ドイツ連邦共和国基本法の改正経過🄓:第27次〜第34次 ('69-'82)

社会民主党は,1969年,キリスト教民主・社会同盟との大連立を解消し,ヴィリー・ブラント首相の下,自由民主党との連立政権を成立させる*1。西独成立から20年以上にわたって政権を主導してきたキリスト教民主・社会同盟が野に下るという政治史上の一大画期であり,東側諸国との緊張緩和を図る「東方外交」が展開されることになる。

しかし,基本法の改正は,連邦の権限強化という従前の傾向を維持する*2。しかも,10年以上にわたる社会民主党自由民主党政権期を通じ,8回の改正があったのみであり,1976年の第34次改正の後,7年を超える空白期が訪れる。基本法が,制定20年を経て,西独の憲法として安定をみるようになったということができようか。

27. 高等教育における共同任務の拡大,選挙年齢の引下げ

第27次改正 1970.07.31

高等教育に対する需要の増加を背景に,連邦の高等教育への関与を拡大するため,共同任務の対象を「学術大学」以外の高等教育機関にも及ぼし,また,(第17次改正)による緊急事態法制の導入などに対する学生運動の高まりを背景に,これを正規の政治過程に取り込むため,選挙年齢を徴兵年齢と同じ18歳に引き下げるなどした。

解説

ドイツでは,伝統的に,フンボルトの理念に基づく「総合大学」(Universität)*3こそが真のの大学であるとされ,「大学」(Hochschule)を称していても,「総合技術学校」や「師範学校」は,周縁に位置付けられてきた*4第21次改正で共同任務の対象とされた「学術大学」(Wissenschaftliche Hochschule)も,基本的には総合大学を指した。

しかし,1960年代,高等教育の需要が増大する一方*5,機会均等という観点から教育制度の一元化が求められるようになると*6,総合技術学校や師範学校に由来する「工科大学」,「教育大学」に学術大学と同格の地位を認める動きが加速し*7,さらに,科学技術の重要性の高まりは,それ以外の「技師学校」などの高等専門学校の整備を要求した*8

本改正のうち,共同任務の範囲の拡大に関する部分は,以上のような流れの中,条文の文言を「学術大学」(Wissenschaftliche Hochschule)から,単に「大学」(Hochschule)とすることで,総合技術学校,師範学校全般,あるいは,その他の高等教育機関について,連邦が関与し,補助金支出の対象とすることを可能とするものである*9

本改正のうち,選挙年齢の引下げに関わる部分も,広い意味で大学改革に関わるともいえる。というのも,緊急事態法制(第17次改正)の導入を巡り,学生運動の昂揚が激しかったことから,選挙年齢を大学入学年齢まで引き下げることで,これを正規の政治過程に統合することが意図された*10。また,兵役義務が18歳とされたこととの均衡もあった*11

そして,選挙年齢を18歳まで引き下げても,従前の政党勢力に大きな変動は生じないという調査結果も出されたこともあって各党の合意が成立し*12,本改正のうち,選挙年齢の引下げに関わる部分が実現した。なお,併せて被選挙権年齢も引き下げられたが,これについても,連邦議会公聴会における青年代表の意見が考慮された*13

28. 州の公務員給与に対する連邦の立法権限の追加

第28次改正 1971.03.18

連邦と州,州と州との公務員給与の格差については,第22次改正が,既に連邦の大綱的立法権を拡充することで一定の対処をしていた。しかし,これによっても公務員の所得控除を優遇するなどの代替手段が可能であり,他州との待遇競争に疲れた州側の意向もあったことから,その抜本的解決を図るため,州の公務員給与に関する事項等について,連邦の競合的立法を拡大する本改正がなされた。

解説

第22次改正で解説したように,制定時の基本法は,州の公務員制度に関して,連邦に大綱的な立法の権限のみを付与した(75条1号)。連邦制の建前からすれば自然な制度設計であるが,実際には連邦・各州の業務は密接であるため,連邦と州とで給与制度が相違すると,机を並べて仕事をしているのに所属によって給与に格差が生じ,さらには,人事交流の障害となるといった弊害が生じ得た*14

連邦は,当初,前記の大綱的立法権限に基づく連邦法によって,連邦と州の公務員の給与水準を統制していたが,1954年12月1日の連邦憲法裁判所の判決(BVerfGE 4, 115)が,連邦の大綱的立法権限によっては,州の公務員について,その給与の上下限を定めることはできないとし,州が独自に給与水準を定めることを認めたことから,前記の弊害が現実化した*15

1969年の第22次改正は,この問題に対処するため,連邦の大綱的立法権によって,州の公務員についても,給与の上下限を定めることができることを明文で定めた*16。しかし,これを規制したのみでは,各州は,公務員の所得控除を優遇したり,昇級の基準を操作したりすることによって,実質的に当該規制を回避することができ,これによる州間の待遇競争が問題となっていた*17

本改正は,この点を抜本的に解決するため,州の公務員の給与等に関する事項を連邦の競合的立法権に取り込むものである*18。これによって権限を失う州としても,優秀な人材を確保するため,財政の豊かな他州と給与水準の競争をしなくてよくなることは歓迎するところであり,本改正は,州が,その中核的権限を自ら手放した事例として指摘されることがある*19

29. 動物保護に関する連邦の立法権限の追加

第29次改正 1971.03.18

基本法上,連邦には動物保護に関する立法権限がなかったため,家畜の大量飼育・長距離輸送や動物実験の問題など,戦後に顕在化した問題に対し,連邦レベルでは,刑事立法,あるいは,経済規制,交通規制として,個別に対処せざるを得なかった。しかし,包括的な規制でないことによる法の穴などが問題となり,この点について,連邦の立法権限を補充する本改正がなされた。

解説

戦前のナチス政権による環境政策は,人種主義的な色彩はあったものの,ある意味で先進的なものであったといわれている。1933年に制定された帝国動物保護法も,基本的には「良い法律」であると評価され,戦後においても,本改正に基づく1972年動物保護法の制定まで,刑罰規定は連邦法として,その他の規定は州法として機能してきた(基本法123条,125条参照)*20

