の具体的な執行に影響力を及ぼしていることが問題視された*72

本改正の叩き台となったのは,連邦と州の了解に基づき設置された専門家委員会(トレーガー委員会)が,1966年に連邦政府に提出した報告書である。同報告書は,売上税を共同税とする「基幹税大結合」の実現の外,「共同任務」という概念により,連邦が州の事務に関与することに基本法上の根拠を与えることなどを提案した*73

いずれも連邦と州の関係の根本に関わるものであるが,「共同任務」は,従前からあった慣行に基本法の根拠を与えるにすぎない面もあり,連邦政府の正式な法案提出までに合意が得られた*74。問題は,「基幹税大結合」であり,州間の分配の在り方を巡って,経済力のある富裕州が,現状維持の方が望ましいとして強い抵抗を示した*75

本改正が実現した背景には,1966年,キリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)との大連立政権に参加した社会民主党(SPD)の強い意志があった*76。同党は,左右の二大政党が大連立政権を成立させる正当性を財政改革の実現に求め,その「政権担当能力」を示す意味で,本改正を実現することに強い利害を有していたのである*77

もとより,ドイツでは,党中央が当然に地方組織を統制できる訳ではなく,実際,本改正に抵抗した富裕州の多くもSPD政権下にあった*78。しかし,連邦議会の会期末が迫る中,2度目の両院協議会において,とにかく合意を成立させねばならないという政治的圧力によって,本改正が成立することになる*79

ともあれ,本改正によって,営業税を含む「基幹税大結合」(税源大結合)の外*80,大学の新設・拡充*81,地域的経済構造の改善*82,農業構造の改善*83を対象とする「共同任務」の創設,連邦から州に対する補助金の基準・根拠の明文化*84が実現した。そして,この改革後の財政制度は,旧東独5州の加盟にも耐えることになる*85

22. 連邦制度の一括改革における連邦の立法権限の強化

第22次改正 1969.05.12

本改正は,連邦制度の一括改革のうち,連邦の立法権限の拡充を中心とする雑多な部分である。国家的な統一の必要性が課題となっていた公務員の給与水準や大学・教育制度の分野などにつき,連邦の立法権限が強化されたが,環境規制に関するものなど,連邦参議院における州政府の抵抗によって実現しなかったものもある。*86

解説

第20次第21次,第22次の改正は,連邦と州との関係の改革を中心とする6件の基本法改正案が,連邦議会で「基本法第20次改正法案」として1本にまとめられた後,連邦参議院の審議を経て,①予算制度改革,②財政制度改革,③その他の改革の3法案に整理されたため*87,公式にも3件の改正としてカウントされている*88

本改正は,上記「その他の改革」に当たる。主に連邦の立法権限を拡充するもので,公務員の給与基準,大学制度や教育に対する資金補助,公道の手数料,病院に対する資金援助*89,道路交通等の分野が対象となった。また,連邦懲戒裁判所の人的管轄が,「連邦公務員及び連邦裁判官」から「連邦と公法上の勤務関係にある者」に拡大された*90

以上のうち,公務員の給与水準に関する立法権限の拡充は,物価上昇に伴い,一部の州の公務員の給与水準が,連邦の公務員の俸給水準に比し高くなりすぎ,同じ職場で相並んで働きながら,連邦の公務員であるか,州の公務員であるかによって,給与に差別が生じ,人事異動も円滑に行えないといった事態が生じていたものを是正するためである*91

もとより,本改正前から,連邦は,州の公務員制度に関し大綱的立法権を有していたが(本改正前の基本法75条1号),1954年12月1日の連邦憲法裁判所判決(BVerfGE 4, 115)は,これによって給与の最高額を州に義務づけることは許されないなどとした*92。しかし,その後も給与格差の拡大が進行したため,明示的に大綱的立法権の範囲を拡充する本改正に至った*93

また,大学・教育分野の連邦権限の強化は*94,従前,州の文化高権という考え方に基づき,統一された教育政策が採れず,「学校制度の混乱」が指摘されていたことから,大連立政権に参画した社会民主党(SPD)が,保守の立場から州の権限を擁護するキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)の消極姿勢を制して成立させたものである*95

なお,大学・教育分野に関しては,もともと「共同任務」(第21次改正参照)とするべく議論されていたものが,連邦と州の「綱引き」を経て,競合的立法事項として落ち着いたものであった*96。その外,環境規制(浄水,大気の浄化,騒音防止)などの分野における連邦の競合的立法権限の追加も議論されたが,連邦参議院の反対で実現しなかった(第30次改正参照)*97

23. 連邦政府の法案検討期間の設定

第23次改正 1969.07.17

連邦参議院には,連邦政府提出法案の検討に当たって期間制限があるが,連邦政府には,連邦参議院の発議した法案の検討に当たって期間制限がなかった。本改正は,元来,第20次改正等に関する両院協議の際,連邦参議院側の対案の中で持ち出されものであるが,その際の「紳士協定」に基づき,第23次改正として成立した。

解説

第18次改正でみたように,連邦政府提出の法案は,連邦参議院が先に検討して意見を付することができるが(態度決定),これには期間制限がある。他方,連邦参議院が発議する法案*98は,連邦議会への送付前に連邦政府が検討して意見を付することができるが,この期間には何らの制限がなかった(本改正前の基本法76条3項)。

本改正は,連邦政府の上記検討期間に,連邦参議院の上記検討期間と同様の制限を設けようというものである。連邦参議院には,連邦政府が,連邦参議院の発議した法案を長期に亘って留め置いていたとしても,これを連邦議会に送付するよう連邦政府に働きかける手段もないので不都合であるというのである*99

実は,この点の改正は,連邦参議院が,第20次改正等に関する両院協議会において,連邦参議院の法案検討期間と同じ期間である「6週間」の期間制限の設定を求めことたに由来する*100。同改正によって,予算に関する法律につき,連邦参議院の態度決定の権限が弱められることの見合いということであろう(同改正後の基本法110条3項)。

しかし,前記の両院協議会においては,本改正に相当する改正提案は,財政制度改革との関連性が低く,両院協議会の議題となし得るかが問題となったため*101第20次改正等と同一の機会に改正することは見送られ*102,改めて連邦議会において,同旨の基本法改正を発議するという「紳士協定」*103が結ばれた。

本改正は,その改めての発議として,連邦議会の全会派が共同提案したものに基づくもので,連邦議会では,1名の棄権を除く出席議員全員の賛成で成立した*104連邦参議院においても,期間制限が「3か月」となった点に不満が示されたものの,期間制限が設定されたこと自体を是とするなどして,全会一致で成立した*105

24. 負担調整に関する州の追加負担

第24次改正 1969.07.28

旧東部領土からの追放民等の損害を補償する「負担調整」は,早期の再統一が目指されていた東独地域からの避難民を対象としていなかった。しかし,東独との新たな関係を掲げるブラントが外相となった後,これらの避難民を「負担調整」の対象とすることとなり,その財源の一部を州に負担させることを可能とするため,本改正がなされた。

解説

ドイツは,敗戦によって東部領土を喪い,これらの地域に居住するドイツ人は,新政府に追放され,あるいは,自ら引き揚げ,西独地域に流入することになった。西独政府は,これら被追放者や引揚者に対し,戦争の結果によって生じた国民損害の補償として,基本法120条,120a条に基づく「負担調整」を実施していた(第2次改正参照)*106

西独地域には,上記の外,「ソ連占領地区」(「中央ドイツ地域」)からの避難民,すなわち東独地域からの避難民も流入してきていたが*107,東独地域は,敗戦後も「ドイツ」であるから,その損害は,被追放者や引揚者の損害とは性質を異にする。そのため,これらの者は,権利性のない社会保障として,苛酷調整基金からの給付を受けるに留まった*108

このような区別の背景には,東独との再統一を早期に果たした上で最終解決を図るという西独の政治的な建前があったようであるが*109,同時に,連邦の経済的な事情もあった*110。しかし,1966年12月,東独との新たな関係を掲げるブラントを外相とする大連立政権が成立し,州に新たな費用分担を同意させることで,この区別を解消する途が開いた。

もとより,負担調整の費用を州に分担させることは違憲である(BverfGE 9, 305)。第14次改正は,「1965年10月1日」までに連邦法で規律されていた場合を例外的に合憲としたが,本改正は,この例外を「1969年10月1日」までとすることで,東独地域からの避難民に対する補償の財源を州に分担させることを可能にしようというものである*111

これに対し,州政府側は,当然ながら,州が新たな負担を受けることに対し,第14次改正に先だって連邦政府との間でなされた「デュルクハイムの合意」に反するなどどして反発を示し*112連邦参議院でも,バイエルンハンブルクが最後まで反対したものの,結局,本改正法案は,第23次改正法案と同日に可決された*113

