妻に対する強姦罪の成立
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法律上の夫婦間において強姦罪が成立するか否かという問題については,従前,婚姻関係が破綻し,夫婦の実質が失われているという前提の下,強姦罪の成立を認めた広島高裁松江支部の裁判例が有名であったが*1,近時,破綻の有無にかかわらず,夫婦間でも強姦罪が成立することを正面から認めた東京高裁の裁判例が公刊された。
判文によれば,本件は,原審である千葉地裁八日市場支部が,夫婦関係の破綻を認定した上,強姦罪の成立を認めたのに対し,被告人が,事実認定を争わず,法律上の夫婦間には,いかなる場合にも強姦罪は成立しないという解釈に基づき*2,法令適用の誤り(及び量刑不当)を理由として控訴した事案であるところ,控訴審である東京高裁は,上記の点につき,以下のように判示し,法律上の夫婦間であっても,何の限定もなく強姦罪は成立するとした。
法律上の夫が妻に暴行脅迫を加えて,姦淫した事案に,強姦罪が成立するかについて.学説上争いがあり,無条件にこれを肯定する説,無条件にこれを否定する説(所論は,これによっている。),実質的な破綻状態を要件とする説,夫婦が実質的に破綻している場合にこれを肯定する説が存在する。そこで検討するに強姦罪の構成要件は,その対象を「女子」と規定しているだけであり,婚姻関係にある女子を特に除外していない。しかるに無条件でこれを除外して強姦罪の成立を認める説は,構成要件の解釈としては無理がある。そこで,婚姻中の夫婦は,互いに性交渉を求め,かつ,これに応ずべき関係にあることから,夫の妻に対する性交を求める権利の行使として常に違法性が阻却されると解することも考えられる。しかし,かかる権利が存在するとしても,それを実現する方法が社会通念上一般に認容すべきものと認められる程度を超える場合には,違法性を阻却しないと解される。そして,暴行・脅迫を伴なう場合は,適法な権利行使とは認められず,強姦罪が成立するというべきである。いかなる男女関係においても,性行為を暴行脅迫により強制できるものではなく,そのことは,女性の自己決定権を保護するという観点からも重要である。いわゆるDVの実態がある場合には強姦罪の成立も視野に入れなければならない。もっともこう解すると,通常の婚姻関係が維持されているなかで,例えば,偶々妻が気が乗らないという理由だけで性行為を拒否したときにも,夫に刑が重い強姦罪が成立することになり, 刑法の謙抑性の観点から問題があるという批判もあり得ようが,そのような場合に,そのことが妻から訴えられるということも考えにくく,あくまで理論的な問題にとどまるともいえる。
なお,上記判決は,上記判示部分に続き,本件では夫婦関係が実質的に破綻していたのであるから,婚姻関係の破綻を条件として強姦罪が成立するとする説によっても結論は変わらないとも説示しており,判例タイムズは,当該説示部分も含め,下線を引いている。しかし,上に示した本件事案の経緯に照らせば,当該説示部分は,上告審との関係も含めた念押しにすぎないとみるべきように思う。
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ところで,裁判例としては,前記広島高裁松江支判より30年以上,上記東京高判より50年以上前に,札幌高裁が,内縁の夫婦間における強姦未遂事件について,以下の通り説示して,被害者との身分関係の如何は強姦罪の成立と無関係であるとした事案があった*3。
各所論は,原判示当時被告人と被害者とは,いわゆる内縁の夫婦関係を結んでいたのであるから,かかる身分関係あるものに対しては,強姦罪の成立する余地なく,…(と)主張する。
しかし,刑法第百七十七条にいう強姦罪の客体は,婦女たることを要し,又これを以て足り,その身分関係の如何は,同罪の成立には何等消長なきものと解するのを相当とするから,(上記)主張は,とうてい採用し得ない。
非常に古い事案ではあるが,この論点が,事柄の性質上,実際の裁判では問題になりにくいことなども考え合わせると,前記広島高裁松江支判の著名さにかかわらず,もともと裁判例は割れていたということもできよう。
なお,所一彦は,『注釈刑法』(初版)において,内縁の夫婦間に強姦罪が成立することは「もちろん」であるとしつつ,法律上の夫婦間については,「一概に同様にいうことはできない」とし,上記札幌高裁の判示は,「このばあいをも念頭においたものか疑わしい」としている*4。しかし,上記札幌高判は,「強姦罪の客体は,婦女たることを要し,又これを以て足り」と言っているのであるから,そのように理解するのは無理があろう。