とはいえ,戦後になると,家畜の大量飼育・長距離輸送,動物実験に伴う問題など新たな課題が顕在化しており*21,連邦は,これらの問題に対し,刑事立法として(現行基本法74条1項1号参照),あるいは,経済規制,交通規制として(同項11号,21号から23号参照),個別の解決を図っていたが,動物保護一般を対象とする包括的な規制でなかったため,規制の「穴」が問題となっていた*22

統一的な動物保護立法を制定しようとする動きは1950年代から生じており,1960年代には具体的な法律案が2度に亘って提出されていたが,基本法上,動物保護に関する立法権限を連邦に付与した明示的な規定がないため,州の立法権限との抵触の可能性が隘路となった*23。そして,1966年の法案を審査した連邦議会内務委員会は,基本法の改正を経るべきことを報告を提出した(BT-Drs. V/4422)。

本改正は,このような経緯を経て,基本法を改正し,明示的に動物保護に関する立法権限を付与しようとするものである。連邦参議院においても,バイエルン州が反対した外は,特段の議論もなく賛成を得たようである(BR-Prot. 363/71, S. 86A)。そして,本改正を踏まえ,科学的基盤と国際的潮流に対応した新たな1972年動物保護法(BGBl. I S. 1277)が成立した*24

30. 環境規制に関する連邦の立法権限の拡充

第30次改正 1971.04.12

制定時の基本法は,公害・環境規制に関する連邦の立法権限を大綱的立法権限としてしか付与しておらず,1970年代までの西独の経済発展による公害・環境規制に十分に対応できなくなっていた。そこで,州の同意を得られた限度で,大気汚染防止,騒音防止,廃棄物処理を連邦の競合的立法権限の対象として追加した。*25

解説

西独の経済発展は,特に1970年代,公害・環境問題を政策課題とした*26。ドイツでは,戦前から「営業法」による充実した公害規制があったが,一般家庭や自動車を対象とするものではないなどといった法制上の限界もあり*27,人口の増加や自動車の普及など,戦後の新たな事態に対処することが必要となっていた*28

連邦は,早くも1959年に営業法等を改正し,1965年大気汚染予防措置法,1971年航空機騒音防止法などの環境立法を進めていたが,環境分野では大綱的立法権限を有するにすぎず(第52次改正前の基本法75条3号,4号),それ以上は,経済規制(同72条11号)などの名目で立法せざるを得ないため,統一的・包括的規制には限界があった *29

特に,連邦政府は,欧州共同体における閣僚合意との関係でも,連邦が責任をもって全国で統一した環境規制を実施する必要性を感じていたことから,1970年,水質管理,大気汚染防止,騒音防止,自然保護,風致保護の分野について,連邦の競合的立法権を追加するための「第30次基本法改正案」を提出した*30

しかし,各州は,連邦参議院において,水管理,自然保護,風致保護について,連邦の立法権限とすることに反対した*31。そのため,同改正案は,これらを削除した上,その後に追加提出された廃棄物管理を連邦の立法権限とする「第31次基本法改正案」と一体のものとして成立することとなる*32。これが本改正(第30次改正)である*33

31. 治安対策に関する連邦の権限の拡充

第31次改正 1972.07.28

1970年代に入り,緊急事態法制の整備(第17次改正)の阻止に失敗した左派の一部が過激化し,テロ活動が活発化し,また,外国人労働者政治亡命者の流入も問題となっていた。そこで,外国人対策を中心に連邦憲法擁護庁の権限事項を拡大し,武器(銃器)の統一的規制をするため,これを連邦の競合的立法権限として追加した。

解説

西独の学生運動・大衆運動(院外野党運動*34)は,1968年,緊急事態法制の整備(第17次改正)に対する反対運動において頂点に達したが(「68年世代」),これに失敗した後は分裂・退潮し,「緑の党」の結成に至る環境運動の流れと結びつく者があった一方*35,急進化した少数の者は,赤軍派RAF)として地下に潜伏し,「軍事闘争」を始める*36

本改正は,このようなテロ活動の活発化を背景とし*37,連邦憲法擁護庁の権限の範囲を拡大するとともに,武器(銃器)規制を連邦の立法権限として追加したものであり,1970年代における一連の治安立法の動きと軌を一にし*38,また,広く見れば,1960年代末からの中央集権化の流れの中に位置付けられる*39

連邦憲法擁護庁に関しては,本改正前の基本法73条10号,87条1項が,連邦の立法権限・行政権限として,「憲法保障」とのみ定めていたことが問題となった。というのも,ここでいう「憲法保障」が,あくまでもドイツ連邦共和国憲法秩序を意味するとすれば,亡命外国人が,母国政府に敵対するテロ活動を準備することを対象とできないからである*40

しかし,そのような行為が西独域内で行われれば,西独の治安はもとより,西独の外交関係上の利益も損なわれる可能性がある。そこで,本改正は,外国人労働者政治亡命者が増大を背景に,西独域内におけるテロ行為・テロ準備行為などによって,西独の「対外的利益を危うくする活動」*41をも連邦憲法擁護庁の対象とすることを可能とした*42

他方,武器(銃器)規制に関しては,州ごとの規制が並立する分裂状況にあることが問題となっていた*43。連邦は,例によって,貿易法,刑事法,経済法などに対する立法権限を駆使して,連邦武器法(1968年)を制定したが,やはり規制事項に限界があり*44連邦参議院の提案に基づく本改正によって,これが連邦の立法権限に追加された*45

32. 連邦議会の請願委員会の必置機関化

第32次改正 1975.07.15

連邦議会における請願処理は,その処理に長期間を要するとして,それに代わるオンブズマン制度の導入を含め,長らく改革が議論されていた。そこで,連邦議会の請願委員会に基本法上の根拠を与え,併せて同委員会の権限を強化する法律を制定することで,オンブズマン制度の導入ではなく,請願制度の改革による解決が図られた。