25. 州の再編成に関する規定の改正

第25次改正 1969.08.19

基本法29条は,占領軍によって決められた州割りを再編成することを連邦の義務とし,同条に基づく住民請願も成立していた。連邦は,これを東西統一後に実施すれば足りるとして問題を先延ばしにしていたが,連邦憲法裁判所が,これと異なる判断を示したため,この問題に結着を付ける前提として,住民請願の効力を弱めるなどする本改正がなされた。*114

解説

戦後の西独各州は,占領軍の恣意によって,歴史的な諸邦を分割統合して編成された面があった*115。そのため,基本法の制定時,現在の州割りは,一時的,応急的なものにすぎないとする見解が支配的であり,制定時の基本法29条は,その公布後3年以内に(同条6項2文),連邦が,包括的に州を再編成すべきことを定めていた(同条1項1文)*116

同条は,連邦の主導によって,包括的に州の区割りを再編成する連邦法を制定することを予定していたが(1項),地域的な意見を入れるため,戦後,住民投票によらずに所属州の変更を強いられた地域は,一定の期間内*117に住民請願を成立させることで,当該連邦法に,住民請願の内容を取り込ませることができるとした(2項)。

ところが,当時の占領諸国は,州境の変更に関しては,基本法の制定前になされるべきとの態度を表明しており,米英仏3国の軍政長官は,1949年5月12日に基本法を承認する際,基本法29条の規定にかかわらず,南西州に関する例外を除き*118,州境は変更されない旨の留保を付した*119。そのため,占領下においては,同条の施行は凍結されていた*120

1955年,ドイツが主権を回復すると,いくつかの地域において,本改正前の基本法29条2項に基づく住民請願が成立した*121。しかし,連邦は,東独との統一を待つなどとして,同条1項に基づく連邦法の制定を先延ばしにしていたため,当該連邦法の内容に取り込まれるはずの上記住民請願の内容も,長らく放置されたままであった*122

しかし,1961年7月11日の連邦憲法裁判所判決は,東独との統一が見込まれるといった事情は,本改正前の基本法29条に基づく立法措置を執らない理由とはならないとの判断を示した(BVerfGE 13, 54)*123。そこで,連邦政府は,1962年,所要の法律案を提出したが,同法案が可決に至らないまま,この問題は再び放置された*124

本改正は,この問題の結着を図るため*125基本法29条を改正し,住民請願に基づく地域的な再編成の手続(本改正後の2項から4項)を連邦の主導による包括的な再編成の手続と切り離すことを明確にした上(同条5項),連邦が,当該住民請願に基づく住民票決の結果と異なる決定をするための例外要件を緩和したものである(同条4項)*126

なお,本改正後の基本法29条に基づき,1970年6月及び1975年1月,計6地区で住民投票が行われ,2箇所の郡区で当該地域を新たな州として独立させる提案が可決されたが,これら2郡区についても,州としては規模が小さすぎたため,例外要件(同条1項に定める州の再編成の目的に反すること)に基づき,独立が認められなかった*127

26. 政治犯罪に上訴制度を導入するための連邦と州の裁判制度の調整

第26次改正 1969.08.26

第17次改正による緊急事態法制の導入とも呼応し,政治犯罪に関する刑法規定の整備が進められていたが,その審議において,一定の政治犯罪につき連邦通常裁判所による一審制とされ,上訴権が保障されないことが問題となった。そこで,州の高裁を第一審とする二審制を導入した上,連邦の検察官の関与を担保するため,連邦と州の権限関係を整理する本改正がなされた。

解説

西独の政治犯罪対策は,1951年の第1次改正内乱罪などの規定が刑法に復活したのを皮切りに徐々に整備されてきたが,本改正の契機となった1968年の第8次刑法改正法は,同年18日の第17次改正による緊急事態法制の整備とも呼応し*128,国家の存立を危うくする犯罪(国家保護事件)に関する規定を全面的に整理・補充した*129

ところで,これらの政治犯罪については,従前から,上級連邦検察官は,刑事の最高裁判所に相当する連邦通常裁判所に起訴することができ,その場合,同裁判所が第一審にして最終審となるものとされてきた*130。すなわち,上訴が許されず,しかも,下級裁判所の素人裁判官(参審員)の関与を経ないこととなるのであり,1951年の第1次改正の段階から,長らく人権保障上の問題が指摘されてきた*131

第8次刑法改正法の審議の際も,中途から下野した自由民主党は,大質問(一般質問)の機会を利用し,被告人の上訴権の保障を問題とした*132。政府与党としても,二審制の導入に強く反対する訳では無かったが,これを導入した場合における連邦検察官の地位について,未だ州政府との調整が付いていないとして,とりあえずは第8次刑法改正法を成立させることを主張した*133

というのも,西独の司法制度では,最上級の裁判所は連邦の機関であるが,高裁以下は州の機関とされているため,高裁以下の法廷で検察権を行使するのは州の検察官となるからである。高裁を第一審とする二審制を導入するのであれば*134,この点を州政府と調整しておかないと,国家の存立に関わる事件の訴追について,連邦政府が責任を持てなくなってしまうからである*135

特に,第8次刑法改正法に関しては,起訴法定主義を原則とする西独の刑事手続の下で,当該被疑者を訴追することで国家に重大な損害をもたらすような場合などにつき,検察官に起訴裁量が認められたという事情を指摘する必要があろう*136。このような場合の起訴裁量権の行使には,国際政治上の考慮をも要し,これを州の検察官に委ねることには問題があった*137

本改正は,追って二審制を導入すること表明した上,1968年5月29日に第8次刑法改正法を可決させていた連邦政府が,以上の問題を解決するために提案したものであり,州の機関である高裁以下の裁判所において,連邦検察官の権限行使を可能とするものである*138。そして,これに併せ,「国家保護事件における第二審の一般的導入に関する法律」が成立した*139
続く

*1:安章浩『憲法改正の政治過程』,2014年5月,274頁,町田俊彦「西ドイツにおける財政政策と景気調整(下)」,商學論集43巻4号39頁,1975年3月,40頁〜44頁,77頁。

*2:連邦議会の第5議会における議席配分は,キリスト教民主・社会同盟245議席社会民主党202議席自由民主党49議席であった(Der Bundewahlliters (Hrsg.), Ergebnisse früherer Bundestagswahlen. Stand: 3. August 2015, S. 20)。

*3:西独は,1954年のドイツ条約で主権を回復していたが,同条約5条2項は,その例外として,緊急事態法制が整備されるまでという条件の下,緊急事態における旧占領軍の権限を留保していた(山内敏広「西ドイツの国家緊急権」,ジュリスト701号33頁,1979年10月,35頁)。

*4:第17次改正は,再軍備に関する第4次第7次改正とともに,基本法が占領下に制定されたことによる不備を補充するものであり,ドイツにおいて,「後追いの憲法改正」という用語で表現されることがある(塩津徹『現代ドイツ憲法史』,2003年3月28日,239頁)。また,第17次改正は,完全な主権を回復するという意味でも,基本法の「暫定憲法」としての性格を終了させるものであるということができ,基本法は,同改正を経て,「普通の国」の憲法として完成したとも評される(前掲安章・28頁)。

*5:基本法改正の焦点が,緊急事態法制のような対外的な問題から,連邦と州との関係という国内問題に移ったということになる(Kommers, Donald P. “The Basic Law: A Fifty Year Assessment.” 53 S.M.U. L. Rev. 477, 2000, pp.484-485.)。

*6:例えば,第21次改正で導入される「共同税」は,当初から提案されていたが占領当局に拒否された(ヴォルフガング・レンチュ,伊東弘文(訳)『財政基本規範と財政調整』,1995年3月,75頁〜83頁,88頁〜91頁)。

*7:財務省連邦議会予算委員会,同財政委員会は予算均衡主義を志向していたが,特に好況期における政治力に限界があった(町田俊彦「西ドイツにおける財政政策と景気調整(下)」,商學論集43巻4号39頁,1975年3月,40頁〜44頁,78頁)。

*8:この課題の解決方法を巡る政策対立が,自由民主党の連立離脱とエアハルト政権の崩壊をもたらし,キリスト教民主/社会同盟と社会民主党とによる歴史的なキジンガ−大連立政権を成立させることになる(前掲町田(下)・72頁〜77頁)。

*9:本改正まで,連邦の経済対策は,社会的市場経済の理念の下,専ら金融政策によってなされていた(渡辺富久子「ドイツにおける財政規律強化のための基本法の規定」,外国の立法263号77頁,2015年3月,79頁・注24)。

*10:ただし,連邦は,州に対する補助金の交付を操作することによって,州財政に間接的な影響を与えることはできた(町田俊彦「西ドイツにおける財政政策と景気調整(上)」,商學論集42巻4号1頁,1974年3月,12頁〜13頁)。

