元号の変わり目(6)

第6.総括

.各説の不統一

これまで紹介してきた各説を整理すると,以下のようになる。ただし,平成に関しては,争いがないので掲載せず,照会文書の中で披瀝された見解については,議論の途中経過にすぎないということができるので参考として掲載した。これによれば,元号の変わり目については,諸説紛々として,確立した解釈はないというのが正当であろう。

番号 文書 慶応以前 明治 大正昭和
1 『日本後紀』の大同改元非礼論(承和7年12月9日)*1 改元日説
2 『台記』における藤原頼長の説(天養元年6月23日)*2 年始説
3 『台記』における中原師安の説(天養元年6月23日)*3 改元日説
4 司法行政事務に関する大正元年8月6日司法省民事局長通牒*4 改元日説(翌日説)
5 国定教科書の記載に関する大正元年9月11日内閣書記官長回答*5 年始説 年始説 改元日説(新帝即位時説)
6 国定教科書の記載に関する大正元年9月26日内閣書記官長回答*6 改元日説(新帝即位時説)
7 大赦令の解釈に関する大正元年12月17日海軍省官房文書*7 改元日説(午前0時説)
8 戸籍事務に関する大正7年9月23日内閣法制局長回答*8 改元日説(午前0時説)*9 改元日説(午前0時説)*10
9 戸籍事務に関する大正7年10月3日内閣書記官長回答*11 改元日説(午前0時説)*12 改元日説(午前0時説)*13
10 戸籍事務に関する大正7年12月3日司法省法務局長回答*14 年始説 年始説
11 清水澄『国法学』(大正8年2月11日)*15 年始説
12 美濃部達吉『憲法撮要』(大正12年4月30日)*16 改元日説(新帝即位時説)
13 大赦令の解釈に関する昭和2年1月29日秘第29号司法省刑事局長通牒*17 改元日説(午前0時説)
14 芝葛盛「皇室制度」(昭和9年6月2日)*18 改元日説(詔書発布時説) 改元日説(詔書発布時説) 改元日説(詔書発布時説)
15 宮沢俊義『皇室法』(昭和11年)*19,『憲法略説』(昭和17年4月30日)*20 改元日説(新帝即位時説)
16 戸籍事務に関する昭和39年9月17・18日高知地方法務局管内戸籍住民登録事務協議会連合総会決議*21 改元日説(午前0時説)*22 改元日説(午前0時説)*23
17 戸籍事務に関する昭和42年7月3・4日福岡連合戸籍住民登録事務協議会決議*24 改元日説(午前0時説)*25 改元日説(午前0時説) 改元日説(午前0時説)
18 深谷博治「明治改元とその後の改元」(昭和43年10月1日)*26 年始説 年始説*27
19 高橋茂夫「明治天皇崩御は『大正元年』」(昭和43年10月20日)*28,「明治以来の元号」(昭和44年6月)*29 年始説 改元日説(午前0時説)
20 深谷博治「明治改元とその後の改元」(昭和43年10月29日)*30 改元日説(新帝即位時説)
21 橋本義彦「改元雑考」(昭和48年5月)*31 改元日説*32 改元日説*33 改元日説(新帝即位時説)
22 高橋茂夫「元号の境目」(昭和48年10月)*34 年始説 改元日説(午前0時説)
23 下橋敬長『幕末の宮廷』における羽黒敬尚の注(昭和54年4月27日)*35 改元日説(午前0時説)*36
参考1 司法行政事務に関する大正元年8月2日高松地方裁判所長問合(参照*37 改元日説(午前0時説)
参考2 国定教科書の記載に関する大正元年9月9日文部省図書局照会*38 年始説 年始説 改元日説(新帝即位時説)
参考3 国定教科書の記載に関する大正元年9月25日文部省図書局照会における甲説*39 改元日説(新帝即位時説)
参考4 国定教科書の記載に関する大正元年9月25日文部省図書局照会における乙説*40 改元日説(詔書発布時説)
参考5 戸籍事務の取扱に関する大正6年3月8日大阪区裁判所監督判事問合*41 改元日説 改元日説
私見