解説

基本法17条は,「管轄官署及び議会」に対する請願権を保障し,議院規則に基づき,連邦議会の請願委員会その他の委員会で審議されてきた*46。しかし,請願の処理に4年から6年も要する問題(国家への不快)などが指摘され,請願制度に代わるオンブズマン制度の導入を含め*47,改革のための議論が1960年代から続いてきた*48

例えば,従前の請願委員会は,連邦政府に文書提示を要求したり,自ら現場の調査をすることができず,連邦政府の構成員(閣僚)に対する一般的な出席要求の権限(基本法43条1項)に基づき報告を求めることができるのみであったため,事案の解明のため,何度も照会を繰り返し,時間を浪費する問題が指摘されていた*49

本改正は,連邦議会憲法改革問題調査委員会の中間報告(1972年9月12日)を基礎とするものであり,請願委員会を強化すれば,オンブズマンと同様の制度を導入することができるからオンブズマン制度を導入することは不要であるとして,請願委員会に憲法的位置付けを与えるため,新たに基本法45c条を挿入するものである*50

そして,本改正を具体化した請願委員会権限法によって,請願委員会が,連邦政府及び連邦官庁に対し,文書呈示や情報提供を要求し,また,これに対して立入りをすることを可能とし,また,証人や専門家を喚問とする権限を規定したことなどとによって*51,請願制度が強化され,請願者に実効的な救済を与えることが可能となった*52

もっとも,本改正自体は,請願委員会を請願を独占的に処理する必置機関とした外(基本法45b条1項),違法な行政行為に対する「苦情」の処理について,その権能を「連邦法律で規律する」(同条2項)とするのみである。「連邦法律」によって,どこまでの権限を付与することができるのか明示的でなく,その憲法的意義は一見して明確ではない*53

実際,前記したとおり,請願委員会権限法は,請願委員会が,「連邦政府」及び「連邦官庁」に対し,文書呈示や情報提供を要求する権限を付与し,従前の請願委員会の権限を拡張したのであるが*54,法案の段階には存在した「連邦職員」(≠閣僚)に対する喚問権は,基本法43条1項に反する虞があるとして削除されてしまった*55

とはいえ,本改正は,請願委員会に請願を「処理」する権限を与えることで,法律改正によって,本会議の決定を経ずに,委員会のみで迅速に判断をする余地を残した点(基本法45b条1項)*56,また,その限界は不明確であるものの,法律改正によって,請願委員会の権限を拡張する基盤を明確にした点で(同条2項)*57,独自の意義があるとはいえよう。

33. 州の再編成の任意化,連邦議会議員の任期の調整

第33次改正 1976.08.23

基本法29条は,占領軍に決められた州割りの再編成を義務的なものとしていたが,これが実施されないまま20年以上が経過し,その州割りも定着していたため,これを任意的なものとするなどの改正がなされた。また,併せて,連邦議会の任期満了と選挙時期の間に生じる事実上の「議会の空白期」を解消するための技術的な改正がなされた。

解説

本改正前の基本法29条は,占領軍が決めた州割りを全面的に再編成することを連邦の義務としていた(第25次改正参照)。その実施は,東独との統一が未了であることなどを理由に先延ばしにされていたが,東独との共存を容認するブラント政権が成立すると,1973年,その意を受けた専門委員会が州の再編成案を報告する*58

しかし,結局,同委員会の提案も直ちに実施することは困難であることが判明した。州割りの全面的な再編成には,財政面も含めた各地域の利害が絡む上,関係全地区における住民投票といった手続的困難があった一方,戦後20年以上が経過し,各州が既に新たなアイデンティティを獲得し,再編成の必要性が低下していたという事情もあった*59

本改正のうち,基本法29条に関する部分は,同条を実態に合わせるため*60,占領軍に恣意的になされた州割りの是正という必要的課題を離れ,州の合併・分割を可能とする一般的手続として*61,①連邦の主導による任意的な手続,②個々の地域の住民発案等に基づく手続を整理し,この問題を解決したものである*62

また,本改正のうち,第39条に関する部分は,以上とは無関係に,連邦議会議員の任期に関する技術的な改正である*63。問題となったのは,連邦議会の選挙は,任期満了の最大3か月前になされ得るが,改選前の議員は本来の任期を全うするとされ(1項2文),改選後の議員は,改選前の議員の任期満了まで活動することができないという点である(2項)*64

というのも,選挙で新たに民意が示された以上,選挙後に改選前の議員するには事実上の正統性がなく,もとより,改選後の議員が活動するには法律上の根拠がないため,事実上の「議会の空白期」(parlamentslose Zeit)が生じてしまうのである。特に,本改正の際は,選挙前に夏季休暇があり,その空白期は半年に及ぶことが予想された*65

そこで,本改正のうち基本法39条に関する部分は,選挙後60日以内に新たな議会を開催するものとし(2項),改選前の議員は,新たな議会が開催されたことによって任期を終了するものとすることで(1項2文),議会の空白期を最小限に抑えた*66。技術的な改正にすぎないが,国民主権原理を実現する意味があるともされる*67

34 爆発物に関する連邦の立法権限の追加

第34次改正 1976.08.23

第31次改正でもみたとおり,1970年代は,緊急事態法制の整備(第17次改正)の阻止に失敗した左派の一部が過激化し,テロ対策が課題となっていた。本改正は,第31次改正で武器(銃器)規制を連邦の立法事項としたのと同じ趣旨で,爆発物(火薬類)の規制を連邦の立法事項とすることで,その統一的規制を可能としたものである。

解説

西独の学生運動・大衆運動(院外野党運動*68)は,1968年,緊急事態法制の整備(第17次改正)に対する反対運動において頂点に達したが(68年闘争),これに失敗した後は分裂・退潮し,「緑の党」の結成に至る環境運動の流れと結びつく者があった一方*69,急進化した少数の者は,赤軍派RAF)として地下に潜伏し,「軍事闘争」を始める*70