*11:例えば,1964年度において,連邦は緊縮予算を組んだが,州と市町村は,積極財政を採り,その効果を相殺した事例がある(前掲町田(下)・68頁)。

*12:同条項は,一定の租税の税率について,連邦に州との競合的な立法権を与えた規定であるが,連邦法は州法を破るので(第42次改正前の基本法72条1項),実際には,専ら連邦法で規律されていた(前掲町田(上)・4頁〜5頁,13頁・注3)

*13:例えば,連邦は,1964年度に緊縮予算を組んだが,州と市町村は,税収の伸び悩みを起債で補って積極財政を採った(前掲町田(下)・68頁)。

*14:ただし,連邦は,金融政策,中央銀行からの借入限度額を通じるなどして間接的に州の起債に影響を与えることはできた(前掲町田(上)・4頁〜5頁,12頁〜13頁)。

*15:また,この財政計画は,条文上も「多年度の財政計画」とされ,単年度予算主義の欠点を克服することが目指された(手島孝「予算の法理に関する基本的考察」,1974年9月,法政研究41巻1・2号1頁,53頁〜54頁)。

*16:なお,経済安定成長促進法は,当初,「経済安定促進法」の名で,政府歳出の削減を主な目的として構想されたものであったが,左派の社会民主党が連立内閣に参加するなどするうちに,連邦政府に種々の経済対策の権限を与え,経済の「促進」をも目的とするものとなったと評価されている(手島孝「財政政策と憲法」,法政研究41巻4号315頁,1975年3月,319頁〜329頁)。キリスト教民主・社会同盟の新自由主義的政策から社会民主党ケインズ的政策への転換ともいえよう(足立正樹「社会的法治国家構想と社会政策」(国民経済雑誌138巻1号89頁,1978年7月,97頁)。

*17:大蔵省大臣官房総合政策課編「西ドイツ「経済安定の促進に関する法律案」について」(調査現法55巻9号38頁),1966年9月,下田久則「西ドイツ」(海外法律事情3,ジュリスト398号536頁),1968年4月,536頁〜537頁。

*18:連邦が州の財政高権を制約することにに対しては,州政府の抵抗もあったが(前掲手島・319頁),戦後の徹底的な分権政策の経済面からの修正にすぎず,それ故に連邦参議院の同意を要するとも説明される(前掲下田・317頁)。

*19:なお,これ以外にも,連邦レベルでも,連邦憲法裁判所の外,連邦特許裁判所,連邦懲戒判所,連邦軍務裁判所などがあるが(96条1項,2項),連邦憲法裁判所以外は,最上級審の段階で,通常の民刑事事件の審級系統に統合される(同条3項)。

*20:邦語文献のなかには,通常の民刑事事件の裁判権(通常裁判権)の分野における連邦の上級裁判所を「連邦最高裁判所」と称するものがあるが,それと区別する必要がある。通常裁判権の分野における連邦の上級裁判所の正式な名称は「Bundesgerichtshof」であるから,正確には「連邦裁判所」と訳するべきものであるが,一般名詞としての「連邦の裁判所」と紛らわしい。「Gericht」と「Gerichtshof」を訳し分けて,「連邦法院」などとするのも考えられなくもないが,一般的な訳でない上,同格の「連邦行政裁判所」(Bundesverwaltungsgericht)や「連邦社会裁判所」(Bundessozialgericht)との並びが悪い。意によって「連邦通常裁判所」と訳し,必要に応じ,ドイツでの略称「BGH」を付すのが妥当なところであろうか。

*21:制定時の基本法96条1項は,「通常裁判権,行政裁判権,税財務裁判権,労働裁判権,及び社会裁判権の分野について,連邦上級裁判所が設置されるものとする」とし,同95条1項は「連邦法の統一を保持するために,連邦最高裁判所が設置される」,2項は「連邦最高裁判所は,その決定が連邦上級裁判所の裁判の統一のために,原則的重要性を有する場合に,決定を行う」と規定していた(高田敏ら(編訳)『ドイツ憲法集』〔第6版〕,2010年3月,270頁・注113,注114)。

*22:連邦司法省は,各連邦上級裁判所の判決に対しては,連邦憲法裁判所に憲法異議を申し立てることできるので,重ねて常設の最高裁判所を設置する必要性があるのか見極める必要があるという立場であったようである(BT-Drs. V/1449, S. 3.)。確かに,連邦憲法裁判所が,連邦上級裁判所の判決に対する憲法異議において,単なる法令違反を基本法19条4項,101条1項,103条1項などの裁判を受ける権利に対する侵害として積極的に救済していくとすれば,実際上,連邦憲法裁判所での判例統一が図られることになろう。

*23: 例えば,裁判上の和解が私法上の理由で解除あれた場合,期日指定の申立てによるのか新訴提起によるのかについて,連邦通常裁判所と連邦労働裁判所の判例が分かれていたという(斎藤秀夫「西ドイツの司法制度の改革とわが国司法制度の問題」,ジュリスト265号142頁,143頁以下)。ちなみに,同じ連邦上級裁判所の異なる部の判例を統一する手続もなく,判決言渡期日の告知に違法がある場合,実際に言い渡された判決の効力について,連邦通常裁判所の民事第2部と民事第3部の判決に不一致があったという(同論文・142頁〜143頁)。もっとも,後者の不一致は意図したものではないとされており(同論文・146頁),実際,両判決の言渡日は5日しか異ならない。

*24:遅くとも1986年ころには,判例統一のための機関の創設は,西ドイツの裁判制度の直面する根本問題であると意識されており,また,それは常設の連邦最高裁判所ではなく,「合同法廷」の設置によるべきものと考えられていたようである(竹下守夫「西ドイツ最高通常裁判所(Bundesgerichtshof)の活動状況 西ドイツ通信(三)」,判例時報478号11頁,1967年5月,12頁〜13頁)。

*25:基本法制定会議は,「合同法廷」タイプによるべきであるとの見解との妥協として,「合同法廷」を設置する余地を残すため,制定時の基本法95条4項において,「連邦最高裁判所」の構成を法律に委ねたのであるが,その後,基本法を改正せずに「合同法廷」タイプを採用することについて,連邦憲法裁判所や各連邦上級裁判所の長官から異論が示されたため,基本法の当該規定を改正することになった(BT-Drs. V/1449, S. 3.)。

*26:なお,合同法廷は,裁判所の決定によって招集され,当事者が判例違反を主張して上訴することができるわけではない(vgl. § 11 Abs. 1, Gesetz zur Wahrung der Einheitlichkeit der Rechtsprechung der obersten Gerichtshöfe des Bundes vom 19. Juni 1968, BGBl. I S. 661.

*27:また,本改正前の基本法100条3項の第2文は,州の憲法裁判所が,連邦法の解釈に関し,「連邦最高裁判所又は連邦上級裁判所」と異なる判断をしようとするときは,「連邦最高裁判所の決定」を求めなければならないとしていた規定は,「連邦最高裁判所」というものが存在しないこととなった結果として削除された(BT-Drs. V/1449, S. 4)。なお,前掲高田ら・274頁・注117は,この削除前の第2文において求めるべきものを「連邦憲法裁判所の決定」と訳述するが,単純な誤りであろう。

*28:本改正法の邦訳は,佐藤昭夫「緊急事態立法と西独社会民主党労働組合同盟」(比較法学5巻1・2号31頁,1969年4月)・41頁以下にあり,改正後の条文は,長野實「いわゆる西ドイツの非常事態法」(時の法令664・665号・2頁)・11頁以下に訳出される。

*29:ただし,これが削除された経緯は必ずしも明確でない(山内敏広「西ドイツの国家緊急権」,ジュリスト701号33頁,1979年10月,34頁)。

*30:実際,連邦大統領リュッケは,緊急事態の際には,同条約に基づき連合国から授権を受けて強権を発動することを言明していたとされる(アーベントロート[著],村上淳一[訳]『西ドイツの憲法と政治』,1971年3月5日,148頁)。

*31:基本法の改正を伴わない有事立法については,例えば,1956年の連邦供出法が,防衛等のため,動産や電信施設,建築施設を供出させることができるとするなど,以前から整備が進められていた(石村善治「西ドイツにおける緊急事態法と民主主義」,国際人権年記念論文集・638頁,1968年12月,648頁)。

*32:この「錦の御旗」は,野党社会民主党に対しても一定の説得力があったとされる(前掲山内・35頁)。なお,後掲Boyneは,旧占領諸国は,本改正に当たり,その留保権限の解消に同意したとするが(p. 55),本改正の際,当該条項が明確に無効化されたわけではなく,むしろ,連邦政府は,1968年5月27日,米国に対し,国際法及びドイツ法の原則によれば,「緊急事態の場合をはなれても,各軍隊司令官は,その軍隊が直接におびやかされた場合には,危険を除去するのに必要な,適切な処置(武力の行使を含む)を直接とる権限を有する」と表明しており,「主権の回復に巻得る議論は,いつわりの,国家主義的反感にうったえるアリバイにすぎなかった」との指摘もある(前掲佐藤・39頁〜40頁)。