まず,明治以前の改元について,改元詔書の文言を根拠に年始説をとることはできない。その文言が,年始説によることを指示したものであるか一義的に明確でなく*42,実際にも,そのような文言解釈が当然の前提とされていた訳ではなかったようであるからである。

そこで,改元日説ということになるが,改元日説というのも曖昧である。改元日説の趣旨を徹底するのであれば,改元日説のうち詔書発布時説によることになろう。しかし,いかなる行為をもって法的な意味を有する「発布」と称するのかは定かでなく*43,その瞬間を時刻として特定するのも不可能であるから*44,この説にも,理論上,実際上の問題がある。

それでは,改元日説のうち午前0時説はどうであろうか。この説には,実際上,非常に便利であるという代え難いメリットがあるが,どうして改元日の午前0時に遡らねばならないのか,理論的根拠が不明であるという欠点がある。しかし,法的な行為について,行為日の午前0時に効果を遡及させるというのは,全く例がないことではない。すなわち,日本の伝統的な行政解釈によれば,ある法律を登載した官報が,6月19日の午前8時30分から発売された場合でも,その法律は,同日の午前0時に公布されたことになるとされていたからである*45

そして,上記の行政解釈の事例を援用し,明治以前の改元について,午前0時説をとることには,もうひとつのメリットがある。すなわち,大正,昭和改元についても,改元詔書の文言を根拠に午前0時説をとってしまえば,政令施行日(改元日)の午前0時から適用される平成改元とあわせ,統一した取り扱いをとることができるのである。大正,昭和改元については,新帝即位時説も有力であるが,平成改元との整合性からみても,現在では説得力が低いというべきであろう。

結局,元号の変わり目については,諸説紛々として,確立した解釈はないものの,慶応以前の含め,全て改元日の午前0時を基準とすることで統一するのが,便宜であり,一応の理論的根拠もあるということになる。
(了)

*1:日本後紀』巻14・大同元年5月18日条/国史大系・第3巻・70頁。

*2:台記』巻4・天養元年6月23日条/増補史料大成・第23巻・124頁。

*3:台記』巻4・天養元年6月23日条/増補史料大成・第23巻・124頁。

*4:法務省民事局『登記関係先例集』上・325頁・433号。

*5:公文類聚・第36編・明治45年〜大正元年・第12巻・件名番号13。文部省『文部省例規類纂』第3巻・847頁。

*6:公文類聚・第36編・明治45年〜大正元年・第12巻・件名番号13。文部省『文部省例規類纂』第3巻・847頁。

*7:高橋茂夫「明治以来の元号」(日本歴史・253号・117頁)・124頁参照。

*8:公文類聚・第42編・大正七年・第1巻・件名番号28。

*9:ただし,午前0時説であることを明確に示したものではない。

*10:ただし,午前0時説であることを明確に示したものではない。

*11:公文類聚・第42編・大正七年・第1巻・件名番号28。

*12:ただし,午前0時説であることを明確に示したものではない。

*13:ただし,午前0時説であることを明確に示したものではない。

*14:辻朔郎ほか編『司法省親族相續戸籍寄留先例大系』・543頁,2915頁。

*15:清水澄『国法学』〔改版増補第12版〕(第一編憲法篇)・360頁。明治37年7月17日初版発行,明治39年4月5日訂正増補第3版発行,大正4年1月20日改版増補第8版発行。

*16:美濃部達吉憲法撮要』・204頁。

*17:国立公文書館・「恩赦制度審議会に関する件・総理庁官房総務課長」・「大赦令施行に関する心得抜粋(昭和2.1.29刑事局長通牒秘第二九号)(昭和23.3.6検総印)、減刑令施行に関する心得抜粋(昭和2.1.29刑事局長通牒秘第二九号)(同)、復権令施行に関する心得抜粋(昭和2.2.19刑事局長通牒秘第六六号)(同)」。