本改正の直前でも,1974年,西ベルリン高等裁判所長官の殺害,1975年,キリスト教民主同盟の西ベルリン支部長の誘拐などが続き*71,訴訟法上の対策としては,1974年の刑事訴訟法改正により,過激派弁護士の手続からの排除,私選弁護人の人数の制限,被告人の欠席公判の可能事由の拡大などがなされたことが有名である*72

しかし,本改正まで,爆発物(火薬類)に関する実体規制は州法に委ねられていたため,連邦は,貿易(現73条1項5号),経済(現74条1項11号),労働(同条12号),交通(同条13号)に関する立法権限に基づいく規制しかなし得ず,私的使用に関する事項を中心に,十分な統一的規制がなし得ないことが問題となっていた*73

本改正は,この問題を解消するため,武器(銃器)規制に関する第31次改正と同様の趣旨で*74,爆発物(火薬類)の規制を連邦の競合的立法事項とし,その具体化立法として連邦爆発物法(v. 16.09.1976. BGBl I S.273)が成立した*75。なお,本改正の成立をもって,これまで年1回以上のペースで続いていた基本法の改正は,約7年間に亘り中断する
続く

*1:この組合せの連立が可能となった背景には,自由民主党が,「国民的・自由主義的」な政党から「社会的・自由主義的」な政党に転換したことがあるとされる(ヴォルブガング・イェーガーら[著],中尾光延[監訳]『ドイツの歴史【現代史】」,2006年9月,508頁)。

*2:最も争点化したのは,左翼過激派対策として,刑事警察の分野において,連邦の権限を強化した第31次改正第34次改正が挙げられる(Kommers, Donald P. “The Basic Law: A Fifty Year Assessment.” 53 S.M.U. L. Rev. 477, 2000, p.485)。

*3:なお,ここでいう「総合大学」と紛らわしいものとして,本改正とも関連する大学制度改革で掲げられた「総合制大学」(Gesamthochschule)がある。「総合専門大学」として相違を明確にする訳例もあるが,原語を大きく離れず,その意図するところも明確に表すという意味では,「統合大学」という訳例が適切かもしれない。

*4:総合技術学校(Polytechnisch Schule)は,入学資格にアビトゥールを要さず,また,博士号の授与資格がない上,哲学的な視点から諸学問を総合するのではなく,技術や応用科学を目的とする教育機関である点が問題とされ,師範学校は,「学問」の準備をするためのギムナジウムの教師ではなく,読み書き算盤を勉強する初等学校や実科学校の教員を養成するにすぎない機関であるから,「学問」の場である総合大学である必要がないとされていた(ルーメル・クラウス「ドイツの大学における新たな多様化:最近の高等教育改革の動向を通して」,ドイツ語圏研究3巻1頁,1986年3月,1頁〜4頁)。

*5:1960年ころのドイツの大学進学者は,先進諸国の4分の1にすぎず(前掲クラウス・5頁),経済発展が進む中,これを引き上げることが課題とされたが,総合大学の拡大のみでは,これに十分に応えることができなかった(金子元久「ドイツの非大学高等教育機関」,RIHE6巻95頁,1990年3月,96頁〜97頁)。

*6:ドイツは,初中等教育の段階から複線的な教育制度を採っていたが,社会民主党の政権参画などを背景に,教育の機会均等が希求され,高等教育のレベルでは,総合大学と総合大学以外の高等教育機関を統合し,「統合大学」(Gesamthochschule)とする改革が構想されるようになっていた(前掲クラウス・5頁〜8頁)。

*7:時代は少し前後するが,総合技術学校に由来する工科大学(Technische Hochschule)は,1970年代までに学術大学に昇格し(前掲クラウス・14頁),師範学校に由来する教育大学(Padagogische Hochschule)も, 1960年代末の論争を経て,法的に学術大学としての地位を認められていくようになる(同・3頁〜5頁,8頁〜12頁)。

*8:技師学校(Ingenieurschule)は,他の高等専門学校(Höhere Fachschule)と同じく,中等教育機関に位置付けられていたが,欧州共同体が,その卒業生を「中級技師」として位置付けようとしたことから問題が生じ,これらは専門大学(Fachhochschule)の名で高等教育機関に位置付けられることになる(前掲クラウス・14頁〜15頁)。

*9:なお,本改正は,直接的には総合技術学校,師範学校を想定したものであったが,将来的に芸術学校をも対象とする余地を開くものであった(BT- Drs. VI/115, S. 2)。

*10:柳沢長治「ヨーロッパにおける選挙年齢引下げの動向」(地方自治277号2頁),1970年12月,8頁,同「西ドイツにおける選挙権年齢引下げについて」(自治研究47巻4号53頁),1971年4月,60頁〜61頁,小関紹夫[編代]『選挙法全書』,1975年11月,70頁,国立国会図書館調査及び立法考査局「主要国の各種法定年齢」(調査資料2008−3−b),2008年11月,17頁,那須俊貴「諸外国の選挙権年齢及び被選挙権年齢」(レファレンス平成27年12月号145頁),2015年12月,147頁。

*11:これまで,選挙年齢の引下げに関しては,「市民として明白な成熟」(アデナウアー)という観点から大きな話題とはならなかった。しかし,大学紛争が盛んとなり,兵役義務の拒否も問題となる中,「兵役義務が18歳からであるのに,選挙年齢が21歳であるのは不公平ではないか」などといった主張がなされるようになり,「若者たちに何かを与えなければならないという感じ」(独FAZ紙)が生じ,これが本格的に連邦議会で議論されるようになった(前掲柳沢[1971年]・54頁)。

*12:前掲柳沢[1970年]・8頁,同[1971年]・61頁,前掲『主要国の各種法定年齢』・18頁(なお,前掲柳沢[1971年]・63頁〜67頁によれば,州議会選挙についても,本改正に前後し,全ての州で選挙年齢が引き下げられたが,先行してなされた州議会選挙の結果によれば,選挙年齢の引下げによる変動はなかったとのことである。)。