*33:例えば,1960年のシュレーダー草案及び1962年のヘッヒアル草案は,野党SPDの反対によって潰えてしまう(前掲佐藤・54頁〜55頁)。

*34:1967年,イランのパーレビ国王夫妻訪問に対する抗議デモにおいて,警官の発砲によって学生が死亡する事件が起きたことは,大きなターニングポイントとなった(Boyne, Shawn, “Law, Terrorism, and Social Movements: The Tension between Politics and Security in Germany’s Anti-Terrorism Legislation”. 12 Cardozo Journal of International and Comparative Law, pp.41-82, Summer 2004, p.49 ff.)。

*35:1968年4月,右派系新聞社の爆破事件が起き,これが一因となって,政権内部でSPDとCDU/CSUとの間で妥協が成立する(Boyne, op. cit., p. 55)。ただし,SPD議員の約4分の1の造反があった(BT-Prot. V/178, S.9653A, 前掲佐藤・31頁,32頁,前掲山内・37頁)。なお,なお,SPDに失望した議会外左派の一部は,その後,環境保護を目的とする市民活動等と合流し,1980年代からの「緑の党」の隆盛に関係していくことになる(村上淳一ら『ドイツ法入門』,改訂第8版,2012年8月,74頁)。

*36:改正後の基本法10条2項に基づく通信の秘密の制限は,緊急事態法制ではなく,平時における基本権制限の問題であるが,ドイツ条約に基づく義務であるとして本改正に組み込まれたものであり(小山剛「「戦略的監視」と情報自己決定権」,法学研究79巻6法1頁,2006年6月,42頁・注4),「戦う民主制」を強化するものであるとも評価されている(前掲山内・38頁)。なお,通信の秘密の制限は,第45次改正で更に強化される。

*37:改正条文の邦訳は,本改正の最初の注のとおりであり,その解説は,引用文献の限りでも,例えば,前掲山内・38頁以下,前掲石村・653頁以下,前掲長野6頁がある。**追補:最近のものとして,山岡規雄「ドイツ連邦共和国基本法における緊急事態条項」(レファレンス786号57頁)を紹介する。

*38:本改正法の及び織り込み後の条文は,下田久則「西ドイツの第18次基本法(第76条及び第77条)改正法」(外国の立法42巻859頁,1969年7月,860頁〜861頁)に訳出される。

*39:このような制度が採られた背景には,連邦と諸邦・諸州との関係や立法府の民主的正当性を巡り,フランクフルト憲法に遡る歴史的経緯がある(北住炯一「戦後ドイツにおける連邦参議院の成立」,名古屋大學法政論集208号1頁,2005年)。

*40:州の行財政に関係する法律等について,基本法が個別に規定しており,例えば,連邦政府の州の政府機関に対する指示権を規定する法律(基本法84条5項),租税収入の配分に関する法律(現行基本法106条3項3文)などがある。

*41:行基本法76条,77条は,本改正の外,第23次改正第42次改正を経たものであるが,本文に示した限度での基本的な構造に変更はない。

*42:ただし,ここでの3分の2による議決は,同時に連邦議会の総議員の過半数の議決である必要がある(基本法77条4項2文)。

*43:なお,本改正では,これらに加え,異議を議決すべき期間の起算点を明確にするための文言の修正も実施された。

*44:前掲下田・860頁〜861頁。ただし,自由民主党は,審議段階で,予算手続の改革(第20次改正)と同時にするよう反対意見を述べていた(同書860頁)。

*45:前掲下田・860頁。なお,本改正法案のように連邦参議院が提出した法案には,連邦政府が意見を付することができる(基本法76条3項,第23次改正参照)。

*46:ただし,単純に事件数からいえば,これら以外の手続においても,機関訴訟や選挙手続異議の申立ては,抽象的規範統制の申立てに匹敵する件数を誇る。

*47:現行の基本法19条4項のうち,第1文及び第2文であり,第1文が,基本権の侵害に対し,裁判による権利救済の手続を保障し,第2文が,他の機関の管轄が認められない限りにおいて,司法裁判所に対する出訴の途を保障する。ただし,基本法制定後,連邦憲法裁判所は,基本法19条4項1文は,立法権司法権による基本権侵害を対する権利救済の手続を保障したものではないと判示しており(他方,憲法異議は,立法権司法権による基本権侵害をも対象とする),また,同項2文にいう「他の機関の管轄」が認められる場合とは,憲法異議による救済が認められる場合を念頭に置かないという立場をとっていると理解されている(寺島壽一「憲法抗告における適法要件の構造(1)」,北大法学論集45巻4号1頁,1994年12月,33頁〜34頁,48頁〜50頁・注80〜注83)。

*48:前掲寺島・31頁〜32頁。永田秀樹「連邦憲法裁判所の地位,組織および裁判官の選任」(大分大学論集33巻5号383頁),1982年1月,385頁〜386頁。

*49:現行の同条3項である。なお,この点に関する高田敏ら(編訳)『ドイツ憲法集』〔第6版〕,2010年3月,268頁〜269頁,注109〜注110には誤植があるようであり,269頁の本文1個目の「(110)」が268頁の脚注の「(109)」と対応するのであろう。

*50:防衛上の緊急事態においては,両院の議員の一部からなる合同委員会(基本法53a条)が立法権を行使し得るが(同115e条1項。この緊急立法手続によって,連邦憲法裁判所に関する規定を改正することには制限があるが(同115g条),それだけでは十分ではないと考えられたとのことである(前掲寺島・32頁〜33頁)。

*51:防衛上の緊急事態における合同委員会(基本法53a条)の立法権限は,基本法の改正等には及ばないことが明文で規定されているため(同115e条2項1文),差し当たって前記の危険性は払拭されることになろう。

*52:連邦憲法裁判所の裁判体は2か部しかないところ,例えば,本改正の前年である1968年における新受事件1600件のうち,憲法異議は1549件(96.8%)に上る一方,同年の憲法異議の既済事件1491件のうち,裁判に値するものとして受理されて,正式の裁判によって終了した事件は35件(2.3%)にすぎない(Bundesverfassungsgericht, Das Bundesverfassungsgericht 1951-1971 ,Janual 1971, s.204ff)。

*53:本改正以前では,1956年,1963年に連邦憲法裁判所法改正があり,その後も,1970年,1985年,1993年法改正が繰り返されているが(畑尻剛,工藤達朗編『ドイツの憲法裁判』〔第2版〕,2013年4月,317頁〜322頁),なおも不十分のようであり,改革提案が続いている(小野寺邦広「ドイツ「連邦憲法裁判所の過重負担解消委員会」報告書について」,比較法雑誌43巻3号199頁,2009年8月)。

*54:予備審査は,全8名の裁判官のうち,3名のみによってなされるため,憲法異議が基本法上の制度でないとしても,そのような形での権利救済の制限には基本法上の疑義があり得た。連邦憲法裁判所は,本改正前の基本法94条2項(現行の同項1文)が,法律によって,「手続を規律」することができるとしていたことを根拠に,これを合憲と判示していたが,基本法上の根拠を明確にするにしくはない(前掲畑尻ら・320頁)。

*55:本改正法は,中桐宏文「西ドイツ基本法第20次改正法・西ドイツ基本法第21次改正法・西ドイツ基本法第22次改正法」(外国の立法44巻946頁)・1969年11月・949頁〜951頁に訳出されるが,制定文の「基本法第79条第2項は廃止する」は,「基本法第79条第2項は遵守されている」の誤訳であろう。また,改正を織り込んだ関係規定(ただし,第21次改正を含む。)は,大蔵省大臣官房調査企画課(編)「西ドイツにおける財政・予算制度の改革」(調査月報59巻12号1頁)・12頁〜16頁に訳出される。

*56:連邦政府も,それぞれは別の問題であると考えており(ヴォルフガング・レンチュ,伊東弘文(訳)『財政基本規範と財政調整』,1995年3月,306頁),別個の法案(BT-Drs. V/3040, V/2861,V/1086, V/3515)として提出したが,連邦議会の法務委員会の検討において,会派提案の法案を併せ,一本にまとめて整理することが提案された(中桐宏文「西ドイツ基本法第20次改正法・西ドイツ基本法第21次改正法・西ドイツ基本法第22次改正法」,外国の立法44巻946頁,1969年11月・946頁〜947頁。)。