*18:芝葛盛「皇室制度」/岩波講座日本歴史・第10・16頁。

*19:宮沢俊義『皇室法』/新法学全集1・23頁。

*20:宮沢俊義憲法略説』・82頁。

*21:日本加除出版出版部『親族、相続、戸籍に関する訓令通牒録』・5624号。

*22:ただし,改元日当日の届出について,旧元号によることを許し,既に旧元号で記載されてしまったものについて,後で訂正する必要はないとする。

*23:ただし,改元日当日の届出について,旧元号によることを許し,既に旧元号で記載されてしまったものについて,後で訂正する必要はないとする。

*24:日本加除出版出版部『親族、相続、戸籍に関する訓令通牒録』・1078号。

*25:ただし,慶応以前については,「必ずしも明らかでない。」とする。

*26:朝日新聞昭和43年10月1日夕刊9頁・研究ノート。

*27:ただし,「厳密にいえば」,改元日説であるとする。

*28:朝日新聞昭和43年10月20日朝刊5頁・声。

*29:高橋茂夫「明治以来の元号」(日本歴史・253号・117頁)。

*30:朝日新聞昭和43年10月29日朝刊5頁・声。

*31:橋本義彦「改元雑考」(日本歴史・300号・208頁)。

*32:ただし,「当時一般の人士」の観念としては,年始説が支配的であったとする。

*33:ただし,「当時一般の人士」の観念としては,年始説が支配的であったとする。

*34:高橋茂夫「元号の境目」(日本歴史・305号・84頁)。

*35:下橋敬長述・羽黒敬尚注『幕末の宮廷』(東洋文庫)・140頁。同書の発行は昭和54年であるが,羽黒敬尚の注が書かれたのは,遅くとも昭和40年春のことのようである。

*36:ただし,「漠然という時には」,年始説によるのが例であり,「正確には」,午前と午後で区別すべきであるとする。

*37:法務省民事局『登記関係先例集』上・325頁・433号。

*38:国立公文書館・公文類聚・第36編・明治45年〜大正元年・第12巻・件名番号13。文部省『文部省例規類纂』第3巻・847頁。

*39:国立公文書館・公文類聚・第36編・明治45年〜大正元年・第12巻・件名番号13。文部省『文部省例規類纂』第3巻・847頁。

*40:国立公文書館・公文類聚・第36編・明治45年〜大正元年・第12巻・件名番号13。文部省『文部省例規類纂』第3巻・847頁。

*41:公文類聚・第42編・大正七年・第1巻・件名番号28。

*42:文言のみ根拠に年始説をとるのであれば,天平宝字改元を除外する必要があり,改元詔書の文言が明らかにされていない改元については,その取扱を留保する必要があろう。

*43:前述のように,『江家次第』によれば,京官については,「発布」のような特定の行為は要請されていなかったことになる。

*44:もっとも,一定の場合には,相対的な前後関係を特定することが可能であろう。

*45:林修三「法令の公布と施行の時期」(自治研究35巻1号3頁)・6頁。この見解は,正確には,「官報の日付」の午前0時に公布されたことになるとするもののようであるが,午前0時に遡及させるという点では,共通した発想である。また,問題となるのは,「公布の日から施行する。」という法律の場合であり,一見すると,「日から」という文言上,午前0時を含むことは明らかのように思える。しかし,法律の公布は,施行の前提要件であるから,公布時点よりも前に施行時点を定めることは,実質において,法律の効果を遡及させることになり,少なくとも刑罰法規に関しては採用できない。「公布の日から施行する。」という文言は,正確には,「公布のときから施行する。」とすべきものである(佐藤達夫「『公布の時』と『施行の時』」(ジュリスト166号36頁)参照)。なお,この見解は,最判昭和33年10月15日刑集12巻14号3313頁により,現行法の解釈としては否定された。

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