*13:被選挙権年齢は,従前の25歳から成人年齢である21歳に引き下げられた。野党キリスト教民主・社会同盟は23歳案を主張したが,連邦議会公聴会において,青年側が18歳への引き下げが当然であるという意見を述べたことも考慮して,21歳まで引下げる与党案に同意した(前掲柳沢[1971年]・58頁)。

*14:連邦政府は,1962年9月11日及び1966年6月24日,既に同旨の基本法改正案(IV/633, V/1066)を連邦議会に提出しており,本文は前者の立法趣旨の説明による(長野実「西独の中央地方公務員間給与差の是正」,レファレンス13巻4号5頁,1963年4月,31頁〜32頁,同「基本法(第75条)改正法案」,外国の立法30巻381頁,1967年7月,383頁〜384頁)。

*15:工業地帯を抱えるノルトライン・ヴェストファーレン州が,1954年6月9日,連邦法の規定する給与に比し,平均7%の引き上げとなる州給与法を制定したため,連邦政府は,同法が連邦法に反するとして提訴したが,連邦憲法裁判所は,そもそも連邦法が,基本法75条の定める大綱的立法の範囲を超えているとする同州の反論を容れた(前掲長野[1986]・16頁〜30頁)。

*16:なお,第22次改正のうち当該部分は,1962年に連邦議会に提出されたが可決に至らなかった基本法改正案(BT-Drs. IV/633)と同内容である。

*17:BT-Drs. VI/1009, S. 4, C. Umbach/T. Clemens: Grundgesetz. Mitarbeiterkommentar und Handbuch. Band II, 2002, Art. 75a, Rdn. 16, S. 640.

*18:ただし,その立法には州政府の代表機関である連邦参議院の同意を要するとされたことに注意を促す指摘もある(Kommers, Donald P. et Miller, eds.,The Constitutional Jurisprudence of the Federal Republic of Germany, 3rd ed., 2012, pp. 121-122.)。また,本改正は,公務員の忠誠を確保するための施策としての側面を有し,第31次改正における治安対策などと軌を一にすることも指摘されている(Kommers, Donald P. “The Basic Law: A Fifty Year Assessment.” 53 S.M.U. L. Rev. 477, 2000, p.485, fn. 34)。

*19:Gunlicks, Arthur B. “Legislative Competences, Budgetary Constraints, and Federalism Reform in Germany from Top Down and Bottom Up,” in Michael L. Burgess and G. Alan Tarr, eds., Constitutinal Dynamics in Federal Systems: Sub-National Perspectives, 2012, p. 72, Gunlicks, Arthur B. The Länder and German Federalism, 2003, P.123, p.192. ただし,連邦参議院での採決では,大州であるバイエルン州は反対し,ノルトライン・ヴェストファーレン州は棄権している(BR-Prot. 363/71, S. 81A)。

*20:そもそも環境保護政策は,伝統を守るという意味では右派と親和的であり,例えば,ワンダーフォーゲルに代表されるドイツ青年運動はナチズムの基盤となった(保坂稔「ナチス環境思想のインパクト」,長崎大学総合環境研究10巻2号15頁,2008年3月31日,16頁以下,小野一『緑の党』,講談社選書メチェ電子版,2014年11月1日,第3章第1節のうち「保守的エコロジー」)。ユダヤ教の「コーシャ屠殺」を抑圧する内容を含む1933年の「動物屠殺に関する法律」は,その負の側面といえようが(浦河道太郎「ドイツにおける動物保護法の生成と展開」,早稲田法学78巻4号195頁,195頁〜197頁),この相克は,現代でも形を変えて現れる(第50次改正参照)。

*21:これらの問題の外,国際的な動物保護の潮流にも対応する必要があり,本改正に基づく1972年動物保護法が,これを解決したとされる(前掲浦河・197頁参照)。

*22:包括的な立法でないため,規制立法それ自体ではなく,その運用面に問題が生じており,多数の異議が出されていたことが指摘されている(BT-Drs. V/4422, S. 1)。

*23:統一的な動物保護を求める動きは,1950年代の中頃から議会の内外で生じており,刑法的な規制よりも,行政的な規制を整備することが課題とされた(前掲浦河・196頁)。しかし,連邦の立法権限の範囲が問題となり,いずれも可決にはいたらなかった(渋谷敏「動物保護法」,外国の立法34巻1・2号・208頁,1995年7月,208頁)。

*24:新法の特徴としては,動物保護の内容を人間の感情ではなく,学問的な根拠に求め,また,動物実験の規制に関し,国際的な規制強化の傾向に対応したことが挙げられている(前掲渋谷・208頁)。

*25:本改正法は,長野実「西ドイツ第30次基本法改正法」(外国の立法62巻318頁,1972年11月,318頁〜319頁)に訳出される。

*26:ドイツにおいても,1970年代は,経済発展と環境保護問題の関係が重要な社会問題となった時期であり(ヴォルブガング・イェーガーら[著],中尾光延[監訳]『ドイツの歴史【現代史】」,2006年9月,513頁),連邦政府も,1970年,環境問題を内務省の所管事項に統合し,本改正を含む各種立法に取り組むことになる(前掲長野・319頁)。また,緊急事態法制(第17次改正)に対する反対運動に失敗した議会外左派(院外野党)の一部が環境運動に転じたという事情もあるが(村上淳一ら『ドイツ法入門』,改訂第8版,2012年8月,74頁),そもそも環境運動の昂揚が,連邦政府による積極的な環境対策に誘発された面もある(小野一『緑の党』,講談社選書メチェ電子版,2014年11月1日,第2章第2節のうち「環境問題の「発見」」)。

*27:営業法の淵源は,ドイツ帝国成立前の1869年の北ドイツ諸邦の営業法に遡る。一般家庭や交通機関が規制対象とならないことの外,事業者に与えた認可を事後的に取り消せないという問題もあったとされる(成田頼明「連邦インミッション防止法とこれに基づく大気汚染・騒音の規制」,季刊環境研究18号74頁,1977年10月,74頁)。また,例えば,営業法16条の認可の対象とならない事業用施設や非事業用施設は規制の対象外となるため,各州の規制に委ねざるを得なかった(同・76頁〜77頁)。