*57:なお,初宿正典「西ドイツ基本法の現況と展望」(ジュリスト884号106頁,1987年5月)は,ドイツの憲法改正の回数が多いことをいう文脈のなかで,「同日に三回(同年中に合計八回!)も改正された」(109頁)などというが,少なくとも,この3件に関しては,それが3件と数えられているのには,立法過程に関わる偶然の要素も大きいであろう。

*58:前掲中桐・947頁〜948頁,大蔵省大臣官房調査企画課(編)「西ドイツにおける財政・予算制度の改革」(調査月報59巻12号1頁)・8頁。本改正は,1964年から検討が重ねられてきたものであり(前掲「西ドイツにおける財政・予算制度の改革」・9頁),同改正を引き継ぐものと評価される(渡辺富久子「ドイツにおける財政規律強化のための基本法の規定」,外国の立法263号77頁,2015年3月,80頁)。

*59:具体的には基本法109条に3項(現行4項)が追加され,連邦法によって,連邦と州に共通する予算原則を定めることができるものとされ,これに基づき予算基本法が制定されたた。なお,このときに制定された1969年8月19日付け予算基本法については,大蔵省大臣官房調査企画課(編)「西ドイツ予算基本法」(調査月報60巻2号27頁)が,若干の解説とともに,その全文の邦訳を掲載する。

*60:その外,「信用からの収入は、予算中に見積もられている投資支出の総額を超えてはならない」という定量的要件による制限もあった。ただし,これらの要件は十分に機能せず,1970年以後,均衡予算は達成されず,第57次改正に繋がることになる(石森久広「ドイツ基本法一一五条旧規定「ゴールデン・ルール」の問題点」,西南学院大学法学論集44巻1号55頁,2011年9月,56頁〜57頁,63頁〜68頁)。

*61:連邦の積極的な財政政策を可能とするための改正としては,第15次改正に続くものである(渡辺富久子「ドイツにおける財政規律強化のための基本法の規定」,外国の立法263号77頁,2015年3月,78頁〜80頁)。

*62:これによって,連邦予算の審議における連邦参議院の従来の地位が著しく弱くなったとされ,連邦参議院に対する公の関心が低下したことも指摘されている(鈴木重武「西ドイツ連邦参議院の概要」,専修法学論集18巻1頁,1974年6月,11頁)。

*63:石森久広「ドイツにおける財政監視機関の役割」(ジュリスト1109号32頁),1997年4月。片山信子「アメリカ・イギリス・ドイツの会計検査院と決算審議」(調査と情報434号),2004年1月,9頁〜14頁。村上武則ら「ドイツにおける財政コントロールの発展と現今的諸問題(現代財政法学の基本課題399頁)。

*64:これらの改正事項の内容については,前掲「西ドイツにおける財政・予算制度の改革」・10頁〜11頁において,簡潔な解説がなされている。

*65:本改正法は,中桐宏文「西ドイツ基本法第20次改正法・西ドイツ基本法第21次改正法・西ドイツ基本法第22次改正法」(外国の立法44巻946頁)・1969年11月・951頁〜954頁に訳出されるが,制定文の「基本法第79条第2項は廃止する」は,「基本法第79条第2項は遵守されている」の誤訳であろう。また,改正を織り込んだ関係規定(ただし,第20次改正を含む。)は,大蔵省大臣官房調査企画課(編)「西ドイツにおける財政・予算制度の改革」(調査月報59巻12号1頁)・12頁〜16頁に訳出される。

*66:連邦政府も,それぞれは別の問題であると考えており(ヴォルフガング・レンチュ,伊東弘文(訳)『財政基本規範と財政調整』,1995年3月,306頁),別個の法案(BT-Drs. V/3040, V/2861,V/1086, V/3515)として提出したが,連邦議会の法務委員会の検討において,会派提案の法案を併せ,一本にまとめて整理することが提案された(中桐宏文「西ドイツ基本法第20次改正法・西ドイツ基本法第21次改正法・西ドイツ基本法第22次改正法」,外国の立法44巻946頁,1969年11月・946頁〜947頁。)。

*67:なお,初宿正典「西ドイツ基本法の現況と展望」(ジュリスト884号106頁,1987年5月)は,ドイツの憲法改正の回数が多いことをいう文脈のなかで,「同日に三回(同年中に合計八回!)も改正された」(109頁)などというが,少なくとも,この3件に関しては,それが3件と数えられているのには,立法過程に関わる偶然の要素も大きいであろう。

*68:税収の伸びは州税の方が大きかったが(前掲レンチュ[1995年]・293頁,351頁・注2),所得税法人税は,景気の変動に敏感であるため,州の財政は安定せず,具体的な分割割合を巡る争いが生じやすかった(前掲「西ドイツにおける財政・予算制度の改革」・5頁,自治体国際化協会『ドイツの地方自治』,2003年8月,200頁)。

*69:売上税は景気変動の影響を受けにくい上(伊藤廉「西ドイツの地方財政制度」,自治研究51巻12号91頁,1975年12月,102頁),その金額も,ドイツの租税収入のうち,所得税法人税に次いで多く,全体の6割を占めていた(前掲「西ドイツにおける財政・予算制度の改革」・5頁,6頁・第2表)。

*70:州の税源となる所得税法人税は景気の変動を受けやすかったが,州の事務の中には教育や警察など支出において硬直なものが多く,公共的任務の実施を拒否する州さえあったが,連邦は,売上税という相対的に安定した財源を有し,州の任務を賄う余裕があった(ヴォルフガング・レンチュ,伊東弘文(訳)「ドイツ連邦共和国における財政基本規範と財政調整」,地方財政36巻5号176頁,1997年5月,188頁〜189頁)。

*71:連邦憲法裁判所1967年7月18日判決(BverfGE 22, 180)は,「事物の関連」という基準によって,明文にない連邦の立法権限を認めた事例であるが,同判決は,本改正に向けての動きがあることを背景に,連邦憲法裁判所が,基本法の改正によることなく,連邦の州に対する財政援助の権限を広げていく余地があることを示したものとされる(廣澤民生「判批」,ドイツ憲法判例研究会ほか編『ドイツの憲法判例』〔第2版〕,60事件・362頁,2004年1月,368頁)。

*72:連邦が州の事務に優先順位を押しつけ,連邦の財政援助のない事務は等閑に付されていた(前掲レンチュ[1995年]・294頁,前掲レンチュ[1997年]・189頁)。

*73:前掲レンチュ[1995年]・298頁〜300頁,前掲「西ドイツにおける財政・予算制度の改革」・1頁〜2頁,前掲『ドイツの地方自治』・199頁。

*74:もとより,各論的な抵抗はあったが,既存の慣行を是認するにすぎない部分のため,財政改革全体を頓挫させることは望まれなかった(前掲レンチュ[1995年]・311頁〜313頁)。また,貧困州の中には,連邦による継続的な財政援助の充実を求める声もあり(前掲『ドイツの地方自治』・45頁),そもそも財政上の問題はさておき,ドイツ経済の発展によって,基本法上の連邦と州との権限分配は,既に時代遅れになっていたともいえる(前掲「西ドイツにおける財政・予算制度の改革」・2頁)。

*75:従前,連邦の取り分を控除した後の共同税(所得税法人税)は,「地域的収入」(各州が自らの税務署で収入した税収)の割合で各州に分割されたため,「地域的収入」の多い富裕州に有利であった。しかし,売上税,特に輸入売上税は,地域的な偏在が激しいため,これをも共同税に含めた場合,「地域的収入」による分割は考えがたく,例えば,人口比による分割といった基準を導入せざるを得ず,「地域的収入」の少ない貧困州にとって有利であった(前掲レンチュ[1995年]・311頁〜318頁)。

*76:SPDは,1964年のトレーガー委員会の段階から政権参加を志向し,CDU/CSUとの協働を志向していた(前掲レンチュ[1995年]・298頁)。

*77:1966年に成立したキジンガー大連立政権にとって,この財政改革は,第17次改正の緊急事態法制以上に重要な政策目標であった(前掲レンチュ[1995年]・304頁,353頁・注70)。そして,その政治的意味は,次の選挙が1969年9月28日に迫る中,極めて重要性を持つようになる(同書・334頁)。

*78:SPDの州首相らは,州の利益を確保しておくことは,連邦がCDU/CSU政権となった場合に重要であり,また,本改正は,SPD政権下にある富裕州からCDU/CSU政権下の貧困州にある税収を分配するようなものであるなどとして,中央の改革に抵抗した(前掲レンチュ[1995年]・334頁〜335頁)。

*79:最初の両院協議会では,SPD中央は地方の反対を抑えることができず,党内で一致した対策を持てなかった(前掲レンチュ[1995年]・337頁)。2度目の両院協議会で成案を得たのは,「合意に向かわせる政治圧力であって,他の何か,例えば政治的確信や客観的に納得できる改革案といったものではなかった」(同書・343頁)。