*28:大気汚染に関しては,その外,戦災による破壊の復旧が不十分な工場で急速に生産を再開したこと,粗悪な石炭の使用を余儀なくされたことなどが事態を悪化させていたことも指摘されている(保木本一郎「西ドイツにおける大気汚染防止立法」,ジュリスト332号98頁,1965年10月,99頁)。

*29:実際,連邦憲法裁判所1962年10月30日判決(BVerfGE 15, 1)は,内陸水路等の分野に関し連邦に立法権限を付与した基本法74条(1項)21号は,交通路としての側面において,連邦に立法権限を権限を付与したものにすぎないなどと判示して,連邦水路の清掃維持のための法律(BGBl. II S. 2125)を違憲無効とした。

*30:欧州共同体の閣僚会議で大気浄化の分野における立法・行政措置の基本原則が宣言され(前掲成田・77頁),その外,欧州諸国を中心とする国際協定が多く存したことから(同「西ドイツの環境立法と連邦インミッション防止法案」,法律時報45巻7号99頁,1973年6月,100頁,101頁〜102頁・注5),統一的立法権限を得ることは,ドイツの欧州統合を実現するための強い必要性があった(後掲ヘルマン・11頁)。連邦政府は,1970年9月17日,環境保護緊急計画を閣議決定しているが,同計画においても,基本法改正を含む,連邦の立法権限の拡大の必要性が指摘されている(前掲成田(1973年6月)・99頁,安積鋭二「西ドイツの環境保護緊急計画」,レファレンス21巻2号81頁)。

*31:各州は,競合的立法権限とするには,「已むを得ない,他に代替すべき方法のない,緊急重大な必要がなければならぬ」と主張した(前掲長野・320頁)。なお,その当時においても,自然保護,風致保護についてはともかく,水管理については,欧州の大河川が国際性を有することから,連邦の統一規制が必要であるというのが一般的な見解であったようである(ウレカール・ヘルマン[著],成田 頼明[訳]「憲法および行政法における環境保全(上)」,自治研究49巻4号3頁,1973年4月,11頁〜12頁)。

*32:連邦政府は,1971年1月,廃棄物除去法を提出したが,基本法改正を要するという連邦参議院の意見を容れ,廃棄物管理に関しても連邦の立法事項を追加する基本法改正法案を追加提出することとなった(中内通明「西ドイツの産業廃棄物問題」,レファレンス26巻2号5頁,1976年2月,6頁〜7頁)。

*33:本改正を受け,1972年6月7日,「廃棄物の処理に関する法律」が成立し(前掲・長野320頁),1974年3月15日,「大気汚染,騒音,振動および類似の事象による有害な環境影響の防止のための法律」(連邦インミッション法)が成立するなど,各種立法が続く(前掲成田・77頁)。本改正以降,ドイツの環境政策は連邦の主導によって実現されるようになり,「連邦環境法」という領域が形成されることとなる(清野幾久子「ドイツ環境保護における協働原則」,法律論叢73巻4・5号,2001年2月,30頁)。なお,連邦インミッション法の邦訳は,ウレカール・ヘルマン[著],成田 頼明[訳]「憲法および行政法における環境保全(下・完)」,自治研究49巻6号3頁,1973年6月,14頁〜29頁)。

*34:院外野党運動(Außerparlamentarische Opposition, APO)とは,1960年代初頭に生じ,知識人,労働組合,学生に担われた左派系の大衆運動であり,国内的には,反保守,反ナチズムの立場をとるとともに,国際的には,アメリカのヴェトナム政策に反対し,第三世界の解放運動などと連帯した(ヴォルブガング・イェーガーら[著],中尾光延[監訳]『ドイツの歴史【現代史】」,2006年9月,503頁)。

*35:村上淳一ら『ドイツ法入門』,改訂第8版,2012年8月,74頁,小野一『緑の党』,講談社選書メチェ電子版,2014年11月1日,第2章第2節のうち「環境問題の「発見」。

*36:前掲イェーガーら・504頁,前掲小野・第2章第1節のうち「学生反乱と議会外反対派運動」「『熱い夏』の世界」。

*37:テロリストによる実力行使は,1967年から1972年まで合計90件に上り,例えば,本改正の直前である1972年5月には,米第5軍司令部に対するものを始めとする一連の砲撃事件があった。(Boyne, Shawn, “Law, Terrorism, and Social Movements: The Tension between Politics and Security in Germany’s Anti-Terrorism Legislation”. 12 Cardozo Journal of International and Comparative Law, pp.41-82, Summer 2004, p.52, p.64.)。

*38:石村修「西ドイツ・連邦憲法擁護庁」(専修法学論集38巻・141頁),1983年9月,143頁〜144頁, Savelsberg, Joachim J. “International Perspectives on Gun Control.” New York Law School Journal of International and Comparative Law 15 (1995), p.259, 259.),伴義聖「西ドイツにおけるテロの実態とその対策 -中-」(警察学論集32巻10号93頁),1979年10月,101頁,104頁。

*39:第20次,第21次改正などをも含めた流れということである(Kommers, Donald P. “The Basic Law: A Fifty Year Assessment.” 53 S.M.U. L. Rev. 477, 2000, pp.484-485)。

*40:前掲石村・144頁〜145頁,土屋正三「西ドイツ憲法保護法の改正」(警察研究46巻8号72頁),1975年8月,74頁参照。

*41:正確には,「連邦領域において,暴力を行使することにより,又は暴力の行使を目的とする準備行為をなすことによって,ドイツ連邦共和国の対外的利益を危うくする活動に対する防衛」(本改正後の基本法73条10号c)を対象とする。

*42:この点を基本法73条10号cとして追加したのが,本改正の最大の眼目であることはもちろんであるが(BT-Drs. VI/1479, S. 4. 前掲石村・143頁〜145頁,前掲土屋・75頁,前掲伴・101頁),従前からの「憲法保障」に相当するものとして規定された同号bについても,「連邦又は州の存立及び安全(の擁護)」という部分によって,従前の「憲法保障」の概念を拡大させていることが指摘されている(前掲土屋・74頁〜75頁)。

*43:統一的な規制として,1952年までは,占領当局による銃器規制があったが,主権回復後は,帝国武器法(1936年)が,州法として効力を有するにすぎなかった(ポトリクス,土屋正三(訳)「西ドイツ武器法の概要」(警察研究36巻3号115頁),1965年3月,115頁〜116頁,125頁。Bryant, Michael S. “Germany, Gun Laws.” Guns in American Society: An Encyclopedia, 2nd ed. Vol. 2, Ed. Gregg Lee Carter, 2002.)。

*44:例えば,銃器の単なる私的製造の場合,これを行政規制の対象事項とし得ないという問題があったようある(BT-Drs. VI/2678, S. 28.)。

*45:連邦武器法が経済規制という名目でなされるため,各州の治安目的の規制も残さざるを得ず,逆に煩瑣となっていたようである(BT-Drs. VI/2653, S. 3.)。

*46:ちなみに,連邦議会の請願を処理する権限は,中世の等族議会が,諸身分の意向(これが現代の「請願」に対応しよう。)を受け,君主に対し,自らが「請願」する権限を有していたことに由来する。この「議会の権利」としての請願権は,現代では「請願付託権」に対応するが,法案提案権の淵源でもある(渡辺久丸「請願権の法理と現実(三・上)」,島大法学34巻3号55頁,1990年11月15日,62頁)。なお,同論文の内容は,同『請願権の現代的展開』(1993年3月1日)・7頁以下に収録されている。

*47:限定的なオンブズマン制度としては,再軍備に関する法制度を整備した第7次改正が導入した「国防受託者」制度がある(基本法45b条)。

*48:連邦議会における議論の経緯は,渡辺久丸「請願権の法理と現実(二・上)」(島大法学33巻4号95頁,1990年2月15日),同「(二・下)」(同34巻1号57頁,同年5月30日)が詳しい。なお,これらの論文の内容は,同『請願権の現代的展開』(1993年3月1日)・119頁以下に収録されている。

*49:この問題は,1960年代から指摘されていたが(前掲「請願権の法理と現実(二・上)」・99頁),後述の中間報告でも指摘されている(同・116頁〜117頁)。そもそも,本改正による改革後も含め,ドイツの連邦議会の委員会の権限は,我が国の国会の常任委員会国政調査権に比べて極めて弱いことが指摘されている(藤田晴子「西独議会(連邦と邦)の請願委員会(下)」,レファレンス28巻2号72頁,1978年2月,93頁)。

*50:同報告書は,これに加え,原則的な行政権を有する州政府に対しても権限を有するオンブズマン制度を導入するとすれば,連邦制原理からも許されないとする(前掲「請願権の法理と現実(二・上)」・119頁〜122頁)。また,行政を批判することは議会の本リアの任務であり,オンブズマン制度の導入は,議会の声望を低め,国民の議会離れを招くとの議論もあったようである(藤田晴子「西独議会(連邦と邦)の請願委員会(上)」,レファレンス28巻1号77頁,1978年1月,80頁)。

*51:Gesetz über die Befugnisse des Petitionsausschusses des Deutschen Bundestages (Gesetz nach Artikel 45c des Grundgesetzes) vom 19. Juli 1975, BGBl I.S. 1921. 邦訳:渡辺久丸『請願権』,1995年3月25日,231頁〜232頁。

*52:もとより,後述する「職員」の喚問権の問題など,いくつかの課題は残り,「中途半端な改革」などとも評価されているが,歴史的には前進的な意義があるとされる(前掲「請願権の法理と現実(二・下)」・75頁)。

*53:仮に,これに基づく連邦法律が請願委員会に付与することのできる権限が,従前の議院規則に基づき請願委員会に付与され得た権限を越えないものであれば,本改正に実質的な意義はないことになろう。

*54:請願に関して情報を収集する権限(請願情報権)は,基本法17条に基づく請願を処理する権能に付随するものと理解されているが(ヴォルフガンク・グラーフ・フィッツトゥーム[著],渡辺久丸[訳]『請願権と議会』,1988年9月20日,49頁以下),同権限によっては,「連邦官庁」に文書呈示や情報提供を要求することはできず,「連邦政府」に対してなし得るのみであるとされていた(前掲「請願権の法理と現実(二・下)」・70頁)。

*55:請願委員会権限法4条に基づき証人として喚問すれば足りるとされたが,喚問された証人に発言義務等は課されていないから,これと同視するのは難しい(前掲「請願権の法理と現実(二・下)」・77頁〜78頁)。なお,請願情報権自体は,基本法43条1項ではなく,基本法17条に基づくものとされているから(前掲フィッツトゥーム・49頁以下),いわば,基本法43条1項の反対解釈が外在的制約となるということであろうか。

*56:請願委員会に「事前決定」の権限を与え,本会議には取消権のみを与えることで事案処理の迅速化を図ることができる。請願委員会権限法は,そのような制度設計の導入を見送ったが(前掲「請願権の法理と現実(二・下)」・77頁),本改正の結果,法改正のみで,そのような制度を導入することが可能となった(同・75頁,82頁)。

*57:前記した「連邦官庁」に対する文書呈示要求権のように,基本法17条,43条1項からは導かれず,基本法45c条を根拠に,基本法44条の調査委員会に類似した権限は導かれ得ると考えられており,これは連邦議会の本会議さえ行使し得ない事項に及ぶ(前掲フィッツトゥーム・66頁〜67頁)。

*58:いわゆるエルンスト委員会であり,正確には,連邦内相の招集した委員会である(大爺栄一「ドイツ連邦共和国における領域再編成(Territoriale Neugliederung)の展望」,北星論集19巻149頁,1981年,159頁以下)。

*59:vgl. BT-Drs.VII/4958, S.5-6. 渋谷敏「第33次基本法改正法」(外国の立法16巻2号57頁),1977年3月,60頁,県公一郎「EC統合とドイツ連邦主義」(日本政治学会年報政治学1993年57頁),1993年,61頁〜62頁, Bullmann, Udo, “Germany: Federalism under Strain” in Subnational Democracy in the European Union, Loughlin J., ed. (2001), pp.83ff, p.105, Leonardy, Uwe, “German Federalism Towards 2000: Tobe Reformned or Deformed?” in Recasting German Federalism, Jeffeey, C, ed. (1999), pp.285ff, p.287.