*80:なお,共同税の州間配分は,所得税法人税については,「地域的収入」の基準を維持し,売上税については,住民数に応じて分割し,その25%を限度として,財政力の弱体州に優先配分するということで妥協された(本改正後の基本法107条1項)。また,市町村は,第8次改正により,対物税(営業税,不動産税)を固有財源としたが,種々の問題がある税目であったため(前掲「西ドイツにおける財政・予算制度の改革」・6頁〜7頁),州から所得税を分与される形をとることになった(本改正後の基本法106条5項)。

*81:本改正を根拠として,1969年9月1日に大学建設促進法が制定される(国立教育研究所『西ドイツ高等教育に関する基礎資料』,巻3,1970年,1頁)。

*82:地域的経済構造の改善とは,経済的に困難を抱えている地域に企業を誘致して、経済力を向上させる政策であり,本改正以前においても,これを目的とする事業に対し,連邦から補助金は交付されていたが,本改正の結果,連邦は,当該事業の内容にも関与する法的根拠を有することとなり,その内容に全国的な政策意図を盛り込むことができるようになる(山田誠『現代西ドイツの地域政策研究』,1989年8月,24頁,26頁)。

*83:本改正後の基本法91a条1項3号は,「農業構造」と「沿岸保護」の改善を共同任務とする。不思議な組み合わせであるが,全国的に農工間の所得格差が問題となっていた外,北部沿岸地域は低湿地であり,海水の侵入もあって農業不適地であったため,両者がセットになるのである(久保田義喜「”農業構造改善及び護岸に関する共同任務法”」,外国の立法51号19頁,1971年1月参照)。

*84:本改正後の基本法104a条の問題であるが,税源大結合によって,連邦と州との租税収入に不均衡を生じないようにすれば,そもそも連邦からの補助金による事後的な収入調整は不要なのではないかという見解もあった(前掲レンチュ[1995年]・319頁)。しかし,連邦の財源負担に厳しい基準を設けることで妥協が成立し(同・335頁),法的根拠を欠く連邦の補助金の「自然のままの繁茂」は終わりを告げたとされる(同・349頁)。

*85:本改正によって,州間格差は取り除かれたわけではなかったが,その重圧は著しく緩和され(前掲レンチュ[1995年]・349頁),また,その財政調整システムは柔軟性があったため,1990年のドイツ再統一によって,極めて大きな経済格差のある旧東独5州が編入されるという新事態に対しても,基本法の規定自体を改正することなく適応することができたとして,本改正は,一定の評価を受けている(同・189頁)。

*86:本改正法は,中桐宏文「西ドイツ基本法第20次改正法・西ドイツ基本法第21次改正法・西ドイツ基本法第22次改正法」(外国の立法44巻946頁)・1969年11月・954頁〜955頁に訳出されるが,制定文の「基本法第79条第2項は廃止する」は,「基本法第79条第2項は遵守されている」の誤訳であろう。

*87:連邦政府も,それぞれは別の問題であると考えており(ヴォルフガング・レンチュ,伊東弘文(訳)『財政基本規範と財政調整』,1995年3月,306頁),別個の法案(BT-Drs. V/3040, V/2861,V/1086, V/3515)として提出したが,連邦議会の法務委員会の検討において,会派提案の法案を併せ,一本にまとめて整理することが提案された(中桐宏文「西ドイツ基本法第20次改正法・西ドイツ基本法第21次改正法・西ドイツ基本法第22次改正法」,外国の立法44巻946頁,1969年11月・946頁〜947頁。)。

*88:なお,初宿正典「西ドイツ基本法の現況と展望」(ジュリスト884号106頁,1987年5月)は,ドイツの憲法改正の回数が多いことをいう文脈のなかで,「同日に三回(同年中に合計八回!)も改正された」(109頁)などというが,少なくとも,この3件に関しては,それが3件と数えられているのには,立法過程に関わる偶然の要素も大きいであろう。

*89:病院システム自体に対する規制権限は,州の抵抗によって州に留保され,また,連邦が競合的立法権限を得た資金援助に関しても,政治的論争を経て,結局,連邦と州との双方が実施することで落ち着いた(Rudolf Ratzel / Bernd Luxenburger, Handbuch Medizinrecht, 2008, S. 1186, Jürgen Klauber, Krankenhaus-Report 2010, 2010, S. 108.)。

*90:連邦懲戒裁判所に関する改正部分は,非常事態法制(第17次改正参照)の整備に伴って導入された民間人防護隊(Zivilschutzkorps)の隊員などにも管轄を及ぼすことを目的としたものとされる(BT-Drs. V/3515, S.9)。

*91:連邦政府は,1962年9月11日及び1966年6月24日,既に同旨の基本法改正案(IV/633, V/1066)を連邦議会に提出しており,本文は前者の立法趣旨の説明による(長野実「西独の中央地方公務員間給与差の是正」,レファレンス13巻4号5頁,1963年4月,31頁〜32頁,同「基本法(第75条)改正法案」,外国の立法30巻381頁,1967年7月,383頁〜384頁)。

*92:工業地帯を抱えるノルトライン・ヴェストファーレン州が,1954年6月9日,連邦法の規定する給与に比し,平均7%の引き上げとなる州給与法を制定したため,連邦政府は,同法が連邦法に反するとして提訴したが,連邦憲法裁判所は,そもそも連邦法が,基本法75条の定める大綱的立法の範囲を超えているとする同州の反論を容れた(前掲長野[1963年]・16頁〜30頁)。

*93:ただし,第28次改正でみるように,各州は,給与表が規制されても,公務員の所得控除を優遇するなどすることで,実質的に給与を増加させることなどの措置が可能であったため,本改正は根本的な解決をもたらさなかったにはならなかった(C. Umbach/T. Clemens: Grundgesetz. Mitarbeiterkommentar und Handbuch. Band II, 2002, Art. 75a, Rdn. 16, S. 640)。

*94:本改正は,職業教育補助の規律を競合的立法事項とした外(本改正後の74条1項13号),大学制度の一般的諸原則を連邦の大綱的立法の対象とした(同75条1項1a号)。後者に基づき制定された大学大綱法の条文の和訳は,児玉嘉之「大学大綱法(その1)」(外国の立法16巻2号65頁,1977年3月),同「(その2)」(同3号126頁,同年5月),同「(その3・完)」(同4号182頁,同年7月)に掲載されている。

*95:連邦が有していたのは,学術研究の促進の外(本改正前の基本法74条13号),現行基本法74条1項11号(ただし,第52回改正で追加された「ただし書き」を除く。),12号相当規定に基づく職業教育に関する分野の競合的立法権のみであり,教育制度の分裂の克服は,基本法制定当初からの課題であった(佐藤義雄「西ドイツ教育行政の権限配分問題」,東京大学教育学部紀要22巻271頁,1983年3月,272頁〜273頁)。

*96:連邦は,これを「共同任務」とすることに拘ったという(ヴォルフガング・レンチュ,伊東弘文(訳)『財政基本規範と財政調整』,1995年3月,311頁,注98・356頁〜357頁)。その背景には,高等教育に対する支出の必要性が年々高まることがあった(Kommers, Donald. P., Miller, The Constitutional Jurisprudence of the Federal Republic of Germany, 2012, 3rd ed. p. 121.)。**追補:この権限に基づいて,1969年教育訓練助成法が制定された(渡辺富久子「ドイツの連邦奨学金制度」,外国の立法271号141頁,2017年3月,147頁)。

*97:同様に,土地分配及び空間規制に関する競合的立法権限の追加も議論されたが,連邦参議院の反対にあった(前掲中桐・947頁)。なお,自然保護や水質保全,土地分配の分野は,大綱的立法権であれば,制定時の基本法72条3号,4号が規定する。

*98:連邦参議院は,本会議の議決によって,法案を発議する(鈴木重武「西ドイツ連邦参議院の概要」,専修法学論集18巻1頁,1974年6月,9頁〜10頁)。

*99:なお,本改正法案自体は,連邦議会で提案されたものであるが(BT-Drs. V/4138),この理由付けは,連邦参議院が,後述する第20次第21次第22次改正における両院協議会の招集理由(BT-Drs. V/3826)の中で述べていたところを敷衍した。

*100:連邦議会が1968年12月11日に可決した第一次案に対し,連邦参議院は1969年2月7日に両院協議会の開催を求める議決しているが,本改正に関する提案は,その開催を求める理由書の中で示された(BT-Drs. V/3826, S. 3)。

*101:両院協議会の権能として,協議の対象となった法案とは無関係に,白紙から妥協案を作り上げることができるという実務上の見解もあるが(白紙理論),学説は,当初の法案の範囲を超え,全く新たな法案を作成することは許されないとする見解で一致する(加藤一彦「ドイツ基本法における「法案審議合同協議会(VA)」の憲法的地位と権能」,現代法学:東京経済大学現代法学会誌21号15頁,2012年3月,19頁〜22頁)。

*102:この経緯は,連邦議会に改めて提出された法案(BT-Drs. V/4138)に対する法務委員会の報告書(BT-Drs. V/4295)に要約されている。

*103:連邦参議院の法務委員会が,本改正法案について,本会議でした報告において,英語で「Gentlemen's Agreement」という用語が用いられている((BR-Prot. 340, S. 153A)。

*104:本改正案(BT-Drs. V/4138)は,第20次第21次第22次改正連邦議会で議決された直後である1969年4月25日付け提出されているが,記名投票ではなく点呼投票であったため,連邦議会の議事録上,棄権した者は特定されていない(BT-Prot. V/236, S. 13072D)。。

*105:その外,第5会期の連邦議会は,第4会期の連邦議会よりも連邦参議院の地位に理解があるとも言及されている(BR-Prot. 340, S. 153A-154A)。連邦議会との協調関係を重視したものか,或いは,会期末が迫っていたことから,現状より少しでも有利であれば,改正を成立させた方が良いという考慮もあったのかもしれない。なお,連邦参議院に残った不満は,第42次改正でおいて再調整されることになる。

*106:ドイツ連邦労働社会省編『ドイツ社会保障総覧』,1993年1月,533頁以下,安野正明「1950年代前半のドイツ社会民主党の危機」(広島大学総合科学部・社会文化研究21巻105頁),1995年,116頁。

*107:いわゆる「証明書C」(C号避難民証明書)の交付を受けた避難民である(臨時在外財産問題調査室調査資料「負担調整の十年」,国立公文書館・分館−05−053−00・平12大蔵0293100所収,26頁〜27頁,47頁〜48頁,若松新「GB−BHE:分野野党の研究」,早稲田社会科学研究58巻39頁,1999年3月,46頁)。

*108:苛酷調整基金(冷遇基金)からの給付には,生活援助,家財調達援助,住宅貸付,事業再建貸付等がある(小笠原謙三「在外財産問題について - 在外財産問題審議会答申」,政策月報132巻52頁,1967年1月,59頁)。なお,東独地域からの避難民も,「主補償」(主要損害補償)及び財産損害に対する損害補償年金を除き,旧東部領土からの被追放民・引揚者と同等の地位にあるともされるが(前掲「負担調整の十年」,197頁〜198頁),「主補償」こそが,負担調整制度における最も基本的な給付である(前掲『ドイツ社会保障総覧』,1993年1月,547頁・訳注4)。

*109:前掲「負担調整の十年」・47頁〜48頁は,「(立法府は)政治的現状よりして,またドイツ再統一への努力に照らして」とする。また,1965年の証拠確定法は,東独地域からの避難民の損害は,「全ドイツの立法者」によって最終的に確定されるので,差し当たり,損害に関する証拠の保全をするものとされた(BT-Drs. IV/1994, S. 12)。

*110:後述の負担調整法第21次改正法の立法趣旨は,「種々の理由」という言い方で説明するようであるが(BT-Drs. V/4103, S.11),キリスト教民主同盟の機関誌では,「経済的理由によって」と実施的なかったとする(Lastenausgleich; Entschädigung für Flüchtlinge, in Union in Deutschland, Nr. 20, 22. Mai 1969, S. 2)。ちなみに,在外財産等の処理のため,同じく1969年に成立した賠償補償法も,1963年の前法案では,東独地域の損害を含まないものとされていた(大蔵省大臣官房「ドイツにおける在外財産等処理問題について」,調査月報54巻4号28頁,1965年4月,38頁)。

*111:ここまで本文で述べた改正の経緯は,本改正法案(BT-Drs. V/4103)及び負担調整法第21次改正法案(BT-Drs. V/4104)の立法趣旨でも説明されるところである。なお,東独地域からの避難民については,「主補償」に関する区別を廃した負担調整法第28次改正も重要のようである(前掲『ドイツ社会保障総覧』・533頁〜534頁)。

*112:連邦参議院が,連邦議会に提出された本改正法案(BT-Drs. V/4103)に対し,「デュルクハイムの合意」に反するなどどして,反対の態度表明をしている(Anlage.2, S. 4)。

*113:連邦参議院による票決では,バイエルンハンブルクの外は賛成に回ったので,42票中の33票が賛成したことになる(vgl. BR-Prot. 340, S.159B-159C)。

*114:本改正法は,永井幹久「西独第25次基本法改正法」(外国の立法46巻39頁,1970年4月,42頁〜43頁)に訳出される。

*115:歴史的な領域を継承したといえるのは,バイエルン州と旧ハンザ都市(ハンブルクブレーメン)のみである(前掲永井・42頁)。ちなみに,ドイツ帝国の諸邦が,ナチス政権下において実質的に解体されていたこと,最大の抵抗勢力であった旧プロイセン王国のうち,その中核であったブランデンブルク地方がソ連占領地区にあったことが,歴史的な諸邦を解体することを容易にした面があると指摘されている(国立国会図書館調査立法考査局財政金融課「西独における戦後復興と地方自治地方財政調整制度」,レファレンス102号42頁,1959年7月,53頁〜54頁,大爺栄一「ドイツ連邦共和国における領域再編成の展望」,北星論集19巻147頁,1981年,155頁)。

*116:ドイツの諸邦は,圧倒的に強大なプロイセン王国から,自立性を有しないような小侯国までが並列され,地方行政区画として合理性を欠いていたため,戦前から各種改革構想があった(前掲大爺・149頁〜152頁)。制定時の基本法29条1項も,合理的な根拠のある地方行政区画を編成するという観点から,「同郷的結束」,「歴史的・文化的関連」のみならず,「経済的合目的性」等を考慮に入れるべく定めていた(同・155頁)。

*117:期限は基本法の施行後1年とされたが,後述のとおり,本条の施行が凍結されていたため,当該期限は,そのままの形では適用されないものとされた(BVerfGE 5,34)。

*118:ドイツ南西部の旧バーデン大公国と旧ヴェルテンベルク王国の領域は,米仏2か国の占領地区に跨がったため,軍事上及び政治上の観点から3州に分割統合されたが,これは特に不評であった(布田勉「南西ドイツ諸州の再編成に関する2法の合憲性」,ドイツの憲法判例〔第2版〕,2003年12月,457頁)。そのため,基本法29条とは別に,基本法118条が設けられ,これら3州の帰趨に限って,州政府間の合意又は住民投票に委ねるものとされ,これについては,占領諸国の前記留保の対象とされなかった(前掲『ドイツ連邦共和国基本法の制定の経過』・資料の部193頁)。

*119:各軍政長官は,1948年6月7日付け米英仏ほか3国による対独コムミュニケ(憲法調査会事務局『ドイツ連邦共和国基本法の制定の経過』,国立公文書館・本館−2A−038−08・憲00115101,資料の部92頁)に示された州境の再検討(同・95頁)を受け,同年7月1日のいわゆるフランクフルト通告第2号(同・104頁〜105頁)において,西独各州首相に対し,州境の再検討の提案は,基本法制定会議の議員が選出される以前になされるべきことを示した。各州首相は,検討期間が短すぎるとして抵抗したが(同・109頁,119頁),各軍政長官は,州境は現時点で確定されるべきものであるという本国の態度を伝えるのみであった(同・96頁,125頁)。州境の再編成に関する規定は,1949年2月11日基本法草案に対する軍政長官の同年3月2日付け覚書(163頁)でも修正が勧告されていたが(同・169頁),基本法29条として残存し,結局,各軍政長官は,同年5月12日付けの書簡(同・192頁)で,基本法29条,118条に関し,「ヴュルテンブルク・バーデン州とホーエンツォレルン州を除くすべての州の境界は,現状のままとされる」という留保を付して,基本法を承認することになる(同・193頁)。

*120:前掲大爺・115頁は,「占領軍当局は…基本法29条の実現に極めて消極的であった」という表現をするが,当該留保によって,基本法29条の規定の執行が延期されていたものと理解されているようである(渋谷敏「第33次基本法改正法」,外国の立法88巻57頁,1977年3月・58頁)。

*121:1956年4月から9月に掛け,8件の住民請願に関する投票が実施され,そのうち6件が成立した(前掲大爺・156頁,前掲渋谷・59頁)。

*122:これに加え,1956年10月23日の住民投票によって,フランス保護下にあったザール地区が西独に復帰することが決まっており,それをも考慮した再編成が必要であるとされた(永井幹久「バーデン=ヴェルテンベルク邦のバーデン地区における住民投票に関する法律」,外国の立法53巻114頁,1971年5月,114頁〜115頁)。