*60:連邦政府は,もはや関係地域を説得する意思も能力も無かったが,基本法上の義務を懈怠することも望まなかったとされる(Leonardy op. cit. p.287. Leonardy, Uwe, “Demarcation of regions - Internationa perspectives” in Regionalism, 1993, pp.1ff. p.12.)。

*61:戦後の州割りが定着した結果,州の再編成に関する主要な課題は,面積・人口・経済規模が過小である州を合併させるという問題に移った(前掲渋谷・60頁)。前記の専門委員会(エルンスト委員会)の報告も,この点を考慮していた(前掲大爺・160頁)。

*62:本改正前の基本法29条にも,住民発案による手続が存したが(2項から4項),これは占領軍によって恣意的に決められた州割りを変更するための限時的な手続である。本改正後の基本法29条は,そのような限定はない(4項から7項)。

*63:本改正のうち,基本法29条に関する部分(BT-Drs. VII/4958)と基本法39条等に関する部分(BT-Drs. VII/5307)は,もともと別個の法案であったものがが一個の法案として一本化されたため,併せて「第33次改正」(本改正)とされる。他方,「第34次改正」は,本改正と同時に連邦議会で可決されたが,別個の法律のままであったため,別個の改正としてカウントされている(vgl. BT-Prot. VII/256, S. 18384C-18400B)。

*64:なお,戦後の西独は,ワイマール議会における解散権の濫用に対する反省から連邦首相による解散権が制限されており(後掲宮地・457頁),自己の信任を掛けた動議が否決されたときのみ解散権を行使することができる建設的不信任投票制度が採られているため(基本法68条1項),解散による改選の回数は少ない。与党に動議を否決させることによって,実質的に解散権を行使することにも制限があると解されているが,近時の連邦憲法裁判所の判例は,その合法性を緩やかに認める方向にあるともいわれている(宮地基「基本法68条による連邦議会の解散Ⅱ」,ドイツ憲法判例研究会ほか[編]『ドイツの憲法判例Ⅲ』,2008年10月15日,454頁,459頁)。

*65:本改正案の第3読会は1976年7月1日に実施され,夏季休暇を挟んだ同年10月3日に連邦議会議員選挙が予定されていたが,改選前の議員の任期満了は同年12月13日であったから,法律上,最速でも同年12月14日まで新議会を開催することはできなかった(BT-Prot. VII/256, S.18386C)。しかも,実務上,新議会の開催は翌1977年1月となることが予想されていた(BT-Drs. ViII/5307, S.1)。

*66:また,本改正前は,任期満了から新議会開催までの間に「法律上」も議会の空白期があることから,その間に活動する議会の常任委員会の規定等を置いていたが(基本法45条,45a条),本改正による基本法39条の改正によって,法律上も空白期が生じないこととなったため,併せて当該規定を削除された。

*67:古賀豪,高澤美有紀「欧米主要国議会の会期制度」(調査と情報797号),国立国会図書館調査及び立法考査局政治議会課,2013年8月2日,7頁・注44。

*68:院外野党運動(Außerparlamentarische Opposition, APO)とは,1960年代初頭に生じ,知識人,労働組合,学生に担われた左派系の大衆運動であり,国内的には,反保守,反ナチズムの立場をとるとともに,国際的には,アメリカのヴェトナム政策に反対し,第三世界の解放運動などと連帯した(ヴォルブガング・イェーガーら[著],中尾光延[監訳]『ドイツの歴史【現代史】」,2006年9月,503頁)。

*69:村上淳一ら『ドイツ法入門』,改訂第8版,2012年8月,74頁,小野一『緑の党』,講談社選書メチェ電子版,2014年11月1日,第2章第2節のうち「環境問題の「発見」。

*70:前掲イェーガーら・504頁,前掲小野・第2章第1節のうち「学生反乱と議会外反対派運動」「『熱い夏』の世界」。

*71:Boyne, Shawn, “Law, Terrorism, and Social Movements: The Tension between Politics and Security in Germany’s Anti-Terrorism Legislation”. 12 Cardozo Journal of International and Comparative Law, pp. 41-82, Summer 2004, p. 52.

*72:弁護人が獄内外の過激派同士の連絡を取り次いだという事件があり,また,被告人の欠席戦術などによる訴訟遅延も問題となっていた(伴義聖「西ドイツにおけるテロの実態とその対策 -中-」(警察学論集32巻10号93頁),1979年10月,96頁)。

*73:この問題は,第31次改正の武器(銃器)規制に関する審議の際にも,連邦参議院の小委員会において,武器と爆発物とでは重なる部分が多いとして指摘されえいたが,差し当たっては採用されなかったとのことである(BT-Drs. VII/5101, S. 4.)。

*74:すなわち,第20次第23次改正などを含め,1960年代からの中央集権化の流れの中にも位置付けられる(Kommers, Donald P. “The Basic Law: A Fifty Year Assessment.” 53 S.M.U. L. Rev. 477, 2000, pp.484-485)。

*75:連邦爆発物法は,連邦議会において本改正と同じ日に可決されている(BT-Prot. VII/256, S.18398C-18400B, S.18431C-18431D)。なお,第31次改正を経て成立した連邦武器法も,この少し前に更に改正されており,テロ行為の前段階で効果を発揮することが期待されてい(ハンス・ハインリッヒ・イェシェック,筑間正泰[訳]「西ドイツにおけるテロ防止の刑事立法」,廣島法學2巻4号53頁,1979年3月,56頁〜57頁,前掲伴・104頁)。

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