*123:連邦憲法裁判所は,東独との統一後は,基本法29条に基づく再編成ではなく,同法143条による新憲法の制定が予定されているから,東独との統一を待って,基本法29条を適用するというのは理に合わないということである(BVerfGE 13, 54 [63])。

*124:連邦政府は,当該法案(BT-Drs. IV/834)を第4会期に提出したが,第5会期に再提出しようとはしなかった(前掲渋谷・59頁)。1950年代までに,州境を過去に復しようという機運が膠着していたとも指摘されている(前掲大爺・156頁〜157頁)。

*125:本改正は,差し当たっては,南西州に関する問題を処理することが念頭に置かれており(前掲渋谷・59頁),これを基本法29条の枠組みで処理できるようにすることが意図されていた(前掲永井[1970年]・49頁)。先にも注したとおり,南西州に関しては,基本法29条とは別に,基本法118条という特別規定があり,1951年,この特別規定に基づく住民投票によって,南西3州を1州(現バーデン・ヴェルテンベルク州)に統合することが決まっていたにもかかわらず(前掲布田・457頁以下),旧バーデンの住民が分離独立を諦めず,1956年,今度は一般規定である基本法29条に基づく住民請願を成立させ(前掲永井[1971]・114頁〜115頁),連邦憲法裁判所が,この住民請願を有効と判断したため(BVerfGE 5,34 [43]),連邦は,この問題を解決する必要があった。

*126:本改正前の基本法29条は,連邦政府は,住民請願に基づき連邦法案を制定しなければならず(2項),これが住民票決で否決された場合,当該法案は,連邦議会の再議決及び全国での国民投票によらねばならないとしていたが(4項), 本改正後は,連邦は,住民請願に基づく住民票決の結果が州の再編成の目的(州の新たな編成は,同郷的結束,歴史的・文化的連関,経済的合目的性及び社会的構造を考慮して決するが,新たな州は,その規模及び能力に応じて,その州に課せられた任務を実効的に遂行できるものである必要がある。)に反する場合,住民投票の結果と異なる連邦法を制定することができるとした。すなわち,本改正は,州の再編成の最終決定権を立法者に委ねたものといえる(前掲永井[1970年]・42頁)。

*127:独立が可決されたたのは,いずれもニーダーザクセン州のオルデンブルグ行政区(現オルデンブルク市と周囲の6郡2市)とシャウムブルク・リッペ郡(現シャウムブルク郡の北部)の2箇所であったが,それらの地域は,州としての十分な給付能力を有しないとして,ニダーザクセン州に留まる旨の連邦法が制定された(前掲渋谷・59頁)。

*128:第8次刑法改正法(v. 25. Juni. 1968, BGBl, I.S. 714)は,連邦政府1962年草案に基づく刑法の全面改正案に対し,野党の社会民主党が対案(BT-Drs. V/102)を提出したため,連邦政府も1966年の対案(V/898)を上程して争っていたところ,社会民主党が連立政権(大連立)に参画したことにより議論が進み背景に(内藤謙『西ドイツ新刑法の成立』,1977年,20頁),民間の若手学者が1968年に発表した「刑法草案各則対案」も参考に,政治犯罪に関し,先行的に改正案を成立させたものである(法務大臣官房司法法制調査部『ドイツ刑法典』,1982年3月,17頁)。なお,SPD草案の提出日について,前掲『ドイツ刑法典』・同頁は1965年12月2日とし,下田久則「西ドイツ」(海外法律事情3,ジュリスト398号420頁,1968年4月)・421頁は1966年のこととするが,1966年の政府対案の提出理由(BT-Drs. V/102, S. 15)には,1965年12月8日とある。

*129:第8次刑法改正法の意義については,本文に示したように,緊急事態法制との関係で説明するものがある外(山田晟「ドイツ法概論Ⅰ」〔第3版〕,1985年10月,224頁),ナチズムの復活に対応するためという説明がある一方(宮澤浩一「西ドイツ刑事法の変遷と展望」,ジュリスト919号27頁,1988年10月,29頁),同改正は,処罰行為を制限する観点などから規定を簡潔にし,また,東独との人道上・政治上の接触を容易にするという趣旨でなされたものであるという説明もある(前掲下田・421頁,内藤謙『西ドイツ新刑法の成立』,1977年,38頁〜39頁)。また,不法な国家機密の保護に関する1965年11月8日連邦通常裁判所判決が,同改正の「重要な契機」となり,「根本問題」であったとも解説される(斉藤豊治「イエシェック「新しい政治刑法におけるいわゆる不法な国家機密の取扱い」」,甲南法学13巻3・4号87頁,1973年6月,87頁,88頁,92頁)。さらに,前掲『ドイツ刑法典』・17頁は,従前の国家保護規定が「現時の観念にそぐわない構想に基づく」ものであったと指摘する。

*130:ただし,上級連邦検察官は,事件が軽微である場合,或いは,もっぱら州に向けられている場合,これを州の検察官に移送することができ,その場合,州の高等裁判所が第一審にして最終審となり,また,一定の犯罪については,特別な場合を除き,州の地方裁判所特別刑事部(国家保護部)が第一審の管轄を有することになる(安村勉「ドイツにおける刑事裁判所構成および審級制度の変遷 -2完-」,警察研究55巻9号56頁,1984年9月,62頁,小山雅亀「ヴァルター・ヴァーグナー「国家保護事件における裁判所の管轄」」,甲南法学19巻2・3・4号239頁,1979年3月,161頁〜162頁)。

*131:1951年当時の議論によると,この状況は,暫定的なものとして受け入れられていたようであるが(前掲小山・162頁),上訴が許されないことは,政府にとって有利であったことは否めないであろう(cf. Katzenstein, Peter, Cultural Norms and National Security: Police and Military in Postwar Japan, 1996, p. 167)。なお,上訴が許されないことについては,1966年国連人権B規約14条5項の上級の裁判所で再審理を受ける権利との関係でも問題があった(BT-Prot. V/152, S. 7797D)。

*132:なお,伝聞法則の許容,鑑定証人の中立性なども問題となったが(BT-Prot. V/152, S. 7786Cff.),素人裁判官の関与の問題は話題にならなかった(前掲小山・163頁)。

*133:連邦司法大臣(CDU/CSU)は,二審制の導入自体は歓迎(begrüßen)されると答弁し(BT-Prot. V/152, S. 7790D),SPD議員からも国連人権B規約(14条5項)との関係の指摘があった(S. 7797D)。

*134:なお,この外にも,連邦特許裁判所のように,第一審を担当する連邦の特別裁判所を創設するという解決策,連邦通常裁判所の内部に異議審のようなものを設け,審級の代償措置とするという代替案も考えられるが,実際に導入されたのは,高裁を第一審とする二審制であった。この選択に対しては,裁判所の専門性の確保という観点からの批判があった(前掲小山・163頁)。

*135:連邦検察官の関与を保障するには「共同任務」(基本法8a章参照)とする必要があるであろう。連邦検察官に独立の上訴権を付与することは可能であるが,それのみでは不十分であることは,1951年の段階から連邦司法大臣が表明していた(BT-Prot. V/152, S. 7790D-7791A)。

*136:ここで導入された起訴便宜主義については,我が国の法務大臣検事総長に対する指揮権,判例にいう統治行為論などとの類似性があるとの指摘がある(田和俊輔「西ドイツ検事の法律上の地位と捜査権」,鳥取大学教養学部紀要19巻23頁,1985年9月,35頁,68頁・注60)。他方,このような起訴便宜主義の導入について,否定的なドイツ国内の意見もある(Hassemer Winfried,浅田和茂訳「西ドイツにおける刑事訴訟改正の現状」,法律時報59巻10号68頁,1987年9月,72頁)。

*137:なお,起訴便宜主義の運用に当たり,外交関係を考慮することも許されるのかという問題についていえば,ここでの起訴裁量権の行使は,明らかに国際政治上の要請によって正当化されるものとして理解されている(John H. Langbein, Controlling Prosecutorial Discretion in Germany, 41 U. CHI .L. REV. 439, 1974, p.458, fn. 48.)。

*138:第8次刑法改正法の票決の時点で,州政府との合意はできており,同一会期中に関連法案を成立させる見込みがあったという(vgl. BT-Prot. V/177, S. 9550A-9550B)。もっとも,本改正法案に対し,連邦参議院は,連邦検察官の関与を最低限にするための対案を提案し(BT-Drs. V/4085, S. 4),最終的な票決の段階でも,バイエルン州は反対し,ニーダーザクセン州は棄権した(BR-Prot. 342, S.198D-199A)。

*139:Gesetz zur allgemeinen Einführung eines zweiten Rechtszuges in Staatsschutz-Strafsachen v. 8. September 1969, BGBl. I. S. 1682, BT-Drs. V/4086, BT-Prot. V/236, S. 13073Aff.

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